第160話 知らぬ間に抱えている……かと思えば抱えられている事もある

 遊園地跡……第二駐屯地での激闘を終えたユーリ達は、現在第一駐屯地……ショッピングモール跡でライブ中の防衛にあたっていた。


 時刻は夕方。


 第二駐屯地で想像以上の襲撃があったものの、タイムテーブルで見れば予定通りに事が進んでいる。


 あの襲撃の後、警戒しながらこの第一駐屯地まで来たが、途中に遭遇したのは天然の豚一匹くらいだった。


 トラブルらしいトラブルもなく、既に第一駐屯地でライブが始まって暫く経っている……そしてもちろん一度目のライブとは違い、殆どモンスターの襲撃も無い。


 全員が警戒を怠っているわけではないが、それでも穏やかな時間が流れているのは間違いない。


 そんな中、ユーリはと言うと……リンファ達狙撃チームと一緒に駐屯地屋上から、壁の外をボンヤリと見下ろしていた。左膝に載せた右足の上で頬杖をつき、視線を動かせば、壁の外で防衛に当たっているダンテ達が見える。


 会話を交わすダンテ達――緊張した顔の中にも笑みが垣間見える彼らから、ユーリはそっと視線を逸らした。


 ボンヤリと荒野の向こうを眺めるユーリの耳には、屋上に詰めている狙撃部隊の雑談と、その合間を縫った微かなリリアの歌声が届くくらいだ。


 そう、微かな歌声だ。


 建物の中で歌っているからか、リリアの歌声は殆ど届かない。その事実があの襲撃にリリアの歌声が関与していると雄弁に語っている気がして、ユーリは大きく溜息をついた。


『ユーリさん、何か心配事でしょうか?』


 近づいてきたサテライトカノンをチラリと見やったユーリだが、「いや……」と小さく呟いて再び口を噤んだ。


 言えるものか。リリアの歌がモンスターを呼び寄せるかも、などと。

 言えるものか。リリアの歌がモンスターを弱体化させるかも、などと。

 言えるものか。リリアの歌に癒やしの力があるかも……などと。


 もう一度「いや……」と口を開いたユーリは、荒野に視線を戻して、いつものような嘲笑めいた顔を浮かべてみせた。


って思ってただけだ」


 話を誤魔化したユーリに『そうですね』とカノンが同調した。


 実際二人の言う通り、エレナ達は今も元気に荒野で


 一般人を荒野に派遣する以上、駐屯地だけ警戒すれば良いわけではない。道中のモンスターを退治する仕事は残っており、エレナ達はそちらに当たっているのだ。


 本来であれば行きで間引いているだけに、帰りの間引きは殆ど必要ないと思われていたのだが……ユーリがリリアの歌の事を黙っていた弊害か、大量発生したモンスターを警戒して、エレナ達も急遽道中の警戒に駆り出された形である。


 代わりに、焦土の鳳凰フェニックス草原の風鳥アプスは防衛ラインにねじ込んだのだが、エレナ達は今頃荒野の何処かでモンスター退治に勤しんでいるという訳だ。


 荒野を眺めるユーリが、再び頬杖をついていつもの笑顔を浮かべる。


「あいつら弱々だから、モンスターにやられてねぇか……と思ってさ」


『それは大丈夫でしょう』


 言い切るカノンに、ユーリが怪訝な表情を浮かべてサテライトを振り返った。


『一発撃っただけで、になるユーリさんとは違いますからね』


 サテライトの向こうでカノンがケラケラと笑い声を上げた。……どうやら完全に誤魔化せたようだ、と安心するユーリだがそれと同時に眉を顰めてサテライトを睨みつけた。


「……喧嘩、売ってると思って良いんだな?」


 底冷えするユーリの声に、『ぎぃぃぃええええええ!』とサテライトが震え上がりながら絶叫する――いつものやりとり、だからこそユーリは予めイヤホンを外していたのだが……


『ちょ――』

『うるさ!』

『何今の?』


 今はカノンと多くの狙撃手が繋がっている。カノンの発する怪音波にやられた狙撃手チームがもれなくイヤホンを外して眉を顰めているのだ。


 そんな惨状を眺めて「は、ははは」と思わず笑うユーリの耳に、『お前ら……ちゃんと仕事しろ』とクロエの不機嫌そうな声が届いた。恐らく蟀谷に青筋でも立てているのだろうか……それを想像したユーリは、肩を竦めて「りょーかい」とだけ応えた。


