第219話 山があるなら登ればいいじゃん
ヒョウと酒坏を交わし、トーマ達を止めようと再確認した翌日……ユーリはサイラスに呼び出されて彼の商会に来ていた。
「だから、ポンポン呼びつけんじゃねぇよ。俺は暇じゃ――」
ノックもなしに扉を開いたユーリだが、それと同時に紡がれた憎まれ口が途中で止まった。その理由は部屋の中に、予想外の人物がいたからである。
「ガハハハ! 久しぶりじゃな、小僧」
「久しぶりだね」
豪快に笑う鍛冶師ゲンゾウと、穏やかに微笑むカノンの祖父、クラウス博士である。彼らの存在を確認したユーリが、一瞬だけ立ち止まるもすぐにいつもの嘲笑を浮かべる。
「なんだ? 老人会への勧誘なら断るぞ?」
鼻を鳴らしたユーリに、「相変わらずじゃな!」と何故か鍛冶師ゲンゾウが大口を開けて笑い声を上げている。大声で笑うゲンゾウに、ユーリが眉を寄せ、クラウス博士が優しく微笑み、サイラスが大きな溜息をついた。
「さて、集まったようだし、本題に入りたいのだが?」
再び溜息をつくサイラスに、「おうおう、いいぞ」とゲンゾウが大きく頷いた。
「ユーリくん、いいニュースと悪いニュースが――」
「悪いニュースからだ」
間髪を入れず返したユーリに、サイラスが「君らしい」と微笑んでその表情を引き締めた。
「では、悪いニュースからだ。カノンくんの事だが……我々の想定が甘かった」
そう切り出したサイラスの言葉を単純に説明すると、カノンは旧式のホムンクルスではなかったという事だ。正確には、新型ホムンクルスの第一世代と言えばいいだろうか。
「旧世代のホムンクルスは、一部をモンスターで代用したものだと説明したね」
サイラスの言葉に黙って頷く。その内容自体は、つい最近聞いた話である。ちょうど竜神がホムンクルスの件を話した時に、クレアが自身の境遇を語ったのだ。
初期型ホムンクルスで、臓器の一部がモンスターである自分はどうなるのか、と。
その時クレアは竜神に「お前は人間だ」と言われた訳だが、ユーリからしたら初期型ホムンクルスは、つまりカノンもどこか一部だけがモンスターだという重大な事実が判明したのである。
だが、サイラスの言葉を統合すると、どうもカノンは初期型ではないらしい。
「なら、カノンは……」
「遺伝子組み換え型……後期型ホムンクルスという事になるね」
呟いたユーリの言葉をサイラスが引き継いだ。今現在のホムンクルスの主流である遺伝子組換え型。モンスターの細胞から遺伝子を取り出し、人の遺伝子に組み込んで新たな人類として誕生させる。それが今のホムンクルスだ。
「臓器移植や人工骨格じゃ無理ってわけか」
苛立ちが舌打ちとなって思わずもれる。ウドゥル老が「可能性は低い」と言っていた意味がようやく分かったのだ。この時代、人工で臓器や骨格も準備できるだけの技術力はある。それなのに難しいと言われていた理由は、細胞レベルの話だったわけだ。
「あのジジイエルフ、知ってたなら……」
そう歯噛みするユーリだが、そこでようやく重要な事に気がついた。後期型、新型ホムンクルスであるはずのカノンが助かる道は「無い」のではなく「難しい」という事に。つまり、道はあるという事実は変わっていない。
その事実に、思わず目を見開いたユーリを前に、
「気がついたかね?」
とサイラスがニヤリと笑った。
「つまり、いいニュースってのは……」
「ああ。カノンくんを助けるための目処が立った」
嬉しそうに笑ったサイラスが、一瞬で表情を引き締め「かなり険しい山ではあるが」とユーリを真っ直ぐに見た。
「バカ言え。山がある……その事実がありゃ、登るには十分だ」
鼻を鳴らしたユーリに「結構」とサイラスが頷いた。
「カノンくんを助けるためには、切り取られた遺伝子が必要だ。それを入手し、万全の状態で持ち帰る事が出来れば」
「私が絶対にカノンを人に戻す」
