第230話 Broken World

 恵梨香の脇腹を貫いたのは、瞳からハイライトの消えたリクだった。


 恵梨香野口から吐き出された大量の血、それを顔面に受けたリクの瞳に光が戻り、「え? あれ?」と呆けた瞬間、脇から突っ込んできたユーリの手刀がリクの腕を叩き斬った。


「退いとけ!」


 それとほぼ同時にユーリの左拳がリクを吹き飛ばす。リクが監視塔やぐらの壁にぶち当たった頃、リクの腕を腹から生やした恵梨香の膝が、力なく落ちた。


「恵梨香!」

「ししょー!」


 吹き飛んだリクを尻目に、ユーリとトアが声をかけながら恵梨香をゆっくりと寝かせた。


「……ダセーな。こんな最期かよ」


 力なく「ははは」と恵梨香が笑う度、その口と脇腹から血が溢れ出す。


「喋んじゃねぇ、ぶっ殺すぞ!」

「助けたいのか……殺したいのか……どっちだよ」


 力のない笑みの恵梨香に、「だから喋んなって。ぶっ殺すからな!」とユーリが真剣な顔で怒鳴りつけた。


「エレナ!」


 跳ね返るように振り返ったユーリに、エレナの肩が思わず跳ねた。ユーリが言わんとしている事は理解している。だが、相手は敵だ。つい先程エレナやその仲間達を殺そうとしていた人間だ。


 ためらうエレナの瞳に「頼む、大事な仲間なんだ」とユーリの泣きそうな顔が映っている。


「ああ! もう!」


 グシャグシャと髪を掻いたエレナが、ユーリとトアの間に割って入り、恵梨香へ治癒魔法を施し始めた。


「ユーリ、まずは止血をする――」


 エレナの言葉に頷いたユーリが、突き刺さったままの腕を掴んだ。


「ちと痛ぇぞ」


 恵梨香に声をかけユーリが思い切り腕を引き抜いた。


 周囲にパッと鮮血が舞い、同時にユーリとエレナが顔を強張らせた。引き抜かれた腕は、ただの刃ではなく、両側がノコギリ状に変形していたのだ。間違いなくはらわたはズタズタだろう。


「ねえ、ししょー助かる?」


 心配そうにエレナを見上げるトアに、「分からない。黙っててくれ」とエレナが真剣な表情でピシャリと言いつけた。


 エレナの言葉に従うようにトアが黙り、そしてユーリはジョゼフを睨みつけていた。


「脳筋女め! 私を虚仮にした報いだ!」


 未だ騒がしいジョゼフが、この事態を引き起こしたことだけは間違いない。ユーリから溢れる殺気に、全員が思わず一歩後ずさった。


「悪い。ちっと、ここ頼むわ」


 そう呟いたユーリが一瞬でジョゼフの下へ。周囲を取り囲んでいたはずのホムンクルス達が一斉に弾け飛ぶ。


「え?」


 あまりの光景に呆けるジョゼフの頭をユーリが掴んだ。


「待っ――」

「喋んな。口が臭え」


 冷めきった瞳のユーリが、ジョゼフの頭を思い切り地面へ叩きつける。


 潰れたトマトのように血と脳髄を周囲に撒き散らし、ジョゼフは物言わぬ躯となった。それを視界の外へ押しやるように、ユーリが再び恵梨香の下へと駆けつける。


 エレナが治癒をかけているというのに、恵梨香の容態はよくならない。今も口と脇腹からは初めほどではないが、血が滴っている。


 普通であれば直ぐに治るような傷、それが未だ治る気配を見せない状況に、ユーリとトアがやきもきしてエレナと恵梨香を見比べた。それでもユーリもトアも、エレナに何も言わないのには、理由がある。


 エレナが今も必死に治療をしているのが、目に見えて分かるからだ。


 額に脂汗を浮かべ、肩で息をするエレナは、先程荒野の白鳥シグナスのメンバーを癒やした時と変わらない。そんなエレナが、「やはり中がズタズタにやられている」と呟いた。


「まずは血を止めたいのだが……」


 エレナの額から汗が落ちるが、ポタポタと滴る血が止まる気配がない。


「……ど、毒だ!」


 遠くから聞こえてきたリクの声に、全員がそちらを振り向いた。ユーリに殴られ、監視塔の壁にもたれるようにするリクが、「博士は、俺の身体に毒を入れたんだ」と続ける。


「テメェ……どの口が――」


 立ち上がりリクのもとへ歩き出そうとするユーリの手を、「ユーリ……にぃ」と恵梨香が掴んだ。


「あいつも、操られた……だけだ」


 首を振る恵梨香に、「師匠……」とリクがその瞳を閉じた。


「そうだろ……リク?」


 微笑みかける恵梨香に「違うんだ」と今度はリクが首を振った。


「し、師匠……ごめん。俺は、俺はリクなんかじゃ――」


 叫ぶリクに「知ってたよ」と恵梨香が笑いかけた。恵梨香の答えに目を見開いたリクが、「なら、何で……」と呟いた。


「最初から、知ってた……でも、オレにとっちゃ……お前もリクだよ」


 リクに微笑みかけた恵梨香が大きく血を吐き出した。


「お前とトアと、修行したり、遊んだり……結構悪くなかったぜ」


 微笑む恵梨香の表情に、リクが初めてその顔を苦悶の表情へと変えた。顔にありありと浮かぶ後悔を打ち払うように、リクは強く目を瞑り……意を決したように大きく開いた。


「俺の……俺の心臓に解毒剤がある! だから――」


 叫んだリクが、左手を自分の胸に突き刺した。血を吐き出すリクが、それでも真っ直ぐに恵梨香とトアを見つめ……


「二人共、楽しかった……」


 ……そう微笑んだ。


「ばか……やろう」


 顔をしかめる恵梨香に、「師匠、俺も楽しかった」と微笑む。


「リク――」


 叫んだトアの言葉を遮るようにリクが首を振った。


「トア……お前は……お前だけは……後悔するな」


 叫んだリクが、己の心臓を引きちぎって抜き出した。ドクドクと脈打つ心臓を持ったまま、絶命したリクの腕が落ち――そうになったそれを、ユーリが掴んだ。


「テメェの覚悟、引き継ぐぞ」


 それだけ言うと、ユーリは血の滴る心臓を持って、恵梨香のもとへ駆けつけた。


「で、どうやって解毒を――」

「かせ!」


 ユーリから心臓を分捕ったのはリンファだ。


「毒のことならアタシに任せな」


 そう呟いたリンファが、ゲートから注射器と、遠心分離機のような機器を取り出した。心臓を裂き、その中から出てきたカプセルを割って遠心分離機へ――


 機器が動き出した瞬間、リンファの顔が曇った。その顔は見る間に憤怒の表情へ――「クソ!」叫んだリンファが地面を強く叩いた。


「解毒剤じゃねー! これはだ!」


 リンファの言葉で、その場の全員が理解した。ジョゼフが施した、最悪の嘘に。命を弄ぶ、最低の罠に。


 リク本人には、毒と解毒剤と教えておき、なんらかの原因でリクが解毒剤の情報をもらしたとしても、それすら毒だという二重のトラップだ。命を投げ売ったリクは、いわば犬死にである。


 あまりの卑劣さに、「外道め」とクロエがその奥歯をギリリと鳴らした。


 そして更に状況が悪いのが……未だ血の止まらぬ恵梨香だ。既に顔は青白く、手にも全く力が入っていない。


「どうやら万事休す……ってやつ、だな」


 ヘラリと笑う恵梨香に、「だから、しゃべるんじゃねぇよ」とユーリが声を張り上げた。


「狼狽えんなって……いつかは死ぬ。アンタの口癖じゃねーか」


 微笑む恵梨香に、「うっせぇ! それを言っていいのは俺だけなんだよ!」とユーリが顔をしかめて首を振った。


「なんだよそれ……めちゃくちゃじゃねーか」


 呆れた恵梨香の横顔に、「俺はワガママなんだよ」とユーリが悲しそうな顔で声をかけた。ユーリの声にわずかに微笑んだ恵梨香が、ユーリの腕を確認するようにゆっくりと手でなぞる。



「【戦姫】のねーちゃん、もういいぜ」


 恵梨香がエレナに微笑むが、「怪我人は黙ってろ」とエレナは取り合わず、治癒魔法をかけ続けている。


 エレナには分かっている。これが無駄な事だと。これがただの延命だと。


 それでも止めるわけにはいかない。一分一秒でも長く、恵梨香の命をつなぎとめるために。少しでもユーリとの時間を伸ばすために。


「頑固だな……次、戦ったら……もっと、いい勝負に、なるかもな」


 笑う恵梨香に「ならばさっさと起きろ」とエレナが額に汗を流しながら微笑み返した。



 エレナの淡い光に包まれながら、「なあ、ユーリにぃ」と恵梨香がユーリへ視線を向けた。


「なんだ?」


 努めて優しく微笑むユーリが、トアから引き継ぐように恵梨香をその腕に抱きかかえた。


「あの頃は……良かったよな」


 瞳を閉じた恵梨香が、「良かったよな」ともう一度呟いた。


「ああ。そうだな」


 力強く頷くユーリに、「へへ……だよな」と恵梨香が笑顔を見せた。


「皆がいて、学校に行って……授業と戦場はまあクソだったけど、それでもあの日々が楽しかったよな」


 恵梨香とユーリにだけは、過ぎし日々が見えている。そのお陰だろうか、恵梨香はまるで痛みを感じないように、苦しそうだった表情が少しずつ明るくなって見える。実際は、トアが恵梨香の痛覚を反転させているだけなのだが……それでもこの瞬間だけは、恵梨香は苦痛を感じる事なく、あの日へ思いを馳せる事が出来ている。


「ユーリにぃはいつも寝坊助でさ」

「よくリンコとお前が起こしてくれてたな」


 笑うユーリに、恵梨香が「ここで、別の女の名前を出すなよ」と口を尖らせた。


の野郎、いっつもマウント取ってくるんだぜ? 『アタシ、ユーリくんと同じクラスだし』とか言ってよ」


 口を尖らせた恵梨香に、「ンだそりゃ? リンコと俺は同い年だから当たり前だろ?」とユーリが笑顔で眉を寄せた。


「……ユーリにぃには一生分かんねーかもな」


 ジト目の恵梨香が、「ま、いいけどな」とまた笑顔を見せた。


「オレはさ……皆でずっと、ずっと仲良くやっていくと思ってた」


 瞳を閉じた恵梨香に「俺もだ」とユーリが頷いた。


「皆で、ずっと楽しく、仲良く、やっていきたかった」


 恵梨香の眦から、一粒の雫が溢れた。それを拭ったユーリが、「今からでも、取り戻せるだろ」と恵梨香を抱きかかえる腕に力を込めた。


 そんなユーリの叫びに恵梨香は唇を震わせた。


「取り……戻せる、かなぁ……」


 ポロポロと感情を溢れさせる恵梨香が、唇を震わせながら続ける。


「あの日、意識を失ったと思ったら、オレたちは悪夢の中だ」


 唇を震わせ、腕で顔を覆う恵梨香が、その腕を下ろしてユーリを真っ直ぐに見ていた。


「なあ、ユーリにぃ……これって悪夢だよな?」


 ユーリを掴む恵梨香。その鬼気迫る様子に、エレナは治癒魔法に力を込めた。

 過去へ馳せる思い。

 激しい感情の起伏。

 怪我人とは思えぬ力強さ。

 どれもこれもが恵梨香がそう長くないことを、エレナに嫌でも教えてくれる。


 まだだ、そう呟くエレナの眼の前では、恵梨香の力強さにユーリが「悪夢、か」と呟いていた。


「目が覚めたら、また皆で学校に行って、眠たい授業を受けて、クソみたいな戦場に行って……帰ったら馬鹿話して、また寝て……起きたら――」


 そう言いながら溢れる涙で恵梨香がむせ返る。ゴホゴホとむせる恵梨香が、大量の血を吐き出した。


「そうだな……起きたら、また学校に行かねぇとな。お前は赤点ギリギリだからよ」


 恵梨香を強く抱きしめたユーリが、「だから……」とその下唇を噛んだ。


「だから、早く元気になれよ――」


 ユーリの頬を涙が伝う。


「何言ってんだよ。オレは元気だって」


 おどけたように恵梨香が笑うが、その笑顔に力はない。完全に自分の状況すら分からなくっている。その事実にエレナが「ユーリ」と声をかけるが、ユーリは黙ってエレナに首を振るだけだ。


「そうだったな、お前は元気だ。だから、ちゃんと明日は学校に行けよ」


 恵梨香は頭を優しく撫でるユーリに、「ユーリにぃもな」と血まみれの顔で笑った。


「そうだ、明日は?」


 小指を差し出す恵梨香に「ああ」とユーリが小指を絡ませた。


「約束な」

「ああ、約束だ」


 ユーリの小指の感触を味わうように恵梨香が微笑み、そして、その腕が力なく地面へと落ちた。その瞬間「うぅ……」と声を押し殺してユーリが恵梨香を強く抱きしめた。


 もう動くことも、話すことも、笑うこともなくなった恵梨香。


 それを示すように、恵梨香のゲートが開かれ、中に入っていたものが外へこぼれ出した。


 出てきたのは、たった一つの旧式デバイススマートフォン。それが恵梨香の左腕から地面に乾いた音を立てて滑り落ちた。


 その拍子で、旧式デバイススマートフォンからアラームが鳴り響く。まるで壊れた目覚ましのように、静寂にアラームの音が響き渡る。


「朝だぞ……起きろよ。寝坊助は……俺の、俺の役目だろ」


 そう何度も呟くユーリの声と、押し殺すようなすすり泣き。「ピピピ……ピピピ……」と無機質に鳴り響くアラームに、いつまでもその二つが重なって響いていた。




☆☆☆



 ※ぜひニーアオートマタの「壊レタ世界ノ歌」をBGMに。

 以前、世界の重さでお勧めした「Weight of the World」の日本語版です。メロディラインは一緒で歌詞の意味が全く違うので、ぜひ聴き比べて下さい。



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