第五章
第218話 人は思ってるほど簡単に変わらない。
エルフの集落で様々な情報を得たユーリ達は、それぞれの思いを胸に一度イスタンブールへと帰還していた。行きはあれだけ苦労した旅路であったが、帰りは竜神イルルヤンカシュの眷属によりひとっ飛びである。
昼過ぎに出発したはずの一行が、まだ陽の高いうちにイスタンブールに辿り着いた事からも、竜の飛行速度が伺い知れると言うものだ。
一旦解散となり、リリアと共に店へと帰ったユーリを迎え入れてくれたのは、心配そうにしていた彼女の両親だった。
リリアの声が出なくなってしまったことに、まず驚き、それでも無事で良かったと喜んでくれたリリアの両親。だがその喜びも、リリアが声を失った理由を聞いて一気に悲しみへと突き落とされたのだが……。
ユーリとリリアに課せられた運命に、彼女の母親が泣き崩れていた事がユーリには印象深かった。どうしようもない事とは言え、お世話になり続けたリリアの両親が見せる暗い表情は、ユーリにとっても心が痛む光景であった。
それでも人は日々を生きていかねばならない。
生きていく糧を得るために、彼らは次の日も店を開けていた。いや、働いていないと余計なことを考えるからだろうか。それはリリアも一緒だった。
舞台に立つことは出来なくなったが、それでも給仕として帰還した翌日から店に立ち続けている。リリアの歌が聞けないのだが、それでも客足が途絶える気配はない。その忙しさが、彼女に少しばかりの癒やしを与えているのをユーリは知っている。
クタクタになるまで働いた彼女は、両親とともに悪夢を見ないように泥のように眠るのだ。
日々を思い出すように、日常に帰るように、彼女なりの抵抗なのかもしれない。
そんな彼女に気を使ってか、仲間達の店に頻繁に顔を出し、他愛もない会話に華を咲かせている。彼らは毎日来るべき日に向けて、静かに牙を研いでいるが、それをリリアには一切見せないでいる。
敵の動向を探り。
実力を磨き。
リリアの準備が整えば、いつでも作戦を実行に移せるよう、全員が常に気を張り士気を保っている。それをリリアにだけ見せぬよう、今までと変わらぬ日常を演じ続けているのだ。
そうして仮初の日常を過ごすこと早一週間――
「なるほど……そないな事になっとったんか」
大きく溜息をついたヒョウが、グラスを傾けた。
「ホンで『戻ってこい』、ってしつこかったんか」
グラスの中身をクルクルと回すヒョウに、「そーいう事だ」とユーリもグラスを傾けた。
ユーリは今、ヒョウの隠れ家にいる。イスタンブールに帰還した後、即座にヒョウへ話がある旨を連絡し、ヒョウが戻ってきたのがつい先程だったのだ。
ヒョウに連絡を入れた時は、「通信でエエやん」と渋られたのだが、自分達の未来とエレナの事を考えると、やはりヒョウには一度帰ってきて貰わねばならなかった。
「それにしても……クロエは戻って来なかったんだな」
加えてヒョウを呼び戻すついでに、クロエも一緒に呼び戻したのだ。ただ、彼女からは「騎士が戦場に背を向けるなどありえん」と一蹴されたわけだが。
「ユーリ君に残された時間が少ない、って言うときゃ戻ってきたかもしらんで」
肩をすくめるヒョウに、「なんでだよ」とユーリが溜息を返して一気にグラスを呷った。
しばらく二人の間に沈黙が流れる。二人共考えている事は同じだろう。トーマ達の復讐の事。そして「戻ってこい」と言われたこと。
静かな空気に、ユーリが傾けたボトルが「トクトクトク……」と酒を落とす音だけが響いた。
「復讐か……」
呟いたユーリに、「まあ気持ちは分かるわ」とヒョウがグラスを空にする。
「確かにな。俺達を舐め過ぎだ。トーマが殺らなきゃ、俺が殺ってたぜ」
薄く笑うユーリだが、その瞳に映るのは明らかな殺意だ。