いつになく強い口調で言い切ったクラウス博士に、ユーリは思わず視線を向けた。別にユーリはクラウス博士に対して疑いの眼差しを向けていた訳では無いのだが……
「これでも元医療保険局のエースだ。遺伝子の組み換え程度、造作もないよ」
自信たっぷりに笑うクラウス博士に、ユーリは「そうじゃなくてよ」と小さく溜息をついた。
「切り取られた遺伝子って……二〇年も前だろ? そんなもん、どこに保管されんだよ」
眉を寄せたユーリが「そもそも今もあるのか?」とサイラスとクラウス博士を交互に見た。
「それは問題無いよ。あの男なら確実に保管している。なんせカノンは最高傑作だと言い張ってたから」
顔を強張らせたクラウス博士によると、今のホムンクルスの多くが、カノンのクローン遺伝子を体内に持っているのだとか。カノン以外の素体は、モンスターの遺伝子が適合せず、誰も彼もが駄目になったそうだ。
カノンのみが、元は人でありながら、モンスターの遺伝子に適合し、その後のホムンクルスを生み出す為のベースとして今も残っているらしい。
加えて
「あの男は、オリジナルに強いこだわりを持っている。今のホムンクルスは、どれもこれもカノンの劣化版だとすら思っているはずだ」
いつか、カノンと同様の存在を作り出すために、オリジナルの遺伝子を大切に保管していることだけは間違いない。
「つまりは、変態ジジイの趣味全開ってわけだな」
身も蓋もない言い方をするユーリに「そうとも言えるね」とクラウス博士が呆れたような笑顔を向けた。
「まあいい。あることさえ分かれば問題はねぇ」
鼻を鳴らしたユーリに、「話しを進めても?」とサイラス指を組み替えたサイラス。どうぞ、とでも言うように、ユーリが肩をすくめ、サイラスが口を開いた。
「では続けよう。奪取した遺伝子を安全に運ぶ装置が必要になってくる」
そう言いながらゲンさんを見るサイラス。それ以上言葉は必要ない。この凄腕技術者が、その装置を作ってくれるのだけは間違いないのだから。
全員の期待が込められた視線を受け、「ん?」と一瞬眉を寄せたゲンゾウだが、その意図をようやく察したのだろう。
「任せろ! ガハハハハ!」
腹を叩くゲンゾウに、「叩くなら胸だろ」とユーリが苦笑いを返すが、相変わらずゲンゾウは「ガハハハ」と豪快に笑うだけだ。
「それなら俺の役目は、その遺伝子の奪取ってわけか」
腕を組んだユーリに「左様」とサイラスが頷いて更に続ける。
「加えて、ゲンさんが作る装置に必要な素材を集めてもらいたい」
黙って頷いたユーリに、「他のメンバーもそれぞれが素材集めに走っている頃だ」とサイラスが付け加え、デバイスを操作した。直後にユーリの左手でデバイスが震え、メッセージの着信を示す。
「君に取ってきて欲しい素材だ」
メッセージを確認するユーリに、ホログラムの向こうでサイラスが笑っている。そう難しいものは見当たらない。それどころか楽に入手できる物ばかりだ。
「こんな簡単なもの……」
眉を寄せるユーリに「そろそろ必要だろう?」とサイラスが溜息をついた。
「日常に戻るためにも、リハビリのような依頼が」
肩をすくめるサイラスに「余計な事を」とユーリが鼻を鳴らす。だが、サイラスの言う通りで、ここ一週間ユーリはあまり荒野へ出ていない。リリアを気にしているのだが、それがリリアへ負担になっている事も理解しているので、こうして街をブラついて時間を潰しているのだ。
まるでリストラされた亭主のようだが、気乗りしないので仕方がない。とは言え、そろそろ自分も日常に戻らねば、と思っているのも事実だ。
「オーベル嬢のためにも、君には一刻も早く立ち直って貰わねばいけないからね」
笑顔を見せるサイラスに、「だから余計だ」とユーリが再び鼻を鳴らした。
「リリアも俺も、その時が来たらガッツを見せるさ」
肩をすくめたユーリが、早速仕事にとりかかるとばかりに三人へ背を向けた。開いた扉から外へ出かけたユーリが、僅かに身体を引き戻して振り返った。
