第210話 運命とはかくも残酷で――

 ようやくついた決着に、満身創痍の皆が抱き合い、肩を叩き合い、笑い合い、それぞれの頑張りを労っている。


「ユーリ!」


 戦闘が始まってずっと、安全な位置でウドゥル老の設置した結界にいたリリアが、半泣きで駆け寄ってきた。自分は安全な位置にいたが、それでも竜神の迫力も、傷だらけになっていく皆の姿も、リリアにはやはり刺激が強すぎたのだろう。


「心配すんな。ガス欠みたいなもんだ」


 軽く手を挙げたユーリに「よかった」とリリアがホッと安堵の息を吐いた。


『我を伏せさせるのに、その女の力を使わぬとはな……』

使えるかよ」


 鼻を鳴らしたユーリが、「それに、フェアじゃねぇからな」とニヤリと笑った。まがりないりにも神を前に、対等じゃないなどと宣うユーリに、竜神が再び大きな笑い声を上げた。


『面白い。実に面白いが、故に


 そう笑った竜神が、サイラスへと視線を向けた。


『強き者達を率いし男よ。質問に答えよう』


 竜神の問に、割れた眼鏡を押し上げたサイラスが、しばし考え口を開いた。


「先ほどあなたは、モンスターは星の意思だと仰った。それがどういう意味かお聞きしたい」


 真っ直ぐ竜神を見上げるサイラスに、竜神が『そのままの意味だ』と答えて更に続ける。


『星がだと言われて信じられるか?』


 竜神の唐突な質問に、一瞬戸惑ったサイラスであるが、「そういう思想があることは存じています」と頷いた。


 地球を一個の生命体として見る思想。つまり星の上で生きる全ての存在は、星という生命体の中で活動していることになる。星を人体に例えれば、自然は星を作る細胞であり、生物は体内の常在菌に近いだろう。


 とは言え、それは生命体であるとみなす……思想でしかない。本当に生きているという事は証明されていないのだ。


『思想ではなく、実際にこの星は生きている。モンスターは、この星が貴様ら人を滅するために生み出した存在。いわばとも言える存在だ』


「免疫……」と呟くサイラスに『左様』と頷いた竜神が続ける。


『元々この星は、貴様ら人を駆逐するため、さまざまな現象を起こしていた。思い当たる節があるのではないか?


 異常気象。

 未知のウイルス。


 どれもこの星が貴様らを滅ぼすために自身の環境を変化させ、そして生み出した存在だ』


 旧時代、第三次世界大戦前に見られた現象から「星の意思」が関わっていたという事実に、全員が動揺を隠せないでいた。あまりにも長きに渡り星の恨みを買っていたということになる。


『何も珍しいことではない。


 旧くは、一夜にしてある大陸が大津波に飲まれ消えた。

 旧くは、新たな人類が旧い人類を駆逐した。


 星の自浄作用は、今まで歴史上繰り返されてきた事だ』


 アトランティスに旧人類から新人類への進化。そのどれもが、地球の自浄作用だというのだ。


『だが、先の自浄作用では貴様ら人は滅びなかった。それどころか、同族で殺し合いさらにこの星を痛めつける始末だ。そこで星は最終手段に出た』


「それが、モンスターを生み出す、という事だと?」


 サイラスの言葉に『左様』と竜神が頷く。


「意思一つで、生物を生み出す事が可能なのでしょうか?」


 眉を寄せるサイラスに『生物か……可能だ』と竜神が呟いた。いまいち要領を得ない返事に、サイラスが更に眉を寄せた。


 意思一つで生み出せると言いながら、時間がかかるという。であるのに、サイラスの記憶する限りでは、モンスターが確認されたのは戦争終結から間もなくである。


 考え込むサイラスを見下ろした竜神が、小さく溜息をついた。それはまるで今から話す事に覚悟を決めるような……


『さて、人の子よ。強き者たちよ。これより先の真実は、を知ることになるが……後悔はせぬか?』


 人の子よ……そう言いながらリリアを真っ直ぐ見下ろす竜神に、リリアは大きく頷いた。世界の重さ……その何たるかなど分からない。分からないが、皆がここまで頑張ったのに、ここでリリア一人腰が退けては駄目だと分かっているのだ。


 強い意思の籠もった視線に、ユーリに肩を貸して立ち上がるリリアに、『そうか』とだけ竜神が呟いた。


『では続けよう。先ほどモンスターが免疫だと言ったな。それは、貴様ら人の魂より、星が恐怖を読み取って天敵として具現化したからである。

 恐怖に繋がるイメージを、貴様ら人の天敵たる存在として作り出した、とも言えるな』


 鼻を鳴らした竜神を前に、サイラスが考えながら口を開いた。


「つまり、人々の魂に刻まれた根源的な恐怖を具現化した結果、モンスターが生まれた……それで、最初期はいわゆる宗教観から、叙情詩エピックが多く出現したわけですね」


 サイラスの言っているのは、モンスターの偏りである。最初期に良く見られた悪魔などの叙情詩エピッククラスは、ここ最近では見ることが少ない。その理由は、旧時代と今の宗教観の違いにある。


