第163話 出来なかった事より、出来た事を認めるほうが大事

 深淵に向けて真っ直ぐ突っ込んでいくユーリとクロエ――二人を深淵が包んで間もなく、ビュウビュウと鼓膜を震わせる風切音に混じって、うめき声が聞こえてきた。同時に二人の鼻をえた臭いが襲う。


 悪臭にクロエが若干顔を顰めるが、その隣のユーリはさして気にした素振りもない。ただただ真っ直ぐ深淵を見つめるユーリが、何かに気がついた様に口を開いた。


「クロエ、底だ。!」


 響く風鳴りに負けないユーリの声に、クロエは自身の周りを炎で覆う。それが僅かに照らした視界に飛び込んできたのは、蠢くと地の底だった。


 クロエの灯した炎に気がついたのだろう。無数のゾンビの顔が一斉にクロエへ向く――


ではなかったのか?」

「魔力だとか何だとかで判断してんだろ――」


 軽口を叩きあった二人がついに地の底へ……ズシンという音を立てて二人が同時に別々のゾンビを踏み殺した。靴裏から感じる柔らかく不快な感触を振り払うように、「どっちだ!」とクロエが声を荒げながら迫る一体を火葬にする。


 同様に暗闇から迫るゾンビを殴り飛ばしたユーリが、「二時方向!」とエレナ達の気配を感じる方向へ向き直った。


「距離は……一〇〇もない。が――」

「なんだ?」


 眉を寄せるクロエが、一瞬で周囲のゾンビを焼き払った。ユーリ達とゾンビの群れの間に僅かな空間ができる。


「どうも壁越しの感じがするな……まあ行ってみたら分かる」


 ユーリはそう言いながらクロエに視線を向けた。エレナ達の大体の位置は把握できた。あとは確認して連れ帰るだけだが、このゾンビの群れの中を怪我人を連れて進むのは得策ではない。だからこそ、ユーリがクロエを連れてきた訳で……


を頼むぞ」


 その言葉に、「全力でやっていいんだな?」とクロエがニヤリと笑う。


「俺を燃やさねぇ程度にな」

「善処しよう」


 クロエの笑みを見たユーリが、一直線にエレナ達の下へ駆ける。その背後では天を突かんが如き炎の柱が上がっていた。






 背後にクロエが発する炎の熱を感じながら、ユーリは行く手を阻むゾンビを殴り飛ばして進んでいた。


「あいつ、俺も燃やすつもりじゃねぇよな」


 チラリと振り返った先では、景気よく炎がそこらじゅうを燃やし尽くしている。降りる途中に、ゾンビが発する臭いに顔を顰めていたクロエだ。もしかしたらここら一帯をするつもりもあるかもしれない。


 とは言え雑魚戦滅も、地面の浄化も必要と言えば必要だ。仮にエレナ達が負傷していれば、ダンテ一行に救出の応援を頼む必要がある。そうなれば、必然的にリリアもこの地獄へ足を踏み入れねばならない。


 軍人であるクロエですら顔を顰める臭いだ。いわんや一般人をや、である。それを思ったユーリが、腐肉を殴った自身の手を見た……これは良くない、とゲートから一本の棒を取り出す。