『ユーリさんのせいで怒られたじゃないですか』

「いや、お前のせいだろ」


 コソコソとやり取りをする二人だが、残念ながらイヤホンマイクが全てを拾って全員にその声を共有している。


 そんな事などお構いなし。と言った具合で今も「お前のせい」『ユーリさんが』と言い合う二人に近づく人影――気配を察知したユーリが振り返れば、そこには腕を組み鬼の形相でユーリを睨みつけるリンファの姿が。


「ナルカミ。少佐も言ってたけどよ……なにじゃれてんだ」


 蟀谷をヒクつかせたリンファが「お前状況考えろよ」と続ける。引き攣った顔で、「あとバーンズ、声量を考えろ」とサテライトをみるリンファは、どうやら先程の怪音波の被害に遭ったのだろう。とは言えユーリからしたら言いがかりに等しい。なぜなら喧嘩を売ってきたのも、叫んだのもカノンだ。


「バカか。今のは俺のせいじゃねぇだろ」


 謂れのない罪を着せられては堪らない、とユーリがリンファに口を尖らせるが……


「お前が脅かすからだろーが。ちゃんと聞こえてたからな」


 蟀谷をヒクつかせるリンファが、イヤホンをトントンと叩いた。


「聞いてたんなら、アイツが焚き付けた事くらい分かんだろ」


 尚も口を尖らせるユーリに「焚き付けた、だぁ?」とリンファが鼻を鳴らして続ける。


「事実を言われて、お前がキレただけだろ?」


 鼻で笑うリンファに、ユーリの蟀谷に青筋が一つ。


「おいおいリンファさんよ……を見てなかったとか言わねぇよな?」


「見てたぜ? 地面をコロコロ転がるお前の間抜けっぷりをな」


 ニヤリと笑うリンファを前に、ユーリの額にも青筋が増える。そしてそれを黙って聞く狙撃チームの全員が「お前もじゃれてんじゃねーか」と言いたい気持ちをグッと抑え込んだ。


 周囲の視線など何のその。ヒートアップする二人は止まらない。


「バカか。あれはだ」


「なにが戦略的休息、だ」


 尚も笑うリンファに、ユーリがついに立ち上がる。


「お前、今日はやけに絡んでくるじゃねぇか……」


 眉を寄せるユーリに

「そりゃこんな状況で、お前が馬鹿やってるからだ」

 とリンファが鼻を鳴らして更に続ける。


「お前が壁の防衛を真面目に出来ねー事は、


 ジト目でユーリを見るリンファに、ユーリが「いつの話してんだよ」と頬をヒクつくかせた。どうやらリンファは、衛士時代に二人で壁の警戒に当たった夜勤の事を言っているのだろう。


「そりゃの話だよ」


 間髪入れないリンファの返し――にらみ合う二人だが、若干自分に責任があるユーリが「チッ」と舌打ちをもらして視線を逸した。


「カリカリしやがって。カルシウムが足りてね――」


 呟いていたユーリが何かに気がついた、とばかりに手を打って、嘲笑を浮かべてリンファを見る。


「……なんだよ」


 ブスッとした表情でユーリを睨むリンファだが、嘲笑を浮かべたままのユーリは、「お前……?」と全てを察したと言わんばかりの顔で、ゲートをガサゴソあさり――


「ほれ」


 そう言ってリンファに差し出したのは……


「何だよこれ?」

「何って…豚だろ?」


 ……巨大な豚まるごと一匹だ。第二駐屯地から第一駐屯地へ、向かってくる道中で遭遇したあの豚。ちゃっかりハントしていたそれを、ユーリはリンファに突き出した。


 丸々と肥え太り、中々美味しそうな豚を前に、リンファが眉を寄せてユーリと豚を見比べた。


「いや、豚は見たら分かるわ。何でアタシは豚を手渡されてんだ、って聞いてんだよ」

「そりゃお前が『天然の豚かー。いいな』って言ってただろ?」


 溜息混じりに笑みを浮かべるユーリに「いや、言ってたけど」とリンファが眉を寄せた。


「それにその後、『アタシ、肉は豚肉が一番好きだな』って言ってたろ? わりぃな。気づかなくて」


 嘲笑を浮かべたままのユーリに、リンファが「ちがっ」と声をもらして顔を赤らめる……それを無視するように頭を振ったユーリが、「遠慮すんな。ほら――」と豚をリンファに突き出した。欲しかったんだろ、と言いたげなユーリの表情に、リンファの赤かった顔面が更に紅潮――


