第159話 運命の歯車って大きすぎて受け止めるだけで精一杯
エレナ達がモンスター相手に奮闘している頃……
「あー駄目だ。まだクラクラする」
……ユーリは二日酔いのオッサンのような事を呟いていた。
『もう三分どころか、その数倍の時間が過ぎましたけど?』
辛辣なカノンの指摘に
「うっせ。俺の体内時計ではまだ三十秒しか経ってねぇよ」
とユーリが口を尖らせて寝返りを打った。
『今回は何か長いですね』
カノンの訝しげな声に、「そーですね」とユーリもやけに続く体調不良に眉を寄せた。とは言え今出来ることは、こうして横になって回復を早めるだけだ、とユーリはもう一度寝返りを打った。
太陽がジリジリとユーリの肌を焼く……人類世界が衰退して三〇〇年近く。温暖化こそ収まった世界だが、夏の直射日光が暑いのは変わらない。
「……
日差しを避けるように、コロコロと地面を転がったユーリが、壁が落とす僅かな影の中に……
「あー。やべぇ。超快適だ。このまま寝られそう……」
『完全なる大お荷物ッ!』
『ナルカミ……働け』
耳に届くのはカノンとクロエの非難。
感じる視線は、後詰めのチームの呆れたそれ。
そんな諸々をユーリは完全に無視。日陰の涼しさに加え、耳に聞こえるカノンおすすめのBGMがスローテンポに変わったことも相まって、ユーリが穏やかな笑顔を浮かべた。
『ユーリさん、そろそろ起きたほうがいい気がします。前線……結構ギリギリですよ』
カノンの呆れた声に『十分堪能したし、我々はいつでも出られるぞ』とクロエが頼もしい言葉を返した。
『おお! そうですか。じゃあ――』
「まあ待てって」
頭の後ろで組んだ手を枕に、呑気なユーリがカノンの言葉を遮った。クロエの提案に乗り気になったカノン。嬉しそうにピカピカと光っていたサテライトは、『何でしょう』と見るからに不満そうにユーリの近くへと寄ってくる。
そんなサテライトを軽く押しやったユーリが、モニター越しのカノンへ笑顔を向ける。
「軍人は要らねぇよ。どうせ今頃エレナが格好いい事言ってんだろ」
ユーリが組んだ足をブラブラさせる。耳に届くのは『はぁ……』、『ナルカミ、エレナに貸しを作るなど許さんぞ』という相変わらず姦しい仲間の声。
それらをBGMで掻き消して、爽やかな夏の風を頬で感じる……その心地良さに頬を緩めていたユーリが、何かに気がついたように跳ね起きた。
「な、何――?」
ユーリを呆れ顔で眺めていた女性ハンターが驚き肩を跳ねさせるが、ユーリはそれに応えない。
「……まあ思ったより保った方か」
ユーリがそう呟いた瞬間、『敵数匹、防衛ラインを抜けてこちらに来ます!』カノンの声が全員の鼓膜を叩いた。
現場に緊張が走る。
全員が顔を東に向ければ、成程数匹の狼型モンスターが、こちらへ向けて全速力で駆けてきている最中だ。脇目も振らず、こちらへ向かってくるモンスター。そのうち数匹が、狙撃手の魔弾に貫かれて駆けてきた勢いそのまま地面を滑っていく。
『敵、二匹……抜けてきます!』
カノンの報告に「目視してるぞ」とユーリが返して、拳を握りしめた。既に一匹は後詰めのチームが対応している。それを横目に、ユーリは駆けてくる狼に照準を合わせた――一直線で駆ける狼へカウンターの正拳、それで終わり。
来るべき時に備え、左拳を軽く握ったユーリだが「ん?」と疑問符を溢して中途半端な体勢のまま、眉を寄せながら狼を見つめた。
……狼が遅い、いや動きが鈍い。
まあまあ速い、と思えていた狼の速度。事実防衛ラインを抜けて来ているので、ある程度の速度を持ったモンスターのはず。それがどうだ。目視できるこの距離では見る限り、然程速さを感じないのだ。
……勘違いか? 単に見間違いだろうか。
眉を寄せながらも、ユーリは飛び上がった狼に拳を叩き込んだ。綺麗に決まったカウンターが、狼の頭を吹き飛ばして沈黙させる。狼を殴り飛ばしたユーリは、尚も眉を潜めてその死体を眺めていた。
