第156話 想定外を想定しろとか言うけど、想定出来てたらそれは既に想定内
錆びついた観覧車、そのゴンドラの上にユーリは立っていた。真上から見ると、壁の中も外もよく見える。
「ある程度の視界は確保できるな……」
隣でそう笑うのはリンファだ。取り出した
駐屯地が出来てから、旧デュズジェ市跡の撤去も進んでいるので、リンファの言う通りある程度の視界は確保できている。つまり、遠くからモンスターが来ても分かりやすいという訳だ。
リンファの言葉に少しだけ東を見たユーリは、「そうだな」と相槌を打って再び視線を下に……リンファ達が奪還した遊園地跡をボンヤリと見渡している。
かつては賑わう空間だっただろうそこは、観覧車以外の遊具はほぼ撤去されている。代わりに目を引くのは作りかけの壁だ。半分ほどは陣幕で代用された壁の中には幾つもの天幕。ポッカリと空いた中心部分は……脇に避けられた建材を見るに、これから少しずつ拠点となる建物を立てる予定なのだろう。
今回はそこを舞台代わりにリリアの陣中見舞いのライブがあるわけだ。夏の太陽の下、野外でのライブともなれば心踊るもののはずだが、如何せんここは荒野のど真ん中である。危険なモンスターが徘徊するこの荒野では、リリア達を隠す壁も陣幕も少々心もとなく思えてならない。
今のところ、近くにモンスターの気配が感じられない事だけが救いだろう。
周囲に気を配るユーリの横で、リンファは
ユーリが周囲に気を配り、リンファが
ユーリ達がするべき仕事…リリアのライブの間、手薄となるこの駐屯地を警護する事。
昨日からモンスターを間引いてはいるが、流石にライブ中にこの駐屯地の警備を疎かにするわけにはいかない。しかも未だ壁も作り途中だ。歌声と言えど、大きな音を流し続けるというのはあまり褒められた行為ではない。
ライブを聞くために持ち場を離れる軍人の代役。
音につられて来るかもしれないモンスターへの警戒。
とは言え配置につくハンター達の顔は、然程緊張していない。
来るかもしれない。
警戒。
この二点が今回の仕事を端的に表している。つまり戦闘は殆ど想定されていないのだ。にもかかわらず、万全の体勢を整えて完全安牌を切っているのは、ここが荒野だからだろう。
荒野では安牌を切る事が最も重要。そして今回の体勢も、出来うる最大限の安全に配慮されている。
問題は見当たらない…それでも何故か胸騒ぎがする……
険しい顔をするユーリの横で、リンファが
「オーベル嬢が心配か?」
再び
「嘘言え。ずっとオーベル嬢の控え天幕を見てたくせに」
スコープから顔を上げて笑うリンファに、「うっせ」とだけ答えてユーリは視線を逸した。
「少佐もついてるし、アタシらも減らせるだけ減らしてる……それにこの警備体制だ。大丈夫だよ」
そう言いながら、
荒野に慣れた仲間たちが警戒している。
それなのにユーリの胸騒ぎは収まらない。
ザワつく胸のせいか、やけに太陽が眩しい。そう思ったユーリが手で庇を作って太陽を睨みつけた。
『あ、あー。テステス』
そんなユーリの耳に飛び込んできたのは、イヤホン越しに聞こえるカノンの声だ。
『皆さん、配置に付きましたか?』
カノンの声に隣のリンファが「こちらリンファ。オーケーだ」と答えるのとほぼ同時に、色んな声がユーリの鼓膜を叩いていく。今回スナイパーチームは、全員が音声を共有している。カノンの指示に加え、各自が声を掛け合いより効率よく周囲を警戒できるようにしているのだ。
カノンのサテライトと繋がっているユーリのイヤホンは、必然的にスナイパー達の声を拾う事になっている。そこまで邪魔にはならないだろうが、煩ければイヤホンを取ればいいだけだ、と割り切ったユーリが、それでもイヤホンのつけ心地を確かめる為に軽く指で抑えた。
まるでイヤホンが生命線になるかのような、不思議な行為。
何故そうしたのかは自分でも分からない。
兎に角その良く分からない行動と、妙な胸騒ぎを紛らわせるように、ユーリは自分を見下ろす太陽を再び睨みつけた。
「今日はやけに明るく感じるな」
呟いたユーリが、太陽から目を逸らしてフードを被った。
『そろそろ始まりますけど、皆さんちゃんと警戒しといてくださいね』
カノンの言葉通り、下から歓声が上がって暫く――身体を芯から震わせるようなリリアの歌声が響いてきた。
変わらない。
いつも通りのリリアの歌声……
そう思っていたユーリの目の前で、まるで大地が、空が、空気が、脈打つように瞬いた――それこそ「ドクン」と脈動すら聞こえてきそうな程に。
「……なんだ……今の――」
呟くユーリの横で、「相変わらずスゲー歌声だよな」とリンファがご機嫌な表情でスコープを覗き込んでいる。
「おいリンファ。お前…今の気づかなかったのか?」
ユーリがリンファの肩を慌てて叩くが、「はあ? 何が?」とスコープから上がってきたのは、分かりやすく困惑したリンファの顔だ。
眉を寄せるリンファを見たユーリは「チッ」と焦り気味に舌打ちをもらして、イヤホンを抑える――そこから漏れるのは『くっ、BGMが邪魔してあまり歌が聞こえません』という馬鹿げた不満の声だ。
