第185話 こいつらほとんど夜しか活動してない気が……

 時は少々遡り、ユーリ達がリリアの力について検証を始めた頃――


「へー。あれがウィーンか」


 遠くに見えるウィーンの街を、手で庇を作ったエリーが眺めていた。

 緋袴を黒いコンバットブーツに突っ込んだ足元。

 諸肌脱ぎにされた裾が擦り切れ白い着物。

 そんな着物の代わりに上半身を覆う、身体にフィットするような黒いインナー。


 両腕に付けられた手甲と、右肩に担がれた野太刀。


 戦う巫女……にも見えなくない格好は、黒いポンチョの中に隠れていた彼女の本当の姿なのだろう。


 真っ赤に燃え上がるような髪と瞳。

 白磁のような肌。

 コンバット巫女服。


 沈み始めた陽を反射する紅白のコントラストは、おめでたい雰囲気など感じさせないような溜息をもらした。


「イスタンブールと見た目変わんねーじゃん」


 げんなりした表情のエリーが「音楽の都って聞いてて期待したのに」と、再び大きな溜息をついて肩を落とした。事実エリーの言う通り、イスタンブールと殆ど見た目に変わらない都市は、旧時代の名残を全く感じさせない。


 唯一イスタンブールと違うのは、都市の周囲に田畑が見られることくらいか。比較的安全な西側であるが故に、都市の周辺に限ってこのような田畑があることは珍しくはない。


「時代やー」


 エリーの肩を叩いたマモが、「実用性重視やさかいー」と更に続ける。こちらもいつもの黒いポンチョ姿とは違う。


 花魁のように両肩の開けた真っ黒な着物。

 動きにくそうに見える巨大な帯。

 真っ白な足袋と真っ赤な鼻緒の黒い下駄。


 およそ戦いには不向きにしか見えないだが、彼女にとってそれが戦闘服なのだろう。


 この時代にそぐわないような民族衣装の二人。その二人が今も


「時代か」

「時代やー」


 と目の前に見える巨大都市を前に溜息をついている。事実二人の言う通り、高い壁に囲まれた二層式の都市も、その周囲に巡らされた田畑も、どれもこれも必要に迫られた結果である。


 とは言えそれを受け入れられるかどうかは別の話であるが。


「つまんねーな」


 首を鳴らしたエリーが立ち上がって、振り返った。



 睨みつける先には、。様々なモンスターがエリーやマモに付き従うかのように、ただ黙ってその場で待機している。


「そないな事言わんのー」


 頬を膨らませたマモが、近くにいる大きな狼の喉を擽る。ゴロゴロと喉を鳴らす狼に「大人ししとったらーかいらしい可愛らしいなー」と、今度はその頭をワシワシと掴む……が――不意に狼の頭が弾けて周囲に血と脳髄が飛び散った。


「うわ、きったねーな!」


 飛び退くエリーの非難の籠もった視線に、マモが汚れていない方の手で頬を抑えて困り顔を浮かべた。


「ごめんなー。思ったより柔かったわー」


 血のついた手を振り払い、人差し指を上に向けてクルクルと回せば、マモの手の上に小さな水球が現れた。それが重力に従うようにマモの手に向けて落下。手についた返り血を洗い流して地面にシミを残して消える。


「次はーどの子をー、よしよししよかー」


 物色するようなマモに、「兵隊を減らすなよ」とエリーがジト目を向ける。


「エエやんかー。どうせー集めるんはー、ウチらのやんー」


 頬を膨らませるマモだがエリーは首を振る。


「アイツらすぎて、結局オレ達がちょこちょこ集めて下につけたんじゃねーか。やり直しとか嫌だぜ?」


 顔を顰めるエリーの視線の先には、モンスターの群れの中にポツポツと姿が見える。誰も彼もが同じ顔で無表情なそれは、およそ普通の人間には見えないが。


「エエやんかー。ちっとくらいー」


 口を尖らせるマモに、「駄目だ」とエリーが首を振って続ける。


「アイツら、オレ達のなんだぞ? 変な仕事増やしたらすぐ使いモンにならなくなるじゃん」


 眉を寄せるエリーに「いけずやわー」とマモが更に口を尖らせた。




 吹き抜ける爽やかな夏の中、「ちっとだけー」「駄目だ」と二人の攻防が暫く続き――諦めたように「もー分かったわー」とマモが呟いた。どうやら折れたようだ。


「でも便利よなー。ウチらだけやとー、流石にこの多さは制御出来ひんさかいー」


 人型に視線を映したマモが、「様々やわー」と微笑んだ。


「オレは嫌だけどな。オレの……自分の能力は好きじゃねーし」


 口を尖らせて再び都市へと視線を戻したエリーが更に続ける。


「少数のモンスターを率いられる……って思い知らされてるみてーでよ」


 エリーの瞳が夕陽を反射し、僅かに潤んだように見えた。吹き抜ける風がエリーやマモの髪を攫っていく。


「人類を……いや滅ぼそうってんだから、今となったらなんだけどな」


 エリーが真っ直ぐウィーンの街を見つめながら苦笑いを浮かべた。自分の能力やマモが、魅了の力を宿したホムンクルス。それらにモンスターを率いさせて都市を襲う。どう見ても人間の所業じゃない作戦に、エリーが「やるんならオレ達だけでやりたかったぜ」と何度目かの大きな溜息をついた。