殴った感触も何となく軽い気がする。
勘違い……かどうかは分からない。ほんの一瞬の出来事で、飛び上がった狼はすでにユーリの拳によって弾き返され地面を転がっているのだから。
自分が疾く強くなった……のではない。身体は今も急激な魔力枯渇による不調を訴え続けているのだ。
だが違和感を訝しむ暇を、相手は与えてくれない。『敵、来ます!』カノンの声と自身の感覚が、再び接近するモンスターの存在を教えてくれている。
丁度良い、とばかりにユーリはもう一度拳を握りしめて迫るモンスターを真っ直ぐに見据えた。駆けてくるのは、ファイターエイプ……いつか荒野でエミリア達と戦ったあの猿だ。
跳ぶように駆けてくるファイターエイプは……狼よりも分かりやすかった。
ユーリの眼の前で僅かに失速したのだ。目に見えて……と言っていいかどうかは微妙なレベルだが、間違いなくその動きは鈍くなっている。狼よりは猿の方が分かりやすい、なんせ目の前で僅かに失速したのだから。
ということは狼は、猿よりももっと手前から失速していたのかもしれない。中々ユーリまで辿り着かない事に違和感を覚える程遠くから。
少々軽く感じた猿を地面に叩きつけたユーリが、チラリと後詰のチームを盗み見た。彼らも同様に狼、猿と危なげなく倒しているが、特に不思議がっている様子はない。
……勘違いだろうか。いや、猿の動きが僅かに鈍ったのは間違いない。
暫し考えたユーリが、イヤホンを抑えながら口を開いた。
「カノン、BGMを止めてくれ」
『良いですけど?』
カノンが怪訝な声をもらすと、ユーリを包んでいたBGMが止まる……代わりにユーリを包み込むのはリリアの歌声だ。いつもと変わらない、リリアの歌声。もちろん遠くから聞こえてくるので、いつもと比べるとその圧倒的な雰囲気は控えめだが……。
歌を聞きながらユーリが数歩前に出る。まずは猿の動きが鈍った辺りまで……そこまで足を進めると、殆どリリアの歌声が聞こえなくなった。つまり猿が失速した場所は、丁度リリアの声が聞こえるか聞こえないかの境界だ。
だが先程の仮説では狼は猿よりも遠かった。とは言え狼に関しては実際に失速を見ていたわけではなく、途中から「あれ? 思ったより遅くね?」と違和感を覚えただけだが。
それでも一応狼が猿より遠くから失速した…と仮定して検証を進める。
「カノン……犬の耳は人間よりもいい……だな?」
ポツリと呟いたユーリの言葉に『はい……そうですが?』と完全に困惑した声をカノンが返した。
狼が猿より耳がいいかどうか……は実態はモンスターなので分からない。だが、似た動物に照らせば、猿は人と殆ど聴力が変わらず、狼は人より聴力がいい。
リリアが歌を唄って直ぐに感じた妙な感覚。
何かにかられるように向かって来るモンスター。
歌が聞こえる範囲で見たモンスターの弱体化。
ユーリも馬鹿ではない。確実にリリアの歌声が、今回の事態を引き起こしていることくらい理解している。何故そんな事が起きているかは分からなかった。分からなかったが、今眼の前で起きた現象を加味すると、一つの仮説が生まれる。
モンスターにとって、リリアの歌は嫌な音。
という仮説だ。何をおいても潰したくなる程嫌な音。だがそれが聞こえると動きが鈍る程……
「いや逆だな……」
思わず独りごちたユーリに『何がでしょう?』と律儀に返事をするカノンだが、ユーリはサテライトに向けて
ユーリが思わず呟いた「逆」という言葉。それはモンスターが嫌だから動きが鈍る……ではなく、モンスターの動きを阻害する、つまりモンスターにとって天敵となり得る物だからこそ、何をおいても潰しに来ている。という意味だ。そちらの方がしっくりくる……そう思っていたユーリの耳に『敵、来ます!』と三度目になるカノンの声が届いた。