「ちっげーーーよ! そういう意味じゃねーわ!」


 ――思わず大声を出してしまったリンファが、ハッとした表情で口を押さえたがもう遅い。ニヤニヤと笑うユーリの視線を追うように、リンファが恐る恐る振り返る先には……イヤホンを外してジト目でこちらを見る他の狙撃手たちだ。


 そんな彼らに「あ、あははは」と愛想笑いを浮かべて手を振ったリンファの耳には――


『お前ら……仕事しろ』


 ――あの声が聞こえている。身体の芯を震わせるその声に、リンファは弾かれたようにユーリを振り返った。


「お前のせいだぞ、ナルカミ」


 声を押さえたリンファがユーリに迫るが、それをヒラリと躱してユーリが悪い顔で笑う。


「そりゃ悪かった。ならお詫びのしるしに――」


 悪い顔のユーリが再び豚を突き出した。


「だ、か、ら、いらねーよ!」


 小声で突っ込むリンファに、「腹が減ってるからってカリカリすんなよ」とユーリがニヤニヤと笑う。


「アタシは赤ん坊か!」


 再び小声で突っ込んだリンファだが、気がつけばユーリのペースに巻き込まれてしまっている事に、大きく溜息をついた。


 ケラケラと笑うユーリを前に「お前ホント嫌なやつだな」と口を尖らせたリンファが、再び大きく溜息をつきながら口を開いた。


「……まあ思ったより元気そうで良かったよ」


 溜息に掻き消されそうな程小さい声……が、もちろんそれはイヤホンのせいで皆の耳に届いている事をリンファは失念している。そうとは知らず、「お前と話すと疲れる」と悪態をついたリンファが、ユーリに背を向けて自分の持ち場へと歩き始めた。


 肩を怒らせ歩くリンファの姿に、遠くでルッツが肩を震わせ笑いを堪えているのが見える。やはりリンファの呟きは皆に拾われていたようだ。


 優しさを真正面から示せない。


 何ともリンファらしいな、とユーリは小さく微笑んで頭を掻いた。リリアの事は確かに気がかりだ。気がかりだが、自分一人で悶々と悩むのはらしくない。


 気づかぬうちに抱えていた……のはどうやら自分だけではないらしい。


 ならばウジウジ悩ん出る場合ではない、とユーリは顔を上げてリンファの背中を見た。衛士隊の頃は頼りにならないと思えた背中だが、中々どうして今は大きく見える。


「リンファ――」


 その背中にユーリは笑顔で声をかけた。


 眉を寄せて「何だよ?」と振り返るリンファに、ユーリは笑顔のまま口を開く。


「ありがとな。お前らに会えて――」


 その瞬間、ユーリの目の前に魔弾が迫る。「――ッて危な!」それを辛うじて躱したユーリだが、その目の前では魔導銃マジックライフルを赤ら顔で構え「チッ、避けやがったか」と赤い顔を顰めるリンファの姿が。


「おまっ! 今完全に頭狙ってただろ」


「当たり前だろ。次、馬鹿な事言ったら当たるまで撃つからな」


 心底嫌そうな顔をしながらも、魔導銃マジックライフルを降ろすリンファに、「ンだよ」とユーリが口を尖らせ続ける。


「ただ単に、お前に感謝を――」


 再び向けられる銃口に、「オーケーオーケー」とユーリが苦笑いで両手を大きく挙げた。


『今のはユーリさんが悪いです。良くないですよ』


 フヨフヨ浮かぶサテライトに、「お前はいっつも強い方の味方なのな」とユーリが溜息をもらした。


 少しだけ気持ちの軽くなったユーリが、思わず笑みをこぼす。怪訝そうな顔のリンファに何でもないと手を振って、持ち場へ帰るよう促してユーリは再び屋上から荒野を見下ろした。


「とりあえず、早く帰って飯食おうぜ……諸々はそれからでも良いだろ」


 荒野を見るユーリの隣で、良く分かっていないだろうカノンが、それでも『そうですね』と同調する頃、リリアの最後の歌が始まった。高かった夏の太陽はかなり傾いてきているが、陽が完全に落ちるまでには何とか帰れそうだ。


 穏やかな歌声が駐屯地全体を柔らかく包んでいた――






『おい、お前ら……ちゃんと仕事しろ』


 底冷えのするクロエの声に、緩んでいた防衛部隊が身を引き締めたのは、また別の話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る