「あと残ってるんは、【軍】、【技術開発局】、【通信放映局】、【医療保険局】くらいかな」
ヒョウが自身のグラスに酒を注ぎながら、ロイドに加担する連中を上げていく。ロイドからの依頼で、トーマ達も未だその連中には手を出していないのだ。というか、【医療保険局】の局長は、トーマ達に、【能力開発局】がやってきた悪行を吹き込んだ張本人でもある。
【能力開発局】が作り出した能力者。それの後釜を狙う【医療保険局】のホムンクルス。両者は大きな利権を巡るライバル同士であったため、【医療保険局】局長ジョゼフが、トーマ達に近づき取り込んだのだ。
もちろんトーマ達とて、それを理解し、今は上辺だけの関係を築いている。復讐をするにしても、ホムンクルスという武力が提供される今の状況は捨てがたい。
全てが成就した暁には、ジョゼフ医療保険局長をも殺すのだろうが、それはまだ先の話だろう。
とにかく、残っている連中は、今のところトーマ達が直ぐに手を出す相手ではない事は確かだ。
「なら、その四人はぶっ殺そうぜ」
獰猛な顔で笑うユーリに「そう言うと思うとったわ」とヒョウも獰猛な笑みを返した。
「んで、トーマ君達の復讐やけど――」
「そっちはパスだ。興味がねぇ」
肩をすくめてグラスを傾けるユーリに、「そう言うと思うとったわ」とヒョウが笑いながらグラスを傾けた。
「ロイド何とかに協力してる時点で、どうせ目的は星の核だろ?」
「多分な。ホンでそれを壊して、星ごと全人類を葬るとか言うつもりやで」
顔を見合わせて笑った二人が、ほぼ同時に「かー!」と笑顔で顔を覆った。
「やだやだ。これだから躓いたことのねぇエリートはよ」
「極端過ぎんねん。『もう無理だ。全てを救うには世界を滅ぼすしかない』って感じやろ」
膝を叩いて笑うユーリに、ヒョウがトーマの声真似で追い打ちをかけた。
「あいつ、昔っからそういうところあるよな」
「ホンマやで。二人のストッパー役やった僕が一番の功労者ちゃう?」
眉を寄せるヒョウに、「地味に俺の事も擦ってくんじゃねぇよ」とユーリが笑顔でまたグラスを傾けた。
笑い声を上げた二人が、ほぼ同時に笑みを引かせた。再び流れた沈黙は、先程同様二人共言うべきこと、言うだろう事が分かっている、そんな沈黙だ。
それでも……といった具合に、ヒョウがユーリを真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「んで? どないするん?」
「決まってんだろ」
分かりきった事を、と笑みを向けるユーリに、「ぶん殴るって顔に書いてるわ」とヒョウが微笑んでグラスを傾けた。
「タマモンとエリカには拳骨だな」
「女の子やねんから、優しいしたってな」
旧い友を思いながら、二人が交わす酒坏は、夜遅くまで続いていた。
☆☆☆
「なあ、トーマに……じゃなかった、隊長。ユーリ
ノックもなしに部屋へ入ってきたのは、そわそわとするエリカだ。嬉しさが滲み出る表情に、トーマの隣にいたタマモも思わず微笑んで「せやでー」と間延びした声を返した。
「マジかよ。じゃあ、ユーリ
瞳に期待が浮かぶエリカだが、その視線を受けたタマモは「うーん」と微妙な声を返すことしか出来ない。
「何だよ? 『うーん』って。ヒョウに……じゃねー、フクチョーは真実に辿り着いたんだろ?」
不機嫌そうに眉を寄せるエリカに、タマモが黙ったまま頷いた。
「なら、オレ達の復讐の目的くらい知ってるだろ? 【人文】の奴らがやってきた事も――」
「知っててもーあの二人はー、【人文】の命以外にはー興味ないやろー」
タマモの言葉に、エリカが息を飲んだ。ユーリという男を、誰よりもよく知るエリカだからこそ、ユーリがエリカ達の復讐と称した世界の滅亡などには興味がない事を理解している。