「ちなみに、カノンの遺伝子はどこにあるんだ?」
「……【医療保険局】。ホムンクルス達の巣窟だよ」
光るサイラスの眼鏡には、もう日常が残り少ない事を察したユーリの顔が映っていた。
☆☆☆
巨大な無数の試験管と、そこに浮かぶ同じ数の人型……ホムンクルスを生み出す施設の端っこに、腰が曲がった老人の姿があった……巨大な冷蔵庫のような装置を覗き込み、「もうすぐだ」と醜い笑顔を浮かべるのは、元医療保険局長のジョゼフ・チャーチである。
クツクツと笑うジョセフの背後から、「何してんの?」と呑気なトアの声が響いた。イスタンブールでユーリに手酷くやられた身体は、どうやら回復したらしい。
「な、ななな何でも無い!」
明らかに狼狽するジョゼフに「あやしい」とトアがジト目で距離を詰めた。
「ち、近寄るな! お前のような劣等種が触っていいものではないぞ!」
口角泡を飛ばすジョゼフに「感じ悪いなー」とトアが肩をすくめて呆れ顔を向けた。
「分かったら向こうに行け!」
声を荒げるジョゼフに、「はいはーい」とトアが踵を返そうとしたとの時、ジョゼフの肩越しにトアの瞳が冷蔵庫に繋がれたモニターを捉えた。
正確にはそこに映った少女の姿を、だが。
それは、ジョゼフがカノンの遺伝子から予想して作り上げた、成長したカノンの姿だ。
「あれ? この
眉をよせ、モニターに近づくトアを「だから近づくなと言ってるだろう」とジョゼフが、引き剥がそうとするが、ただの老人にホムンクルスが負けるはずもなく。トアは更にモニターへと顔を近づけた。
「……何か見たことある」
呟いたトアに「なん……だと?」とジョゼフが一瞬固まり――
「どこだ! どこで見た!」
――かと思えば、トアの肩を掴んで思い切り揺さぶった。ガクガクと揺らされたトアが、鬱陶しそうにジョゼフを振り払えば、ジョゼフの身体が床を滑って転がった。
「思い出す、思い出すから待ってよ」
転がったジョゼフなど気にした素振りもなく、顎に指を当ててトアが考え込むことしばらく……「思い出した」と手を打った。
「イスタンブールだ。あのユーリって人と一緒にいたはず」
トアの言葉に、のそりと起き上がったジョゼフが「ユーリ……確か末席のアレか」と呟いた。しばらく考え込んでいたジョゼフが、急に「フフフ」と不気味な笑い声を上げ始めた。
ただただ不気味に笑うジョゼフを、変な物を見るようにトアがゆっくりと部屋から立ち去さろうと、そろりそろりと歩き始めた。
「待て、十ー二四号」
呼び止められたトアが、「アタシ、トアって言う名前があるんだけど?」と眉を寄せながら振り返った。
「そうだったな。そうだ……」
不気味に何度も頷くジョゼフが「トアだった」と繰り返し頷いた。あまりにも不気味な様子に、「もう行っていい?」とトアが後ろ向きのまま扉へ歩きだす。
「いや、すまんが……九ー三四じゃない、リクを呼んできてくれ」
「リクを?」
小首をかしげるトアだが、この不気味な老人から離れられるなら、と頷いて部屋を後にした。
トアが扉の向こうに消え、静かになった部屋に「クツクツ」と不気味な笑い声が響いている。
「最高だ……実に気分がいい。上手く行けば、あの脳筋馬鹿女も潰し、最高傑作を取り戻す事が出来るかもしれん」
ブツブツと呟いたジョゼフが、醜く上がる口角を押さえながらもコンソールの前に辿り着いた。
「いいぞ。流石私だ。天才だ……ロイドの若造にも恩を売れる」
ジョゼフが呟いた頃、研究室の扉が開いた。入ってきたのはもちろんリクだ。
「博士、話があるって?」
首をかしげるリクに、「ああ」とジョゼフが頷いて近づく。
「九ー三四号。お前に情報収集の極秘調査任務を与える……」
試験管に映り込むジョゼフの顔は、人とは思えないほど醜く歪んでいた。
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