 何の変哲もない、ただ魔鉄を固めただけの棒。第二駐屯地で、建設予定の資材から武器代わりにと拝借してきた二メートル程のそれは、棍と称してもいいだろう。


 それを右手で抜きざまに横に薙げば、一撃で数体の頭が弾け飛んだ。


 両手に握り直した棍で、ユーリがゾンビの足を払うように掬い上げた。

 浮き上がるゾンビ。

 棍を振ったユーリがその勢いで回転。

 宙へ浮かせた一体に突き刺さる後ろ横蹴り。

 吹き飛んだゾンビが後続を数体巻き込む中、後ろ向きのまま棍を別の一匹へ突き出した。


 胸元へ突き出した棍が、別の一体を吹き飛ばし……と思っていたそれは――「げ」というユーリの声が示す様に、深々とゾンビの胸へ突き刺さった。


「軟すぎんだろ……」


 苦笑いを浮かべたユーリが、蹴り足を引き戻す勢いで反転しつつ、棍の先についたゾンビを放り投げる。転がるゾンビに巻き込まれる別のゾンビ。


「こんだけ軟けりゃ、もっとでいいな……」


 ニヤリと笑ったユーリの腕が鉄の棍をクルクルと回転させる――掌から手の甲を滑り、両脇のスレスレを撫でるように旋回する棍が、ヒュンヒュンと風を切りはじめた。


 ヒュンヒュンと景気のいい風切音がドンドン高くなる。


 棍がユーリの手の甲を回る度。

 棍がユーリの脇をすり抜ける度。


 回転する棍の速度は見る間に上がり、今では全てを飲み込む暴風と見紛う程だ。


 ユーリが回転させる棍がゾンビたちを飲み込んでいく。


 回転の勢いがついたユーリが少しずつ前進していく。

 両手で扱われていた棍は、時に片手で、時に後腰を経由して、時に身体を倒したユーリの後頭部スレスレを。

 回転の勢いを止めぬまま、全てを巻き込み吹き飛ばしていく。


 既に駆け足になったユーリが通った後には、バラバラに吹き飛んだゾンビ達。時折ゴーストの類いも巻き込んでいるようだが、そこは流石魔鉄。普通の鉄とは違い、霊体を容赦なく霧散させて行く。


 近くなってくるエレナ達の気配へ、ユーリは足を止めることなく更に加速していく。


 既にクロエの炎は遠く、ユーリを包むのはほぼ暗闇だが、目を瞑っていても戦えるユーリにとって闇など関係ない。敵は気配で察知できる。地形に関しても、様々な音の反響である程度の地形は把握できる。ゾンビが出す呻き声、棍が切る風の音、自分の足音、その程度の音でも、ユーリにとっては十分すぎる情報だ。


 一定の広さで続くトンネルのような空間……どうやら一箇所だけ穴が空いているようだが、その先が所謂アナスタシスの祭壇なのだろうか。だが今はそれどころではない。


 脇目も振らず、迷うことなくエレナ達の気配まで一気に距離を詰めたユーリ。その耳が捉えた情報は……


「岩……か?」


 ……巨大な岩だ。壁に凹凸はあれど、一定の広さを保っていた空間に、突如として出現した大岩。その中からエレナ達の気配を感じる。


 何故こんな所に大岩が……もしかしたら、この下に閉じ込められているのだろうか。いや、エレナだけでなくラルドやフェンもいるのだ。力技で抜けられなくはないだろう。状況は分からないが、兎に角今はこの大岩を壊してみるか、とユーリが棍の回転に合わせて自身も一回転。


 加速させた棍に、ユーリ自身の回転を加えた一撃が大岩と衝突して地下空間に甲高い音を響かせた。


「硬っ!」


 棍から伝わる痺れを両手に覚えながら、ユーリは軽くヒビが入った程度の大岩をもう一度睨みつけた。どうやらただの岩ではない。訝しむユーリが棍の先端で、大岩を突いてみる……と、中からくぐもった悲鳴が小さく聞こえてきた。


「おい、助けに来たぞ!」


 大岩に向けて声を張り上げれば、『ユーリか!』とが響いてきた。


「おう、元気そうだな」


 笑うユーリに、岩の中から『俺はまだ元気だが……』とフェンの弱々しい声が響く。


「ま、なんにせよ。ちっと耳塞いでろ。今この岩ぶっ壊してやるからよ」


 そう言ってユーリがもう一度棍を構え直した、その瞬間『待ってくれ』とフェンの声が岩の中から響いた。それに眉を寄せてユーリが棍を振り上げたまま固まる。そんなユーリが見えていないだろうフェンが、もう一度『待ってくれ』と声を上げる。


