第155話 始まる前が一番緊張する

 ショッピングモール跡を出た一行は、特に大きなトラブルもなく第二駐屯地へと辿り着いた。時刻は丁度昼を過ぎた頃……今のところは日程通り運んでいる事に、全員がホッと胸を撫で下ろしている。


 リンファ達が場所を切り開いた遊園地跡。そこはショッピングモールとは違い未だ簡易的な駐屯地だ。建設途中の壁は半分ほどがまだ陣幕がその役割を担い、そして壁の中も、天幕とプレハブ小屋が並ぶ質素な造りである。だが、だからこそリリアの歌が求められているとも言えるだろう。


 旧時代のような娯楽に乏しいこの世界で、更にモンスターの恐怖に怯える最前線だ。せめて一時の安らぎが欲しいと思っても、それを誰にも責めることは出来ない……キッカケが邪な下心からであったとしても。


 だからだろう。リリアの来訪を心待ちにしていたかのように、駐屯地の中は俄かに色めき立っていた。普段は殺風景な駐屯地だが、今だけはこの晴れ渡った夏空が似合う、フェスの会場のような熱気に包まれている。


 そんな熱気に歓迎されながら、高々と上がった夏の日差しに「外って暑いのね」とリリアが庇を作って、それでも嬉しそうに太陽を見上げていた。


「オーベル嬢、行こうか」


 リリアに手を差し伸べるのは、トラックから飛び降りたクロエだ。これからリリアはクロエ一人を護衛に、着替えからの舞台と、彼女自身の戦場に赴くことになる。


「じゃあ行ってくるね」


「おう。


 手を振るリリアに、ユーリが手を挙げて応える。誰もが「何をぶちかますのだ……」と突っ込みたい所だが、リリア本人が突っ込まないので顔を見合わせて肩を竦めるだけだ。


 全員が天幕に消えていったリリアを見送って、一先ず順調な仕事に安堵の溜息をついた。まだ折り返し……とはいかないが、それでも半分近い日程を消化した事になる。


 だが、その安心も束の間……と言った所だろうか。なんせ、ユーリ達もこの駐屯地でやらねばならぬことがあるのだ。


 一先ずトラックから降りるユーリ達に、人影が一つ近づいてきた。


「待っていたぞ」


 颯爽と現れたのはエレナだ。いつもと同じように声をかけてきたエレナだが、ユーリ以外の全員が彼女に驚いた顔を見せていた。……何だかんだでここ数日はこのメンバーで動いていたので、エレナの雰囲気が変わった事を知っているのはユーリだけだったりする。


 エレナを前に固まるカノンや砂漠の鷲アクィラの面々。彼らを前に「どうしたのだ?」とエレナ本人はキョトンとするだけだ。


 ようやく驚きから復帰したのか


「イメチェンですね!」


 満面の笑みを見せるカノンに


お姫様プリンセス、最高だぜ〜」


 ナチュラルにエレナを抱きしめようとするダンテを「……やめとけ」と引っ張るディーノ。


「お嬢がお嬢してる……」


 訳の分からない事を呟くロランに「ああ」と頷くルッツ。


 全員の反応と固まっていた理由に思い当たり、「お、おかしいだろうか?」と顔を赤らめるエレナに「似合ってるってよ」と嘲笑めいた顔でユーリがその肩を叩いた。


 それでもモジモジと髪の毛をイジるエレナを前に


「そんで? 俺らも?」


 ユーリが早々に話を切り上げた。今は何だかんだで時間が惜しいのだ。ユーリの思いを汲んだのだろうエレナが、表情を引き締め「ああ」と頷く。


 今回ユーリ達はリリアの陣中見舞い中の、駐屯地警護を請け負っているのだ。本来であれば軍人たちが交代で実施する駐屯地の警護だが、軍人達向けに企画された陣中見舞いの舞台を見られない人間がいるのは不公平だ、とユーリ達に代役が回ってきた形である。


「全員集まってる。こっちだ――」


 エレナに先導される形でユーリ達は一つの天幕へと辿り着いた。中にいたのは勿論……


「結局いつものメンバーかよ」


 ……苦笑いのユーリが示す通り、サイラスのお抱え軍団達である。


「仕方ねーだろ。今ん所アタシらくらいしか、こいつを使ってねーんだから」


 そう口を尖らせたリンファが、机の上に転がるサテライトを突いた。


「リンファの言う通りだ。今回ここにいるは、東西南北の要として機能する……それぞれに、他のハンター達を率いてもらうことで、一時的ではあるが、全員にオペレーティングシステムの庇護下に入ってもらおう、という訳だ」


 エレナの言葉になるほどと、小さく呟いたユーリだが……


「ここにいるってことは……って事でいいんだよな?」


 ユーリの言葉に「言い方が悪いな」とエレナが苦笑いを返すが、否定できない所を見るに、ユーリ達は要として数えられていない事は間違いない。


「何故に私達が?!」


 眉を寄せるカノンのアホ毛を弾いたユーリが


「俺達はサテライトを使ってねぇだろ」


 と盛大な溜息を返した。サテライトを使っているからここにいる。というリンファの言葉を借りれば、それを使っていないユーリ達は、必然的に四チームには入らない。


「私はバリバリ使ってますが?」

「お前だけな」


 尚も食い下がるカノンだが、実際にカノンの戦い方はカノンにしか出来ない芸当だ。二つの視界の同時処理など、普通の人間がやれば脳が焼き切れるだろう。それに加えて全員の位置を把握して、指示を出す様になれば、それは最早人間の所業ではない。