ユーリの視界に映ったのは、再びのファイターエイプ。検証に丁度いいとばかりにユーリはリリアの歌声の境界ギリギリから一歩前に。
飛びかかってきたファイターエイプの一撃を、ユーリが敢えて受け止める。
その腕にかかる力を感じながら、ユーリが数歩後退――ユーリとファイターエイプをリリアの歌声が包みこんだ。その瞬間ほんの僅か…ごく僅かだがファイターエイプの力が弱まった……が、「あ、やべ……」ここに来てユーリも頭痛に襲われる。魔力枯渇の影響が長引いたのだろうか。
弱まったファイターエイプの力が、勘違いだったと思える……そんな頭痛の中、これ以上無理に長引かせるのは得策ではない、とユーリはファイターエイプを力任せに叩きつけた。
「あーやべぇ。クラクラする……」
猿を叩き潰して、頭を抱えるユーリだがその瞬間リリアの歌が止んだ。どうやら歌い終わったのだろうか。そう思ったユーリが顔を上げた瞬間、近くで悲鳴が上がる。
そちらを見ると、ファイターエイプに引っ掻かれ、後ろへ倒れる男性ハンターの姿が。
恐らくリリアの歌が止んだ事で、ファイターエイプの動きに機敏さが戻ったのだろう。鈍い動きに慣れてしまったハンターが不意打ちを食らった形だ。
未だ揺れる頭に顔を顰めながら、一気に間合いを詰めたユーリが、更にハンターへと襲いかかろうとする猿の頭を掴んで地面に叩きつけた。
「すまねえ……」
「気にすんな」
そんな二人を再び包むリリアの歌声――その瞬間ユーリは我が目を疑った。男性が右腕に負っていた大きな傷が、少しずつ逆再生のように戻っているのだ。
……持続的に回復させる特性? そんな特性聞いたこともない。いや、そもそも回復だなんて、そんなレベルの現象ではない。
まるで傷を付けられた事が無かったかのように、ゆっくりだが綺麗に戻っていってるのだ。この現象に何と名をつければいいか分からない。分からないがただ一つだけ分かる事がある。
……これは
それはユーリの直感だった。まだ男性はその事に気がついていない。周りもそれぞれがモンスターを相手に気づいていない。男性の腕を治しているのは、リリアの歌声だろうか。判断は難しいが、この不可思議な情報を、今の時点で世間にバラ撒くのだけは
咄嗟に頭を回転させたユーリが、自身の
「んー?」
怪訝な表情をする男性に、「飲んどけ。まだ来るかもしれねぇからな」と吐き捨てたユーリが男性の視線を東へと誘導した。
ユーリの真横で立ち上がった男性が「ああ」と頷いて、右手で口を拭うのを、ユーリはチラリと横目で盗み見た。傷は既に跡形もなく消え去っている……。
リリアの歌声がモンスターを呼び寄せる。
リリアの歌声がモンスターにとって毒。
リリアの歌声が傷を癒やした。
どれもまだ仮説の段階だ。不確かな情報を無責任にバラ撒けば、リリアの身にも、それに巻き込まれた人々にも危険が生じる。リリアは……ただ歌を、好きなことをしているだけなのだから。
睨みつける先、東からは再び襲来するモンスターの影。
「カノン、BGMだ」
今は少しでも頭痛を紛らわせたい。呟いたユーリをBGMが包んだ頃、これ以上他のハンターに違和感を持たせまい、と襲来するモンスターを一瞬で肉片に変えていく――
周囲を包むリリアの歌声は間もなく止み、駐屯地から大歓声が上がった頃、『敵、沈黙。皆さんお疲れ様でした!』カノンの嬉しそうな声が全員の鼓膜を震わせた。
鳴り止まない拍手と歓声に釣られるように、全員が思わず勝鬨を上げた頃、ユーリは一人だけ起こった現象に、苦虫を噛み潰したような顔で太陽を睨みつけていた。
握りしめた拳が震える……これは怒りか。であれば誰に、いや何に対してものなのか。それも分からぬまま、ただただ皆が上げる喜びの声が、やけに遠く聞こえていた。
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