第181話 気遣い色々

昨夜ゆうべはお楽しみでしたね」


 開口一番、ヒョウから投げかけられた言葉に


「ちょ、おま――はああああ……?」


 とユーリが素っ頓狂な声を上げ、リリアが頬を抑えて顔を赤らめた。


 ユーリとリリアは現在、サイラスが運営する商会の一室にいる。リリアの力をどうするか問題であるが……そもそも本人も己の能力を理解していない状況では、判断を下しにくい。ならば先に検証をしてはどうか、という事でユーリがヒョウやサイラスに声をかけていた。


 そうして三人とリリアの日程を合わせ、集合場所であるサイラスの会長室へと来たわけだ――が、何を思ったのかユーリを見た瞬間、ヒョウがぶっ込んだのが冒頭の「昨夜は……」の件である。


 そもそも昨夜は普通にそれぞれの部屋で寝ていたユーリとリリアであるが、ヒョウの言う「昨夜は……」に思い当たるフシがあるので、過敏に反応してしまう。


 そんな二人の反応を見たヒョウは……


「いやぁ……僕はショックやわ」


 ……わざとらしく顔を覆って頭を振った。


「ユーリ君とリリアちゃんの為に、サイラスはんと議論を重ねて重ねて重ねて……」


 そう言いながらヒョウがサイラスを「な?」と振り返れば、困ったような顔でサイラスが「ま、まあ」と頷いた。


「長い長い真剣な話を終えて、ようやく帰路につこうかと思うたら……まさか屋上でユーリ君を見かけるとは……」


「ち、乳繰り合ってはねぇだろうが!」


 声を荒げるユーリに、「でもチューはしとったやん」とヒョウがタコのように口を思い切り尖らせた。文字通り「チュー」のような口にユーリとリリアの顔が赤くなる。


「酷いわぁ……親友に老人の介護を押し付けて――」


「介護……」


 ヒョウの言葉にサイラスの眉がピクリと動くが、ヒョウはそれに構わず続ける。


「――自分はチュッチュしとんやさかい」


 再び片手で顔を覆ったヒョウが、わざとらしく天井を仰ぐ……が、その掌の隙間からこちらを伺うのは、ニヤリとした悪い顔だ。思い切り楽しんでるような表情に、「てめ……」とユーリが蟀谷に青筋を浮かべるが、それでもヒョウは止まらない。今も「ショックやわ」とチラチラユーリを見てはニヤニヤ笑うのだ。


「……何が目的だ」


 嫌悪感を隠さないユーリに、ヒョウがニヤリと笑ってみせた。


「この情報……?」


 ユーリの蟀谷に青筋が一つ増えた。


「いい度胸だこの銭ゲバ。今日こそテメェの性根を叩き直してやる」

「出来るもんならやってみ」


 ソファーから立ち上がり、机を挟んで睨み合うユーリとヒョウに、リリアがどうして言いのか分からず、困った表情でサイラスと二人を見比べる。今も「大体テメェは――」「そりゃ情報屋、やさかい」と睨み合ったままじゃれ合う二人に、サイラスも片手で顔を覆って大きく溜息をついた。


「オーベル嬢……」


 呆れを隠さないサイラスの「二人は放っておこう」という言葉に、リリアも二人を諦めたようにサイラスへと向き直った。


「さて……先ほども話していたが、今回君を呼んだのは他でもない――」

「私の歌、について。ですよね」


 緊張を隠せない真っ直ぐなリリアの瞳に「左様」とサイラスが大きく頷いた。その視界の端では未だに不毛な争いを続ける男二人。それを視界の外に追いやるように、サイラスは椅子を横に向けた。


「君がその力を使う使わざるに関わらず、実態を知るのは必要だと……私は思う」


 横目に見てくるサイラスに、リリアも表情を固くし「私も思います」と頷いた。


「よろしい。そこで、だ。今回君の歌の検証をするわけだが――」

「エレナと進展がねぇからって、ひがむなよ」

「誰がひがんでんねん!」


 真面目な話しをぶった切る馬鹿二人の不毛な争いに、サイラスの蟀谷に青筋が浮かび上がった。浮かび上がった青筋をピクピクと痙攣させながらも、サイラスが努めて穏やかに続ける。


「――検証するわけだが……君ももう一度荒野へと出てもらいたい」


 サイラスの眼鏡には、顔を強張らせるリリアが映っている。握りしめた拳を胸に押し当て、不安そうな表情でリリアが唇を僅かに震わせた瞬間――


「心配すんな。俺も一緒に行くんだぞ?」


 ――部屋の隅からユーリが明るい声を上げた。リリアが思わず振り返って見れば、いつの間に移動したのだろうか、ヒョウとお互いの胸ぐらを掴み合っているユーリがリリアに笑顔を向けている。


