第193話 立ち塞がる過去
燃え上がるプラハの街を背後に、ヒョウとトーマと呼ばれた男性が黙ったまま見つめ合う。二人の間に流れる沈黙だが、相手の言葉を待つようなお互いに気遣いあったものだ。
戦場のド真ん中に流れる優しげな空気に、クロエが目を白黒して二人を見比べている。
「生きとったん……やな」
微笑んだヒョウが「ユーリ君と二人でお墓まで作ったんに」と笑顔を自嘲気味なものに変えた。
「ユーリも生きてたのか?」
「アレは殺しても死なへんやん」
驚くトーマを前にヒョウが笑顔で肩を竦め、トーマが「確かにな」と誰もが目を奪われる程の笑顔を見せた。
「墓なら俺達も作ったんだが――」
笑顔のトーマが語ったお墓の場所に、ヒョウが怪訝な顔を見せた。なんせそこはヒョウとユーリが作った墓と同じ場所なのだ。ユーリとヒョウが作ったのは人数分の石を並べた簡易的なお墓。そしてトーマ達も同じ場所に同じ様に石を並べたと言うのだ。
「なるほど。多分やけど、気ぃ付いたタイミングが違ったんやな」
ヒョウ達が事故から目覚めたタイミングと、トーマ達が目覚めたタイミングが違い、何らかの影響でどちらかが先に作ったお墓が崩れ、後からどちらかが作り直したのだろう。
「俺達は近くにあった石を使ったから……」
「ほな、僕らが先やな。エエ感じの石探してウロウロしたさかい」
肩をすくめるヒョウに、「苦労かけたな」とトーマが微笑んだ。
「墓石探しはどうでもエエねんけど……僕らとトーマ君とじゃ、人数が違うやん?」
眉を寄せるヒョウの疑問はもっともだ。ユーリとヒョウ。トーマと残り二人。二人と三人では、墓石の数が合わないのだが、ヒョウが以前墓参りに行った時には、ちゃんと同じ数の墓石があったのにも関わらず、である。
分からない、といった表情のヒョウに、トーマが「ああそれか」と小さく笑って続ける。
「一つは俺の分だ。あの日、あの時、
「何やそれ。クソダサい儀式のせいで、ややこしなっとるやん」
盛大に眉を寄せるヒョウに、「クソダサいは辛辣だな」とトーマがお腹を抑えて笑い声を上げた。
二人して一頻り笑いあったあと、ヒョウが表情を引き締めて口を開いた。
「んで? トーマ君はこんな所で何してるん?」
聞かずとも分かっている事だが、ヒョウとしては聞かずにはいられないのだろう。出来たらただの勘違いであって欲しい……たまたまここに居て、たまたまクロエと切り結んでいただけだと……。
そしてその思いは――斬り裂かれる事になる。
「世界に復讐を……な」
トーマがクロエを振り返り、その刀を振り下ろした――暗闇を切り裂くような金属音と、いつの間にかクロエの前に現れたヒョウの背中。その二つで、クロエはようやくヒョウが防いでくれたのだと気づいた。
トーマの刃を受け止めたヒョウの顔色は優れない。心の底から溢れた小さな小さな願いは、トーマの振り下ろされた刀で斬り裂かれたのだ。
「どいてくれ、ヒョウ」
トーマの瞳に宿る深淵に、ヒョウは小さく溜息をついた。
「そりゃ無理や。この娘はユーリ君のハーレムパーティの一員やさかい」
あえてケラケラと笑うヒョウに、トーマの瞳の奥で再び感情が揺れ動く。
「……あのユーリがハーレム?」
困惑しながらも、興味深そうな顔を見せるトーマに「せやで」とヒョウが努めて明るく振る舞う。
「見ものやし、こないな事辞めて、僕と一緒にからかいに行こうや」
笑顔を見せるヒョウの前で、トーマの瞳が僅かに揺らぎ……それを再び深淵が覆い尽くした。
「楽しそうだが……俺はこの復讐を完遂させる。それが俺が俺である為に必要な事だ」
昏く深いトーマの瞳に、ヒョウは深い悲しみと怒りを感じている。だがそれに同調するわけにはいかない、と敢えてトーマに復讐を見つめ直させるように、呆れた表情を浮かべてみせた。
「復讐って……あん時転がっとったトーマ君達そっくりの死体と関係あるん?」
呆れた表情のヒョウに、トーマの眉がピクリと動く。
「……知らないのか? こいつらが俺達にしてきた事を――」
「僕らにしてきたこと……?」
ヒョウが首を傾げるが、トーマはそれを気にせず更に続ける。
「凛子が、真が、鈴が……どんな思いで死んでいったか……どんな思いで俺達が殺したか」
トーマの瞳に浮かんだ感情が炎に揺れる。正直ヒョウには何を言っているか、全く分からない。ただ分かったのは――
「何でトーマ君が、リンちゃん達を殺すねん」
二人の間に季節外れの冷たい風が流れた。
☆☆☆
「エリカ……」
呟いたユーリがエリーもといエリカに近づく。
「……お前何だよその頭!」
ユーリが満面の笑みで、エリカの頭をワシワシと撫でれば、「止めろよ」とエリカが頬を赤らめてその手を振り払った。
「いつまでも子供扱いしてんじゃねーよ」
頬を膨らませるエリカが、「これでも二十二だぞ」とブツブツ言いながら顔を赤らめて頭を擦っている。ユーリの感触を思い出すように、ユーリの存在を感じるように、そんなエリカの表情と仕草に……気付けないのがユーリという男だ。
「ンな怒んなよ」
呆れ顔のユーリに、「怒ってねーし」とエリカが口を尖らせた。ユーリとしては、「いや怒ってんじゃねぇか」とでも言いたいところだが、これ以上は水掛け論になる、と口元まで出かかった言葉を溜息に変えて吐き出した。
「元気にしてたか?」
変わりに紡いだ優しげなユーリの言葉に、エリカが黙ったまま小さく頷いた。
「マモ
「隊長……? トーマも生きてんのかよ!」
ユーリが驚いた声を上げたその時、門の外からカラコロと下駄を鳴らす音が響いてきた。
「エリーちゃんー。戦姫の娘はー、ウチらの悲願にー――」
現れたマモがユーリを見て固まった。いつも余裕そうな笑顔を称えたその表情は、驚きに彩られ、元々大きかった瞳は落ちそうなほど大きく見開かれている。
「……タマモン」
「その呼び方はー、やっぱりー聞かん坊のユーリくんやなー」
マモの見せた満面の笑みに、その場に居た多くの人間がその瞳と心を奪われている。
「ビックリやけどー、ユーリくんならー殺しても生きてそうやしー、納得やわー」
袖で口元を抑えてコロコロと上品に笑うマモに、「どういう事だよ」とユーリが眉を寄せながらも笑顔を返している。
「俺だけじゃなくてヒョウも生きてるからな」
大きく溜息をついたユーリに、エリカとマモが再び驚いた表情をみせた。
「フクチョーも生きてんのかよ!」
エリカの声が壁の中に響き渡る……気づけばリリアの歌も止んでいるようで、その場の全員がユーリ達のやりとりを遠巻きに見ていた。
「【情報屋】って聞いたことねぇか?」
ユーリの言葉にエリカとマモが顔を見合わせ、納得したように頷いた。
「フクチョーに匹敵する……ってか」
「本人やんー」
顔を見合わせ笑う二人に、ユーリは何いってんだと言いたげな表情を見せているが、盛り上がる女子二人に突っ込むだけの勇気は持ち合わせていない。暫し姦しく盛り上がる二人を懐かしそうに見つめていた。
しばし懐かしさに目を細めていたユーリだが、目の端に映る惨状の跡に一瞬だけ目を瞑った。それらを視界の外に追いやり、楽しそうに笑う二人だけを瞳の中に――
「んで、お前らこんな所で何してんだよ?」
「ユーリ……」
エリカ達に笑いかけるユーリの背中に、エレナが小さく声をかけた。それにチラリと振り返ったユーリが、思い出したように「お。そうだ」と手をポンと打った。
「こいつ、エレナって言うんだけどよ。まあまあ強くて、ヒョウの弟子で……」
「ユーリ……」
ユーリがエレナの手を引っ張るが、エレナがその手を振りほどいた。
「ちょっと恥ずかしがり屋でよ……でも意外に良いやつで。多分エリカとも気が合うと思うんだ」
再びエレナの手を掴むユーリだが、エレナがそれを再度振りほどき――
「ユーリ! 彼女たちは――」
「うるせぇ! ちっと黙ってろ……」
声を震わせるユーリの怒声に、エレナの肩が思わず跳ねた。
「エリカ……タマモン……お前ら、何やってんだよ」
泣き笑いのような顔を浮かべるユーリから、エリカが唇を噛み締めながら顔を逸らし、マモも沈痛な表情を一瞬だけ見せ表情を消した。
「なんで……何でお前らが」
言葉に詰まるユーリが、エリカの両肩をガッシリと掴んだ。
「お前、その能力のこと嫌がってたじゃねぇか! それに【八咫烏】も――」
「復讐だよ」
小さく呟いたエリカは、ユーリと視線を合わせない。ただユーリの「は?」という間の抜けた声が壁内に響くだけで、誰も彼も三人の様子を遠巻きに見るしか出来ないでいる。
「復讐ってなんだよ……シンとスズの力を使って……こんなもの生み出して」
ユーリが倒れるトアを指さしながら声を荒げ、エリカとマモを見比べた。唇を噛み締め続けるエリカは肩を震わせ、表情を消したマモでさえユーリの言葉を受け止められないように、僅かに視線を伏せた。
「リンコの力も……お前ら、何考えて――」
「何考えて? ……ユーリ
顔を上げたエリカが、その瞳を僅かに潤ませた。
「こんな所で、こんな奴らとヘラヘラ生きやがって……」
ユーリの腕を振りほどいたエリカが、涙目のまま声を荒げて続ける。
「サトリンが……あのサトリンが、なんて言って死んでいったか知ってのかよ!」
