第214話 泣きそうな時に優しくされると泣いちゃうから駄目

 リリアと悲しみを分かち合い、カノンの未来を確保しようと決めた翌日――ユーリは朝早くから、集落の中を歩いていた。未だ殆どの住民や仲間が眠りについている早朝に、ユーリが集落を歩いている目的は……である。


「くそ、ジジイだから朝が早えな」


 ブツブツ文句を言うユーリが探しているのは、サイラスとウドゥル老だ。サイラスは既に宿におらず、ならウドゥル老から先に……と訪ねた庵にも姿はなかった。


 二日過ごしたことで、ユーリは精霊の溢れる集落でも、ある程度気配を追えるようになっている。今は分かりやすいサイラスの気配を追って集落を歩いているのだが……道が複雑で、先程からウロウロと徘徊するサイラスに追いつけないのだ。


「徘徊老人め……」


 ユーリの額に青筋が浮かぶ。ついに通りを歩くことを諦め、ユーリは気配へ向けて一直線に進みだした。木の上を飛び、枝を潜り、目指す先に見えたのは、ウドゥル老と話し込むサイラスの姿だ。


「ちょうど良いじゃねぇか」


 目当ての人物が二人同時に出現とは中々幸先が良い。一気に加速した二人の前に躍り出た。


「おいジジイズ。いい朝だな。話がある」


 急に現れて挨拶もそぞろに、礼儀の欠片もないユーリにサイラスが分かりやすく眉を寄せた。


「君は、もう少し敬いというものを……」

「はいはい。小言は後で聞いてやるからよ。ジジイの知恵を貸してくれ」


 真剣な顔のユーリに、二人の老人が顔を見合わせ、ほぼ同時に肩をすくめた。


「知恵……とは?」


 小首をかしげるウドゥル老に、ユーリが周囲を気にするように視線を彷徨わせた。別に誰かに聞かれてまずい話ではないが、本人の耳に入って糠喜びさせることだけは避けたいのだ。


「カノンが死ぬには早えだろ」


 ユーリの発言にサイラスが瞠目し、「君は――」と思わず大きくなった声に口を押さえた。


「今ちょうど、サイラス殿からも同じ相談を受けていてな」


 ウドゥル老が優しげに微笑んだ。どうやらサイラスも竜神の発言に引っかかりを覚えていたのだろう。同じ事を考えていたサイラスに「ンだよ。水クセーな」とユーリが鼻を鳴らした。


「それで? 知恵を貸して欲しいとは?」


 今度はサイラスが口を開いた。


「カノンは、俺達と違って可能性がある……そうだろ?」


 ウドゥル老を見るユーリの目は真剣だ。竜神は言っていた。ホムンクルスはモンスターを利用した技術で初めて出来た。特に最初期のホムンクルスは、モンスターの一部を、体内に取り込むことで、作られたという。


 例えば臓器。

 例えば血液。

 例えば骨格。


 最新式のホムンクルスは、殆どがモンスターの素材で作られているが、カノンの様な旧式は体内の一部だけのはずである。それを置き換えることが出来れば、あるいは――


「同じことを考えておられたようですな」


 ユーリの説明を聞いたウドゥル老が、サイラスへ微笑みかけた。


「馬鹿に見えて、たまに賢いのです」


 肩をすくめたサイラスに、「誰がバカだ」とユーリが口を尖らせた。


「確かに。君の言う通りだ。期待を持たせたくないから言わなかったが……あの娘についてだけ言えば、可能性はゼロではない」


 渋々頷いたウドゥル老に、「」とユーリが自信に満ちた笑みを返した。


「その知識を全部わけてくれ」


 頭を下げるユーリに倣うように、サイラスも「私からもお願いします」と頭を下げた。


「サイラス殿まで……」


 二人を前にウドゥル老が困ったように眉を寄せた。


「一応方法はなくはない……ですが、かなり確率が低く、難しい事です」


 頭を下げ続けるサイラスに、ウドゥル老が小さな溜息を返した。それこそ広大な砂漠で落とした砂金を見つけるくらい難しいのだ、とウドゥル老がが続ける。


「大丈夫だ。世界を救おうってんだ。チンチクリン一人救えねぇなんて言わねぇよ……俺も、ジジイも。そして皆も――」


 顔を上げて笑みを見せるユーリに、「そうです」とサイラスも同じ様に顔を上げた。


「……分かりました。では、後ほど詳しい話をしましょう」


 頷いたウドゥル老に、ユーリとサイラスが顔を見合わせた。恐らく二人の関係史上初めてと言って良い「やったな」という視線の交差だ。その状況に二人ほぼ同時に気が付き、「「ん、ンン――」」とこれまた二人同時に顔を背けた。