「ユーリ君だけやのうて、僕もいるさかい」


 同じ様に笑顔を浮かべるヒョウも、ユーリの胸ぐらを離す素振りはない。喧嘩の格好のまま、それでもリリアに優しい言葉をかける二人に、リリアはもちろんのことサイラスも驚いた表情を隠せないでいる。


「君達……」


 聞いていたのか? とでも言いたげなサイラスの表情に、胸ぐらを掴み合ったまま視線を交わしたユーリとヒョウが、再びサイラスとリリアの方に顔を向けた。


「そりゃ聞いてるだろ」

「大事なことやから」


 事もなげに言う二人だが、サイラスからしたら大事なことなら大人しく聞いてくれ、とでも言いたいところだろう。呆れた顔を浮かべたサイラスだが、今も掴み合い


「で、どこまで話したよ」

「僕は昔からモテモテやってところまで」


 言い合う二人と、その手前で呆れた表情を見せるリリアを見て、ようやく二人の真意に気がついた。気づいてしまえば、思わず「フフッ」と笑い声をもらしてしまった。


 サイラスの思わぬ反応に、ユーリとヒョウ、そしてリリアまでもが困惑した顔で彼へと視線を集めた。


 全員から投げられた困惑の視線に、「いや、すまない」とサイラスはそれでも溢れる笑みを抑えられないように、右の拳で口元を隠しながらユーリ達から視線を逸らした。


「なに急に笑ってんだよ……気持ち悪いジジイだな」

「そんなん言うたらアカン。お爺ちゃんやねんから、いろいろ緩なってるところもあるやろ」


 辛辣な二人を前に、普段のサイラスなら蟀谷に青筋でも浮かべるだろうところだが、今も笑いを堪えるようにその肩を震わせるだけだ。何がツボだったのかすら分からない。普段は寡黙なサイラスが見せる少々不気味な状況に絶えられなかったのだろう、ついにリリアが口を開いた。


「あ、あの……どうかされたんですか?」


 リリアの心配するような声と瞳に、「いや、」とサイラスが大きく息を吐き出してユーリとヒョウへ視線を戻した。


「こんな状況でかね? いや羨ましい友情だよ」


 ニヤリと笑うサイラスに、ユーリの顔が赤くなりヒョウは「ヒュウ〜♪」と口笛を鳴らした。


「照れ隠し……?」


 意味のわからないリリアが、小首を傾げてユーリ達とサイラスを見比べる。


「リリア、何でもねぇ――」

「君との関係……の事だよ」


 ユーリの言葉を遮って、笑顔を見せるサイラスにリリアがそれでも分からないと言いたげに眉を寄せた。


「あの喧嘩は、ユーリくんなりの照れ隠しであり、ヒョウくんなりのお祝いなのだよ」


 そう切り出したサイラスが、「やめろ」というユーリを無視して懇切丁寧にリリアに事の真相を説明する。


 二人の口喧嘩は所謂パフォーマンスのようなもの。

 ユーリはリリアと思いが通じ合ったことが嬉しい。だがそれを誰かに言いふらすような性格ではない。それを知っているヒョウが、敢えてからかう事で、ユーリらしい態度でリリアとの事をヒョウに自慢できる。

 ヒョウはユーリの自慢を更に引き出すように、敢えて強い口調でからかい、ユーリがそれに乗ってリリアとの事を話す。


 もちろんユーリとて、ヒョウに見られていたなど知らないし、こんな日にぶっ込まれるとも思っていなかった。それでもヒョウの祝福に乗っかったのには理由がある。


 ヒョウなりの優しさを、いち早く察したからだ。リリアにとっても、ユーリにとってもこの検証は重要な事だ。昨夜からなかなか寝付けない程度の緊張はユーリですらあった。いわんやリリアをや……である。


 それを分かっていたからこそ、ユーリは少しでも雰囲気が重くならない様に、ヒョウの祝福からかいに乗ったのだ。


 もちろんそんな真意を話すことは出来ないが。それでもユーリの照れ隠しを話すのは、ユーリ達の真意に沿う事だろう、とサイラスはリリアへ説明を続ける。


「つまり友人に君というが、それを素直に吐き出せない……」


 小馬鹿にしたように肩をすくめるサイラス。

 その言葉に顔を赤らめ恥ずかしそうに俯くリリア。

 そして――


「ジジイ、なに与太飛ばしてんだよ。すんには早ぇだろ」


 ――頬を赤らめながらも口を尖らせて否定するユーリ。

 その横で「バレバレやん」とニヤニヤするヒョウ。


「うっせ! 何もバレて――」

「このようにユーリくんは極度の恥ずかしがり屋だが、君の事をとても大事にしているのだけは間違いないようだね」


 笑顔のまま立ち上がったサイラスに「え?」とリリアが赤ら顔を向ける。


「アレだけ言い合いをしておきながら、君の事に関する話にはちゃんと聞き耳を立てているのだから」


 机を迂回するサイラスがクツクツと笑う。サイラスが言っているのは、先程ユーリとヒョウがリリアに「大丈夫だ」と言ってのけた事だろう。一件喧嘩しているとみせて、意識はリリアへと集中させている……何とも無駄に器用な男である。