エリカの荒げた声が壁に反響して響いた頃、ユーリの脳内で誰かの声がする。
――セカイに……ワタシをこんな目ニ合わセたセカイに――
……男とも女ともつかない……声の記憶を探れば、夜の屋上に立つ崩壊しかけた男の姿が浮かび上がった。
「世界に……私をこんな目に合わせた世界に……」
気付いた時には聞こえてきた言葉を、思わず呟いていた。あの時、奪還祭前の屋上で対峙した心を読む男。あの男が死ぬ間際に残した言葉を、思わず呟いたユーリの目の前でエリカの顔が驚きに染まっていく。
「知ってんのかよ……」
「いや、違う。これは――」
慌てて否定するように首を振るユーリだが、エリカがその涙目を細めてユーリと距離を取った。
「知っててこんな所でヘラヘラしてんのかよ!」
涙目のエリカに、ユーリは思わず言葉を飲み込んだ。エリカの震える肩に、握りしめられた拳に、有無を言わさぬ怒りが滲んでいる。
「あの優しかったサトリンが、世界を恨んだまま死んでいったんだぞ……いや、オレが殺した。殺すしかなったんだ! その気持ちがアンタに分かんのかよ!」
エリカの紡ぐ言葉でユーリは大混乱だ。覚えているのは、優しく誰にでも笑顔を振りまくリンコの姿。そのリンコが世界を恨み、そして何故かエリカがリンコを殺したという。
何がなんだかわからない状況に、ただただ混乱するユーリを前にエリカが瞳に溜まった感情を乱暴に拭い棄てた。
「だからオレは止まらない……オレは皆の意思を継ぐ必要があるんだ」
ユーリを睨みつけるエリカに、ユーリは混乱で働かない頭を掻きむしって「あ゛ーー!」と大きな声を張り上げた。
「意味が分かんねぇ……訳が分かんねぇ……リンコの事も、お前の言ってる事も……」
呟きながら腰を落とすユーリを前に、エリカが目を見開いた。ユーリの姿勢はつまりエリカと一戦交えるという意思表示なのだ。
「分かんねぇが……お前らにこれ以上、バカはさせられねぇ」
エリカを倒して情報を聞き出す。何ともユーリらしい乱暴な方法だが、その選択肢こそユーリの証左だ、とエリカも表情を引き締めた。
「とりあえず、色々話してもらうぞ」
構えを取るユーリに、エリカも「上等だよ」とゆっくりと腰を落として構えを取った。右手右足前の全く同じ構え。
いつの間にか雨も止み……二人の間を湿った空気が吹き抜けた――
「ストップやー」
――風とともに間に入り込んだマモが、両手を広げて二人を牽制する。
「退いとけタマモン」
「……マモ
マモを睨みつける二人だが、マモは二人の殺気など軽く受け流してエリカに真っ直ぐ向き直った。
「時間切れやー。隊長はんがー、目的は達したーって言うてるさかいー」
マモの言葉にエリカが眉を寄せるが、開きかけた口を一気に距離を詰めたマモの人差し指が止めた。
「あっちはー副長はんと引き分けてー、怪我しとるさかいー」
首を振ったマモに、エリカが「チッ」と舌打ちをもらして大きく息を吐き出した。霧散する闘気は、退くことに同意したという意思表示だろう。
「ユーリくんーゴメンやでー。また今度、話そなー」
振り返り手を振ったマモに、「逃げられると思ってんのか?」とユーリが睨みつけた。それを笑顔で流すマモが、柏手のように両手を打ち鳴らした。
――パン
と乾いた音が響けば、マモとエリカ、そして満身創痍のトアと片腕を無くしたリクが宙へ浮かび上がる。何も無いのに宙に浮く四人を前に、その場に居た全員が驚きの声を上げる中、エリカが空中からユーリたちを睨みつけた。
「改めて名乗っとくぜ」
エリカの瞳に映るのは、怒りと悲しみと……少しの――
「対異形特殊部隊【八咫烏】が第四席、天童 恵梨香だ」
――浮かんだ感情を振り払うような声は、大きくもないのに全員の腹と鼓膜をビリビリと揺らした。
「同じくー対異形特殊部隊【八咫烏】が第三席ー、九重 玉藻いいますー。よしなにー」
艶やかに笑ったマモことタマモが右手を上げれば、巨大な雷がプレートを焼き切って四人全員を包みこみこんだ。地面を穿ち、アスファルトを捲り上げた一撃は、本当に一瞬……青白く輝いた雷が去った頃には、そこにはプレートに開いた大穴と、焼き爛れた地面以外何も残っていなかった。
プレートに開いた大穴から、暮れ始めた空が見える。まだ少し青の残る空に、そして一先ず去った危機に、徐々に回りが喜びに包まれていく。
……復讐だよ
皆の喜びはただ遠く、ユーリの脳裏には、エリカが呟いた言葉がいつまでも響いていた。
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