第164話 長い夜には昔話を
リリア達を迎え入れるというクロエを残して、ユーリ達五人は通路の途中にある脇道へと入っていた。大きな空洞自体が古い水道だったようで、幾つかは剥がれ落ちているが、レンガ造りの壁は人工的にここが作られている事を示している。
そんな人工的な壁に開けられた横道。壁と比べると、真新しいレンガで作られたそれの先に広がっていたのは小さな部屋だ。何も無い、がらんどうとした部屋だが、ユーリ達が入ってきた場所の他にも二箇所に通路が続いている。
「とりあえず、そこに寝かせてくれ」
そう言いながらユーリは明かりを片手に、通路の先を覗く……昏く先の見えない通路だが、不思議と何の気配も感じない。まるで此処から先は結界が張ってあるかのように、モンスターが入りこんだ気配がないのだ。
ユーリ達が入ってきた所以外に二つある通路。
両方の入口を軽く叩いてみると、片方は入り組んだ構造をしているが、もう片方は真っ直ぐな通路の先に、開けた空間があるようだ。
「少し見てくる」
そう言ってユーリが真っ直ぐな通路へと足を踏み入れた。暗闇の中を進んで間もなく――
「……なんだ……ここ?」
――通路の先にあったのは、先程の小部屋とは比べ物にならないくらい広い、大広間のような空間だった。ユーリが周囲をキョロキョロと辺りを伺うが、想像以上に大きく物々しい部屋に驚きを隠せない。
中央に置かれた巨大な祭壇。
その下部に描かれた魔法陣。
壁を彩る様々な宗教画。
どれもこれも天使や神が降臨している光景だが、場所が場所だけにどうも神々しさよりも禍々しさを感じてしまう。
「これが連中の祭壇か……」
床に飛び散っている赤黒いシミが何であるかは、考えずとも分かる。何とも胸糞の悪い場所で、今直ぐ叩き壊してしまいたいが、今はこの広さと密閉されているという状況を利用したい。
リリアの歌の事を考えれば、入口やもう一つの通路は塞いでしまいたい。そうなると部屋の空気という点が最大のネックだ。リリアの歌の度に通路を塞ぎ、歌が終われば通路を開いていたのであれば、怪しまれてしまう。
であれば、エレナが助かるまでは終始一貫して密室を作った方が都合がいい。
この大部屋位の広さがあれば、ダンテ達を含む大人数でも一晩くらいの空気は余裕で持つ。
最大の懸念事項が解消されたユーリは、「全部終わったらぶっ壊してやるからよ」と吐き捨てて祭壇を後にした。
ユーリが小部屋に戻ってきた頃には、既にリリアを含む全員が集合していた。全部で十一人。流石に「狭い」とまでは言わないが、この小さな部屋では、ぎりぎりパーソナルスペースが確保できるくらいの人口密度だ。
「ナルカミ……その先は?」
クロエが顎でシャクるのは、ユーリが今しがた出てきた通路だ。
「クソ共の夢の跡……ってやつだ」
鼻を鳴らすユーリに「なるほど……ならばここは禊のための部屋か」とクロエも面白くなさそうに顔を顰めた。
「あっちの通路は複雑すぎて見てねぇ……多分居住スペースとかなんとかだろうな」
ユーリが親指で指すのはもう一つの通路だ。
「とりあえず……入口とこの訳の分からん通路を塞ごうと思う」
ユーリの言葉に全員が頷いた。今のところ気配はないが、どこからモンスターが来るか分からない。ならばその侵入経路を潰すのは上策だろう。
「……なら、俺の出番だな」
首を鳴らしたディーノが、無表情のまま入口の通路に手を触れ魔力を流した。レンガが形を崩し、見る間に泥へと変わっていく――ボトボトと落ちた泥が入口を塞げば、ディーノがもう一度その泥に触れて魔力を流す。今度は泥が見る間に固まる。
「
「……そうだ」
ユーリの呟きに相変わらず無表情で応えたディーノが、もう一方の入口も綺麗に塞いでいく。
その特性を活かし、岩を溶かしたり、泥を固めたりする事が出来るのだ。媒体となる岩や泥が必要ではあるが、魔法でずっと壁を作らねばならないラルドと比べれば、一度作るだけで壊されない限り保つという点は優秀だろう。
祭壇へ続く道以外は完全に封鎖された空間で、至るところで明かりを灯して部屋を昼間のように明るくする……顔を歪めるエレナの額に浮かぶ汗が明かりに煌めく。
「……ラジェフ隊長……」
うわ言のように呟く声に、
「ラジェフ……ラジェフ……どっかで聞いたな」
