第184話 終わりの始まり……って響き格好良くない?

 再開する……と言った検証報告であるが、丁度キリが良いという事で一端休憩をいれることになった。サイラスとクレアは彷徨う大顎ミタスタシスの解析のため、データを別の機械へと移しに、ヒョウは集まっているだろう情報を整理しに、それぞれの理由で離席している。


 しばし流れたゆったりとした時間に、リリアが「フゥ」と一息ついた。思わぬ長丁場に緊張しっぱなしだったのだろう。


「自分の事だけど、知らないことばかりね」


 椅子の上で大きく伸びをするリリアに、「別にいいだろ。アクセサリーみたいなもんだ」とユーリが頭の後ろで手を組んで天井を見上げた。


「アクセサリー?」


 覗き込んでくるリリアに、ユーリが「ああ。そんなもんだ」とボンヤリした瞳で天井を眺めながら椅子を揺らしはじめた。


「誰も知らねぇ新たな事実……。お前を彩る新たな事実――」


 ゆらゆらと揺れるユーリの椅子が、静かな室内にギィギィと軋んだ音を響かせる。


「だからアクセサリーだ」


 ユーリが視線をリリアへと移してニヤリと笑った。


「そういうのが多いほうが魅力的だろ? 


 不敵な笑みで格好つけるユーリに、「なにそれ」とリリアがジト目を向けた。


「例えば俺は学校ではスゲー優秀でよ。お前にも見せてやりたかった――」

「あーはいはい」


 呆れたように手を振るリリアに、「信じてねぇな」とユーリが眉を寄せた。この話はこれ以上は分が悪い。そう思ったユーリが溜息をついて話題を再び戻した。


「ま、知らなくてもなんの問題もねぇよ。結局はアクセサリー、お前のじゃねぇだろ」


 椅子を揺らしたままのユーリに、リリアも「うん」と小さく頷いた。


「自分がを決められるのは、自分だけ。って事だな」


 再び天井に視線を戻したユーリが、これまた椅子をゆらゆらと揺らす……


「歌が好き、料理が好き、ちっと口煩い。それでいいじゃねぇか。隠された力だ何だは――」


「『ちょっと口煩い』ってどういうことよ」


 再び天井を見るユーリの言葉に、リリアが頬を膨らませた。


「そういう所だ」


 椅子を揺らしながら「ケケケ」と悪い顔で笑うユーリに、リリアが頬を膨らませたままそっぽを向いた。それでも小声で、「私は私……か」と呟くリリアには、ユーリの真意は伝わっていたようだ。


 どんな力があろうと、それを知らなかろうが、今までのリリアが変わるわけではない。大事なのはどう生きてきたか、そしてこれからどう生きるか……。それさえ出来れば、自分という存在が揺るぐことはない。


 ……


「俺は……」


 ユーリが呟いた頃、ヒョウが困惑した表情で部屋に戻ってきた。


「なんや西からの情報が鈍いねんけど」



 困惑した顔を一転、首をかしげたヒョウが、天井を見上げたままのユーリに「どないしたん?」と声をかける。


「いや……腹、減ったな。って思ってよ」

「確かにもうエエ時間やもんな」


 ヒョウがデバイスに視線を落とした頃、「待たせたね」と離席していたサイラス達が戻って来た。ようやく再開しそうな検証に、ユーリは椅子を起こして机に肘をつく。


「後は弱体化と治癒能力の検証くらいか?」


 チラリとデバイスに視線を落とすユーリに、「駆け足で行きます」とクレアが頷いて再びモニターの前に立った。


 クレアがタブレットを操作し始め……起動するモニターに映し出されるのは、先程まで映っていた何も無い荒野だ。


 彷徨う大顎ミタスタシスがいなくなった荒野……がクレアのタブレット操作に倣って暗転する。変わりに映し出されたのは、リリアが居た陣幕を含む戦場全体の俯瞰図だ。




「残りの検証結果を報告いたします……と言っても、殆ど分かりきった事ではありますが」


 クレアがタブレットを操作すると、陣幕を中心とした円が連続して戦場を波及していく。


「オーベル嬢の歌の効果範囲ですが、正直明確な範囲の算出は不可能でした」


 画面には様々なデータを示す数字やグラフが羅列されるが、そのどれもがユーリにはチンプンカンプンだ。ようやく再開されたはいいが駆け足で早口だわ――ゆっくり説明されても多分無理だが――数字にグラフに難しな言葉のオンパレードだ。


 学校では優秀だった……その言葉を後悔するほどには難解だ。


 今もクレアがしきりに「音波が――」とか「可聴周波数も調べて――」とか言っているが、全く分かっていない。


 全く分かっていないが、とりあえず分かった風な顔でウンウン頷いている。


 その理由は大きく分けて二つ――


 一つはもちろん早く帰りたいというもの。


 分かってない雰囲気を出そうものなら、クレアの説明がより長期化するだろう事は必至だ。ヒョウに「腹が減った」と言っていたが、それは別に嘘ではない。なるべく早く結果だけを聞いて、帰って飯にありつきたい。


