第213話 相棒ですから(パート2)

 己の死に様を決意したユーリも、リリアの後を追うように広場を後にした。まだリリアが気にならないと言えば嘘になる。だが彼女は「皆のところに顔を出す」そう言っていたのだ。


 少しだけ、お互い気分転換が必要だろう。


 そう思いながらも、ユーリは懐から取り出したイヤホンを取り付けた。気分転換は必要だが、ちゃんと帰ったかどうかはきになるのだ。【人文】の管轄外のエルフの集落だが、ローカル通信――いわゆるトランシーバー的な使い方――ならば近距離通信が可能である。


 ユーリがチャンネルを合わせるため、イヤホンを数回タッチする――鼓膜が拾ったノイズは、なことの証左だ。こいつなら……と思って合わせたチャンネルがアクティブという事実に、「さっすがー」とユーリが口笛を吹いて、通話ボタンをオンにした。


「……リリアがそっちに行ったと思うんだが」

『ああ。来てるぜ。今は皆と話しながら飯食ってるよ』


 こういう時に頼りになるのがリンファだ。基本的に冷静で、頭の回転の速いリンファなら、ユーリから連絡がくることくらい読んでいたのだろう。アクティブにしたままのイヤホン。間髪を入れない返答。どれもこれも、今のユーリにとっては有り難いかぎりだ。


「悪いが、ちっと様子を見ててくれ」

『ああ、任せとけ』


 頼もしい言葉に、歩きながらユーリが小さく笑った。リンファが任せろというなら、リリアは一先ず問題ないだろう。今の間に、もう一つの懸念事項も確認せねばならない、と再びイヤホンの向こうにいるリンファに尋ねる。


「なあ。ついでなんだが、カノン知らねぇか?」


 普段なら気配を読んでひとっ飛びなのだが、エルフの集落は精霊が溢れているためかどうも気配が読みにくいのだ。出来ればリリア達と食事をともにしていてくれたら……と願うユーリの鼓膜を


『バーンズか? そういや見てねーな』


 リンファの訝しむような声が叩いた。


「そうか。もし見かけたら連絡してくれ」


 そう言って、通信を切ろうとするユーリの耳に『ナルカミ』とリンファが声を押さえながら囁いた。


オーベル嬢も当事者だ……けど、お前も――』


 心配するような声音のリンファに、ユーリが「心配してくれんのか?」と笑みを返した。


『馬鹿か! 茶化すな』


 盛大に顔をしかめているだろうリンファを想像し、ユーリは「茶化してねぇよ」と再び笑う。アクティブで待機していたこともそうだが、いざという時は何だかんだ優しいのがリンファだ。カノンがよくユーリにだと言うが、ユーリはリンファこそだと思っている。


『なに笑ってんだよ』


 イヤホンの向こうでは、口を尖らせているのだろう。そんなリンファを想像して、ユーリは口角が上がるのを押さえられない。


「あんがとよ。俺は大丈夫だよ」


 笑うユーリの耳の向こうで『心配なんてしてねーし』とリンファが鼻を鳴らした。


「へーへー。そういう事にしとくよ」


 適当な相槌を返すのは、笑いを押さえられないからだ。なんとも絵に書いたようなである。


『お前、ニヤニヤしてんじゃねーぞ』


 これ以上は流石にリンファを怒らせそうだ、とユーリが「してねぇよ」と口元を押さえながら続ける。


「とりあえず、リリアは頼むわ……俺はちっとカノンを探してくる」


 そう言って今度こそ通信を切ったユーリが、ニヤけた表情を戻すように数度頬を揉んだ。そうしてようやくニヤケが取れた顔で、ユーリは「さてどうしたもんかな」と呟いた。


 リンファも言っていた通り、。ただ、その事をカノン自身は知らないはずだ。カノン以外の仲間は全員、カノンがホムンクルスであるということを知っている。


 サイラス達がユーリに打ち明けたタイミングで、知らなかった仲間達にも打ち明けていたからだ。だが、それはカノンにだけは秘密のはずである。


 普通の人間として育てられてきたカノンに、出来ればこれからも人として生きて欲しいという祖父クラウスの願いによって、カノンに事実は伏せられているはず……なのだが。


「姿が見えねぇってことは……どっかで泣いてんのか?」


 頭を掻いたユーリが、「分からん」と呟いた。


 カノンが泣く理由がそもそも分からないのだ。もちろんユーリとの別れ、はあるだろうが、その事で人目を気にして一人になるようなではない。どちらかと言うと、皆の前で「嫌ですー」と泣きそうなタイプだ。