とユーリが腕を組み唸る横で、クロエが「フン」と面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「アレクサンドル・ラジェフ……エレナと私がかつて所属していた部隊の隊長であり、私達の師である御方だ」
「そうだ。ジジイの友人だったな」
思い出したように手を打ったユーリだが、クロエは渋い顔をしたままエレナを見下ろしている。
「……貴様が隊長の死に責任を感じていたとはな」
鼻で笑うクロエだが、小さく溜息をついて「いや、感じていたからこそ逃げたのだろうな」ともう一度エレナを見下ろした。
「クロエさん……よかったら聞かせてくれませんか?」
真っ直ぐに見つめるリリアの瞳に、クロエは「聞いた所でどうしようもないだろう」と溜息をついた。
「それでも……です。誰かに話せば楽になるかも……なんて偉そうなことは言いません。私は私の大好きな二人が、何が原因ですれ違ってるかくらい知っていたいから」
なおも視線を逸らさないリリアに、クロエが参ったとばかりに肩を竦めてみせた。
「まあ夜は長いからな……偶には昔話もいいだろう」
そう言いながらクロエが床に腰を下ろして壁に凭れた。
「アレクサンドル・ラジェフ准尉……いや、殉職で二階級特進したから中尉か……ともかく平民出身で大した実力もない男だと思っていたよ。それこそ部隊配属当初は腰掛け程度だと思っていたさ」
遠くを見るように笑うクロエの隣にリリアが腰を下ろした。
「でも、そうじゃなかった……ですよね?」
同じ様に遠くを見るリリアに、クロエが「ああ」と黙って頷いた。
「人としての強さを持っている……というか。何にせよ、人としての在り方、騎士としての道を示してくれた偉大な人だった」
懐かしむように笑うクロエが、ラジェフの人となりを話していく。出会いは騎士学校を卒業し、准尉として鳴り物入りで【軍】へ入隊した時だった。
始めは五〇を過ぎてた同尉官に「大したことない」と思っていたが、目を見張る程の剣の実力に加え、大きすぎる器。この人こそ上に立つべき人物だと直ぐに思い直した。
弱いものの為に常に戦う男だった。
常に笑顔を絶やさぬ男だった。
人に馬鹿にされても、馬鹿にはしない男だった。
常に己の信念を曲げぬ男だった。
実力の差も経験の差も歴然としているのに、クロエやエレナを馬鹿にする事など一度も無かった。それどころか、ラジェフ自身がクロエ達に劣っていると思うことがあれば、即座に教えを乞うてくる程、老いて尚勉強熱心な男でもあった。
それと同時に茶目っ気もあった。
ヴァンタールという名門に生まれたクロエにとって、一八になってナノマシンが適合するまでは、ずっと半人前の扱いであった。そこで優秀なナノマシンと適合して初めて、家の人間として認められる。つまりそれまでクロエは家の人間に何かのお祝いをされたことなど無かったのだ。
一八になって適合したナノマシンは、【アモン】ソロモンシリーズにして、炎の侯爵の異名を持つ強大な悪魔だ。ようやく、ようやく認められるそう思ったクロエに掛けられた言葉は「ヴァンタールならば当然」という冷たい言葉だった。
そんなクロエだったが、入隊したその歳の誕生日、要は一九の誕生日は今でも忘れられない思い出だ。エレナとラジェフの二人が企画して、クロエにサプライズバースデーをしてくれたのだから。
「あの時は嬉しかったな」
そう呟くクロエの顔が全てを物語っている。その後もエレナと企画してラジェフの誕生日をサプライズしてみたり、エレナとクロエにちょっかいをかけてきた【軍】の幹部を叩きのめしたりと、クロエ達は楽しい日々を過ごしていた。
気がつけばクロエもエレナも既に中尉へ上がっていた。少尉に上がった時点で、二人はラジェフの下を離れていたが、それでもラジェフを「隊長」と呼び慕う関係性は変わらないままだった。
そんな三人に転機が訪れたのは、三年前のあの日――
「あの日、私はとあるアンダーグラウンドの摘発任務に就いていた……そこにはエレナも、もちろんラジェフ隊長もいた」
――そう話すクロエが、苦しそうに呼吸をするエレナを睨みつけた。
「あの日……エレナは……いや、エレナがラジェフ隊長を殺したんだ」
小さな部屋に響いたその声に、一瞬だけ明かりが瞬いた気がした。苦しそうなエレナの呼吸音だけが、やたらと煩く響いていた。
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