 もう一つは、格好つけた手前ひくことは出来ない、というもの。なんせ向かいのヒョウや、斜向かいのサイラスは、分かっているようでクレアの話を興味深そうに聞いているのだ。ユーリからしたら実に面白くない。


 早く帰りたいうえに、自分一人分かっていないのは癪だ、と状況に流されるように、とりあえずウンウンと頷くユーリだが、この場にもう一人分かっていない人物が――


 自信ありげに頷くユーリを、チラチラと振り返るのは隣に座るリリアだ。話が始まった瞬間、ポカンと口を開けてしまっていたリリアだが、同類を求めてユーリへと視線を向けたのに、そこにいたのは自信たっぷりに頷くユーリの姿と来たものだ。


 実際はお腹が空いて早く帰りたい半分、見栄半分。という情けない理由であるが……ともかくユーリが自信ありげに頷く姿に、リリアは若干の困惑を覚えている事だろう。


 故に……


「……ユーリ、分かるの?」


 ……とコソコソと声を落として、肘で突いてしまうのも無理はないだろう。


「わ、分かるに決まってんだろ」


 同じく声を落として答えるユーリだが、その声は若干上擦っている。さっきまで格好つけてた人間と、同一人物とは思えない程の情けなさである。


 ユーリを見るリリアの瞳が疑惑に彩られ――


「……ホントに?」


 ――その疑惑は言葉となってユーリに襲いかかった。突き刺さるリリアのジト目に、「お、おう」とユーリは小刻みに頷く。


「うそ。そんな風に見えない」


 なおもジト目のリリアをユーリは押しやって「あのな、」と、また自信ありげにクレアの解説に頷いてみせた。


 ユーリもさっき格好つけて「学校では優秀だった」という言葉を、まさかこんな情けない状況で回収するとは思わなかっただろう。とは言え退けぬ戦いというものがある。


「俺はこう見えて数字に強えんだ……」


 と格好つけたユーリの対面で、先程まで真面目に話を聞いていたヒョウが思わず吹き出した。


「ユーリ君、数字強かったっけ?」


「バカにすんな。これでも学校じゃ物理専攻だったんだぞ」


「知っとる。隣でずっと寝てて常に赤点やったやん」


 ケラケラと笑うヒョウに、「グヌヌ」とユーリがその笑顔を歪ませた。


「そこ! ちゃんと聞いていますか?」


 奇しくも本当に物理の授業のように、周波数を表す波の映像や、様々な数字の羅列がモニターにはハッキリと映し出されている。実際はスピーカー同士の距離やそれぞれの音量、そして音を合成させる位置、などなど細かい情報なのだが……どのみちユーリやリリアからしたらチンプンカンプンである。


 とは言え一生懸命説明してくれているクレアには悪い、とヒョウも含めた三人が、「聞いてまーす」と何故か挙手とともに返事をした。


「……まあいいでしょう。続けます」


 再び始まるクレアの説明だが、ユーリを振り返ったリリアが「優秀だった?」とニヤリと笑った。そんなリリアの表情と言葉に、「うっせ」と小声でユーリが返すが、その顔の赤さは隠せていない。


「ユーリ君は分数の足し算から怪しいやん」

「そのくれぇ出来るわ!」


 思わず声を上げてしまったユーリが、慌てて口を抑えるがもう遅い。視線の先には笑顔のまま額に青筋を浮かべたクレアだ。


「聞いていますか?」


 ユーリとヒョウを交互に見比べるクレアに、思わず二人で顔を見合わせ「聞いてます」とこれまたほぼ同時に答えた。


「では、続けます――」


 再び始まる高度な解説に、三人で顔を見合わせて苦笑い。とりあえず大人しくしておこうと、モニターに視線を戻して暫くリリアが「フフッ」と微笑んだ。


「ちょっと楽しいね」


 振り返ってはにかむリリアに「そうか?」と返すユーリだが、その顔に浮かぶ笑顔は隠せない。




 結局、クレアの話が分からぬまま、効果範囲と効能についての検証説明が終わってしまった。終始何を言っていたか分からないユーリであるが、分かったのは「効果の範囲は定義出来ない」という事と、「録音では駄目」という事、そして――


「スピーカーやマイクのはやはり、でなければ駄目、という事でしょう」


 クレアが言っているのは、それぞれを動かす動力の事だ。あの第二駐屯地では、旧時代から残っている太陽光エネルギーによる設備を使っていた。昨今の主流である魔石エネルギーではない。逆に第一駐屯地では、魔石エネルギーだ。