「君の好きな男は、そこまで悪い男ではないのかもしれないな」


 微笑むサイラスに、リリアの後ろでユーリが「フン」と鼻を鳴らして腕を組んだ。


「何も言わずにこんな茶番に付き合ってくれる友人もいる……どうやら私が思っている以上にいい男のようだ」


 サイラスに視線を向けられたヒョウが、肩をすくめる。


「付け加えると、こうして


 ニヤリと笑うヒョウに、「おやおや。これはパフォーマンスではなく本音だよ」とサイラスが大げさに肩をすくめてみせた。まるで旧時代のホームドラマのようなリアクションに、ユーリが「胡散臭ぇ」とジト目を向けるが、サイラスはそれを無視するようにリリアの肩に手を乗せた。


「長い事生きてきたが、ここまで思ってくれる異性というのは中々貴重だ……大事にするといい」


 優しげな笑顔で微笑むサイラスに、リリアがとともに小さく頷く。


「さて、ユーリくん。こんなに素直で可愛らしい彼女だ。君ももう少しストレートに色々表現したほうが良いと思うのだが」


 リリアに向けた笑顔とは違う、サイラスがユーリに見せたのは完全な嘲笑だ。その嘲笑にユーリが「うっせ」と呟いて顔を背けた。


「……二人の時は、ちゃんとやるっつーの」


 ボソリと呟いた言葉に、ヒョウがニマニマと笑い、サイラスも「結構」と頷き、リリアが赤い顔をまた俯かせた。


 完全に緩みきった空気に、サイラスが「パン」と手を鳴らした。不意に鳴り響く音に三人ともがサイラスへと意識を向ける。


「それでは、早速荒野へと行こうか」


 眼鏡を押し上げたサイラスが、机の上のボタンを押す――


『閣下、お呼びでしょうか』


 ――スピーカーから聞こえてきたのはクレアの声だ。


「これより検証シークエンスに移行する。リリアくんの着替えと転送装置への案内を頼みたい」

『かしこまりました』


 短い通信が終わったかと思えば、ほとんど待ち時間もなくクレアが現れた。


「オーベル嬢、こちらへ――」


 クレアに先導され、部屋を後にするリリアがユーリを振り返り「あとでね」と小さく手を振った。それにユーリも恥ずかしそうに小さく手を挙げて応える。リリアが扉の向こうに消え、足音が遠ざかってなお挙げられたままのユーリの手に、「まーたイチャついて」とヒョウが呆れたような溜息をもらした。


「うっせ……まあ、今回だきゃ感謝しといてやる」


 ぶっきらぼうに吐き捨てたユーリに、ヒョウが「格安にしといたるわ」と頭の後ろで手を組んだ。


「それにしても、商会長さんが乗ってくるとは思えへんかったけど」


 頭の後ろで手を組んだままサイラスを振り返ったヒョウに、「分かりにくかったがね」とサイラスが肩をすくめた。


「どうせ二人共ガッチガチや思うとったさかい」


 呟くヒョウに、「だからって、リリアとの事をからかうなよ」とユーリが口を尖らせた。


「そりゃからかうやろ。一石二鳥やん。ユーリくんへのお祝いと、リリアちゃんのリラックス」


 ケラケラと笑うヒョウに、「覚えとけよ」とユーリが嫌そうな顔を見せた。


 ガチガチのリリアをリラックスさせるため、二人で即興芝居のようなものをしたわけだが……


 ユーリからしたら幼馴染で親友のヒョウには聞いてほしかった事だ。

 ヒョウからしても、ユーリの目出度いニュースは祝わねばという思いだ。


 ヒョウの言う通り一石二鳥だったのだろう。


 屋上での出来事を見られていたのは本当に偶然だが、どう切り出していいか分からなかったユーリからしたら渡りに船だったのかもしれない。


 ……とは言え、それを口に出すユーリではない。今も


「そうや。今度墓参りで報告しようや」

「いらねーだろ。つーか護衛なんだしそろそろ行くぞ」


 と話しを終わらせるユーリだが、その顔は少しだけ嬉しそうに見える。


 再び始まる『照れ隠しとお祝い』の応酬を残しながら、二人がリリアを追うように会長室を後にした。そんな二人の背中を見送ったサイラスが小さく溜息をつく。


「……クラウスとゲンさんを誘って飲みに行くのもいいかもしれんな」


 過ぎし日を思い出すように微笑んだサイラスが、窓の向こうに見える街並みに目を細めた。自分たちが奪還した街で芽吹く新たな可能性。それを肴に在りし日を思い出すのも悪くないかもしれない。


「だが、その前に仕事を片付けよう」


 一人吐き出したサイラスが、ユーリ達の後を追う――

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