第225話 賑やかファイブ

 時間はしばし戻り、焦土の鳳凰フェニックスの四人がトアに遭遇したのとほぼ同じ頃……要塞右側では、建物に侵入した草原の風鳥アプスのメンバーも地下牢から、捕虜たちを逃がしていた。


「案外楽勝だったね」


 肩をすくめたルチアに、「そだねー」とヴィオラが笑顔で相槌を打った。前庭で暴れている仲間達の陽動のおかげか、建物に入ってからここに来るまでに、誰にも遭遇していないのだ。


 緊張していただけに、拍子抜けに終わった任務にイリーナもホッと一息ついた。


 捕虜たちは四人に頭を下げながら、階段を駆け上がっていく――それを見送りながら、イリーナがふとデバイスを起動した。何ということはない、いつものようにミッションに要した時間を確認しようとしただけだ……が――


「あら――?」


 デバイスを見たイリーナが違和感を覚えた。デバイスはイリーナのホーム画面を映している。草原の風鳥アプス四人とベルタを入れた五人……イリーナのいつものホーム画面であるのだが、


「なんでホーム――」


 呟くイリーナの背筋にゾワりと冷たいものが走った。突入前にいつも通り時計アプリを立ち上げ、ストップウォッチを起動していたはず。


 それがホーム画面に戻っている……つまり今自分が見ているデバイスは、という事に気がついた。


 その事実に大きく目を見開いたイリーナが、わずかに自身の唇を噛んだ――唇から血が滲むと同時に彼女の視界にヒビが入り、ガラガラと音を立てて崩れ始めた。


 クリアになったイリーナの視界に映ったのは、


 ……屋上


 驚愕の事実に目を見開いた彼女が次に見たのは、始めに降り立った屋上で、ハイライトが消えた瞳で自身を見つめる仲間の姿と、少し遠くで自分達を嘲笑うリクの姿だった。


 知らぬ間に幻術に囚われていた。その事実に驚愕するが、今は仲間を助けるほうが先だとゲートから魔導銃を取り出し仲間へ向けて引き金を引いた……遠くでリクが驚いたように顔を呆けさせているのが見えた。


「った!」

「いてっ」

「ぬぁ」


 皆の悲鳴が闇夜に響き渡った。


「……よく気がついたね。ちょっと遊びすぎたかな?」


 首を傾げるリクに、「企業秘密よ」と笑ったイリーナの視界の端では、キョロキョロと辺りを見回している仲間が映っていた。ハイライトの戻った瞳から、全員が幻術から帰ってきたのだろうことが分かる。


「あれ? 屋上……?」


 ヴィオラの呟きに、いち早く状況を飲み込んだのだろう、ノエルとルチアが武器を構えた。


「なるほど。突入時点から夢を見てたってわけね」


 苦笑いのルチアに、イリーナが黙って頷きデバイスに目を落とした。突入からまだ三分程しか経っていない。


「キサマ……【八咫烏】とか言うやつだな」


 リクを前に構えたノエルが、「コソコソと気に食わん――」叫ぶとともに、一気に駆け出した。


 一瞬で彼我の距離を詰めたノエルの横薙ぎ。

 リクのスウェイ――その鼻先を巨大な爪が掠めた。


 切り替えすノエルが、左手を突き出す。

 伸びてくる爪を、リクがスウェイからのウィービング。

 ノエルの突きが横薙ぎへ変化――ダッキング。


 ノエルが繰り出す高速の爪術に、リクが気を取られている間にイリーナは小声で呟いた。


「ヴィオラ、サテライト出せる? よ」


 イヤホン越しに声が聞こえたのだろう、イリーナを見ながら小さく頷いたヴィオラがルチアの影に隠れながらサテライトを取り出し、自身の背後へ放り投げた。起動したサテライトへ、「ベルタ、聞いて――」イリーナが状況を簡潔に説明した。


 サテライトがスニーク行動を取るように大きく迂回し始め、同様にイリーナがリクから大きく距離を取った。


 エレナが言っていた、幻術の範囲。あの時はリリアの歌で弱体化していたが、今は万全の状態だ。その範囲を見極める必要がある。もちろん見極めるのはサテライトベルタの仕事だが。


 範囲が分かれば、イリーナやヴィオラの動きも変わってくる。全員が静かに進行する作戦を共有し終えた頃


のくせにやるではないか」


「モヤシは酷いな……ま、どうせ死ぬ人間の戯言だけどね」


 ……間合いを切った二人が、同時に獰猛な笑みを浮かべた――かと思えば、全員の耳に『ノエル、三時ー』とベルタの声が響いた。


 ハッとしたノエルが、眼の前のリクを無視するように横っ飛び。

 ノエルの右肩がわずかに裂け、血が滴る。


 それを見た他のメンバーも各々が自分の唇や指を噛めば、再度全員の視界がガラスのように砕けて粉々に散った。


「あっぶなー」

「クールタイム短すぎるでしょ」


 ヴィオラとルチアがお互い顔を見合わせた。四人はいつの間にか、再び幻術に取り込まれていたらしい。いつかけられたのかも分からない、それに思っていた以上に幻術が再発動されるまでの時間が短かった。


