第194話 思い出ポ◯ポ◯

 イスタンブール襲撃から一夜明けて――


 街はプレートに大穴が開き、少なくない怪我人が出たものの、壊滅させられた都市と比べると無傷に近い状態だ。穴の開いたプレート周辺は、崩落の危険性から立入禁止になっているにもかかわらず、穴から見える抜けるような青空に、下層の住民がワラワラと集まってくるくらいには、街は平常運転にもどりつつある。


 そんな街の喧騒をBGMに、今回の、壁の上部に設けられた鉄柵に腰を下ろして荒野に広がる青空を見上げていた。


「いい天気ね」


 リリアが耳にかけた髪を、吹き抜ける風が攫っていく。


「……だな」


 空を見上げるユーリの返事は、文字と所作通り上の空だ。そんなユーリを横目に見たリリアが、何か言おうと口を開きかけては閉じ、諦めたように小さな溜息をついて空を見上げた。


 二人の間に流れる沈黙を、耐えられないと言った具合に風が音を立てて通り過ぎていく。


「……あの人達、知り合いなの?」


 ユーリに向き直るリリアに、「ああ」と答えたユーリが壁の外に脚を放りだしたまま、仰向けに転がった。ユーリの目に映るのは、真っ黒な分厚い壁で出来た天井……。その壁に二人の顔が映り込み、ユーリは堪らず目を閉じた。


「旧い、旧い知り合いだ……幼馴染、みたいなもんだな」


 ポツポツと答えるユーリに、「そう」とだけ答えたリリアも、ユーリと同じ様に横になった。






「どんな人達だったの?」


 真っ直ぐに天井を見つめるリリアに、「そうだな……」とユーリが小さく笑って昔の事を話し始めた。


 元々はヒョウやエリカを含めた多くの子どもたちと、幼い頃から施設で育ったこと。

 毎日戦闘訓練や勉学に明け暮れたこと。

 そんな訓練の最中に、ヒョウ達と仲良くなっていったこと。

 気がつけば、いつも決まったメンバーで行動していたこと。

 辛い日々だったが、彼らがいたから乗り越えられたこと。

 幼馴染と言うより家族に近い存在だったこと。


「赤髪の女がいたろ?」

「うん」


 頷くリリアに「エリカっつーんだけどよ…」とユーリが続ける。


「エリカは元々引っ込み思案の泣き虫でよ……」


 そう笑ったユーリが続ける。


「ガキの頃に、訓練が上手くいかなくて……アイツは一人毎日居残りしてたんだ」


 微笑みながら話すユーリに、リリアは「うん、うん。それで?」と同じ様に笑みを浮かべて話を聞く。


「しゃーねぇから付き合って訓練してたら、妙に懐かれてな」


 懐かしさに頬を緩めるユーリが、「そういやその頃ヒョウとも仲良くなったんだよな」と、言いながらゲートから一枚の写真を取り出した。それは、以前ヒョウに貰った画像データを写真に変えたもの……。


「ほらこれ……」


 そう言って隣で寝転ぶリリアにユーリが写真を見せる。


「これ……ユーリ? 可愛いーじゃん!」


 笑うリリアに、「うっせ、大昔の写真だよ」とユーリが口を尖らせた。


 二人仲良く寝転がり、写真の端々をユーリの右手、リリアの左手がそれぞれ持つ――


「これがトーマ」

「うわ……すっごいイケメン」


 リリアの言葉に、「俺の次くらいにな」とユーリが顔を顰めた。


「妬いてる?」

「妬いてねぇ」


 二人の上げる笑い声が、切り取られた壁の中で反響する。


「トーマは最初いけ好かなくてよ。いっつも女を沢山引き連れてたんだ」


 ユーリの言葉に「あー想像できる」とリリアが微笑んだ。


「ハーレム主人公って呼んだら、殴りかかってきやがってよ……んで、気がついたら仲良くなってた」


 下がったユーリの眦に、リリアも嬉しそうに「ユーリらしいね」と微笑みを返す。


「真面目で、俺とは正反対なんだけどよ……何か気が合うんだよな。あとイジり甲斐がある……そういう意味ではエレナとかクロエ、あとはゲオルグのオッサンに似てるな。アイツら真面目だけどイジるとバカ面白おもしれーだろ?」


 笑うユーリに、やれやれと呆れた顔をリリアは返した。


「で、これは知ってるよな。ヒョウ」


 ユーリが指したのは、今よりも若いヒョウだ。髪色こそ変わっていないが、今より長い髪の毛も中々に似合っている。普段はヘラヘラと人を食ったような態度だが、こうして黙っていると中々に美形だ。


「ヒョウも最初は暗いヤローでさ。でも話したらめちゃくちゃ面白おもしれーの。面白おもしれーから毎日話してたら、気がついたら親友になってた。あと頭がいい。ああ見えて頭が良い……勉学は常にトップ。あ、トーマも頭良い」