 故にユーリのチームでサテライトの恩恵に預かっているのはカノンだけだ。とは言えユーリは気配でモンスターの行動が分かるので、サテライトの必要はない。……クロエは今のところユーリとカノンが索敵をするので、サテライト無しでも問題はない。


 どの道他のハンターを率いるなど、ユーリには無理だ。アイアンのユーリの下に付きたいという人間を探すのも手間だろう。


「なら、俺らはお役御免って事で……」


 そう言って天幕を出ようとするユーリの背中に「まあ待て」とエレナが意味深な笑みで声をかけた。


「ンだよ? こっから先は俺らは関係ねぇだろ?」


 顔だけ振り返るユーリに、エレナが仕方がないとばかりに首を振る。


「関係ない人間をわざわざ呼ぶ必要があるか?」


 エレナの顔に面倒そうな予感を感じたユーリが


「……お前、ジジイに似てきてるぞ」


 と精一杯の強がりと溜息を返した。


に似てるなら、中々の遣り手だな」


 と笑顔を見せるエレナに「ヒョウ……苦労するだろうな」とポツリと呟いたユーリが再び机についた。


「で? 俺とこいつの役割は?」


 親指でカノンを指すユーリにエレナが「説明しよう……」と言いながら、机の上でタブレットを起動した。


 エレナが起動したタブレットをタップしてホログラムを立ち上げる。手書きのマップをホログラムで映し出しただけの簡易的な地図は、少しでも分かりやすくそして安全に作戦を立てようとしたエレナの頑張りだろう。


「まずはカノン。君は今回オペレーターとして配属する」


 エレナの言葉に「ほえ?」と間抜けな言葉を返すカノンだが、ユーリだけは内心なるほどと頷いていた。カノンをわざわざオペレーターに任命するという事は、どうやら部隊を


「ここに巨大な建造物があったのを見たか? 恐らく回転する遊具のような――」


「ああ、『観覧車』か」


 マップを指すエレナにユーリが頷いて応える。ここに来る途中に見た、錆びた観覧車をユーリは思い出していた。


「カンラン……? 何だ?」


 が、どうやら『観覧車』では通じなかったようだ。エレナが知らなかったのか、公用語では『観覧車』ではないのか。兎に角ユーリはその事実に驚きながらも肩を竦めて「何でもねぇよ。俺の故郷で『デケェ輪っか』って意味だ」と、お茶を濁す事にした。


「まあいい。このカンラン……巨大建造物の上に狙撃部隊を配置する予定だ」


 エレナとしても今はそこを追求するべきではない、と話しを進める。ユーリ自身見た時から、高い位置にあるゴンドラは、狙撃ポイントに良さそうだ、と思っていたことだ。


 部隊を分ける、そしてそのポイント。どちらも予想していた通りの展開だけに、ユーリも黙って頷いて話しを促す。


「ルッツ、リンファ、イリーナの三人に加えて、他のハンターも少々……」


 エレナの言葉にユーリが呼ばれた人間を順に見た。最後に呼ばれたイリーナは、草原の風鳥アプスのメンバーで、アイスブルーのロングヘアーが特徴の女性だ。ユーリの視線に気がついた彼女は、軽く笑みを返してくるが、正直絡んだことが無いのでユーリとしても会釈を返す位しか出来ない。


 微妙な二人の空気感など何のその……エレナが更に話しを続ける。


「カノンにはオペレーターとして、彼らの補助に当たってもらいたい」


 真っ直ぐに見つめるエレナの視線に、「補助……でしょうか?」とカノンが小首を傾げた。


「基本アタシらは狙撃のスコープを覗きっぱなしだ」


 腕を組んだリンファがカノンへ視線を向ければ


「つまり、身の回りに危険が迫らないか……を見てて欲しいってわけだな」


 同じ様に視線を向けたルッツが、「頼むぞ」とカノンの頭をワシワシと撫で回した。


「カノンの奴がオペレーターは分かったけどよ……」


 ユーリの顔にありありと書かれている「俺は?」という文字に、エレナが「フッ」と笑ってみせた。


「君は遊撃部隊だ。好きに動いたらいい」


 エレナの浮かべた意味深な笑みに「いいのかよ?」とユーリがいつもの嘲笑めいた顔を浮かべる。


「いいとも。どうせ首輪など噛みちぎってしまうのが君だろう?」


 肩を竦めるエレナだが、その顔には「君は好きにやらせるのが一番効率的だ」とでも書いてあるようだ。つまりエレナはユーリに枷をつけないことで、ユーリが一番戦える場を用意したとも言える。


 まるで己の事を見透かしているようなエレナの表情に、「フン」と鼻を鳴らしたユーリだが、その不満を直ぐに引っ込めて「オーケー……」と、いつもの顔でいつものように笑ってみせた。


「なら俺は好きなように、とさせてもらうよ」


 悪い顔のユーリが皆に背を向けて、「んじゃまーヨロシク」と後ろ手を振りながら天幕を早々に後にした。


 その背が天幕の向こうに消えて直ぐ……


「正直に俯瞰できる場所で全体を見たい……って言えない所がボーイだよな〜」


 苦笑いのダンテの隣で、カノンがウンウン頷いて更に追い打ちをかける。


「ツンデレですからね」


 その的確な言葉にリンファとアデルが吹き出せば、「まあ既に全員が知っている事だろう」とエレナが肩を竦めて笑ってみせた。


「さて、時間も押している事だ。我々は最終チェックを進めよう……昨日今日とモンスターを間引いたから、何もないと思うが」


 間もなく始まるリリアの舞台に向けて、裏では最後の調整が進んでいく。錆びた観覧車が回るが如く……静かに回り始めていた運命の輪が、大きく軋んだ音を発すると知らずに。

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