 なんとも似た二人にウドゥル老が微笑んだその時――


『ナルカミ!』


 リンファの声がユーリの鼓膜を叩いた。リリアを頼んでいる以上、常にイヤホンをアクティブにしていたユーリの耳に、リンファの切羽詰まった声が響いていた。あまり、良さそうじゃない状況に、一瞬唾を飲み込んだユーリに、サイラスが怪訝な表情を見せた。


 リンファの声から恐らく緊急事態だろう、とユーリがイヤホンを外してスピーカーモードに切り替え、返事をする。


「……どうした?」

『オーベル嬢だが、困ったことになった』


 リンファの声に、ユーリが思わず息を飲んだ。これから告げられる事が何か分からないが、とにかくいい話ではなさそうだ。


「オーベル嬢がどうかしたのかね?」

『商会長も一緒かよ……ちょうどよかった』


 リンファの声に若干の安心が見えた。が、それもつかの間――


『オーベル嬢が……』

「は?」


 思わず、といったユーリの返答に、『正確には、、だが』とリンファの律儀な声が帰ってきた。


 早朝の幻想的な集落で、ユーリは再びサイラスと見つめ合った。困惑した二人の耳には、『とにかく直ぐに来てくれ』というリンファの声が響いていた。



 ☆☆☆



 サイラスと二人、急ぎ宿へと戻ったユーリを迎え入れたのは、いつも以上にアホ毛が跳ねているカノンだった。恐らく寝起きなのだろう、手に持っているナイトキャップの意味とは……と言いたいユーリだが、今はそれどころではない。


「リリアが話せなくなったって?」

「はい」


 頷くカノンの表情は暗い。


「私と同じ部屋で寝ていたんですが……」


 そう切り出したカノンが言うには、先に起きていたリリアが既に自分の異変に気が付き、まずカノンへ助けを求めたそうだ。必死に身振り手振りで説明するリリアに、初めこそ状況の飲み込めなかったカノンだが、ようやく声が出ないという事に気が付き、それこそ飛び起きて皆に助けを求めたそうだ。


「昨日の夜は、二人で色々話したんですが……」


 言葉を切ったカノンが、更に顔を曇らせた。


「それが駄目だったんでしょうか。私なりにリリアさんを元気づけたつもりだったんですが」


 俯くカノンの頭に「大丈夫だ」とユーリが手を置いた。


「お前の気持ちはリリアに届いてるし、お前との話は声が出なくなったことと関係ねぇよ」


 ユーリにワシワシと頭を撫でられたカノンが、くすぐったそうに目を細めた。


「とりあえず、様子を見てえ」

「今はエレナさん達がついてくれてます」


 少しだけ寝癖がマシになったカノンに導かれる二人が、男子禁制の女子宿へと足を踏み入れた。



 宿代わりに用意された家屋の中、入口を開いてすぐの大広間の中央には小さな円陣が出来ていた。それを遠目から見守るように数人が壁にもたれたり、床に腰を下ろしたりと思い思いの形ではあるが、この広間に集まっているようだ。



 開いた扉と、入ってきたユーリ達にいち早く気がついたのは、入り口横で壁に持たれていたリンファだ。


「本人が一番混乱してる……あんま詰めてやんなよ」


 小さく溜息をつくリンファに「ああ、サンキューな」とだけユーリが声をかけて奥へと進んでいく。


「リリア――」


 ユーリが声をかけたことで、輪を作っていた仲間達がユーリ達に道を譲るように数歩下がった。円陣の中から顔を見せたのは、酷く申し訳無さそうな顔のリリアと、その肩を抱いているエレナの姿だった。


 ユーリとサイラスを見た瞬間、リリアが肩をビクリと震わせ僅かに唇を動かした。


 ……ごめんなさい。


 唇の動きだけで何と言いたかったのか分かる。今にも泣き出しそうなリリアの隣で、エレナが黙ったまま首を振った。その仕草は、今まで出来ることを色々試した、とでも言っているようだ。