 そう言いながら「解せん」とギリギリ奥歯を鳴らすユーリに、リリアはフフッと笑みをこぼした。あえて「ユーリはどうだったの?」と聞かないのはリリアの優しださろう。


「んで、これがタマモン」

「タマモン?」

「そ、タマモン」


 本当は違う名前なのだろう、とリリアは怪訝な表情を返すのだがユーリは断固としてタマモン呼びを改めない。


「タマモンは女版トーマだな」


 一人うんうん頷くユーリに、「確かに凄い美人」とリリアも納得したように頷いた。


「男子の人気はスゲーけど、女子の人気は全然でよ。すっげー真面目で、頭もよくて。でも最初はツンケンしてて可愛げがなかったんだよ」


「へー。そうなんだ」


 写真で微笑むタマモの姿に、リリアはとっつきにくさを感じられていない。


「ヒョウとは違う、天才ってやつ? 勉学は何もしなくても全部できるから免除。そりゃ同年代のガキなんか相手に出来ねーわな」


 苦笑いを浮かべたユーリが「チートだぜ、本物の」と肩を竦めた。


「でも実は本人が一番可愛げがないのを気にしててよ……。ある日隠れて泣いてるの見ちまったんだ」


 困ったような笑顔のユーリに、リリアは昔からそうだったのだと少しだけ嬉しくなった。ぶっきらぼうで、口は悪いが困っている人間を放っとけない、何だかんだでお人好しなのだ。


「どうしたんだ、って聞いたら。『なんでもない。馬鹿には解決できない』って言いやがって」


 そう言いながらも楽しげなユーリに「それで?」とリリアが続きを促した。


「で、可愛げがねーな、って言ったら『気にしてたのに』ってまた泣き出してよ」


 デリカシーのないところも変わっていないな、と思ったリリアだが、そこもあえて口には出さないでいた。


「可愛げがないを気にして泣くなら可愛いじゃねーか、って言ったんだけど納得しなくてな……で、仕方ねぇからタマモンって呼んでやる事にしたんだ。可愛いだろ? マスコットみたいで」


 リリアに視線を向けるユーリに、「うーん……」とリリアは納得しかねるような声を返した。そもそも可愛げがない、態度とかの問題を名前一つで改善出来るはずはない。しかも仕方がないからと、女性を「タマモン」呼びはどうなのだろう、と言いたいところだろうが、本人たちが納得しているのならいいのかもしれない。


「ちなみにタマモンとトーマは付き合ってるぞ」

「えー! 美男美女カップル!」


 分かりやすく食いつくリリアに「女子だな」とユーリが再び苦笑いを浮かべた。


「で、これがエリカ。さっき話したやつな。俺の一個下だ」


 ユーリが指をさしたのは、今とは違う黒髪のエリカだ。長くつややかな黒髪と、芯の強さが見て取れる瞳。タマモとは系統が違うが、エリカも十分美人だ。ユーリの隣に立つ彼女の顔は、自信に満ちあふれて見える。


「泣き虫だったくせに、俺のあとをチョロチョロついてきたせいでよ……」


 リリアの脳裏に、小さなユーリとその後を続くエリカが見える。


「口は悪くなるし、喧嘩っ早くなるし……育て方を間違えたかもしれん」


 かもしれない、じゃなくて間違えてる。リリアのジト目に気づかないユーリが、「多感な時期だったし、仕方ねぇよな」と時代のせいにしている。


「こいつが……リンコ」


 エリカとは逆隣に立つのは、黒髪をポニーテールにした小柄の女性だ。ユーリの腕に自分の腕を絡ませピースサインを見せるリンコに、リリアは若干の嫉妬を覚えている。


「リンコは、開口一番『君、裏表がないね』って言ってきて、気がついたら仲良くなってた奴だな」


 もっと言えば、一番最初に仲良くなったのがリンコでもある。リンコ、ヒョウ、エリカと続くが、その辺は数日しか差がないので特に言う必要はないだろう。とユーリは写真の中のリンコに微笑みを返した。


「こいつは、いっつも『誰々にフラレた』だの、『誰々を誘おうと思う』だの言ってくんだよ……しかも俺が追試受けてる時に」


 口を尖らせるユーリに、リリアは思わず「それって……かけてきてない?」と言いそうになるが、それを思い切り飲み込んだ。男性の前であえて別の男の名前を出し、相手の反応を伺う……


 もちろんリリアはリンコが心を読めるなどと知らない。知らないが、ユーリに絡ませた腕、と屈託のない笑顔……それを見たリリアは、純真そうな顔をして中々の策士だ、笑顔のリンコを見ていた視線をそっとユーリに移した。


「何かってーと祭りだなんだって、俺らを巻き込むムードメーカーだったよ」


 ……優しげに微笑むユーリは恐らくリンコの思いに気づいていないだろう。苦労したのだな、とリリアは若干の親近感を持って、もう一度リンコへ視線を戻した。


「そしてシンとスズ。どっちも俺の四つくらい下……だったかな。この写真は俺達が十八の時だから、まだ十四か……ちっせぇな」


 微笑むユーリが指差すのは、背の低い男女だ。短い黒髪で活発そうな男の子と、おかっぱ頭の大人しそうな眼鏡の女の子。


「シンはで、よくエリカとリンコのスカートを捲ってたな」

「す、スカートを?」

「おう。でもタマモンに一回やったら、本気で殺されかけて……それ以降はタマモンだけには、スカートめくりはしなかったな」


 そういう問題じゃないのでは……と驚くリリアに、


「大変だったんだぞ。大魔神タマモンを止めるの」


 と苦笑いでタマモを指差すユーリだが、それは怒られても仕方がない、とリリアはタマモに同情的だ。


「スカート捲りは女子の敵よ?」


 眉を寄せるリリアに「エリカが同じ事言って、拳骨食らわしてたよ」とユーリが笑う。


「エリカの弟子、みたいな奴だ」


 笑顔のユーリの言う通り、シンと呼ばれた少年の肩にエリカが腕を回している。可愛がっていたのだろう事は、この写真一枚でも良く分かる。


「スズはな……こんな見た目してるけど、戦闘の才能はピカ一だったんだぜ?」


 写真の隅で微笑みを浮かべる少女に、ユーリの言葉を裏付けるような要素は一つもない。それでもユーリがそう言うのであれば間違いはないのだろう。


「いわゆる天才って奴だな。最初戦った時なんて、手も足も出ずにやられたからな」


 笑顔のユーリにリリアは信じられない物をみるように、もう一度写真の中の少女を見た。あのユーリが手も足も出ない……ますます想像できないが、そう言われると眼鏡の奥に光る瞳に、静かな闘志を感じるから不思議だ。


「多分俺が一番スズと戦ってるな。戦闘は鬼強なんだけど、普段は裁縫が得意な女の子でさ」


 それは何となく想像が出来る、とリリアはもう一度写真の中のスズを見つめた。大人しそうな少女は、この強烈なメンバーの中でも微笑んでるのだ。


 彼女にとっても居心地の良い場所だったのだろう。


「よくボタンとか縫ってもらってたな……『また取れたら来てね、ユーリにぃ』って言ってくれるんだよ」


 笑ったユーリが「ほんと……懐かしいな」と小さく呟いた。


 訪れた沈黙に、二人して写真を見つめ続けることしばらく……リリアが異変に気がついた。写真が、いやそれを持つユーリの右手が。それに気が付き、横に視線を向ければ、瞳に映ったのは泣き笑いのような表情で写真を見つめるユーリの顔だ。


「皆……良いやつで、面白くて、仲が良くて、喧嘩することもあったけど……」


 溢れるユーリの感情に「うん、うん」とリリアも感情を抑えるように、ただただ頷いた。


「すぐに仲直りして……だって皆いいやつだから……毎日笑って、クソみたいな事ばっかでもアイツらがいたから……なのに……なのに何で――」


 思わず、ユーリがその左手で目元を覆った。それでも隠しきれない感情の粒が、ユーリの手をすり抜け、蟀谷を伝っていく。初めて見たユーリの涙に、リリアは息を飲みそしてゆっくりとその身体を抱きしめた。


 寝転がったまま抱きしめる……少し歪な形だが、ただただリリアは黙ってユーリを抱きしめ続けた。写真を持つユーリの右手がプルプルと震えても、時折鼻をすする音が聞こえても、リリアはただ黙ってユーリの感情が落ち着くまで優しく抱きしめた。





 街の喧騒は変わらず、吹き抜ける風の温度がだいぶ上がってきた頃、ようやくユーリの感情が落ち着いたように、「悪い」と小さく呟いてリリアの腕の中で顔を上げた。


「ごめんなさい……私じゃ何もしてあげられない」


 悲しげな笑顔を見せるリリアだが、ユーリはそれに黙って首を振る。


「いや、お前が受け止めてくれたお陰で踏ん切りがついた。ありがとう」


 泣き笑いのようなユーリの顔に、リリアの鼻の奥がツンとなる。それでも涙は流せない。ここで泣くのは違う。ここで泣いては駄目だ、とリリアは無理やり笑顔を作ってみせた。


「少しはユーリに返せたかしら?」


 リリアの笑顔にユーリも大きく頷いて


「十分すぎるほどだ」


 と今度こそいつもの笑顔を浮かべて見せた。


 ゆっくりとリリアから離れたユーリが立ち上がる。


「行くの?」

「ああ。話さねえと……だしな」


 苦笑いのユーリに「うん」とリリアが頷いた時、ユーリがリリアに右手を差し出した。その行為に怪訝な表情を浮かべたリリアだが「お前も」とユーリに言われて初めて、自分も連れて行ってもらえるのだ、と分かったのだ。


「いいの?」

「良いも悪いも、お前にも聞いてもらいたい事が残ってるからな」


 その言葉に「うん」とだけ答えてリリアが立ち上がる。


「んじゃ、掴まっとけよ」


 リリアを抱えたユーリが鉄柵から飛び出した。プレートから落ちる陽の光を浴びた二人が宙を駆ける。一歩ずつ前に――

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