 強力な力なだけに、ポンポンと相手を幻術にかける事が出来るわけではない。一度幻術を使用したら、ある程度のクールタイムがあることは、リクと戦ったエレナやヒョウから聞いていた通りだ。


 ただ思って以上にそのクールタイムが短かったのは誤算だ。加えて大誤算だったのが……


「少なくとも屋上全域ね」


 ……離れていたイリーナも幻術にかかったことだ。こうなっては、相手の土俵で戦うしかなくなる。かなり厳しい戦いになるのは間違いなさそうだ。


 とは言え、誤算なのはリクも同じなようで……


「へえ? どういうカラクリかな?」


 ……余裕そうな言葉とは裏腹に、その声音と顔は強張っている。


「キサマが臭すぎるだけだ……近づくと分かる程にな!」


 相手に考える間を与えない。ノエルの突進に、ヴィオラは魔法で援護を加え、ルチアも槍を片手にリクへと突っ込んだ。


 リクの意識が三人に向いたその時、イリーナはゲートからサテライトに似せた魔導具を後方へと放り投げた。迂回し暗闇に紛れていくそれを見送って、イリーナも魔導銃マジックライフルで援護に加わった。


 もしかしたら必要になるかもしれない。保険のような行動に『流石イリーナだわー』とベルタも感心している。


 イリーナも加わった事で、波状攻撃が四つに増えた。躱し続けていたリクだが、いくつかがその身体を捉え始めた――


『ヴィオラー十二時ー』


 不意に響くのは、逼迫している状況にも関わらず呑気に聞こえてしまうベルタの声。


 ただ声に従いヴィオラは、何も無い眼の前に思い切り短射程の爆発系魔法を放った。


 ヴィオラの眼の前で空間が弾け、同時にヴィオラが後ろへ吹き飛んだ。吹き飛ぶヴィオラの視界が割れると同時に、ヴィオラとは真逆に吹き飛ぶリクの姿が飛び込んできた。


 屋上を転がるリクに、幻術から復帰したルチアが飛びかかる。

 真上から突き刺す槍を、リクが転がって躱す。

 その先にはチリチリと床を擦って振り上げられるノエルの爪。


 避けきれないそれに、リクが自身の両手を刃に変えて受け止めた。


 金属同士がぶつかり合う甲高い音が響き、勢いに負けたリクが宙を舞った。


 無防備なリクへ向けて、イリーナ渾身の魔弾――リクの身体をぶち抜いた一撃に、全員が「よし!」と声を上げたその時


『ルチアー六時ー!』


 ベルタの声に、ルチアは振り返らずに石突を真後ろへ突き出した。頭で考えるより先に身体が動いた……それは、ルチアの手に鈍い感覚をもたらした。


 間違いなく何かを弾き飛ばした感覚。それと同時に何度めか分からない視界が砕けるという現象……思わず振り返れば、吹き飛び地面を転がるリクの姿があった。


「さっきもだが……術者を殴っても解けるみたいだね……」


 呟いたルチアの声に、『みたいだね』と少し遠くでヴィオラが汚れた服を払っている。先程の自爆に近い爆撃で、ヴィオラこそダメージを負ったが、他の三人は自傷なく幻術から復帰していたのだ。


 つい今しがたルチアが石突で弾き飛ばした時同様に。


「いちいち自傷しなくてもいいな」


 笑顔を見せるルチアだが、状況はそこまで好転していない。先程から幻術にかけられるサイクルが短すぎるのだ。想像以上に早い。リリアの歌で弱体化していないと言え、あまりにもポンポン幻術をかけすぎだ。


「最初の間隔はなんだったのかね」

『多分だけどー。幻術にかかってた時間に比例するんじゃないかしらー』


 鼓膜を震わせるベルタの声に、全員がなるほどと頷いた。初めは三分と長い幻術にかかっていたため、次の幻術まである程度のクールタイムがあった。だが今はベルタのお陰で発動されても直ぐに解いているのだ。


「ベルタのお陰とベルタのせい、ってこと?」


 苦笑いを浮かべるヴィオラに、『あらあらあらー。困ったわー』とベルタが然程困っていなそうにサテライトの向こうで笑っている。


 余裕そうなベルタの笑い声に、四人も同時に笑みを見せた。それは単に通常運転のベルタに対する笑いだったのだが、屋上を転がっていたリクには挑発にしか見えない。


「……ムカつく……何で直ぐバレるかな」


 腹を擦るリクの疑問に、四人は答えようがない。


『だってーかかった瞬間、皆ピタって止まるからー』


 律儀に答えるベルタだが、その声はもちろんリクには届いていない。


 リクの幻術は二段構えである。まず第一段階。幻術にかかった人間はその場で動きを止めてしまう。まるで立ったまま眠るように動きを止めてしまうのだ。


 幻覚の中では戦っていたりするのだが、それは本人の脳内だけの戦いだ。


 仮に、自分が幻覚を見ている、幻術に囚われていると気づいても幻術が解ける訳では無い。これがいわゆる第二段階である。自由に動けはするが、幻術から覚めるわけでは無い。


 幻術を完全に打ち払うには、傷を負うなどの衝撃を得るか、術者に衝撃を与えて幻術を解くしかないのだ。


 幻術に囚われたと知覚出来るエレナは、第一段階をすっ飛ばし、草原の風鳥アプスの四人はベルタの声で幻術を認識している。


 本来分かるはずがない。分かったとて、闇雲に動くだけの的でしかない四人が、正確にリクを撃ち抜いている事実は、リクからしたら幻術にかけられているかの如く不思議な現象だろう。


「……ちょっと本気出すよ」


 腰を落としたリクが、一気に加速。

 迎え撃つノエルの爪と、リクの両腕が火花を散らした。


 それに参戦しようと、ルチアが飛び上がった瞬間、『ルチア真下ー』ベルタの指示で、ルチアが真下へ槍を放り投げた。


 屋上に突き刺さった槍。

 解けない幻術。


『イリーナ、十時ー』


 イリーナが魔導銃マジックライフルを放つが、これまた不発のようで視界は変わらない。


 流石に状況が悪いと全員がその唇を噛み、視界のヒビを確認した。視界が砕け、崩れ落ちた中に見えたのは、四人のちょうど真ん中で顔を覆って笑うリクの姿だ。


「いやー。騙されたよ……いや、忘れてた、と言うべきかな」


 笑顔を見せたリクが「何だっけ? ……だったかな?」言うやいなや、真上に向けて飛び上がった。


「こんな小細工で!」


 獰猛な笑顔のリクが、その両腕を刃に変えてサテライトを斬り裂いた。


 同時にまるで電池が切れたロボットのように、四人の瞳から光が失われ、ボーっとした表情を浮かべて立ち竦んだ。



「はははは。小細工にやられるとか……僕もまだまだだね」


 立ちすくむ四人をの真ん中で、リクが楽しそうに回転し始めた。ゆっくりと物色するように、四人を見て回り……


「君からかな?」


 ノエルの眼の前で足を止めた。


「モヤシは流石に傷ついたからさ」


 笑ったリクがその腕を刃へと変え振り上げた。闇を夜切り裂くように振り下ろされた腕――をノエルが思い切り掴んだ。


「な――」


 驚き目を見開いたリクに「しつこい男は嫌われるぞ」とノエルが笑い、その爪を腹へと突き刺した。


 辛うじて身を捩って躱したリクの脇腹をノエルの爪が抉った。


「まだまだじゃー!」


 笑うノエルが掴んだ腕を振り回し、リクを屋上へと叩きつけた。


「グッ――」


 背中から叩きつけられたリクが苦悶の声を上げた。痛みを感じないリクでも、肺の空気が一気に抜ける現象には耐えられなかったと見える。


 そして一瞬止まってしまったリクを見逃す草原の風鳥アプスではない。


 既に飛び上がっていたルチアの槍が、リクを屋上へと縫い付けた。

 胸に生えた槍を取ろうと、リクが柄を掴もうとしたその手を、イリーナの魔弾が撃ち抜いた。


「くそ……」


 完全に動きを封じられたリクが見たのは、遠くで魔力を練り上げるヴィオラの姿。


「次生まれてくる時は、良い子になーれ!」


 ヴィオラが放った特大の雷か、ルチアの槍を媒体にリクへと降り注いだ。



 残ったのは炭化してボロボロになったリクであった者と、それに突き刺さるルチアの槍だけだ。



「危なかったね」


 槍を引っこ抜いたルチアが、「イリーナのお陰かな」と空を見上げた。


 そこには撃ち落とされたはずのサテライトがピカピカと喜びを表すように光り輝いていた。


「四人の……いえ、五人の勝利よ」


 髪を掻き上げたイリーナが「早く捕虜を救出しましょう」と下を指さした。


「そだねー。そんでエレナ達を助けに行かないと」

「では者共行くぞ!」


 ノエルの号令で、四人、いや五人がいつも通り姦しく屋上を後にした。吹き抜ける風が、リクであった者の欠片を優しく運んでいった――

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