 その違いも今回検証し、やはりモンスター由来のエネルギーでは効果の期待が出来ない事が分かっている。


「効果の範囲は、個々の聴力に左右される……と定義して良いかもしれません」


 それは恐らく最初にユーリが感じた事と同じである。狼と猿とでは、弱体化し始めた場所が違ったのだ。リリアの歌を聞く、聞こえる、つまり個体が持つ聴力の差が、効果範囲の定義を曖昧にしているのだろう。


 それを確信に変えるのが、続くクレアの言葉だ。


「治癒範囲も、各々が体験しているかと思いますので」


 クレアの言葉にサイラスを含めた三人が頷いた。敢えてモンスターからダメージをもらい、治癒の効果を検証するに至って、ユーリ達はそれぞれリリアの歌が聞こえる範囲での治癒を経験している。


 逆にリリアの歌が聞こえない、小さい場合は治癒が出来ない、遅い、とそれぞれが身を持って体験しているのだ。


 特にユーリに至っては、イヤホンでBGMを聞いている時などは傷の治りが本当に遅かった。BGMを止めれば一気に回復していたので、リリアの歌声が聞こえる聞こえないが条件なのは間違いないだろう。


「最後に、オーベル嬢の歌が能力者に与える影響ですが――」


 クレアが出したのは、サイラス、ユーリ、ヒョウの顔写真とその下に表記された様々な数値とそれに連動したグラフだ。


「サテライト経由で採取した皆さんの能力値を数値化しております」


 速度や力など分かりやすく数値化されているのだが……


「なんでヒョウだけ数字がバグってんだよ」


 ……ヒョウの数字だけ、文字化けしているのだ。


「……【情報屋】さんの能力は数値化出来ませんでした」


 悔しそうに俯くクレアに、「そらぁ僕、ものごっつい強いさかい」とヒョウがニヤリとユーリに笑んでみせた。まだまだだな、とでも言いたげな笑顔に、ユーリが「見とけよ」と鼻を鳴らしてもう一度モニターに視線を戻した。


「ヒョウも癪だが……ジジイと俺の数値が殆ど変わらないってのがよ」


 ユーリが顔を顰めて斜め前のサイラスを見れば、サイラスが「こちらの台詞だが」と眼鏡を押し上げてユーリへ笑顔を見せた。二人の「もう負けない」、「まだ負けない」、とでも聞こえてきそうな視線を、クレアが咳払いで打ち消した。


「時間も押していますし、結果から報告いたします」


 クレアが再びタブレットを操作すると、ユーリとサイラスの数値とそれに連動したグラフが僅かに動く。ヒョウは限界突破でぶっちぎっているので、グラフも数値も動かない。僅かな上下を繰り返すグラフを眺めながら……


「まず結果として、基本的にオーベル嬢の歌が、と言って差し支えないでしょう。ただ――」


「ただ?」


 言い淀むクレアを催促するように、サイラスが言葉を繰り返した。


「ただ、一番最初の――」


 クレアの言葉を掻き消すように部屋に響いたのは、デバイスが鳴らすコール音だ。ほぼ同時に三人のデバイスがコール音を響かせている。


 一人はサイラス。もう一人はゲートから予備のデバイスを取り出したヒョウ。そしてもう一人は――


「クロエ? なんでこんなタイミングで?」


 ――眉を寄せるユーリだ。


「私の方はエレナくんだな」

「僕の方は情報っぽいわ」


 サイラスとユーリ、そしてヒョウが同時に視線を交わした。三人同時、しかもそのうちの二人はエレナとクロエからである。何かあったのだろう、と頷きあった三人がほぼ同時に呼び出しに応じた。


『ナルカミ! すまない!』


 画面の向こうでクロエは切羽詰まったような表情を見せる。


『少々野暮用で数日……いや数週間くらい部隊を離れる』


 逼迫した状況なのだろう、いつもよりも早口で真剣な表情のクロエを前に、


「お、おう……また急だな」


 ユーリが困惑した表情を見せる。


『すまない、そのうち公になるだろうがでな。ではまた――』


 一方的に通信を切ったクロエにユーリが首を傾げた頃、サイラスの通信も終わったようで、ユーリと二人視線を交差させた。


「軍の主力が、一時


 眉を寄せるサイラスに、「みたいだな」とユーリが頷いた。クロエがユーリの部隊を離れるなら、イスタンブールから離れるのだろう。理由は分からないが、軍が動くという状況に、自ずと全員の目と耳はもう一人通信中のヒョウへ――


「そうか……確かやねんな?」


 向こうの声は聞こえないが、今も「分かった。僕が動くわ」と呟いたヒョウが通信を切ってユーリを振り返った。


「グッドニュース……って顔じゃねぇな」


 顔を顰めるユーリに、ヒョウが「せやな」と困ったような表情で頭を掻いた。



 明日、雨だってよ。……そう言っているかと錯覚するほど何気ないトーンで、長い長い終わりの始まりが告げられた。

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