『ユーリ、周囲に敵影はあるか?』


 上擦ったようなフェンの声に、ユーリは周囲の気配を探る……が、ここに来るまでに殆どのゾンビやゴーストを踏み潰してきたので、殆ど気配はない。残っているゾンビたちも、その多くが炎に惹かれるように、クロエの下へ向かっているようだ。


「……いんや。この周囲は安全だな。ちっと離れた所は地獄絵図だが」

『地獄絵図?』

「気にすんな。が張り切ってるだけだ」


 笑うユーリが振り返れば、一際大きな炎が天を焦がしている真っ最中だ。恐らく放っておけば、あと数分もしないうちにクロエの炎が全てを焼き尽くして綺麗にしてくれる事だろう。


『分かった。ここは安全なんだな……ラルド頼む――』


 フェンがそう言えば、岩がガラガラと崩れ落ちて、同時に明かりを持ったフェン達四人が現れた。どうやら硬い岩はラルドが作り出していたようだ、と感心するユーリだが、目に飛び込んできた明かりの眩しさに、ユーリが片手で光を遮るように目を隠す――


 若干慣れてきた明かりに、ユーリが手を下ろし……


「……元気――じゃなさそうだな」


 その視界に飛び込んできた四人の様子がおかしい。いや、正確にはエレナの様子が、だ。苦しそうに浅い呼吸を繰り返し、瞑ったままの瞳は開かれる事はない。額に張り付いた脂汗と上気した頬……高熱にうなされている様だ。


「何があった?」

「夢魔だ」


 ユーリの視線を感じているだろうフェンだが、今はただただアデルと一緒にエレナの額に浮かぶ汗を拭っている。


 ……夢魔。人に取り付き悪夢を見せるモンスター。悪夢に心が折れれば、取り憑かれた者は夢魔に殺されてしまう。単純な力や技ではなく、精神的な強さが物をいう特殊なモンスターだ。


「ここに落ちた時、暗闇で俺が夢魔に襲われた……その気配に気がついたリーダーが……」

「お前を庇って逆に取り憑かれちまった……ってわけか」


 小さく溜息をついたユーリにフェンが「クソ」と奥歯を強く噛み締めた。


「こ、この暗闇で動けないエレナさんを連れて逃げられなくて……」

「一応アタシ達も戦ったんだけど」


 申し訳無さそうな二人だが、完全に憔悴しきった顔を見るに、この暗闇の中、魔法を使って見えない敵に苦労したのだろう。普通に考えれば一人がやられた時点で、全員がやられていてもおかしくはない。


 夢魔が一匹という事はありえないし、負傷者プラスこの暗闇とゾンビの群れだ。エレナ以外が無事な方が奇跡に近い……いや、何だかんだで彼らの地力の高さ故だろう。


「逃げられねーなら、救助が来るまで持ちこたえようと思ってよ」


 唇を震わせるフェンが、悔しそうな顔をしながら再びエレナの汗を拭った。


「なるほど……それで岩で覆って明かりを焚いてたわけか」


 ユーリの言葉にフェンがエレナの汗を拭いながら頷いた。夢魔は極端に光を嫌う。少しでもエレナの助けになるように、そして自分たちの身を守れるようにということだろう。


 恐らくゾンビに混じって吹き飛ばした霊体の中に、夢魔もいたのかもしれない。奴らはこっそり人に取り憑く以外は、雑魚以外の何物でもない。気配で位置の分かるユーリからしたら、夢魔はスライム以下と言っても過言ではない存在だ。


 とは言え、取り憑かれてしまえばそうも言っていられない。夢魔は人の最も弱い部分を探し出し、その悪夢を見せるという。加えて夢魔に取り憑かれた者は、それを克服するまでは街へ入れない。街で夢魔に取り殺されてしまえば、夢魔を街へ解き放つ事になる……つまりエレナはここで夢魔を倒さねばならない。


 そして倒すには本人の精神力にかけるしかない……いや、今のユーリには一つだけ心当たりがある。


 リリアの歌だ。


 リリアの歌が、本当にモンスターを弱体化させるなら、エレナに取り憑いた夢魔も弱らせられるだろう。だが、こんな荒野のド真ん中でリリアに歌わせれば、何が起こるか分からない。


