第180話 大事なことは自分の口から

「そんな……」


 ユーリの目の前では、分かりやすくリリアが狼狽えている。困惑した表情でユーリの右腕を触り、「ホントに痛くないの?」と聞くリリアに、ユーリは黙って頷くだけだ。


 先ほどリリアに彼女の歌が持つ可能性を話し始めてから、どんどんと曇っていった顔をユーリは忘れる事はないだろう。


 そしてリリア同様困惑するのは彼女の母親だ。今も夫であるマスターに肩を抱かれ、その胸に顔を埋めている事から、リリアの身に起きた事を喜んでいない事は間違いない。


 無理もない。こんな力があると分かれば、世間が放って置く訳が無い。つい最近たった一日荒野へ出ただけでも心配したというのに、これからそういった事が増えると言われているようなものなのだ。心配の度合いはオペレーション・ディーヴァの比ではない。


 リリアは当事者だ。だからこそリリアにどうしたいか聞くのは、重要だし必要だと理解している。それでもこんな反応を見ると、話すべきではなかった、と遅すぎる後悔がユーリに重くのしかかっている。


 この気持ちの整理の仕方が分からないユーリが、「悪い」と呟いた。ユーリのせいではない。力が宿ったのも、それが望まぬものであることも、どれもこれもユーリには関係がない。


 それでも彼女から『歌』というアイデンティティを奪いかねない通告をした事実に、それに気がついてしまった自分に、話すという選択に、ユーリはもう一度「悪い」と呟いて頭を下げた。


「なんで…ユーリが謝るのよ」


 困ったようなリリアの表情を、ユーリは直視できずに再び視線を下げた。


「一つだけ聞きたい……」


 不意にリリアの父が口を開いた。


「リリアの事を知ってるのは、お前だけなのか?」


 その言葉にユーリが顔を上げて、「いえ」と首を振った。リリアの父の眉が僅かに動く――


「知ってるのは多分俺を入れて三人……俺の親友と、後はサイラス・グレイ。元ハンター協会イスタンブール支部長です」


 ユーリの言葉に、リリアの父が「【イスタンブールの英雄】か」と呟いた。本当はロイド・アークライトも知っているだろうが、リリアの力の出どころや、二人の関係を話すつもりはない。


「二人にはリリアの力を隠す場合の相談をしました……もちろん大きな力なので、いずれバレるでしょうが」


 ユーリの言葉にリリアの父が黙って頷く。リリアが歌う以上、もしもは避けられない。かといってリリアの歌を止めてしまえば、それはそれで怪しすぎるのだ。


「三人で相談して、隠すにしろ公にするにしろ、本人の意思が重要と言うことで、俺が伝えに来ました」


 ユーリの真っ直ぐな瞳に、「道理だ」とリリアの父が頷いて、妻を支えながら、娘へと視線を向ける。


「リリア……お前はどうしたい?」

「あなたッ――」


 リリアの母が信じられない、と言いたげな顔を上げるが、彼はそれに黙って首を振るだけだ。娘のやりたいようにやらせよう。そう言いたげな仕草に、リリアの母の瞳に涙が浮かぶ。


 その頭を優しく抱え込んだリリアの父が、再びリリアへ「どうしたい?」と優しげな眼差しを向ける。


「……分かんない」


 俯いたリリアが「少し……一人で考えさせて」と顔を俯かせたまま、店の奥、居住スペースへと消えていった。


 その背中を見送ったユーリとリリアの父。リリアの母は、泣いているのだろうか。肩を小刻みに震わせているその姿に、ユーリは鼻の奥がツンと痛くなり――


「親っさん、おかみさん、すみません」


 と思わず二人に頭を下げていた。


「いい。お前が謝る事じゃない」


 リリアの父は気にするなと言ってくれるが、


「でも、俺が気づかなかったら……」


 ユーリが気づかなければ、今日もリリアは好きな歌を楽しく唄えていただろう。そしてそれを二人が笑顔で見守れていただろう。そう思ってしまうと、居ても立ってもいられないのだ。


