第162話 真っ暗な穴を覗き込むと、ヒュンってなる

 ダンテが運転するトラックが飛ぶように走る。


 もう殆ど消えかけた太陽を追いかけるように、スキール音を響かせ、トラックは今日一番のスピードで走っている。どうやらエレナ達は、リリアの帰り道を確保している途中で崩落に巻き込まれたらしい。


 そんなエレナ達の救出は、リリアを連れて行くと言う特殊な事情から、彼女の護衛チームがそのまま引き受ける形になった。……そう、リンファやノエル達は、この救出作戦から外れている。万全の状態で臨めない以上、頭数を増やした所で犠牲者が増えるだけなので仕方がない。


 もし負傷者がいた場合を考え、ダンテがトラックを運転し、全員がそれに乗って今まさに現場へと風を切って走っているのだ。


 凹みにタイヤを取られたトラックが、大きく上下に揺れる。「きゃ」と短く漏れるリリアの悲鳴だが、しっかりと手を握るユーリのお陰でリリアの身体が荷台から放り出されるような事はない。


 それどころか、今はユーリのゲートに入っていた野宿用折りたたみマットレスに座っているリリアだ。揺れこそ酷いが、座り心地だけは今までの道中で一番いい事だろう。


 再び大きく揺れるトラックの荷台で、ユーリが空を茜に染める太陽から顔を逸した。眩しさから逃れた先には、西日のせいで大きく伸びた廃墟の影。黒く昏いその影に、ユーリは先程聞いた話を思い出して、小さく舌打ちをもらした。


 ――エミーはアナスタシスの神子の一人……つまり人体実験の被害者なんだよ。


 それは今も真っ直ぐ前を見ているロランから聞いた話だった。


 エミリアだけでない。ノエルにエミリア達のオペレーターであるイーリン。そしてかつてハンター協会イスタンブール支部で働いていた職員の中にも、アナスタシスの神子と呼ばれる被害者達がいるという。


 神をその身に降ろすためと称し、非道な人体実験を繰り返していたアナスタシス。その被害者の多くは年端の行かぬ少年少女達であり、彼らの多くが心に大きな傷を負っている。


 エミリアの尊大な態度は、元は臆病な自分を隠すための演技だ。……最近は能力も相まって、本気で自信をつけてきてはいるが。


 とにかく、比較的被害の少なかったエミリアでさえ、己の心を偽ってきたのだ。実験が長きに渡った子らの心は、その比ではない。


 例えばノエルは、己を守るため自分の中に別人格を作った。

 例えばイーリンは、一度壊れた心を集め直した為、感情の起伏が未だ乏しい。


 誰も彼もが自己防衛の末、今の状態に辿り着いている。それでも彼女たちはマシなほうだろう。心に傷を抱えて尚、前を向いて生きているのだから……成人を迎える事が出来なかった者達に比べれば、マシといって差し支えないだろう。


 何とも胸糞の悪い話だと思う。


 そんな二人……どころかリンファ達のオペレーターも含めれば三人が、この付近の地下に潜りたくないのは、この付近の地下がかつてアナスタシスの活動拠点でもあるからだ。


 まだイスタンブールが奪還されて間もない頃、彼らは地下へと潜り、人々から隠れながらそこに神殿を作った。


 入口こそイスタンブール市内にあったそれだが、どうやらそこは旧時代より更に古い時代の地下水路に繋がっており、それらを通りアナスタシスは子供たちの悲鳴が市中に聞こえないよう、荒野の地下で実験を繰り返していたのだ。


 つまりこの辺りの地下は、アナスタシスの地下神殿と言う名の実験施設に通じている可能性が高い。強いトラウマを持つ三人をそんな場所へ送り込めない。と言うのがサイラス含め、全員の見解だ。


 ――問題児ばっかだけど、折角少しずつ前を向いて歩いてんだ。クソみたいな過去を清算するには、もう少し時間がいるだろ。


 ロランの背中から視線を逸したユーリが、「過去を清算か」と流れる風に呟いた。


……」


 もう一度呟くユーリに、怪訝な表情を見せるリリア。何か言いたげな彼女に、「気にするな」とユーリは手を振って再び西日へ視線を向けた。


 廃墟の向こうに広がる地平が、夕日を隠そうとしている……もうすぐ夜が来る。




 夕日が地平の向こうに隠れて間もなく、ユーリ達は地面に開いた巨大な穴に辿り着いた。まだ幾らかは明るい空のお陰で、現場の様子がよく分かる。


穴は巨大だった。


幹線道路から少しそれた地面が、かなり広い範囲で陥没し、真下には文字通り深淵が広がっている。


 成程これならばエレナ達が地下へと落ちても仕方がないな、と思える状況だ。


「さ〜て。行こうぜ〜」


 軽いノリで穴へ降りていこうとするダンテに、「まあ待て」とユーリがストップをかけた。怪訝な表情でユーリに視線を向けるダンテ一行。


 そんな彼らを脇に押しやったユーリが、いつになく真剣な表情で穴を覗き込んだ。ユーリが穴を覗き込んで暫く――


「キザ男、お前らは待機だ」


 振り返らないまま口を開いたユーリの背中に「はあ?」とロランが眉を寄せた。


「お嬢達が待ってんだろ? なら全員で――」


 ユーリに詰め寄ろうとするロランだが、全員の耳に『俺もユーリに同意見だ』とイヤホン越しにブルーノの声が響いた。


「ちょ、ブルーノ。どういう意味だよ」


 イヤホンを押さえてサテライトを睨みつけるロランを、穴から顔を上げたユーリが振り返った。


「深くはねぇが……暗すぎて下が見えねぇ。加えて……」

『無数の生体反応有り、だ』


 いつになく真剣なユーリが「そういう事だ」と鼻を鳴らせば、ロランが無言のまま砂漠の鷲アクィラの面々と顔を見合わせた。想像以上に危険な状態に、エレナ達の心配をしているのだろう。


「心配すんな。……モンスターから隠れてんだろ。四つ……人間の気配もするからよ」


 笑顔を見せるユーリに、ダンテやリリアがホッと胸を撫で下ろしている。だが、その言葉は同時にダンテ達の心に焦りの火を灯した。


 モンスターに囲まれた仲間。果たしてあとどれだけ無事でいられるのか。


 エレナ達が穴に落ちた。

 普通に考えれば、能力者の四人ならば脱出できないほうがおかしい。仮に負傷しているとしても、治癒魔法が使えるエレナがいるのだ。本来ならば脱出していなければおかしい。


 だが、それが出来ないという事は、彼らの身に何かあったということだ。


 全員が気を失っている。

 もしくは身動きが取れない。

 このまま救出が遅れれば、最悪の場合もある。


 仲間が危険に晒されている中、待機せねばならないというのは、彼らにとっては屈辱に等しい。エレナ達と同様、仲間を引っ張ってきた自負もある。


 だからこそ、ユーリやブルーノの提案が受け入れ難いのだ。


 ダンテやロランの表情から、ユーリは彼らの気持ちに気がついている。気がついてはいるが、今は冷静に、そして客観的に判断を下さねばならない。


 冷静さを欠けば、その先に待つのは二次被害だけだ。本来ならば彼らを納得させられればいいのだろうが、流石にそんな時間もない。


わりぃが、ここで


 吐き捨てたユーリが、「クロエ、手伝え」とクロエに向き直った。ユーリの言葉に頷いたクロエと、リリアを任せろと言わんばかりに敬礼をするカノン。流石にこんな真っ暗な穴の中、無数のモンスターがいる場所にリリアを連れては行けない。


 行くにしても、


 穴の縁に辿り着いたクロエに「エレナ達の方は燃やすなよ」と指示するユーリの背中にロランが「ちょっと待て」と声をかけた。


「押し問答はやらねぇ、っつったはずだが?」


 振り返り睨みつけるユーリに、「分かってる」とロランがそれでも退けぬと一歩前に出た。


「少佐が行くのは分かる。その能力があれば、どんな場所でも敵を殲滅出来るだろう……が――」


 そう言ってユーリを真っ直ぐ見たロランが、「もちろん、お前の強さも知ってるが」と呟いた顔には、こんな暗闇で多数を相手に戦えるのか、とでも書いてあるようだ。


 そんなロランに、ユーリは「心配すんな」といつもの笑みを返した。


「お前らは知らねぇだろうが、


 笑うユーリにロランが一瞬キョトンとし、「そうじゃない」と上げた声を――


「キザ男、カノン。リリアを頼むぞ」


 ユーリが完全に遮った。これ以上は時間が惜しいと、言いたげなユーリにロランも渋々口を閉じるが、今度はダンテが納得がいかない、という表情を返した。だがそれにユーリは首を振る。ダンテの気持ちは分かる。ダンテ達でも戦えるだろうが、ユーリとクロエを突っ込んで暴れさせた方が速い。


 ダンテ達の強さは個々の強さもだが、連携の妙だ。


 昏く、広さも敵も分からぬ場所では、彼らの強みが完全に発揮できない。


 逆にユーリのチームは、個々の力を爆発させるだけの単純な構造だ。こういった場所での戦いにはめっぽう強い。自分以外は敵。ならば暴れたいだけ暴れればいいのだ。


 条件的にユーリとクロエを突っ込むほうが理にかなっている。そして、それ以上にダンテ達を待機させるのには理由がある。


……っつったんだ。その意味くらい察してくれ」


 その言葉に、ダンテがようやく頷いてみせた。あのユーリが誰かに「頼む」という事自体珍しいのだ。それだけダンテ達を信頼している証拠だろう。


「なに……直ぐに済むさ」


 そう言ったユーリが、「行くぞ」とクロエを伴って巨大な穴目掛けて飛び降りた。


 ユーリとクロエが、真っ暗な穴に吸い込まれるように消えていく――薄暗くなった荒野に、季節外れの冷たい風が吹いていた。

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