「必要なことやー。ウチらがー滅ぼすためにはー」


 珍しく真剣な表情をしたマモも、ウィーンの街へと視線を戻した。二人の視線の先には、夕陽を背にこちらへと歩いてくる一人の男性の姿がある。


 袴のようなパンツとブーツ、そして上に羽織る羽織に似た上着は黒。内衣のシャツと帯代わりのベルトは白……喪服のような色使いに、ユーリやマモと同じ黒髪黒目。歩いているだけで様になる男は、マモやエリーから隊長と呼ばれる男だ。


?」


 声をかけてきたエリーに、隊長は「首尾は上々……って所だな」と隊長が笑ってみせた。


はかなり伝播してるみたいだ。それこそ、使


 呆れた笑みを見せる隊長に、「平和やなー」とマモが微笑んだ。


「いやいや、ダンジョンの噂なんてどーでもいいよ。強そうなのが居たかどうかって聞いてんの」


 自分の期待していた答えが帰ってこなかったことに、エリーが口を尖らせる。正直エリーからしてみたら今回の作戦や、ロイド達と協力関係にあることなど興味がないのだ。


 興味があるのは、自分を楽しませてくれる相手がいるかどうか。今まで暇つぶしにアダマンタイトを何人も殺してきたが、どれもこれもエリーを満足させてはくれなかった。


 だが、ウィーンには来たことがない。もしかしたら強いハンターやエリート軍人がいるかも、と僅かな期待に胸を膨らませるエリーだが……小さく笑って肩をすくめた隊長から返ってきたのは


「そっちは拍子抜けだな」


 という残念な言葉だけだった。分かっていた事だが、少しだけ期待していただけにエリーが分かりやすく落胆の溜息をついた。


「エエやんかー。本番はーやねんからー」


 マモが風に靡く髪を耳にかけながら東を見れば、「【戦姫】なー」とエリーも眉を寄せて東を見た。


「それにー、なんやオモロそうな子もおるらしーでー」


「面白そうな子?」

「ああ、


 眉を寄せる自分とは対象的な隊長の反応に、エリーは隊長へと「知ってるのか?」と言う視線を向けた。


「なんでもアイアンランクなのに【火焔の剣姫】を倒したがいるらしいぞ」


 楽しげに笑う隊長だが、実際はルーキーと呼ぶには少々経験豊富すぎる男の事だ。とは言えそれを初めて聞いたエリーは眉を寄せた。


「二つ名持ちを倒せるのにアイアンなのか?」


、聞かん坊なんやろー」


 ケラケラと笑うマモに、「オ、オレはまだ言う事聞いてるだろ?」とエリーが口を尖らせる。


「ほんでもー。エリーちゃんとー、気ぃ合うかもしれんでー」


 微笑んだマモがエリーの頭を優しく撫でた。そんなマモの手を恥ずかしそうに避けたエリーが口を尖らせたまま呟く。


「ンでも、結局大所帯で行くんだろ?」


 再び後ろを、いやモンスターの大群を振り返るエリーだが、「大群だから意味があるんだ」と今度は微笑んだ隊長がその頭を撫でた。


「ガキ扱いすんなってーの」


 口を尖らせその手を跳ね除けたエリーが「分かってるよ」とブツブツ言うが、「そうだな。分かってるよな」と再び頭を撫でる隊長のやりとりに、マモが「フフッ」と笑う。


「何笑ってんだよ!」

「いやー。かわいいいなーって思うてなー」

「エリーはツンデレってやつだからな」

「誰がツンデレだよ!」


 じゃれ合う三人の目の前で、今、太陽がその姿を丘の向こうに隠した。ほんのりとまだ明るい空に、暗くなり始めた空に、じゃれ合っていた三人の表情が一瞬で引き締まった。


「さて……」


 隊長が大きく息を吐いて二人へ真剣な表情を見せた。


「行こうか」

「ああ」

「はいなー」


 三人とその後ろに付き従う無数のモンスターが、ウィーンへ向けて歩き始める。ゆっくりと、だが確実に一歩ずつ。遠かったウィーンの街が近づいてくる。壁の向こうから僅かに漏れる光には、何も知らぬ幸せが詰まっているのだろう。


 そんな幸せを壊す。

 絶望へと叩き落とす。

 世界に思い出させる。


 三人とモンスターが上げる破滅への足音を掻き消すように、一際強い風が吹いた。耳を突き刺す風の音に、エリーが僅かに顔を顰めた。それがまるで世界が上げる悲鳴のようにも、耳に残るのようにも聞こえたからだ。


