第212話 世界の重さ
リリアがいるという、北の外れ。木々のアーチが終わったそこは、小さな広場になっていた。意を決して足を踏み入れたユーリを迎え入れたのは、広場の外周付近をフワフワと浮かぶ精霊達だった。リリアを恐れているのだろうが、森から離れないように揺蕩う精霊達が、中央で切り株に腰を降ろすリリアを浮かび上がらせている。
「幻想的だな……」
その言葉でユーリに気がついたのだろうリリアが、顔を上げて「うん」とだけ答えた。
ユーリも黙ったままリリアの隣に腰を下ろした。
何を話していいか分からない。いや、正確には何も話せないのだ。
――仕方がねぇよ……絶対違う。
――俺なら大丈夫……リリアが大丈夫じゃない。
――いつ死んでも……それはユーリの問題。
かけようと思った言葉が、ユーリの頭の中で浮かんでは消えていく。何を言っても、それはユーリの価値観で、リリアを納得させ得る言葉ではないからだ。
そうして無言のままリリアの隣に座る事しばらく……リリアが「ユーリ」と下を向いたまま呟いた。
「ユーリは優しいね……」
不意にかけられた言葉に、「は?」と思わずユーリの口から間の抜けた声がもれた。優しいなどと、どこをどう感じたらそう思えるのだろうか。現に今も、傷つき悩む彼女に気の利いた言葉の一つすらかけてやれていないというのに。
己の情けなさに、下唇をかんだユーリが「優しくねぇだろ」と小さく呟いた。
「優しかったら、お前にもっと気の利いた言葉とか――」
思っていた事を口にするユーリに、リリアは「ううん」と首を振った。
「色々考えて、でもそれを口にできなくて……それって、私の事考えてくれてるからでしょ?」
リリアの見せる笑みに、ユーリは胸が締め付けられそうになる。泣きはらしたのだろう腫れた瞼も、頬を伝った涙の跡も、どれもこれもがユーリの胸を締め付ける。
何と情けないのか。惚れた女の笑顔一つ守れないとは。それで良く天下無敵だ、などと大口を叩いてこれたな、と頭の中で声が木霊する。
情けなさに、思わず俯いたユーリが「言えるわけねぇだろ」と呟いた。もし逆の立場なら、そんな言葉をかけられても納得など出来るわけないのだ。
どんな理由があれど、己の口からリリアに最期を告げるなど。
ただただ俯いて歯を食いしばるしか出来ない自分に、ユーリは情けなさと怒りで肩が震えてくる。
「やっぱり優しいよ。もし自分だったら……って考えてくれてるんだもん」
そう言いながら、リリアは顔を上げた。俯くユーリとは正反対に、木々の隙間から見える暗い空を見上げながら続ける。
「私がユーリの立場なら、『気にせず歌え』って言うと思う」
その言葉にユーリが顔を上げてリリアをみた。上を向く彼女の瞳に溜まった感情が、精霊の光を反射して輝く。キラキラと、今にも零れ落ちそうなそれを、リリアは一生懸命に笑顔を浮かべて耐えているのだ。
「分かってるの……ユーリなら何て言うか……分かってる」
上を向いたままリリアが瞳を閉じた。堪えきれなかった感情が、一粒の雫が眦を伝い、蟀谷を濡らす。
「分かってるの。だって……大好きだから」
リリアが瞳を閉じたまま笑顔を浮かべようとする……が、上手くいかない。雫が絶え間なく蟀谷を濡らし、口角が震え、それを堪えるようにリリアが歯を食いしばる。
「大好きなの……。笑って見送りたいのに……」
決壊したリリアの感情に、彼女の見せたくしゃくしゃの泣き笑いに、ユーリは思わず彼女を抱きしめた。
「……消せるわけないじゃない。消したくないの。一緒にいたいのに」
ユーリの腕の中で、リリアが声を上げて泣く。ユーリだって同じ気持ちだ。同じ気持ちだが、それを口に出すことは叶わない。それはリリアをさらに追い詰める事になるから。だから、こうして黙って抱きしめるだけしか出来ないでいる。
ユーリの腕の中で、リリアが嗚咽をもらした。
「……こんな事なら、知りたくなかった」
ユーリをきつく抱きしめた彼女が続ける。
「こんな事になるなら、あの時荒野になんて行かなきゃよかった!」
泣きじゃくる彼女の頭を、ユーリはただただ優しく撫でている。
あの日、あの時、リリアの荒野行きを……陣中見舞いを断っていたら、こんな辛い真実など知らずに居られたのだろうか。今も自分達は、あの小さな酒場でグラスを片手に笑いあっていられたのだろうか。
それとも運命という残酷な筋書きは、二人を許してはくれなかったのだろうか。
考えても答えなど出ない。分かっている。そこに答えなどないことなど。それでも思ってしまうのは仕方がないだろう。あの日、あの時、あんな事をしなければ……ユーリだって経験したからこそ分かる。
あの時、【八咫烏】を招いたパーティに少しでも疑問を持っていたら。
あの時、もっと上手く立ち回っていたら。
あの時、トーマ達をもっと良く探していたら。
そんな後悔がないと言えば嘘になる。それでも進むしかないのだ。人生に「もしも」はない。自分達に出来るのは、選んだ答えが良かったんだと思えるよう、前を向いて全力で生きていくだけなのだから。
そう思いながらも、ユーリはゆっくりとリリアの頭を黙って撫でている。後悔しても無駄なことなど、リリアとて分かっているからだ。そんな事、言われずとも分かっている。
だから今出来るのは、リリアが前を向けるまで、黙って傍にいるだけだ。情けないが、それ以上の事は出来ない。あとは、本当に方法がないか、ヒョウあたりに相談するくらいか。
とは言え、世界の真理を知る竜神に「ない」と言われたのだ。望みは薄いだろうな、とユーリは心の中でやりきれない思いを隅へと追いやった。
様々な感情と思考が入り交じる中、それでもユーリは黙ってリリアの感情を受け止め続けていた。涙が服を濡らし、リリアの爪が背中に食い込み、時々吐き出される嗚咽を受け止め続けることしばらく――
「……ごめんなさい」
ようやく気持ちが落ち着いたのだろうリリアが、ユーリを離して力のない笑みを見せた。
「私、泣いてばかりね」
腫れた瞳を拭うリリアに、「いいんじゃねぇか」とユーリも反対側の眦を拭ってやる。
「答えの出ない問だしな……お互いの気持ちは痛いほど分かるだろ」
ユーリの言葉に「うん」とリリアが頷いて立ち上がった。痛いほど分かるからこそ、思い悩むのだ。相手がこうしてほしいと望んでいる事が分かるからこそ、折り合いをつけるのが難しいという事もある。
恐らく最期まで納得出来る答えなど出ないだろう。それでも、二人は進まねばならない。二人に残された時間というのはそう多くない。
ユーリを犠牲にするにしても、人類の滅びを選ぶにしても、二人で笑い合える時間は多くないのだ。ならば、少しでも長く、そして沢山笑い合いたい、という事だけは二人共共通の思いだろう。
「……まだ、気持ちの整理はついてないけど、ちょっとだけ元気になったわ」
笑うリリアの表情にまだ力はない。無理をして元気な風を振る舞っているだけと分かるが、それを指摘するほどユーリは無粋ではない。リリアにも自分自身に問う時間が必要だろう。
本当は引き止めたい。もっとちゃんと納得できるまで話し合いたい。だが、それはユーリのエゴで、今それを出すのはリリアを困らせるだけだと分かっているのだ。
ゆっくり一歩を踏み出したリリアがユーリを振り返った。
「皆にも心配かけたし、ちょっと顔出してくるね」
微笑むリリアの腕を、ユーリは思わず掴んだ。驚いた表情を浮かべたリリアを、立ち上がったユーリが再び引き寄せて抱きしめた。
「急がなくていい。それに、どんな答えでも……お前が出したそれが、俺達にとって正解だ」
ユーリの耳に、リリアの「うん」という涙声が響いた。
「仮に、お前が世界を敵に回すなら……俺がモンスターより先に全部滅ぼしてやる」
物騒なユーリの言葉に「フフッ、なにそれ」とリリアの涙混じりの笑い声が返ってきた。
「……何があっても、最期まで離さないでね」
そう言いながら、一際強くユーリを抱きしめたリリアが、「じゃ、皆のところに行ってくる」と今度こそユーリから離れて北の広場を後にした。
去っていくリリアの背を見送ったユーリが、「ふぅ」と溜息をついて切り株へ再び腰を下ろした。なんとも情けない醜態に、もう一度溜息をついてユーリが片手で顔を覆う。
何も出来ない。何と無力なことか……そう思ったユーリの脳裏によぎるのは、誰かの声だ。
――貴様は……己の無力さと世界の残酷さを呪いながら死ぬだろう
響いてきた声を振り払うように、ユーリが強く頭を振った。
「好き勝手言いやがって……」
呟いたユーリが立ち上がり、首を鳴らして歩き始める
「見てろよ、死ぬときゃ全員にアーチ作らせて、それを潜りながら大満足で逝ってやるよ」
まるで応援するかのように、精霊達がフワフワとユーリの回りを飛び回っていた。
※ぜひWeight of the Worldというニーア・オートマタのゲームソングをBGMに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます