第192話 様式美かな、と思います
ユーリがトアを追いかけている頃――
「おかしいな……何か調子が悪いみたいだ」
エレナに相対するリクは首を傾げていた。その言葉の真意は、今のエレナには半分ほどしか理解出来ていない。リリアの歌の力は知らないが、サイラスの言っていた「モンスターを弱体化させるフィールド」が、目の前で両腕を刃に変えているホムンクルスにも有効なのだ、という半分ほどの理解。
つまり相手が外部要因で弱体化している……と気づかれる前に倒さねばならない。
「ダンテ! 皆をこいつから遠ざけてくれ!」
リクを睨みつけるエレナが叫んだ。自分とリクの周囲には、幻術にやられているのだろう目が虚ろな人々がまだ転がったままなのだ。
「半径十メートル……と言ったところか」
呟くエレナに「ふぅん?」とリクが面白くなさそうに声を漏らした。
「普段はもっと広いんだけどね」
眉を寄せるリクに、エレナはユーリを真似するような笑顔を向けた。
「戦場に出てきて『普段はどう』などと……」
あえてユーリのように鼻で笑うエレナに、リクの眉がピクリと動いた。
「能力は凄いが、使い手は三流のようだな」
挑発を残し、一気に間合いを詰めたエレナが踏み込みむ。
エレナの左薙ぎをリクが後方宙返り。
宙を浮くリクへ、斬撃の勢いで回転したエレナの右後ろ回し蹴り。
スカートの裾を翻す脚がリクの側面を捉えた。
防御する刃などお構いなし。
強化繊維のブーツがリクに減り込み吹き飛ばす。
吹き飛び、モンスターの死骸に突っ込んだリクをエレナが追う――その途中で何かに気付いたように、エレナがバックステップに切り替えて距離を取った。
距離を開けたエレナが自分の刃で掌を斬る。
滴る血にエレナの瞳にハイライトが戻った。
「……ビックリ。力技で幻術を解くんだ」
モンスターの死骸を押しのけ、起き上がったリクが腕の様子を確認するように、二度三度曲げては伸ばす。
「生憎と幻術を切り裂く程の腕はないからな」
起き上がってきたリクに笑顔を見せるエレナが、僅かに斬れた自分の掌を隠すように握りしめた。リクの言う通り力技だ。自傷の痛みで幻術を解く……幻術のおこりはヒョウから色々聞いている。
わずかな違和感。匂い、風、音、感触、ごく小さな物ばかりだ。それでも意識していれば、知っていれば「かけられた」という感覚くらいは分かる。
だが、ヒョウのように相手の幻術を斬り裂く事など出来ない。だから自分にダメージを与えて正気に戻す他ないのだ。
「分かってても中々出来ないよね……でも、いつまで出来るかな?」
傷を抑えるように掌を握りしめるエレナを前に、リクがニヤリと笑う。自身を傷つける以上、確実にダメージは増えるのだ。それが浅い傷だとしても……幻術にかけるだけで、勝手に傷ついてくれる。ならばリクはエレナを幻術にかけるだけでいい。
そう言いたげなリクの笑顔にエレナも笑顔を返した。
「残念ながら――」
エレナが握っていた掌を開くと
「――治療は得意分野なんだ」
血こそついているものの、傷のない綺麗な掌が現れた。
一瞬強張るリクの表情を、エレナは見逃さない。
弾ける地面。
消えたエレナは一瞬でリクの前に――
振りかぶられた刀。
地面を穿つ踏み込みが、加速の力を全て振り下ろされる刀へ。
音を置き去りに振り下ろされた一閃に、リクは堪らずサイドステップで緊急回避。
僅かに遅れたリクの右腕が吹き飛んだ。
「チッ――」
肩を押さえたリクが、ステップで距離を取る。
それを逃さんとエレナの左足が再び地面を蹴った。
リクに迫るエレナ……の瞳からハイライトが消えかける――が、エレナが唇を噛んでそれを阻止。
唇を癒やしつつ脇構えに構えた刀を――
「終わりだ」
――踏み込みと同時に右切り上げ。
周囲に木霊する甲高い金属音。リクの左斜めから右肩へかけて両断……するはずの一閃は途中で止まり、今も金属がすれるような耳障りな音を立て続けている。
「よぉ。久しぶりだな……戦姫のネーチャン」
エレナの一撃を止めた主、リクとエレナの間に割って入ったのは、燃え上がるような髪を持ち、諸肌脱ぎの巫女服を身にまとったエリーだ。
「……貴様!」
エリーの姿に、エレナの顔が分かりやすく強張った。
「ンな顔すんなよ。嬉しくなっちまうじゃねー……かっ!」
獰猛な笑みを見せたエリーが、左の手甲でエレナの刃を弾くと同時に、左膝をエレナの腹に叩き込んだ。
衝撃の瞬間バックステップで逃れたエレナだが、走る僅かな痛みに腹を擦る。一時の油断もしないように、とエリーを睨みつけるエレナの視線の先では、当の本人が隙だらけの格好で、後ろを振り返っている。
「なぁんだ、リク? だらしねーな」
「ゴメン、師匠。なんか調子悪くて」
塩らしいリクに小さく溜息をついたエリーが、「とりあえずマモ
なんせ今もリクを見送る隙だらけのエリーの背中に、言い知れぬ圧力を感じているのだ。どう見ても隙だらけなのに、一瞬でも気を抜けば即座に殺されてしまいそうな……そんな圧力にエレナは思わず生唾を飲み込んだ。
……自分の実力が上がったからこそより分かる。目の前にいる女の異常性というものが。
「さて……と」
エレナの気持ちを知ってか知らずか、振り返ったエリーが周囲を見渡して大きなため息をついた。
「ほぼ壊滅じゃねーか」
エリーの言う通り、モンスターの群れはほとんど沈黙。既に勝負は決したように、今は掃討作戦に移行している段階と言ってもいいかもしれない。
「にしてもこの歌声はなんだ? なんつーか響くな……色々と」
周囲を見渡すエリーが「まあいいか」と首を鳴らして、エレナに向かい合った。
「オレが全員殺して、もっかいモンスター連れてきたら……いいだけだよな」
エリーの全身から吹き出す殺気に、エレナの刀を握る手に力が入る。
「今日は手加減してやらね……ん?」
何かに気がついたエリーが、眉を寄せてエレナの手元を見た。
「お前……何で刀?」
「少々縁があってな……」
わずかに霧散したエリーの殺気を前に、エレナは心を落ち着けるように大きく息を吐き出して刀を鞘に納めた。
左足を引きながらゆっくりと腰を落とす。
半身になった状態で左手を柄と鍔にかける。
右手は力を入れずに体の前に――
「その構え……」
「貴様相手に小細工は通用しないだろう。今の私の出せる全力の技だ」
大きく深呼吸をするエレナ……の目の前で「舐めてんのか?」呟いたエリーの肩がワナワナと震える。怒りに打ち震えるようなその態度に、エレナが僅かに眉を寄せた。
「舐めてなどない。全力だ。貴様を最大限警戒しているから――」
「うるせー……」
エレナの言葉を遮るのは、小さなエリーの呟きだ。エレナ同様ゆっくりと腰を落としていくエリーの闘気が膨れ上がる。先程の比ではないそれは、恐らく彼女の本気なのだろう。
ピリピリと肌に感じる圧力に、思わずエレナの頬を冷汗が伝う。
「オレを前にその構え……跡形もなく消し飛ばしてや――」
怒りに震えるエリーの真横を何かが通過して壁に激突した。あまりにも一瞬の出来事は、大きな音と、水しぶきを蒔き散らし、全員の意識を一瞬停止させた。
エリーも、エレナも、今だけは飛んできた何かを確認するようにそちらに目を向け――
「おい、トア! 大丈夫かよ!」
吹き飛んできたのは、先程ユーリが追いかけていた女だ。腕が千切れ、全身を強く打った女はエリーに抱きかかえられて口から血を吐き出した。
「トア――」
「ししょー! 何で、何であんなやつがいるんだよ! 死んだって言ってたじゃん!」
口から血を吐き出し、目に涙を浮かべるトアに「何が――?」とエリーが眉を寄せた瞬間、地面を揺らす勢いで再び何かが飛び込んできた。
泥と水しぶきを撒き散らし、不敵な笑みをたたえた――
「よぉ。会いたかったぜ……やたが…ら……す?」
――ユーリの語尾がすぼんでいき……
「え?」
「は?」
振り返ったエリーと、ユーリが見つめ合う事しばらく……
「お前……エリカか?」
「うそ……ユーリ…兄ぃ……?」
