第220話 みんな誰かの掌の上
パリ中央にある巨大なビルの最上階。全面ガラス張りのそこは、【女神庁】トップであるロイドの執務室だ。
巨大な執務室で、優雅に紅茶を飲んでいるロイドの目の前には、各地で起きている反乱軍との戦闘結果が表示されている。
一進一退。
そう表現していい状況だが、ロイドにはさして慌てた様子はない。それもそのはず、今はただただ反乱軍を泳がしているに過ぎないからだ。彼らはそのうちロイドの計画にとって役に立つ。オロバスの未来視がもたらした情報だ。
今や不確定要素が多すぎて鮮明さを欠いているが、それでもロイド達がアドバンテージを得るには十分すぎる能力、未来視。それに従い今はただのらりくらりと泳がしているにすぎない。
来たるべき時に、彼らを捕縛する。そのために、未だ【八咫烏】の面々にものらりくらりと戦って貰っている。そう、今のところ【八咫烏】はロイドの協力者のままである。
ロイドとて彼らの目的は知っている。ロイドが苦労して出現させた星の核とも言える存在。それを消し飛ばし、この世界全てを無に帰すこと。それが今の【八咫烏】の本懐だ。
「かつては太陽の化身を冠した英雄が、今や世界に夜を呼ぶ存在か……」
呟いたロイドが、画面を【八咫烏】八人の顔写真へと切り替えた。かつて、世界に光をもたらす、モンスターを駆逐させる事を悲願として作られた組織が【八咫烏】である。それが今や、世界を滅ぼそうとしているのだから、人の業というものは深いのだろう。
「誰かに責任を追わせるだけ、自分は見ているだけ……だから業を背負わせていることにも、業の深さにも気付けない」
溜息をついたロイドが、【八咫烏】の画像を閉じた。
太陽の化身すら黒く塗りつぶす人の業。だからこそ、ロイドたちは星の核へ辿り着き、神という不可知の存在を作り出す必要がある。人間が人間に責任を負わせて、追い詰める時代を終わらせるため。
そして、ゆくゆくは、望めば力を手に入れられる世界を作るため。
努力し、経験した事が糧となり、人として進化出来るような存在へ……端的に言えば、ナノマシンなどなくともレベルアップ出来る新たな存在へと至るため。
全員に勇者の可能性が眠っていれば、誰もが努力をするとロイドは信じているのだ。あまりにも純粋な理想だが、それでもこのモンスター溢れる世界で人々が生き抜くためには人類の進化は避けて通れない。
しばらく画面を見つめていたロイドが、「フゥ」と溜息をついて、ホログラムを消した。
「あと少し……」
ロイドが背もたれに身体を預けて、天井へと手を伸ばした。もう間もなく星の核を手に入れる事が出来る。そのためのピースが揃いつつある。焦る気持ちを抑えるように、ロイドが大きく深呼吸をした時、通信を知らせる音が鳴り響いた。
消したはずのホログラムが立ち上がり、画面には『Calling』の文字が浮かんでいる。
「ジョゼフ博士?」
通信相手に訝しみながらも、ロイドはコンソールのエンターを押して通信を受けた。
『長官、ついに来たぞ』
開口一番、突拍子もない事を口走るジョゼフに、ロイドが分かりやすく眉を寄せた。
「博士、話が見えないのだが……」
眉を寄せるロイドの目の前、ホログラムの中で、ジョゼフは興奮した様子で『アレだ!』と叫んでいる。
『君の言っていた、反乱軍の使い道だよ』
興奮するジョゼフが「フーフー」と鼻息荒く続ける。
『クロエ・ヴァンタール。あの小娘を囮に使いたまえ』
瞳をギラギラさせるジョゼフを「まずは落ち着け」とロイドが苦笑いでたしなめた。
「博士がそこまで興奮する計画を聞かせてもらおうか?」
苦笑いのロイドが、ジョゼフを促した。ホログラムの向こうで、『今ので分からないのか』と不服そうなジョゼフが、リクを筆頭に、複数のホムンクルスをイスタンブールに潜入させて掴んだ情報を話しだした。
カノンのこと。
カノンを人に戻そうと画策していること。
既に準備が整っていること。
『かなりのホムンクルスを犠牲に、入手した貴重な情報だ』
一瞬顔をしかめたジョゼフだが、『まあ、それは置いておこう』と再び話題を戻した。
『つまり、奴らは私の研究室に用があるわけだ』