「俺が気づかなければ……」


 呪いのような言葉を紡ぎ、ただ頭を下げるユーリの肩にリリアの父が手を乗せた。思っていた以上に大きな手に、ユーリが思わず顔を上げる。そこにあるのは、父の顔――


「気づいたのがお前で良かった。お前じゃなければ、状況はもっと悪かった」


 掛けられた優しい言葉に、ユーリは再び鼻の奥が痛くなる。ただただそれを堪えるように再び頭を下げる事しか出来ない。そんなユーリの肩に乗せられた手が、今度は頭へ――


「お前も今日は休め。店は……今日は臨時休業だな」


 初めて見たかもしれないリリアの父の苦笑い。それを瞼に焼き付けながら、ユーリも自身の部屋へと引っ込むことにした。




 ☆☆☆




 真っ暗な部屋でユーリはベッドに寝転がっていた。


 枕の上で組んだ腕に頭を預け、ユーリは真っ暗な天井をただ黙って眺めている。外から聞こえる楽しげな声や、「えー、今日休みかよ!」と言う残念そうな声が、やたらと遠くに聞こえる。


 ――いいか。お前らの力は、人類の為に振るえ。


 頭に響くのは、まだ何も知らない頃に言われたあの言葉だ。あの頃はどんな気分だったろうか。


 自分が選ばれた存在だ、と喜んだだろうか。

 何を勝手なことを、と鼻を鳴らしただろうか。


 今となっては昔過ぎて覚えていない。それでも一つだけ言えるのは、自分には、いや自分たちにはその道しかなかった。だがリリアはどうだ。生まれた直後こそあれだが、その後は幸せな家庭で育ち、普通の人生を歩んできた。


 そんな彼女に、残酷な事実を突きつけたのは正しかったのだろうか。


 浮かんできたリリアや、その母親の顔を思い出したユーリが、「クソ」とやり場のない感情を吐き出して寝返りをうった。


 リリアの意思が重要なのはユーリも承知だ。だが、彼女へ伝えた言葉は、かつて自分が掛けられたあの言葉と、然程違いがないのではないか。


 自分はリリアへ「お前の力は人類の為に使え」と言った訳では無い。それでも、彼女に一切の誤解なく伝わっただろうか。


 出ない答えにユーリがもう一度寝返りをうった。今は遠くに聞こえる雑踏の音が恋しい……そう思うユーリの背中に、扉をノックする音が届いた。


『……ユーリ、起きてる?』


 扉越しに聞こえてきたリリアの声に、ユーリはベッドから跳ね起きる。とは言え、どんな顔をして会えばいいか分からず、恐る恐ると言った雰囲気で扉を開いた。そこにいたのは、寝間着姿のリリアだ。


「……えへ」


 とはにかむリリアに、「お前な」とユーリは強がったような溜息を返した。


「夜中に男の部屋に来るんじゃねぇよ…しかもそんな格好で」


 そう言いながらユーリは、部屋の扉を後ろ手で閉めた。流石にこの時間に部屋へ女性を招き入れるのはまずい。……非常にまずい。


 そう言いたげなユーリの動作に、リリアがむくれるがそこはユーリとしては譲れない。


「んで、何しに来たんだよ」


 眉を寄せるユーリだが、リリアは「こんな所じゃ話せないわ」と頬を膨らませた。確かにリリアの言う通り暗い廊下で立ち話……と言うのも味気ない。とは言え部屋へ連れ込むわけにはいかない。


 ウンウンと唸るユーリに、


「ユーリの部屋が駄目なら、連れて行って欲しい所があるの」


 とリリアが真っ直ぐな瞳を向けてくる。連れて行って欲しい所……それがどこかは分からないが、とりあえず部屋よりはいいか、とユーリは黙って頷き、先を歩くリリアについて行く。


 リリアが辿り着いたのは店舗兼自宅の一番上……そこにある窓を背に、「に連れて行って欲しいの」と気まずそうに呟いた。


 あの屋上と言うと、恐らく奪還祭の日に連れて行った屋上だろう。こんな時間から……と思わないわけではないが、少しだけリリアに後ろめたさもあるユーリが渋々と頷いた。


「掴まっとけよ――」


 リリアをお姫様抱っこにしたユーリが、窓を開いて夜空へと飛び出した。




 ☆☆☆


「相変わらず風が強いのね」


 ビルの屋上で風になびく髪をリリアが耳にかけた。その髪の毛を再び風がさらい、諦めるように肩をすくめるリリアに、ユーリは「着とけ」と自身のパーカーを手渡した。


 あの日と同じ様に手渡されたパーカーを、リリアが暫し見つめる。


「冷えると風邪ひくぞ」


 ユーリの言葉にパーカーを肩からかけたリリアが、「心配してくれるのは……」と呟いてユーリを真っ直ぐに見つめる。


「心配してくれるのは、?」


 リリアの言葉に、ユーリが思い切り顔を強張らせ、「ンなわけ――」と思わず声を張り上げてしまった。想像以上に出てしまった大きな声に、ユーリは「悪い」と髪を掻き上げた。


「ンなわけねぇよ。……次、そんな下らねぇこと言ったら、二度と連れてこねぇからな」


 ぶっきらぼうに吐き捨てたユーリの言葉に、リリアも「うん」と小さく頷いた。リリアとてユーリが心配してくれるのは、そんな事じゃないと分かっていたのだろう。それでも、確認したくなったのだ。


 吹き抜ける風の音だけが、二人の間で響く――


「私……」


 ――そんな風の音に消されそうな程小さな声で、リリアが口を開いた。


「私、実は


 そう言いながら屋上の欄干に両肘をついたリリアが、眼下に広がる夜景に視線を落とした。


「ユーリと……ううん。、って」


 振り返ったリリアの表情は何とも言えない。そんなリリアに答えるように、ユーリも彼女の近くまで歩みを進める。


「ずっと羨ましかった……カノンちゃんも、クロエさんも。ユーリと一緒に戦えて」


 泣き笑いのようなリリアの表情に、ユーリは何と返していいか分からない。


「だから、私の歌が役に立つなら……私もユーリと一緒に戦えるかもって」


 思い切り笑顔を浮かべるリリアだが、その眦に浮かぶ雫が夜景を反射する。


「でも……お母さんの反応を見て、大変な事なんだって気がついちゃって……それに、怖かった事も思い出しちゃって」


 リリアは欄干に背を預けて俯いた。リリアの足元を濡らす雫からユーリは一瞬だけ目を逸らしそうになるが、それを堪えてこぼれ落ちた感情を真っ直ぐに見つめる。


「何も知らないで浮かれて、また一人皆に迷惑かけてるのかもって」


 ポタポタと落ちる雫。

 吹き抜ける風。


 それらを振り払うように、ユーリが一歩を踏み出し、「迷惑だなんて思ってねぇよ」とリリアの頭に手を置いた。


「確かに大変な事だ。俺としたら出来たら今まで通り、


 そう呟いたユーリの言葉にリリアは俯いたままだ。


「けど、大事なのはお前だ。お前がどうしたいか、だ」


 頭に手を乗せたままのユーリに、「どう……したい、か?」とリリアが呟いた。


「分かんない。……どうしたいのか、どうしたら良いのかなんて、分かんないよ」


 俯いたままのリリアから、溢れる感情がポタポタと屋上の床を濡らしていく。


「俺にも正解なんて分からねぇ」


 呟くユーリの言葉は風にさらわれ消えていく。それでもユーリは言葉を探す。


「分からねぇ、けど……けど一つだけ、間違いなく


 ユーリの力強い言葉に、リリアが顔を上げた。その潤んだ瞳に、迷子のような顔に、ユーリは思わずリリアを抱き寄せた。


 正直ユーリもどうしたら良いかなんて分からない。分からないが、それでも自分にしか出来ぬ事を伝えねば、と思っていたらリリアを抱きしめていた。


 抱き寄せられたリリアも、一瞬だけ驚いたように「え?」と声を漏らしたが、今はユーリの背中に手を回してその身体を預けている。


 緊張からか、ユーリの心臓が早鐘を打つ。人を抱きしめた事など一度もないのだ。初めての経験に、ユーリは「い、痛くねぇか?」と微妙な声をかけてしまう。


 それに「フフッ」と笑ったリリアが小さく頷く。大丈夫なようでユーリとしては一安心だが、そうなってくると今度は早鐘のような心臓の音が気になってしまう。


 聞こえてやしないか。

 ここまで駆けてきたけど、汗臭くないか。


 色々な事が頭をグルグルと駆け巡るが、ユーリはそれらを振り払う様に頭を振って、腕の中のリリアに話しかける。


「リリア」


 優しく囁くユーリに「なぁに?」とリリアがユーリの胸に顔を埋めながら答えた。


「正解は分からねぇ。それでも俺が唯一お前に言える事がある」


 その言葉に、リリアはただ黙って頷いた。


「お前が……お前がどんな選択をしたとしても」


 リリアを抱きしめたままユーリが囁く。


「俺がお前を全力で護ってやる」


 ユーリの言葉にリリアが肩を震わせて「うん」と呟いた。


「さっきも言ったが、俺はお前の力になんて興味はねぇ……だから勘違いすんな」


 そう言ってユーリは一旦リリアを離した。それでもリリアの両肩に手を置いたまま、真っ直ぐその瞳を見つめ、もう一度「歌のせいとか、勘違いすんな」とユーリが呟く。


 その言葉の意味が分からず、涙目のままキョトンとするリリアに、ユーリが若干顔を赤らめて口を尖らせる。


「お、俺がお前をま……護るのは、超個人的な理由からだ」


 そう言いながら顔を赤らめるユーリに「個人的な理由?」と更にリリアが首を傾げる。暫し見つめ合う二人……吹いていた風が不意に止んだ。


「ほ、を護りてぇって、超個人的な理由だ」


 再び吹いた風が、リリアの前髪をさらう。一拍遅れてリリアの顔が真っ赤に――


「な、なななななな何恥ずかしいこと――」

「う、うう煩ぇ! だだだだ大事なことだろ!」


 これ以上顔を見ていられない、とユーリが再び強くリリアを抱きしめた。心臓の音は収まるどころかより早く強くなる。


 ユーリは煩く主張する心臓を抑える様に、一度大きく深呼吸をした。


「お前は……俺が初めて、そして唯一惚れた女だ……だから俺は俺の全てをかけてお前を護る」


 ユーリの言葉に「うん……うん」とリリアが頷きながら、その背に回していた手に力を込めていく。きつく抱きしめ合う二人に強い風が吹き付けるが、二人は微動だにしない。


「お前が力を使うことを選んでも、それを隠す事を選んでも、お前は


 囁くユーリが、リリアの後頭部を優しく撫でる。


「どこでも、どんな時でも、俺がお前の傍にいる」


 ユーリの言葉に、リリアが声を震わせて「うん」と頷く。


「……だから、お前はお前のやりたいようにしろ。俺がどうとでもしてやる」


 これはユーリなりの覚悟の宣言だ。これから起こるだろう様々な事態から、ユーリが護るという覚悟の宣言。そして同時に大きな覚悟を決めた瞬間だ。


 リリアが何の憂いもなく歌えるよう、という覚悟を。


 胸に秘めた思いとともに、リリアを抱きしめ続けるユーリに「信じて……いい?」と小さく呟いた。


「ああ、信じろ。何があっても、俺はお前を離さねえよ」


 力強く言い切り、同時にリリアを力強く抱きしめるユーリにリリアが「ありがと」と頷いた。


「……信じる。私も…ユーリが好きだから。初めて好きになった人だから。だから――」


 耳まで赤いリリアが、気持ちを落ち着けるように深呼吸をして、再び口を開く。


「だから、離さないでてね」

「ああ」


 力強く頷くユーリの大きな背中を、リリアがさする。愛おしむように、ユーリの背中の形を堪能したリリアが、「安心するね」と呟いて微笑んだ。


「まだ、どうするか分からないけど、ユーリがいてくれたら私も大丈夫」


 そう言って一際力強くユーリを抱きしめたリリアが、「ねぇ?」と呟いてその身体を離した。


 再び見つめ合う二人。

 閉じられるリリアの瞳。

 ゆっくりと近づく二人の距離――


 風がリリアの髪を舞い上げ、二人の顔を隠す。


 思いの通じ合った二人の姿を、金網グレーチング越しに輝く月だけが見ていた。

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