 出来れば音を遮断できるような場所があれば……そう考えながら周囲を探るユーリの脳裏に、先程一瞬だけ感じた壁に開いた穴の事が過った。


 それが本当に祭壇に続いているなら……

 祭壇という名の実験室。

 悲鳴を外に漏らさぬよう分厚い壁に覆われているはず……


 ユーリが悩むこと数瞬……イヤホンを押さえながらおもむろに口を開いた。


「クロエ、そっちの状況は?」

『見える範囲に敵影なし……だ』


 イヤホン越しに聞こえる元気そうなクロエの声に、「了解」と応えたユーリが大きく深呼吸。


「カノン、キザ……ダンテ、状況は把握してるな」


 ユーリの言葉に『はい』、『ああ』と二人の声が鼓膜を叩く。


「リリアを連れてきてくれ……あと、大量の明かりが欲しい」

『リリアさんを……でしょうか? 皆さんを上げた方が早いのでは?』


 訝しむようなカノンの声は最もだ。荒野だろうが地表に出て、少しでも明るい場所の方がいいと感じるのは普通だろう。だが、リリアの歌を使うなら地上は駄目だ。とはいえ今はまだその情報は明かせない。


「こっちに恐らく小部屋がある。そこを塞いで明かりを焚いたほうが、明るさも防衛の面でもいいだろう」


 だからリリアを連れてくるのは、ただ護衛のし易さという一点で突破する。どのみちエレナが回復するまでは皆動けない。ならばいつモンスターが来るか分からない荒野よりも、地下の小部屋の方が都合がいいのは間違いない。


 ユーリの言葉に納得したのだろう、イヤホンの向こうが俄かに慌ただしく動き出す――それを聞きながらユーリはフェン達三人に向き直った。真っ直ぐに見つめるユーリに、フェン達三人はバツが悪そうな顔で俯く。


「下を向くな。この状況で、未だ被害者ゼロだ。お前らじゃなかったら最悪全滅してた……最善を尽くした自分を誇れ」


 ユーリから紡がれた鼓舞する様な言葉に、三人がキョトンとした表情で顔を上げた。


「エレナも、お前らも、出来る最善を尽くした。この状況で誰一人死んでねぇ。それは誇る事だ」


「でも……」


 アデルが悲しげな瞳でエレナを見た。


「お前らのリーダーは、夢魔程度にやられるタマじゃねぇだろ……」


 ユーリの言葉に泣きそうな顔の三人が強く頷く。とは言え予断は許されない。エレナの時間も、そしてリリアを連れているという事実も……。本来なら既に街へついている頃だろう。そう思いながらデバイスを傾けたユーリの目に飛び込んできた時間は、既に暗くなっているだろう時間だ。


 流石にこれ以上の遅れをで、というのは筋が通らない。


わりぃ……ちっとだけ時間をくれ――」


 何度か躊躇うユーリが大きく深呼吸をして、とある人物に通信を入れる――コールすること数回、ホログラムに映ったのはリリアの父親だ。


「親っさん――」

『……リリアに聞いている』


 憮然とした態度の父親に、ユーリは真っ直ぐ頭を下げた。


「すみません。必ず無事に、怪我一つなくお返しします」

『当たり前だ。お前だから、預けたんだ。二人揃って、いや元気に帰ってこい』


 その言葉に「はい」と頷いたユーリに、『店の準備が有るから』とリリアの父親は直ぐに通信を切った。


 頬を叩いたユーリがフェン達を振り返った。……全員で。誰一人かけることなく、カノンと言っていた打ち上げをせねばならない。


 リリアの秘密。

 道が通じる場所。

 モンスターの襲撃。


 ユーリはそれらの迷いを振り払うように息を吐き出した。


「助けるぞ。まずは俺の言う場所に移動してくれ――」


 暗闇に見えた一本の道。それを希望の道へ変えるかどうかは、とユーリはもう一度両頬を叩いた。

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