……呆けた二人の言葉が静かに響き渡った。
「「何で生きてんの?」」
同時に呟かれた言葉もまた――
☆☆☆
ウィーン襲撃の報を受けた軍の精鋭たちは、モンスターの大群とそれを率いる人型を追っていた。奴らはウィーン周辺へと散っていった、との情報が示す通り
ブルノ
グラーツ
といった中規模都市は既に落とされ、再び大群が集結したプラハにて、ようやく軍は相手を追い詰めた……はずだった。
「……バケモノだ」
剣を握り、ガタガタと震える軍人の前には、一振りの刀を抜いた【八咫烏】の隊長。彼の周りには、数え切れない程の軍人の亡骸が積み重なっている。
暗雲に包まれたプラハは、雨こそ降っていないが夜中と間違うほどの暗さに包まれていた。訪れた夜の暗さは、仲間の死体とともに男に軍人に絶望としてのしかかっていた。
「この程度か……俺達をあんな目に合わせた結果が……この程度とは」
溜息をついた隊長が、右手の刀を薙ぐ――「ヒッ」――思わず目を瞑った軍人だが、訪れたのは痛みではなく耳を突く甲高い金属音だった。
「貴様が首謀者だな!」
響く凛とした声に軍人が目を開ければ、目の前には赤橙の髪を翻すクロエの姿があった。
「しょ、少佐!」
「こいつは私が相手をする。貴様は民間人の避難を手伝え!」
振り返らずに叫ぶクロエに、「りょ、了解であります!」と軍人が一目散に駆けていく。
隊長の刀を押し返したクロエが、「行くぞ!」とその髪をチリチリと発光させて剣から巨大な炎を吹き出した。うねる炎が隊長を飲み込まんと襲いかかる――
「なるほど……貴様が【火焔の剣姫】か」
呟いた隊長が手をかざせば、巨大な水の壁が出現して炎を掻き消した。相性の悪さにクロエが眉を顰めたその時――
「返すぞ」
隊長の掌から巨大な炎球がクロエに向けて放たれた。水と火、相反する属性を使う隊長にクロエの顔が強張るが、炎ならばお手の物、とそれら全てを掌で受け止め霧散させる。
「フム……やはり炎では駄目か」
言葉とは裏腹に楽しそうに笑う隊長が、「ならば――」と手をかざす……とクロエ目掛けて風の刃が襲いかかった。文字通り風を切って襲ってくる刃に、クロエは剣をその場で振り回す。辺りに響く甲高い音に、隊長は満足したように「次だ」と笑顔を見せる。
完全に遊ばれている。そんな状況にクロエが奥歯を噛みしめるが、視界の端に次の攻撃の予兆が現れた。クロエの周囲に発生した無数の霜――それらが一瞬で
「舐めるな!」
クロエが作り出した炎の壁が、全ての
雷に打たれたクロエが、倒れ込むように隊長の前に跪く……。
「…グッ」
クロエの口からもれた声に、「ほう、これを耐えるか」と隊長が嬉しそうに口角を上げる。
「見習い隊員くらいの実力はありそうだ」
納得したように頷く隊長が、それでもゆっくりと刀を振り上げた。
「見込みはある、しかも女だ……なるべく殺したくはないが」
何とか顔を上げたクロエの視線の先で、空が瞬き隊長の顔に暗い影を落とした。
「貴様には業務提携先の人間が、煮え湯を飲まされた、と言っていたからな」
クロエには何を言っているか分からないだろう。まさかサテライトシステムを摘発した事を、自分が所属する組織のトップが良く思っていなかった事など。況や軍のトップが目の前の男と手を結んでいる事をや……である。
光る刀にクロエが自身の終わりを悟ったその時、目の前で男の眉がピクリと動いた。
「……俺達がどうあがいても尻尾を掴めない……お前相手じゃ無理な話だな。」
クロエを無視するように振り返った男の視線の先には、ゆっくりと歩いてくる人影――
「そりゃ、こっちのセリフやで」
あちこちで火の手があがり、燃え始めた街が照らすのは――
「久しぶりだな、ヒョウ」
――悲しそうな男の顔と、同じ様に悲しげなヒョウの笑顔だ。
「久しぶりや……トーマ君」
燃え上がる街が伸ばす影が、二つ交わることなく大きく伸びていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます