第165話 緊急事態だから話の腰を折っても大丈夫
クロエの昔話が始まった頃、ユーリは興味のなさそうな顔を浮かべながらも、できる限りの聞き耳を立てていた。クロエやエレナの過去に関して、恐らくこの場の全員が興味を抱いているだろうが、ユーリが持っている興味は皆と少しばかり毛色が違う。
もしかしたらこの昔話の中に、エレナに呼びかけられる言葉があるかもしれない。
本来ならリリアの歌を聞かせたい所だが、何の前フリもなく「歌ってくれ」などと言えるわけもない。それに出来るだけリリアの歌は無いに越した事はない。
リリアの歌は言わばジョーカーだ。何が起きるか今のところ分からない。であれば、少し時間をとってでも、クロエ達の過去話を聞く方がいいだろう。
そう思ったユーリは、エレナの状況をチラリと見やる――変わらぬ苦しそうな顔と浅い呼吸だが、逆にまだ容態が悪化していないという証左でもある。
「エレナがラジェフ隊長を殺したんだ」
その言葉が部屋中に小さく響く中、ユーリはリリアを挟んでクロエの反対側に腰を下ろした。
「殺した……とはまた穏やかじゃねぇな」
ユーリの溜息交じりの声に、「だが、事実だ」とクロエが鼻を鳴らす。
「その……あの日……って仰ってた時に、何があったんですか?」
クロエの隣で、リリアが身体を起こして彼女を覗き込む。そんなリリアの視線に、僅かに顔を引き締めたクロエが天井を見上げる。
「さっきも言ったが、あの日……私達はアンダーグラウンドの摘発に行ったんだ」
そう切り出したクロエが、当時を思い出しながら語りだした。
イスタンブールより遥か西側。所謂人類の生存圏内であるが、そこにも……いやそんな場所だからこそ、アンダーグラウンドは無数に存在する。文字通り地下にある街から、見捨てられた廃墟の一部に隠れ住む人々まで――
【人文】の庇護下にない人間、【人文】に従いたくない人間の多くが、今でも身を寄せ合いモンスターからも、そして同じ人間からも隠れるように住んでいるのだ。そんな人々を、アングラの住人、テロリスト、モンスターの尖兵などと揶揄して【軍】は時折取締をしている。
三年前のあの日も、タレコミによって判明した、とある地下都市を壊滅させるための任務がクロエ達に下された。
そこでエレナは一人のモグリを追い詰めた。その作戦では、本来なら処断せねばならなかった筈だが、あろうことかエレナはそのモグリを見逃したのだ。
それに激昂した作戦隊長の少佐が、エレナを断罪しようとしたまさにその時、ラジェフがその少佐を斬り捨て、すべての罪を被って軍法会議にかけられることとなった。
エレナやクロエの嘆願叶わず、ラジェフは上官殺しの罪により極刑。その後エレナは【軍】を去り、今日に至るという……。
「……それでエレナさんは、もう二度と友達には会えないって」
俯くリリアが唇を噛み締めた。恐らくエレナも後悔など数え切れぬほどしたのだろう。あの日、あの時自分がモグリを見逃していなければ……と。
「まあ、こうして再び顔を合わせる事になったがな」
溜息をついたクロエが、「隊長のお導きかもしれん」と鼻を鳴らしてエレナを睨みつけた。
誰も何も言わない。いや、言えない。二人にしか分からない事だろうし、クロエの話を聞く限り、ラジェフの死は、エレナが命令を無視した事に起因しているのだ。クロエが「エレナが隊長を殺した」と息巻くのも無理からぬ事だろう。
全員が押し黙る中、ユーリはと言うと……特にエレナに呼びかけられそうな事実が見つからなかった事と、何とも二人らしい経緯に溜息が出そうなのを堪えていた。それと、同時に腹立たしくもあった。どこにでもある話を、よくここまで拗らせられたな、と。
結局エレナもクロエも二人して、ラジェフという男の事を何も理解していないのだ。
とは言えユーリからしたら、二人が仲違いしたままだろうが、仲直りしようが、正直どっちでもいい。どちらも共に戦う仲間ではあるが、クロエは今のところ期間限定だ。【軍】の動向とクロエ次第では敵になる可能性もある。
なのでこの話はこれで終わりでいい。終わりでいいはずなのに、何故かやたらと腹が立つのだ。ユーリ自身混乱している。これは二人の問題で、ユーリが首を挟むべき事ではない。それを理解しているが、この良く分からない感情はなんなのだろうか。
その感情を押し殺すように、瞳を閉じたユーリの脳裏に
――だってほら、仲間同士仲良くして欲しいじゃん。
響いてきたのは、かつて仲間内で起きたキャットファイトを、身体を張って止めた男の声だ。能力とは真反対に、ストレートに感情を伝える青年。
――僕は、仲が良い二人が好きなんだ。
聞こえてきた言葉に、「俺はお前みたいに上手く止められねぇよ」と小さく呟けば、脳裏で笑い声が響いた。
――何いってんの。ユーリ
笑いながら響くその声に目を瞑ったまま「うっせ」と返したユーリが、仕方がないとばかりに浮かべた笑みを瞬時に消した。
嫌われ役……確かにそうだ。優しい言葉をかけるなど今まで終ぞやったことなどない。出来るのは、思った言葉をストレートにぶつけるだけ。たとえ嫌われようと、それしか知らない。
踏み込めないではなく、踏み込まない。いつからそんな殊勝な人間になったのか。ユーリ・ナルカミは、誰が相手でも思ったことを思ったまま言う人間だったではないか。
遠慮などクソ喰らえ、思い切りやってやろう。そう思えば、妙に身体が固まっている気がして、「うーん」と大きく伸びをしながら声を漏らした。
「……昔話は終わったか?」
欠伸を噛み殺し、潤んだ瞳を見せるユーリに、エレナに向いていた全員の視線が、信じられない、と言いたげに集中する。そんな視線などなんのその、もう一度大きく伸びをするユーリに、呆けた顔を引き締めるように頭を振ったカノンが、思わず口を開いた。
「ユーリさん、まさか寝てたんですか?」
「起きてたわ、一応な。ただまあ……起きてたけど、クソつまんなくてな」
ユーリは頭の後ろで手を組み、寝転がる様に壁に背中を預けた。今度は欠伸を噛み殺す事もないユーリの仕草に、そして先程呟いた「つまらない」との言葉に、クロエの眉が僅かに動いた。
クロエから漏れるのは僅かな怒気だ。仕方がない。抱えていた話を、事情も知らぬ男が「つまらん」と一蹴したのだ。
流れる剣呑な雰囲気に、「ユーリ……」とリリアが小声とともに、ユーリの脇を肘で小突くが、当のユーリはヘラヘラと笑みを浮かべるだけだ。
「どうせ大した事ねぇだろ、って思ってたけどよ。予想以上にクソつまんねぇ話だったな」
その言葉に「なんだと?」とクロエが立ち上がり、リリアが堪らず「ユーリ!」と声を荒げた。
「ボーイ。言い方ってもんがあるだろ〜」
呆れた声をもらすダンテ同様、彼のチームメンバーはディーノ以外の二人も呆れた顔を向けている。
「バカか。視界が曇りまくってる相手に、オブラートに包んでどうすんだよ」
悪い顔で笑うユーリに、「言いたい事はわかるがな」とロランが苦い顔を浮かべてみせた。
「こういうのは、キッチリ言わねぇと駄目なんだ」
ユーリの言葉に、ダンテ一行が「言いすぎるなよ」とでも言いたげに肩を竦めて見せた。恐らくダンテ達はクロエの話しを聞いて、ユーリと似た感想を持っているのだろう。
「貴様ら、さっきから何の話をしている!」
クロエが怒りを隠すことなく見回すが、その様子にユーリは迷うことなく「お前の話はガキの戯言だって言ってんだよ」と吐き捨てた。
その言葉に、
キレたクロエがユーリとの間を一歩詰め
ダンテ一行とカノンは「あちゃー」と顔を覆い
リリアとアデル達は、「酷い」と口を尖らせる。
……が、ユーリは微動だにせず、ほぼ寝転んだ状態のままだ。
「本当のこと言われたからってキレんなよ」
ヒラヒラ手を振るユーリに、「……貴様に何が分かる?」とクロエが思い切りユーリを睨みつけた。
「あの場でエレナが命令を守っていたら、少なくとも隊長は死なずにすんだ」