そんな声にユーリは「じゃあBGM切れよ」、と溜息混じりに突っ込みそうになるのを、グッと堪えて口を開いた。
「カノン! お前さっきの気づいたか?」
『さっきの? 何です? もしかしてユーリさん、お腹でも鳴りました?』
イヤホンの向こうでクスクス笑うカノンが、『ご飯はこれが終わってからですよ』とまるで子供を諭すように話している。噛み合わない状況に再び「チッ」と舌打ちを漏らすユーリだが、それを加速させるようにイヤホンが低い声で響いた。
『ユーリ、悪いが誰も何も気づいてないぞ。気のせいじゃねーか?』
ルッツの声に、他のスナイパーだろうハンター達の同意が飛び交う。完全に自分以外は気づいていない現象にユーリは眉を寄せた。
「カノン、例えばだが、計器に異常はないか?」
『計器ですか? ……ありません…けど?』
呆けた声が帰って来た頃、ユーリが最大まで広げていた感覚が僅かな気配を察知した。
「来る……」
ポツリと呟いたユーリの声に『何がです?』とカノンが律儀に返事をするが、ユーリはそれに答えられぬ程に集中している。
……遠い。かなり。
カノン達サテライト組すら気づかぬほど。
リンファ達のスコープでも見えぬほど。
集中せねば気付けないほど、遠く微かな気配。それでもユーリには感じる。いや分かる。
おびただしい気配は、まるで皮膚の下を何かが蠢いているような……寒気のする……これは何だ……全てを拒否するかのような、認めないような、壊すような、形振り構わぬ悪意だ。
殺気や怒気とはまた違う。不快なものに対する嫌悪感に近い。いや、もっと……ユーリには名状しがたい感覚……兎に角それらを前面に出して、東からモンスターがやってくる。まだ見えないのに、それだけは間違いない。
「カノン東だ!」
ユーリの声に、『俺が見よう』とルッツが声を上げて一つ向こうのゴンドラ上でスコープサイトがキラリと光った。
『……何も見え……いや――』
ルッツの声が引きつるのと同時に、リンファも東へ銃口を向けた。そのスコープに、廃墟の合間に僅かに見えるのは……
「…土……煙……?」
呟いたリンファの声に反応するように、ユーリ達の頭上でサテライトが分かりやすく動転する。
『敵影視認! 数……数え切れません!』
悲鳴に似たカノンの声と同時に、観覧車の上が俄かに騒がしくなり始めた。丁度他三方向からも、ポツポツとだがモンスターが現れ始めたのだ。東の大群に比べれば全く問題ない。むしろ当初の予想通りの数だが、如何せん東の数が多すぎる。
このまま他三方向から大群が来ないという保証はない。だが、確実に見えている東へ戦力を集中させた方が良いのは間違いない。
『どうすんの?』
『とりあえず、東を――』
『でも他の方からも…』
狙撃部隊の割り振りを見直す必要が出てきた状況に、現場は少々混乱の最中にあった。好き勝手に飛び交う通信に、ユーリが奥歯を噛み締めた時、野太い声が鼓膜を思い切り叩いた。
『カノン! 指示を――』
全員の声を遮ったルッツの言葉に、一瞬で喧しかったイヤホンが静かに……そして恐らく自分の仕事を思い出したのだろうカノンの息を飲む音が聞こえ――
『予定を変更して、ルッツさん、リンファさん、イリーナさんのお三方で、それぞれ北、南、西を。残りの六人全員で東に当たって下さい!』
当初の予定とは真逆の采配だが、いち早く『オーケーだ』とルッツが応えた事で、全員がやるべき事に集中しだす。
『ルッツさん達お三方も、基本は私が三方向を見るので、手が空いてる時は東の援護を』
落ち着きを取り戻してきたスナイパー部隊の様子に「バーンズも中々やるな」とリンファがスコープを覗きながら口笛を吹く。
全員の耳に飛び込んでくるのは、こちらと通信を繋いだまま他のオペレーターと状況を確認するカノンの声だ。他のオペレーターも状況を確認したようで、リンファ達への狙撃指示は、それぞれ元々のオペレーターが担うという変則的な形で決着した。
つまりリンファ達はカノンだけでなく、ブルーノやイーリンと言ったいつものオペレーターとも同時に接続する事となったのだ。
目まぐるしく変わる状況だが、落ち着いて対応していくルッツやイリーナ。それに負けじとリンファも、少々まごつきながらもオペレーターであるイーリンと「オーケー。クリアに聞こえる」と軽いやり取りを済ませて、準備を整えた。
「とりあえず、東が見えたら声をかけてくれ」
そう言いながら、南側から現れたモンスターに照準を合わせてトリガーを引いたリンファに「
スコープから顔を上げたリンファの答えを待たずに、それを
「あ、おいナルカミ……まだ『良い』って言ってねーのに」
溜息をこぼしたリンファが、仕方がないとばかりに肩を竦めて再びスコープを覗き込みトリガーを引く。狼型のモンスターを地面へ返したリンファが、スコープから顔を上げて東を睨みつけた。
既に土埃は肉眼でも分かるほど近づいてきていた。
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