 この風は世界が上げる悲鳴か、それとも今は亡きの怨嗟か、それとも――僅かに浮かんだ考えを振り払うように、エリーがその頭を強く振った。


 答えが分からぬまま、エリーは足を突き動かし、答えを放棄したまま風が止んだ頃、三人の目の前ではウィーンの街が分かりやすく迎撃態勢に入っていた。


 鳴り響く警報。

 壁の上で動く砲門。

 飛来する無数のドローン。


 それら全てが三人を歓迎していないと、主張している。周囲を飛び交うドローンに、マモが「虫みたいでーやわー」と眉を潜めて指を天に向けてクルクルと回す――にわかに立ち込める暗雲が、暗くなりはじめたウィーンを更に深い闇へと落としていく。


「ケイコク! モンスター セッキン!」

「ケイコク! ショゾク ヲ メイジ セヨ!」

「ケイコ――」


 マモが指を下へ向ければ、飛び回っていたドローン全てを雷が撃ち抜いた。ブンブンと音を立てて周囲を飛び交っていた無数のドローン全てを、である。静かになった事に満足したマモが、満足そうに頷いて微笑んだ。


 一瞬だけ静かになった三人の周りであるが、壁の上の連中は三人を脅威と認めたようだ。今度は警告もなく上から魔弾が雨あられのように三人へと降り注ぐ。


 迫る魔弾に「俺が」と隊長が右手を前方にかざした。一瞬で出現した半透明の壁が、降り注ぐ魔弾全てをかき消していく。壁に吸い込まれる魔弾が、周囲に「チュンチュン」と情けない音を響かせていたかと思えば――


 ――ドン


 と地響きにも似た轟音が、周囲を揺らした。どうやら上から大型モンスター用の主砲を撃ったのだろう。既に三人の眼前には巨大な砲弾が迫っている。


 三人全てをすり潰しても余る程大きな砲弾を前に、エリーが飛び上がりとともに肩に担いだ野太刀を一閃。三人の目の前で真っ二つに割れた砲弾が、両脇へとそれて後方のモンスターをいくつか巻き込んで爆発する。


 爆発に振り返ったエリーが、「あー! 折角集めたのに!」と顔を顰めて壁の上を睨みつけた。エリーが睨みつける先では、分かりやすく兵士たちが右往左往していた。無理からぬことだ。


 ドローンは落とされる。

 魔弾は効かない。

 虎の子の大型砲弾すら叩き斬る。


 そんな連中を相手にする想定などしたことがないのだ。右往左往する兵士たちだが、それでも壁の持つ頑強さには自信があるのだろう。どうやら応援を呼ぶ作戦にシフトチェンジしたようで、分かりやすい時間稼ぎに走ってきた。


『き、貴様らは何者だ! 所属は? 目的は何だ!』


 響いてくる音声に、エリーが肩を竦めて二人を振り返った。


「死ぬ奴らがオレ達の事知ってどうすんだ?」


 エリーの呆れ顔に、隊長が微笑んで「知りたいんだろ」と壁の上を見つめた。


「誰が……いや誰に殺されるか、くらいは」


 ニヤリと笑う隊長の顔は、モンスターも裸足で逃げ出すほど獰猛なそれだ。だがそんな笑みに「そんなもんか?」と眉を寄せたままのエリーが小さく溜息をついて壁を見上げ、野太刀の切っ先を壁の上へと突き出した。


「オレ達は、そうだな……――」


 隊長に負けじ劣らずの獰猛なエリーの笑みに、頭上から『は?』と間の抜けた声が帰ってきた。


「オレ達は【八咫烏】……お前らを滅ぼしに――」


 そこまで口にしたエリーの姿が消える――向かった先は、壁の上、砲門近くでエリー達相手に時間が稼げると、タカを括っている馬鹿のもとだ。


「――来たんだよ。バカヤロー」


 獰猛な笑みを浮かべるエリーの瞳には、口を開け唖然としたままの男たちが映っていた――そんな彼らに向けて、エリーが野太刀を縦に一閃。

 エリーが振り下ろした野太刀が、強固な壁へと吸い込まれる。ぶつかる野太刀と壁。その衝撃で発生したエネルギーが光と熱風を巻き起こし、壁の上に詰めていた男たちを焼き、薙ぎ払っていく。


 縦一直線に光る軌跡を描きながら、エリーが地面へと降り立てば、そこには斬り裂かれた壁の姿があった。斬られた両脇は熱でドロドロに溶け、まだ赤々と熱と光を発している。


「こんなもんか?」


 振り返ったエリーは、仕事は終わりとばかりに野太刀を肩に担ぎ直した。


 ウィーンを包みこんでいた強固な壁は、たった一人の女によって、たった一太刀であえなく斬り裂かれた……壁の上で助かった男たちも、目の前で起きた光景だと言うのに信じられないだろう。


 ただただ呆けるしか出来ない兵士をよそに、隊長が手を挙げた。


「さあ、全軍前進! 尽くを殲滅しろ」


 振り下ろされた隊長の手に従うように、三人を避けてモンスターとそれを率いるホムンクルスが壁の中へと侵入していく――


 老若男女の区別なく、慈悲もなく、全てが大群に蹂躙されていく――ウィーンの街が燃え上がり、暗い夜空を真っ赤に染め上げたのは、エリーが壁を叩き斬ってから僅か一時間後の事だった。

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