 宗教により、悪魔という存在に恐怖を持つ人間が多かった当時と違い、今の世の中は、モンスターという漠然とした存在への恐怖だ。その恐怖の差が、生み出されるモンスターに違いを持たせているのだろう、とサイラスは言っているのだ。


 そしてその予想は『左様』と頷いた竜神の言葉どおりドンピシャだ。


「恐怖をもとに、生物を、現象を生み出す。そうやってダンジョンを作った」


 呟くサイラスに『賢い者は嫌いではない』と竜神が頷いた。ロイドが盛んに噂を流し、ダンジョンというものへの恐怖を煽っていたのは、この星が持つ力を利用しての事だったのだ。


『ただ、彼の者達が計画しているのは、ダンジョンの奥底に眠る「元凶」であろう』


 忌々しげな表情の竜神に、「元凶……」とサイラスが呟いた。


 恐怖で現象や生物を生み出す。元凶がダンジョンの奥底にいる、ダンジョンや元凶への恐怖がそれを生み出すとしたら……


「星の意思、そのものを生み出した……という事ですか?」


 驚くサイラスに『意思……もしくはとでも呼ぶものか』と竜神が頷いた。


 本来は現れるはずのない、見えるはずのない存在。それを、星の性質を逆手にとって、本来ではありえないものを顕現させた……それが意図する事は――


「星の意思をその手に入れる……つまり、自由に現象を操作する――」


 まさに神の如き所業。その力を手に入れるというわけだ。【女神庁】という名に、くっきりとした輪郭が浮かび上がった。


『人の身で、かの存在を扱えるとは思えんがな……』


 溜息をついた竜神だが、それでも相手は既にダンジョンへ、星の意思へ王手をかけている状況だ。


「それで、どうしたら星の意思を挫くことが出来るのでしょうか」


 ようやく本題と言ったサイラスの言葉に、竜神が一度ユーリを見た。視線を感じたユーリは面倒な顔を見せ、「良いから早く言えよ」と竜神に手を挙げるだけだ。


『星の意思を挫きたくば、世界の深淵にてその娘の力を使えば良い』


 真っ直ぐにリリアを見つめる竜神に「私……」とリリアが呟く。


『その娘の力は、。数奇な運命で、星の意思同様偶然に宿った力。その力を使えば、星は目を覚まし、


 ようやく辿り着いた答えに、皆が喜びの表情を見せる中、サイラスだけは微妙な表情で何かを考えている。竜神の言い回しに引っかかりを覚えているのだ。


 ……星が目覚める。今まで言わなかった言い回し。とユーリと竜神の台詞。そして先程の「生物か」という含みのある言葉に、一つの可能性がサイラスの脳裏を過った。


 ありえない。そんな事など……だが、既にモンスターに星の意思、とあり得ない事づくしだ。それに確認せねばならない。を見極めるためにも。


「星が目覚める……まるで眠っているような言い回しですが……」


 怖ず怖ずと聞くサイラスに、竜神がニヤリと笑った。


、ではない。事実眠っているのだ。誤解を恐れずに言えば、我々は……モンスターは、この。貴様らは、この星の上で長い間


 竜神の放った衝撃的な事実に、サイラスが「馬鹿な……」と呟いた。実際に可能性として浮かんでいたが、目の前で肯定されてしまえばどうしても否定したくなるのだ。


「夢……夢に殺されている……そう仰るのですか?」


 サイラスの声が震える。


『夢……とは言ったが、便だ。正確には、多元宇宙理論に基づく並行世界の次元干渉の現象だ。

 貴様らの恐怖からモンスターという存在をインプットした星は、数多ある世界、その中でモンスターが現れただろう可能性を、自身の上に再現しようとしている』


 竜神の説明についてこれているのは、サイラスやクレア、そしてリンファくらいだろうか。キョトンとした表情の皆に、仕方がないとばかりに竜神が軽く溜息をついて続ける。


『星は今、眠りながら時間を逆行して特異点を作り出している……と言えば分かるか? 星が眠りに落ち、遥か昔を遡り、数多ある選択肢をやり直すことで、この世界に居なかったはずの存在を進化させて生み出そうとしているのだ。


 ただ、いかに上位次元の存在である星をしても、簡単に時など渡れない。眠りにつく事で、自己に強い暗示をかけることで、ゆっくりと丁寧に次元の波を辿っているのだ。

 その影響がこうして未来に現象として投影されはじめているのだ。事象改変の末、生み出せる存在が、不安定ながらもこうして未来に投影されている。


 貴様らの恐怖が増えれば増えるほど、犠牲が増えれば増えるほど、その解像度は上がり、不安定な現象は事実としてこの世界へと顕現する事となる』


 それでも困惑した顔を見せる全員に、鼻を鳴らした竜神が更に続ける。


『簡単に言えば、地球は強い意思と貴様らの恐怖に染まった魂を持って過去を改変している最中だ。その結果、お前たちが生きていくはずだったモンスターのいなかった未来と、この新しいモンスター溢れる未来とが不安定に重なっているのが、今の状態だ』


「まるでシュレディンガーの猫だな……」


 呟いたリンファに竜神が『多世界解釈という点では正しいといえるかもしれんな』と大きく頷いた。


『一つだけ明確に違うとすれば、観測者たる星自身が、すでに収束していた量子の動きや位置を変えられるという事だ。眠りにつき、この星はこうだったはず……そう思い込む自己暗示による改変。それは強い催眠状態とでも言えるかもしれん』


 言葉を噛み砕く全員を待たずに、竜神が続ける。


『強い催眠状態にあれば、身体はその影響を受ける。例えば催眠状態にあるものに、「赤く焼けた火箸だ」といって割り箸を当てれば、水ぶくれが出来る……今、そなたらはその状態にあると言っても良い』


「なるほど……だからと」


 サイラスが全てを理解した。竜神の言葉と、「星が一つの生命体」だという事実がようやく合致したのだ。


 星が眠りにつき、過去を改変するために自己に強い暗示をかけていること。

 その影響で、新たな世界線が今の世界に重なって現れていること。

 だがそれはまだ、星自身の自己暗示による不安定な世界線であること。


 それでも星が深い眠りで自己暗示をかけているなら、その上で生活する星の一部たる人間にも多大な影響がでるだろう。


『そして、が長引けば、星の世界改変が進み、モンスターという今まで居なかったはずの存在が地球上に定着する事に……に辿り着く事になる』


「だから……モンスターは食せなかったのか……生物ではなく、次元干渉というだから」


 ポツリと呟いたのはリンファだ。その言葉に『聡い娘だ』と竜神が大きく頷いた。


『モンスターを消したくば、その娘の歌を、ダンジョンの奥底で生まれた存在に聞かせると良い。さすれば地球は目を覚まし、この現象もまるで夢だったかのように消え去るだろう』


 喜びに顔を染める面々……の中、リリアだけは顔を青くして竜神を見上げていた。


『気がついたか。娘よ……。そなたが闇を打ち払いし時、そなたの傍にいる男の半身も……つまり、その男はこの世界線から消え去る事になる』


 竜神から発せられた残酷な言葉に、青い顔をするリリアを今度はユーリが支えた。


 分かっていた。ユーリには分かっていた。


 避ける精霊。

 恐怖と困惑の瞳。

 リリアの歌が持つ力。

 狂気に染まるモンスター。


 そしてあの時の、初めてリリアを見た時に感じた苦手意識のような――


 あれこそが、あの感情こそがだったのだ。己の存在を根底から否定する、根源的な恐怖。分からないわけだ。生まれてこの方恐怖など味わったことがない。今思えば、リリアを始めて見た時に「隠れなくては」と咄嗟に感じた事にも納得ができる。


 己を否定する存在への忌避。魂に刷り込まれたモンスターとしての本能だったのだろう。


 気づいた時には手遅れで、リリアの両肩に自分の命と世界とをのしかからせているのだから、運命と呼ぶものがあるなら残酷だと思う。


 それでも前に進まねばならない。自分達がやらねば、この世界は、人類は滅びへまっしぐらなのだから。


「リリアの歌が……」


 不意に口を開いたユーリに全員の視線が集まった。


「コイツの歌が、モンスターの傷だけ癒やす理由も、俺達がだからか?」


 その言葉に竜神が『左様』と頷く。


『娘の力は、我々を否定し、拒絶する力。つまり、そんなもの最初から無かったという【現象への拒絶】だ』


「【現象への拒絶】か。かっこいいじゃねぇか」


 笑うユーリを、リリアが涙目で睨みつけた。私の気も知らないで、とでも言いたげな瞳に、ユーリが肩をすくめた。


「ンな怒んなよ……。お前の力が俺達を滅するんだ、って」


 頭を撫でるユーリに、「なら……なんで」とリリアの瞳から感情が溢れ出した。


「それでもここに来たのは、


 膝をついたリリアを抱えたユーリが竜神を見上げた。


「何か方法はねぇのか?」


 真っ直ぐに見つめるユーリを前に、竜神はしばし言葉を探すように考え……言いにくそうに口を開いた。


『ない』


 最終宣告のような短い言葉に、ユーリの上げた「えー」という間の抜けた声が、静かになった霊峰に響いていた。

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