第222話 話してみると案外いい奴。とかいう、親の名前よりよく聞くワード

 クロエの処刑が決まって既に四日……防衛担当のエリカは、地下へ続く薄暗い階段を降りていた。


 コツコツとエリカのブーツ立てる音が、薄暗い階段に響いている……ここはクロエを含む、反乱に加担した人間の公開処刑場けん収容所を兼ねた施設だ。旧ドイツのミュンヘン近くにある巨大な施設であるが、元々の使用目的は収容所でも公開処刑場でもない。


 有り体に言えばだ。


 かつて人類が生存圏を縮小し続けていた頃、最もモンスターに追い込まれていた頃の名残ともいえよう。


 当時の最前線。

 人類の戦いの歴史。

 対モンスターへの象徴。


 今でこそ街々の安全を確保するための、駐屯地的な役割を担っている場所だが、かつてここでは多くの能力者がその生命を人類のために捧げた激戦区でもある。


 そんな歴史ある元要塞、現駐屯地が処刑場に選ばれたのは、ここがクロエ達によって一番最初に落とされた施設だからである。クロエ達の思想を逆手に取られたと言ってもいいかもしれない。


 クロエ達反乱軍は、対モンスターの象徴をとる事で、彼らこそがモンスターと戦い、真に人類とともに歩くべき組織だというメッセージを込めて、この施設をいの一番に落とした。


 だが今はその思想を逆手に取られ、旧い体制にこだわった愚か者たちが、これまた過去の遺物で処刑される。


 そう銘打たれ、この地で公開処刑になる……という理屈らしいのだが――


「ま、実際は狙いやすくするためだよな」


 ――エリカが響かせた呆れた溜息の通り、実際はクロエという囮に手を伸ばしやすくするための措置だ。


 【人類統一会議】のお歴々のように、パリ構内で公開処刑となれば、パリへの潜入というかなり高いハードルがついてくる。その上街中での戦闘となれば、非戦闘員の民間人を巻き込む恐れまである。


 そういった障害をわざわざ退け、ユーリ達が襲撃しやすいように、辺鄙な場所を処刑の場所にしていしているのだ。


「露骨すぎて文句も出ねぇよ……なあ?」


 エリカが笑いかけた先には、頑丈な檻の中で四肢に拘束具を付けられたクロエの姿があった。エリカは鉄格子にしなだれ、クロエにニヤリとした笑みを向ける。


「……八咫烏か」


 睨みつけるクロエに、「様、をつけろよ」とエリカが鼻を鳴らした。


「目出度い奴らだ。こんな分かりきった罠に、突っ込んでくる馬鹿がどこにいる」


 エリカを真似て鼻を鳴らしたクロエに、「ま、普通はそうだよな」とエリカがケラケラと笑った。


「でも、来るぜ? あの人は……ユーリ・ナルカミはそういう男だ」


 どこか懐かしむようなエリカの瞳から、クロエはそっと瞳を逸らした。実際にエリカの言っている事が理解できるのだ。ユーリなら、危険など顧みずにここに乗り込んでくるだろう事が分かっているのだ。


 だが、それを敵に悟られるわけにはいかない。


「来るものか。既に四日も経った……処刑は明日の正午――」


 クロエはユーリが未だに現れていない真意に気づいている。ユーリが現れない理由は単純明快。敵の油断を誘っているのだ。だから敵にその情報を渡すわけにはいかない。


 目の前の敵に悟られるわけにはいかない。そう考えて下を向いたまま声を絞り出したクロエだが、その言葉一つ一つから地下牢のような闇が広がり、身体が飲み込まれていく錯覚に襲われている。


 ユーリは助けに来る。未だ現れないのは、油断を誘っているからだ……そう言い聞かせるクロエは気がついてしまった。


 自分が自分に言い聞かせているという事に。


 気づいてしまえば、何と情けないことか。ユーリが来るなど、それはただ単なるクロエの願望だ。そうあって欲しいと願う心でしかない。いつからこの心はこう弱くなったのだろうか。既に囚われの身。敗けたこの身を案じ、仲間が危険にさらされる事を、期待してはならない。


 それでも吐き出しそうになった弱音を振り払うように、クロエが再びエリカを睨みつけた。


「どうせ敗けた身だ。今直ぐ私を殺せばいい。そうすれば、貴様も


 精一杯の強がりだが、それを悟らせぬよう嘲笑を浮かべてみせた。ユーリのように……それを前に、エリカはというと――大きく溜息をついていた。


「お前、それ本気で言ってんのか?」


 底冷えするようなエリカの声に、クロエは思わず息を飲んだ。


「あの人は絶対来るぜ? そういう男だ」


 言葉の端々に込められた殺気の大きさに、溢れる怒気の激しさに、「何故貴様が怒る? アイツとお前は敵だろう?」と口元まで出かかった言葉を飲み込んだ。


「あの人は必ず来る……何でこんなに焦らせてるか、そんな事も分かんねーとか言わねーよな?」


 溜息交じりのエリカに、「それは」とクロエが口籠った。当初隠そうとしていた事まで言い当てられている。


 ここの警備は間違いなく初日をピークに下がっている。それは、クロエとは別の場所に捕らえられている仲間達が、日に日に悲観していくから他ない。待てど暮らせど助けが来ない。見張っている連中が悲観し、死を前に諦める姿を見れば、警備の人間とて「ああ。本当に誰も来ないのだ」と思わずにはいられないだろう。


 明日に処刑を控えた今日の夜など、他の地下牢は文字通り、なのは間違いない。


「あの人は、馬鹿だけど阿呆じゃねー。最小の一撃で、最大の効果を発揮するタイミングを見計らってんだよ」


 顔をしかめるエリカが、「まさか、この程度分かってねーのかよ」と面白くなさそうに鼻を鳴らした。



 流れる沈黙は、クロエが何と返していいか分からないからだ。



 まるで状況が真逆だ……味方であるクロエが来ないと言い張り、敵であるエリカが来ると擁護する。そんなチグハグな状況に、クロエの脳内は絶賛混乱中である。何を返していいのか、何を言っていいのか分からない。そんな困惑するクロエを前にエリカが小さく溜息をついた。


「お前、あの人のなんだって?」

「は……はあああ?」


 突拍子もないエリカの発言に、思わずと言ったクロエの声が地下牢に響き渡った。


「違うのか?」

「ち、ちちち違う!」


 顔を赤らめて千切れそうな勢いで首を振るクロエに、「なんだ、お前の」とエリカが同情を瞳に浮かべた。


「そ、そんなんじゃない! 私はただ……」

「ただ?」

「……少し、。アイツに」


 俯いて口を尖らせたクロエに、「へー」とエリカがジト目を向けた。エリカのジト目から逃げるように、口を尖らせたままのクロエが「ほ、本当だぞ!」と続ける。


「アイツは馬鹿で、デリカシーがなくて……」

「でも、そのくせ優しくて、頼りになって」


 微笑むエリカに「え?」とクロエが思わず声をもらした。


「オレも一緒だから分かるんだよ。憧れだ……


 そう言いながらエリカが、鉄格子にもたれるようにズルズルと地面に腰をおろした。クロエに背中を向けたままのエリカが、「嫌んなるよな」と呟いて自嘲気味に笑った。


「戦場に出たら、男も女もねー。オレは戦士だ。もちろん、あの人もそう扱ってくれた。でも……」


 そう言って俯いたエリカが、「はあー」と大きな溜息をもらした。


「戦場を離れた途端、あの人が何だかんだで一番優しいんだよ……馬鹿みたいにイジってくるけどな」


 分かるだろ? というような顔で振り返ったエリカに、クロエは思わず頷いてしまった。


「言葉遣いが悪い、っていつまでも煩えし」

「夜道を一人で歩くな、だとか心配性だな」

「暴力反対とか言うなら、避けろよ。そのくらい出来るじゃねーか」

「料理も……絶対に『不味い』とは言わないんだぞ」


 いつの間にか背中合わせでユーリの文句を言い合った二人が、どちらともなく「フフフ」と笑みをこぼした。


「よく分かってんじゃねーか」


 カラカラと笑うエリカに、「何だかんだ、私とバーンズは被害者だからな」とクロエが微笑んだまま肩をすくめた。


「被害者か……そりゃいい」


 思わずと言った具合に、エリカが笑い声をあげた。それは世界を絶望に落とす夜の使者などではなく、年相応の女の子のそれだ。あまりにも自然体なエリカに、「昔から変わってないのだな」とクロエも思わず笑ってしまう。


「そりゃこっちのセリフだぜ。二五〇年以上経っても、進歩してねーんだから」

「ずっとのだ。許してやってくれ」

「それもそうか」


 笑ったエリカが尻を払いながら立ち上がる。


、面白い話が出来てよかったぜ」


 肩をすくめたエリカに、クロエは何と返して良いか分からないでいる。ここまでユーリを理解しているのに、なぜユーリと彼女が戦わねばならないのか、それが分からないのだ。


 あの時……クロヴィス邸でヒョウと能力者達の真実を知った時、トーマは復讐のためだと言っていた。それでも目の前のエリカからは、恨みなど全く感じないのだ。


 困惑する表情のクロエに、エリカは「フッ」と微笑んで、「似てても、」と聞こえない程小さく呟いた。暗がりで、口の動きすら読めない今、クロエはエリカが呟いた事すら気づいていない。


「あの人が、おま……いや、に気を許すわけだ」


 笑みを浮かべたままのエリカが、クロエ偽を向けた。似ている、と思ったのだ。同じ様にユーリに憧れたリンコと。


 顔も口調も、考え方も、何もかも似てはいない。ぜんぜん違う。だが、纏う空気とでも言うのだろうか。それがどことなくリンコに似ているのだ。だから、ガラにもなくこうして話しすぎたようだ、とエリカは自嘲気味に笑った。


「じゃあな。まあせいぜい期待しと――」


 エリカの言葉を吹き飛ばす程の轟音が施設中に響き渡った。それは紛れもない襲撃の音だ。


 けたたましく鳴り響くサイレンの音に、「静かに来れねーのかよ」と、それでも嬉しそうにエリカが笑い、地下牢の廊下を駆け出した。


「八咫烏!」


 不意に呼び止められたエリカが、振り返りながら「あのな……」と口を尖らせた。


「オレを、集団あつかいすんじゃねーよ」

「そうは言っても、貴様の名前を知らん」


 肩をすくめたクロエに、渋面を見せたエリカが「エリカだ」とぶっきら棒に答えた。


「エリカ……アイツは、


 ニヤリと笑ったクロエの顔に、今度はエリカが息を飲んだ。それこそ、エリカも心の奥底に閉じ込めていた願望のような僅かな祈りなのだ。それでもそれを認めるわけにはいかない。


「馬鹿言うな。オレが負けるか」


 鼻を鳴らしたエリカが、再びクロエに背を向けた。


「もし……もしお前もここを一緒に出られたら……二人、いやバーンズも入れて三人で飲みに行こう。いい店があるんだ」


 呑気なクロエの言葉に「あのな……」とエリカが呆れた顔でまた振り返った。それを気にせずクロエが更に続ける。


「歌の上手いウェイトレスがいる、いい店なんだ」


 微笑むクロエが、「だから……また話を聞かせてくれ」縋るように鉄格子を握りしめている。


 響くサイレンの中、クロエと見つめ合うエリカは、クロエには気づかれぬよう「ああ……」と微笑んだ。似ていると思っていたが、危機に瀕してまさか敵の心配とは。思わずダブってしまった元恋敵に、エリカは大きめの声で「……やなこった」とニヤリと笑った。


「次に会う時は、あんたが断頭台に行く時だ」


 また背を向けたエリカが、更に続ける。


「そんときゃ、せめてもの情で、あの人を隣に並べてやるよ」


 そう言い残してエリカが今度こそ地下牢の廊下を駆け、階段を駆け上がっていく。時を超えて芽生えた友情を置き去りに。

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