 いや実はユーリがそう思っているだけで、意外に繊細な一面をもっているのかもしれない。


 考えながら通りを歩くユーリが、急接近してくる気配を察知し思わず顔を上げて横に広がる森を見た。


 木々の合間から飛び出してきたのは、数個の精霊。そして――


!」


 ――それを追いかけるように転がり出てきたカノンだ。地面を転がり顔を上げたカノンと、それを覗き込むユーリの視線が交わった。


「カノン」

「ユーリさん……」


「「こんな所で何してんだやってるんです?」」


 綺麗にハモった二人の真横を、精霊が二つ通り過ぎていった。



 ☆☆☆



「精霊はつかまえたら駄目だって言われたろうが」

「一匹くらいなら良いかと思いまして」


 合流を果たした二人は、通りで話し込むのも何だということで、ユーリが先ほど出てきたばかりの広場へと戻っている。


 リリアの時同様、切り株に二人で腰掛け、カノンから聞かされた衝撃の内容が、先程の会話に繋がっている。あれだけ駄目だと言われていたのに、カノンが精霊を捕まえようとしていたのである。


「エルフの連中に怒られるぞ」


 ジト目のユーリを前に「いやー。気になりまして」とカノンが舌を出してみせた。悪いと思ってなそうな態度に、ユーリは盛大な溜息を返した。口にこそ出さないが、「心配して損したな」とすら思っているのだ。


「お爺ちゃんに見せたくて……」


 頭を掻くカノンに、「画像に撮って行ったらいいだろ」とユーリがもう一度溜息を返した。


「いえいえ。画像じゃ駄目です。折角なら実物を……になりますし」


 足をぶらぶらさせて口を尖らせるカノンに、「思い出ねぇ」とユーリが何度目かの溜息交じりで頬杖をついた。


「思い出です。私も、


 カノンの口から紡がれた言葉に、ユーリは思わず「知ってたのか?」と口にしてしまった。エレナ達が言ったのかと一瞬疑いが過るが、即座にそれを打ち消した。サイラス麾下のメンバーの結束は固い。そんな連中が、タブー中のタブーをカノンに告げるなどありえない。


 皆がそうしてカノンを大事に見守ってきたはずだった……のだが、本人はその隠された事実を知っているという。


 呆けたままのユーリに、カノンが微笑んだ。


「そりゃ知ってますよ。自分がだ、ってことくらい」


 足をぶらぶらさせるカノンが、「お爺ちゃんを」と舌を出してみせた。


 話を聞くと、きっかけは奪還祭でのリリアの歌らしい。リリアの歌を聞き、カノンはどうも調子が悪かったそうだ。その時はもちろん、勘違いかと思っていたが、ダイニングバー『ディーヴァ』で歌を聞く度、痺れるような感覚に陥っていたという。……ユーリやヒョウと同じ様に。



 もちろんそれを祖父であるクラウス・バーンズ博士に訪ねたが、当時リリアの歌がモンスターを弱らせるなど誰も知らない時だ。バーンズ博士も分からなかったそうだ。


 その後オペレーション・ディーヴァ、イスタンブール急襲を経たつい最近、カノンはようやくリリアの歌が、自分に何かしらの影響を与えているのだと……モンスターと同じ様に、リリアの歌の影響下にある、と気がついた。


 その事実を引っ提げて、祖父であるバーンズ博士を再度問いただした結果、自分がホムンクルスだという事を打ち明けられたらしい。


「まあ、事実を知った時は動転して結構泣きましたけど」


 笑顔を見せるカノンに、「そうか」としかユーリは答えられないでいた。イスタンブール急襲からここに来るまでの凡そ一ヶ月ほど……そのどこかでカノンは自身の出生の秘密を知り、そのショックをにも出さずにユーリとともに任務をこなしていたのだ。


「お爺ちゃんには、私に話したことを誰にも言わないで……って頼みましたから」


 足をぶらぶらさせながら、カノンが頭上に広がる星々を見た。


「皆に気を使われたくなかったんです。今まで通り接してほしくて」


 微笑むカノンに芯の強さに、ユーリは再び「そうか」とだけ答えた。


「とはいえ、結果は私も消えるらしいので、皆さんに打ち明けておけば良かったと思ってます」


 頬を膨らませたカノンが、「」と続けた。


「……大丈夫なのか?」


 呆けるユーリに、「何がです?」とカノンも首をかしげてみせた。


「いや、消えるって……」


 呟いたユーリに、「ああ。それですか」と笑ったカノンが、切り株から飛び降りて振り返った。


「正直に言うと、今でも少しだけ怖いです」


 苦笑いするカノンの姿に、ユーリは胸が締め付けられる思いだ。自分の事で精一杯だったが、カノンだって当事者の一人なのだ。確かにいつかは言わねばならぬ時が来る、とは思っていたが、知っていたとは思いもよらなかった。


 何も言葉が出ないユーリの前で、カノンが「そりゃ怖いですが」と頬を掻いて続ける。


「ユーリさんだって泣いてないのに、私が泣くわけにはいかないじゃないですか」


 ニヤリと笑ったカノンに、「どんな理論だよ」とユーリが溜息混じりのツッコミを返した。


「これでもユーリさんの相棒なんです。『いつか死ぬんだ。それが今日か、明日か、五〇年後かの違いだ』ってやつです」


 微笑むカノンを前にユーリが僅かに顔をしかめた。その考えは自分に対してのものであり、誰かをなど思ってもみなかったからだ。


 好き勝手生きてきた。昔も今も、好きなように生きてきた。それはいつ死ぬか分からない戦場に身をおいてきたからだ。昨日まで笑っていた人間が、隣で肉塊へと変わる。そんな事が常に繰り返されてきたからこそ、ユーリ自身『いつか死ぬなら、好きに生きよう』と傍若無人に生きてきた。


 だから己に降り掛かった最期に悲観などしない。


 だがカノンは違う。生まれた理由こそユーリ達と同じでも、カノンは大事に人として、幸せに生きられるように育てられてきたのだ。こんな時代だ、いつ死ぬかなど確かに分からない。分からないが、それをカノンに背負わせてしまったのは、間違いなくユーリの言動のせいだろう。


 因果なものだと思う。己を導いてくれた存在の一人が、己のせいで淡々とその運命を受け入れるだけとは。


 普段とは変わらないカノンに、弱さを見せないカノンに、ユーリは聞こえない程小さな声で「――」と呟いた。声が聞こえなかったのだろうカノンは、今も「ユーリさんがいたら、も楽しくなりそうですし」と、それでも歯を見せて笑っている。


「カノン」

「なんでしょう?」


 ユーリは首を傾げたカノンの頭に手を乗せた。


「泣いても良い……とは言わねぇぞ?」


 微笑み、頭を撫でるユーリ。それは言葉の通りの意味でもあり、言葉以上の意味をユーリの中に持たせたものでもある。、泣かせないという意味を。


 もちろん目の前のカノンには、ユーリの決意など伝わってはいない。ただいつも通り敬礼して「あたぼーです」と歯を見せて笑うだけだ。


「上等だ。お前のは……来たるべき時にとっておいてやるよ」


 いつもの顔で笑うユーリに、「どういうことでしょう?」とカノンが小首を傾げた。怪訝な表情をするカノンに、「女の涙は」とユーリが呟いた。


「え? なんです?」

「なんでもねぇよ」


 顔を寄せたカノンを軽く押しのけ、ユーリは笑顔を返した。一人で解決し、一人で納得しようとしている相棒に、……とは伝えられない。糠喜びはさせられない。だが、竜神が含みを持たせる事を言っていた以上、カノンに関してはチャンスがあると思っている。


 ……世界を背負って死ぬには小さすぎらぁな


 世界の重さが少しでも軽くなるように、リリアの負担を減らしたいという思いもあるが、それと同じだけ自分を慕ってくれた相棒に、自分がかつて見てきた世界を見せたいとも思う。


【女神庁】、【八咫烏】、【星の黒き意思】色々と解決しなければならないことだらけだ。だから、問題ないだろう。


 カノンが助かる道を探す。そう決めたからこそ、「泣いても良い……とは言わない」とカノンに言ったのだ。泣くなら、助かる道が見つかって、生きられるという喜びの涙を……そう願ったユーリの決意の表れだ。


 だが、それはまだ口にはしない。今口にできるのは――


「そん時が来たら分かる」


 ――その程度の小さな約束だ。カノンのアホ毛を弾いたユーリも、切り株から立ち上がった。


「そういうわけで帰るぞ。エルフの里の料理が待ってる」


 歩きだすユーリに「おお! そうでした」とカノンも笑顔でついてくる。


「ちなみに温泉まであるらしいぞ」

「覗いちゃ駄目ですよ」

「誰がお前みたいなチンチクリンを覗くんだよ」

「ムッキー! これでも脱いだら凄いんですよ!」


 両手を上げて頬を膨らませるカノンに「へーへー」とユーリが適当な相槌を返して、今度こそ広場を後にした。

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