声を震わせ一歩踏み出すクロエを、横目で見やったユーリがまた笑う。
「そりゃ、あの場では死ななかっただろうよ。でも遅かれ早かれ死んだだろ。お前らのどちらかを庇って」
ヘラヘラと笑うユーリに、クロエが「どういう事だ」と眉を盛大に寄せた。
「どうもこうもねぇ。そのまんまの意味だ」
それだけ言うと、ユーリは何も言うことがないとばかりに、完全に横になってクロエに背を向けた。
「おい、ナルカミ! どういう事だ!」
声を荒げてユーリに突っかかろうとするクロエを、「ストップです!」とカノンが必死に羽交い締めに。
「お前らの大好きな隊長がどんな男だったのか、ちったぁ頭冷やして考えてみやがれ」
そう吐き捨てたユーリが、徐ろに足を持ち上げ、それを振り下ろした勢いで立ち上がった。今も苦しそうに浅い呼吸を繰り返すエレナの近くへ向かったユーリが、「チッ」と小さく舌打ちをもらして周囲を見渡す。
明かりは十分。これ以上の明るさはここでは不可能だ。
それでもエレナを苦しめ続けるという事は、それだけエレナの過去が、彼女の中に鈍くのしかかっているのだろう。
「……どいつもこいつも――」
呟いたユーリが意を決したように大きく深呼吸をしてリリアを見る。クロエに関しては宙ぶらりんだが、エレナが死んでしまえば元も子もない。尻切れトンボのようで申し訳ないが、今はエレナを優先させねばならない。こいつも起こして、二人相手に思い切り悪態をついてボコボコにせねばならないのだ。
ユーリの視線に気がついたリリアが小首を傾げて「何よ?」とユーリを見つめ返した。クロエへの態度に怒っているのだろうが、今は無理矢理にでも話を切る必要があったのだ。正直勘弁願いたいが、それを説明する間も惜しい。
これだけ明かりを焚いているが、エレナの苦しそうな表情は変わらない。このままではエレナは夜を越せないのが明確なのだ。
「リリア、クロエ……お前らの文句は後で聞いてやる。今は俺達がここに来た目的が最優先だ」
そう言いながらエレナを顎でシャクり「先ずは、こいつを助ける」と呟くユーリに、渋々と言った雰囲気でリリアが頷いた。
「助けると言っても、どうやって助ける? 我々では手出し出来んぞ?」
眉を寄せるクロエの言葉に、ユーリ以外の全員が渋面のまま頷いている。
「大丈夫だ。一つだけ案がある」
呟いたユーリが再びリリアへ視線を向けた。
「リリア……お前の歌だ」
「私……の歌?」
驚いた顔を浮かべるリリアだが、その言葉に頷くユーリの顔は真剣そのものだ。ユーリとしては出来れば切りたくなかったカード。だが、先程から一向に回復する素振りのないエレナを見るに、もうこのカードしか打つ手はない。
皆の声にも反応しなかった。
クロエの昔話にもヒントは無かった。
この明るさでも夢魔が弱る事が無かった。
一つ一つ、小さく僅かな望みをかけていた。だが、それが叶わなかった今、ユーリに頼れるのはもうリリアの歌というジョーカーだけだ。
「こいつが……また歩きだそうと思えたのは、お前の歌がキッカケらしいからな」
ジョーカーを切るが、そのカードを巧妙にすり替えるのも忘れない。ユーリ自身、卑怯な言い草だと思うが、そういった働きかけが夢魔に有効なのも事実だ。ジョーカーたるリリアの歌が持つ力への期待もある。だがエレナ自身の心を、こちら側に引き寄せたいというのも本心だ。
「何かのキッカケで、心を強く持てる可能性がある……だから頼む」
水を向けられたリリアは、隣のクロエを気にしつつ立ち上がった。ユーリは未だ自身を睨みつけるクロエに肩を竦める。
「文句なら後で聞いてやる。こいつが起きてから一緒にな」
その言葉に舌打ちをもらしたクロエが「……オーベル嬢頼む」とリリアに小さく頷いた。
こんな微妙な空気の中……と言いたげだったリリアだが、小さな咳払いの後、周囲を包み込むような優しい歌をゆっくりと紡ぎ出した――
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