 エレナの回復魔法に、リンファが調合した薬、アデルやヴィオラと言った元気娘たちによる励まし……そのどれもこれもが意味をなさなかったのだろう。


 全員が気を使ってくれることに、そして大事な時期で鍵となる自分の声が出せなくなった状況に、一番困惑し、思い詰めているのは間違いなくリリアだろう。


 今にも泣きそうなリリアへ、ユーリが手を伸ばした。頬に触れるユーリの手に、リリアがビクリとまた肩を震わせた。


「リリア――これでしばらくはを聞かずに済むな」


 ニヤリと笑ったユーリに、時間が一瞬止まったかのように全員がポカンとした表情を見せた。ようやくユーリの発言が飲み込めたのだろう面々が、「え? この状況でそんな事言う?」と言いたげな非難たっぷりの視線を浴びせている。


 唯一リリアだけが、今もキョトンとしてその意味を理解できていない。元気づけるわけでもなく、気にするなというわけでもなく、ただ単純にいつも通りの憎まれ口を叩いてきた事に……その真意を飲み込めずに、ただただキョトンとしている。


 完全に鳩が豆鉄砲を食らったようなリリアを見て、「ちょっとユーリくん?」とヴィオラが堪らずと言った具合に口を尖らせた。


 それが合図のように、全員がユーリを睨みつけリリアを遠ざけようとするがユーリはお構いなしにリリアとの距離を詰め、「退け退け」と彼女達を逆に押しのけた。


「お前ら騒ぎ過ぎなんだよ。声が出ねぇからなんだ?」


 眉を寄せるユーリに「声が出ないからって、大事じゃん!」とヴィオラが更に口を尖らせる。


「大事だが、声が出ようが出まいがリリアはリリアだろ」


 鼻を鳴らすユーリが「まあ、歌が聞けねぇのは残念だが」と言ってリリアに微笑みかけた。


「格好いい事言っているところ悪いのですが、オーベル嬢の歌がなければモンスターを消せないんですのよ?」


 扇の向こうでエミリアが目を細めた。誰もが触れなかった核心に、リリアの顔が再び強張る。


「ドリ子は相変わらずバカだな」

「だ、だれが馬鹿ですか!」


 扇を握りしめるエミリアに、ユーリが「お前だ」と溜息を返した。


「歌程度で目覚めるんなら、俺が殴っても起きるだろ。最悪起きるまで殴ればいいだけだ」


 根拠のない暴論に、「馬鹿はアナタですわ」とエミリアが眉を吊り上げた。


「無理なら別の方法を考えりゃいいだろ」


 ユーリが溜息混じりに吐き捨てて、再びリリアへ視線を戻した。


「俺にとっちゃこいつの歌は、一日の終わりの子守唄みてぇなモンだ。それ以上でもそれ以下でもねぇ」


 リリアを見たまま「それが聞けねぇのは淋しいが」と微笑むユーリに、リリアの頬が僅かに赤くなった。


「そんかわり、さっき言ったとおり小言がないからな」


 ニヤリと笑ったユーリに、リリアが分かりやすく頬を膨らませた。気がつけば声が出ないことなどどこへやら、いつもの二人のやり取りにしか見えない。


「ケケケケ。悔しかったら、早く声を戻して文句言うんだな」


 悪い顔で笑うユーリが、再度皆を見回した。


「つーわけで、俺は行くぞ。なんでな。朝っぱらから呼び出すんじゃねぇよ」


 呆れ顔のユーリが背を向け、サイラスに「ジジイも退散するぞ」と顎で出口をシャクった。傍目には元気になったように見えるリリアと、完全に女性陣からのヘイトを受けたユーリを見比べたサイラスが、クレアに目配せだけをしてユーリを追う。


 扉に手をかけたユーリに、


ノルダールヴィオラバークリーアデルへのフォローは任せとけ」


 一部始終を眺めていたリンファが呆れたような顔で呟いた。


「悪いな」

「気にすんな。これでも短期間だが、お前の相棒だったからな」


 ニヤリと笑ったリンファに、ユーリも無言で笑顔だけを見せた。リンファの反対隣で座り込んでいたカノンにも、リリアに今まで通り接してくれとだけ頼んで、ユーリは再びサイラスと共に宿を後にした。






「精神的なもんか?」

「おそらく」


 通りを歩きながら呟いたユーリに、サイラスが頷いた。


「ジジイエルフが知恵を持ってる……と良いんだが」

「カノンくんの事もある、一度訪ねてみようか」

「星は……どうやらよっぽど人間を滅ぼしたいらしいな」

「君が殴って起こしてくれるのではないのかね?」

「星ごと破壊していいならな」


 軽口を叩き合いながらも、真剣な表情の二人は、来た道を急ぎ戻っていく。人類に残されたタイムリミットは残り少ない。だから一分一秒でも無駄にせぬように、と。

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