「じゃあ、ユーリ
「それはユーリ達次第だ。あれから時間が経ってるし、何より俺達への仕打ちに、ユーリ達が怒らないわけが無い」
溜息をついたトーマが「だからといって帰って来る保証にはならないが」と続けた言葉に、エリカが不機嫌さを隠せないように舌打ちをもらした。
「もし……もし、帰ってこない場合は?」
「その時は……俺達の邪魔をするなら……いや俺達の前に立ち塞がるなら、敵だ。」
そう言いながらも、悲しそうな顔を見せるトーマからエリカは視線を反らした。エリカの握りしめられた拳が僅かに震えている。
「エリーちゃんー。エエんやでー。ユーリくん達のほうにー付いてもー」
優しげに微笑むタマモに、「はあ?」とエリカが力のない疑問符を返した。
「そうだな。お前はユーリに懐いていたし、こんな復讐に付き合う必要もない」
タマモの言葉に合わせるように、トーマが大きく頷いて続ける。
「ユーリ達について、出来ればアイツらを止めていてくれると助かるんだが」
肩を竦めて笑うトーマだが、エリカにはそれがトーマの優しさだと痛い程分かっている。元々あまり乗り気じゃなかったエリカを遠ざけ、更にユーリ達とぶつからなくて良いようにしたいのだ。
トーマの優しさだが、エリカには分かる。ユーリがその程度で止まる男ではない事を。ユーリの事は誰よりも良く知っている。今この世界に、リンコがいない以上、ユーリを誰よりも理解しているのは、エリカだという自負がある。
だからこそ――
「行くわけねーだろ。あんな腰抜けの所に……」
だからこそ、ユーリのもとになど行けるわけが無い。行った所で、結局はタマモやトーマとぶつかる事になるのだ。二人の事も好きだからこそ、今まで三人でやってきたからこそ、エリカはユーリの所には行けない。その選択肢が、ユーリとの避けられない激突を招くとしても。
「行かねーよ。オレは。オレは【八咫烏】だからな」
呟いたエリカが二人に背を向けた。
「オレは、皆を背負ってんだ。もう引き返せねーよ」
肩と声を震わせたエリカが、「それに、今辞めるなんて虫が良すぎんだろ」と残してトーマの部屋を後にした。
残されたタマモが小さく溜息をついてトーマを見上げた――
「ホンマにー戻ってこーへんのやろうかー」
――タマモの潤んだ瞳には、戻ってきて欲しいと書いてあるかのようで、それを見たトーマは思わず、気休めの言葉を口から吐き出しそうになった。「分からない」などと出そうになった気休めを飲み込み、固く瞳を閉じたトーマが、未練を断ち切るようにゆっくりと首を振った。
「ヒョウは……昔と何一つ変わっていなかった」
ポツリと呟いたトーマに、「ユーリくんもやー」とタマモが頷いた。
「あいつらは、ただ只管に己の信念だけを貫いて生きてきたんだろう……俺はあいつらと肩を組むには汚れすぎている」
自嘲気味に笑うトーマの肩にタマモがそっと頭を乗せた。戻ってこないと分かっていたのに、ヒョウに対して声をかけたトーマの気持ちが痛いほど分かるからだ。
タマモの肩を優しく抱き――
「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」
――和歌を呟くトーマの顔は淋しげだ。
「末に逢った……とて、また同じように交われる事などないのにな」
首を振ったトーマが、窓の向こうに見える月を見上げた。
「神も。運命も。全て壊してしまえば良い……そうすれば、悲しみもなにもなくなるのだから」
呟くトーマに、タマモが目を閉じたまま身体を寄せた。自分だけは別れる事もない、そう言いたげに――
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