醜い笑みを浮かべたジョゼフが、『これはいい囮になるだろ』と再度興奮しはじめた。
「だが博士、良いのかね? 大事な遺伝子が狙われている事は?」
『問題ない。ヴァンタールの小娘のもとにオリジナルが現れる。それさえ手に入れれば、残り滓の遺伝子など、ゴミ同然だ』
「なるほど」
呟いたロイドが、しばし顎に手を当てて考え込む。クロエとジョゼフの研究室という二重の囮……二つの囮の意味に気がついたロイドが、「いいな」ともう一度呟いた。
「ヴァンタール少佐を囮に、【深淵】を呼び出す」
『連中もアホではあるまい。罠だと気がつくだろう』
「それと同時に気がつく……【医療保険局】が手薄だと」
『そうだ。だから、そこにも罠を張る』
「【深淵】と【朧雲】を同時にとるということだな」
ニヤリと笑ったロイドに『そうだ』とジョゼフも笑顔を見せた。
『しかもだ……【八咫烏】同士で潰しあっている間に、我々は星の核へと手を伸ばせる、というわけだ』
下卑た笑いのジョゼフに、「素晴らしいな」とロイドが大きく頷いた。星の核を目の前に、ずっと足踏みしていた理由が、【八咫烏】の存在だ。彼らは協力者であるが、それ以上に監視者でもある。不用意に星の核に近づこうものなら、聖域へ彼らも一緒に引き入れる事になる。
それだけは避けねばならない。
そこまで考えたロイドだが、ふと違和感を覚えた。【八咫烏】は何故今もまだロイドたちに協力しているのか、という違和感をだ。
星の核は既に出現した。それを出現させるために協力していた頃は分かるが、今も協力している理由は何故だ。のらりくらりと、ロイド達の意向に沿って、反乱軍と適当に戦う理由は何故だ。
……何かを待っている。
不安が頭をよぎったロイドの顔が曇った。
『――かん。長官!』
ホログラムから聞こえてきたジョゼフの声に、「あ、ああ。すまない」とロイドが手を挙げた。
「少々気になることがあってな」
呟いたロイドが、先程の違和感をジョゼフに語った。
『それならば、二人を待っているのだろう。どうやら、【朧雲】に「帰ってこい」と伝えたらしいからな』
鼻を鳴らしたジョゼフに、「そう……なのか?」とロイドが眉を寄せる。
『それ以外は考えられないだろう。それか、我々が星の核へ行くことを待っているか』
大げさに肩をすくめたジョゼフが、『そうだとしたら、馬鹿丸出しだがな』と嘲笑を浮かべた。ジョゼフの言う通り、ロイド達【女神庁】が星の核へ辿り着いた時、世界はガラリと変わる。それこそ、旧い英雄など相手にならない力をロイド達は手に入れる事が出来るのだ。
『考えすぎだよ。長官』
相変わらず嘲笑を浮かべるジョゼフに、ロイドは渋々と言った具合に頷いた。実際この瞬間しかタイミングがないのは事実だ。オロバスに貸し与えられた未来を覗く権能を持ってしても、ここでこのカードを切ることが、星の核への道だとも出ている。
「よし、分かった。それでは反乱軍との遊びは終わろうか」
頷いたロイドに、ジョゼフも『それでは近い内に私も合流しよう』と言い残して通信を切った。
ブランク状態のホログラムに、ロイドの何とも言えない表情が映っている。
「合流する……か。恐らくはクローンだろうな」
苦笑いのまま背もたれに身体を預けたロイドが、「カノンとかいうホムンクルスの身柄が一番だろうからな」と再び天井を見上げた。
「まあいいさ。星の核に手が届けば、あの老人も用済みだ」
天井を見上げ再び手を伸ばしたロイドが、クツクツと笑った。ようやく道筋が見えた。今まで泳がせ続けた魚に、使い時が来た。未来は、まだ己の手の中にあると知ったロイドは、上がる口角を押さえられない。
後は、計画通り事を運ぶだけだ。それも、ロイドがやることは、今まで適当に相手をしてきた反乱軍を捕らえるだけという簡単なものである。
「さて、忙しくなりそうだ」
笑みを浮かべたロイドが、コンソールの通信ボタンを押した。コールすること数回、出たのはロイドの補佐官でもあるシェリーだ。
『御用でしょうか?』
いつも通り、面倒そうなシェリーにロイドは思わず微笑んだ。
『人の顔見て何笑ってるんですか。気持ち悪いです』
毒づくシェリーに、「すまない」とそれでも微笑んだままロイドが続ける。
「彼らに連絡を取ってくれ。兎狩りの始まりだ、と」
『了解しました』
そう言って通信を切ろうとするシェリーに「あ、それと」とロイドが慌てたように付け足した。
「兎は生かしたまま捕らえるように、と伝えてくれ」
その言葉にシェリーが若干眉を寄せるが、『了解しました』と繰り返した。
☆☆☆
真っ白な部屋に置かれた一つのベッド。そのヘッドレストには、
そんなベッドに横たわり、退屈そうに窓の外を見ているのは、エリカだ。
寝仏のような格好で、ボンヤリと窓の外を見る彼女の耳に、扉をノックする音が響いた。
「どーぞ」
窓の外を見たまま答えたエリカに、「お仕事やでー」とタマモが扉を開きながら声をかけた。
「仕事って、兎追いだろ? いい加減、飽きたぜ」
顔だけ振り返ったエリカに、タマモが「フフフ」と微笑んだ。
「狩っていいんやてー」
「マジかよ」
飛び起きるように振り返ったエリカに、「でも生け捕りらしーわー」とタマモが頬に手を当てて首を傾げた。
「ンだよそれ……」
口を尖らせ再び寝転がろうとするエリカに、「囮やろなー」とタマモが妖艶な笑みを浮かべてみせた。
「囮?」
寝転がろうとしたまま、眉を寄せるエリカに「そ、囮やー」とタマモが頷いてベッドに腰掛けた。
「なんやーユーリくんのー、お嫁さん候補がーおるらしーでー」
ニヤリと笑うタマモに「は? なんだよそれ」とエリカが分かりやすく顔を顰めた。
「それをー囮にー、ユーリくんをー呼び出すんやろなー」
笑みを浮かべながらチラチラとエリカをみるタマモだが、当のエリカは獰猛な笑みを浮かべて殆ど聞いていない。「お嫁さん候補」などと煽る必要もなかったか、とタマモが小さく溜息をついて、下駄を脱いだ。
「マモ
獰猛な笑みのままのエリカに、「そりゃそうやろー」と微笑みを返して続ける。
「うちらはー、ここを防衛するさかいー」
身軽になった足を、ぶらぶらさせるタマモに、「ここを?」とエリカが眉を寄せた。
「せやでー。ここにもー、お客さんがくるらしいさかいー」
微笑むタマモにエリカが「なるほど。オレらを出し抜きたいってわけね」と面白くなさそうに鼻を鳴らした。兎の生け捕りなど、どう考えても罠に使いますと言っているようなものだ。
勘の鋭いユーリに加え、ヒョウが気づかないわけがない。それでも強行に移すということは、それだけ自信があるのだろう……二人を呼びつける自信が。それを提示されれば、エリカ達は迎え撃つほかない。その間に、ロイド達が星の核へ手を伸ばすことを、エリカも理解していた。
「出し抜いたつもりがーこっちの掌の上ー……やねんけどなー」
ホホホホと笑うタマモに、エリカが「ホントかよ」と眉を寄せる。タマモの言う「掌の上」というのは、ロイド達の行動が計画通りという事だ。エリカ達は待っていたのだ。ロイド達が星の核へ辿り着く事を。それこそが、未だにロイド達に協力している理由である。
とは言え、計画の一部としても一番の山場なのは間違いない。タマモやトーマの予想が外れれば、それこそ今までの我慢が全て駄目になる賭けでもあるからだ。
不安からか、どうしても信用ならないといった具合のエリカの視線に
「大丈夫やー。何の心配もあらへんー」
笑顔を見せてベッドから降りたタマモが、下駄を履きながらエリカを振り返った。その顔は先程までの笑顔とは違い、いつになく真剣な表情だ。
「エリーちゃんー……」
真っ直ぐにエリカを見つめるタマモが、「一緒に世界の深淵までたどり着こなー」とエリカの手をギュッと握りしめた。
星の核と、ユーリを同時に表しているのだろう事に、エリカが「分かってる」と頷いた。エリカにとっては、超えるべき昔の影。そして三人にとっても、辿り着くべき世界の真理。
「がんばろー! おー!」
掛け声と共に、タマモがエリカの手を思い切り持ち上げた。
「お、おー?」
戸惑い半分のエリカに、タマモが「気合が足らんわー」と微笑んだ。どこか懐かしいやり取りに、エリカは今この瞬間だけは、復讐という事を忘れていた。
そうさせるくらい、昔のような優しい時間が流れていたから――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます