第152話 ドライブに必要なのもBGM

 日が昇り始めた早朝に出発した一行の頭上には、どこまでも続くような夏空が広がっている。左手に丘陵を臨んで右手にはマルマラ海。前方を遮るものはなく、後ろを振り返れば走ってきた道のりと――


「ぎょぇええ! お待ちを〜!」


 ――すごい勢いで走ってくるカノンの姿。


 このあたりは道も整備されているので、トラックは減速し始めているとは言え一〇〇キロ近く出ている。にもかかわらず、見る間に追いついたカノンが「とうっ!」と再び荷台へと飛び乗った。

 ガクンと揺れるトラックに、「きゃ」と小さくリリアの声。


 それ以外は誰も気にもとめない。唯一ロランが運転席のダンテに「」と声をかけているが、先程の揺れでダンテも気がついているだろう。


「はぁ、はぁ……」


 肩で息をするカノンが、自身のブラウスの胸元をパタパタと引っ張って「危なかったです」と額の汗を拭っている。


「だから落ちるぞ、と言ったではないか」


 呆れ顔でカノンを見るのはクロエだ。彼女の言う通り、カノンは調子に乗って荷台から転げ落ちたのである。このあたりは基本的に綺麗な道だが、所々に窪みなどがないわけではない。要は調子に乗って立ち上がって風を受けていたカノンを、突然の悪路が襲った形だ。


 落ちる前……立ち上がって「涼しいです〜」と燥いでいたカノン。そこで大きくトラックが揺れ、バランスを崩した彼女はそのまま柵を越えて後ろへと転げてしまった。リリア以外の四人が、丁度行程の確認中だった事も重なって、誰も手を差し伸べられずに、「ぎゃっ」と短い悲鳴を残してカノンは置き去りにされてしまったのである。


 ――おいカノンが落ちたぞ!


 ロランの言葉に「まじかよ〜」とダンテがスピードを緩め、減速を上回るほどの猛スピードでカノンが追いかけて来て……そして今までのやり取り、という訳だ。


「カノンちゃん、大丈夫なの?」


 心配するリリアにカノンは「リリアさんだけが優しいです」とリリアにしがみついた。


「そりゃクロエにあんだけ『落っこちる』って言われてるのに、立ち上がって風を受けてたお前が悪い」


 ジト目のユーリに「だって初めてのトラックですよ?」とカノンが頬を膨らませた。


「初めての車旅に、テンションが上がらないユーリさんやクロエさんの方が変です」


 眉を寄せるカノンの額を「バカか。俺は乗ってるわ」とユーリが指で小突く。


「私も、遠征などで使用する機会は多いからな」


 肩を竦めたクロエが、「まあ荷台……というのは新兵以来だが」と苦笑いで青空を見上げた。


「クロエさんにも新人時代があったんですね!」

「そりゃあるさ」


 驚き目を見開くカノンに、空から視線を戻したクロエがもう一度肩を竦めて「お前は私を何だと思っている?」と呆れ顔を見せた。


「新兵の頃は、良くこうして――」


 懐かしむように流れる景色を見つめていたクロエ……だが、そのまま口を噤んでしまった姿に、カノンが首を傾げてリリアと視線を交わし、そして二人同時にユーリへと視線を向けた。「どうしたんでしょう?」と言いたげなカノンとリリアの視線だが、ユーリはそれに肩を竦めて「さあな」と言う意思だけを返した。


 恐らくエレナとの事を思い出しているのだろう、とは予想しているが、他人の過去をペラペラと人に話す気にはなれない。そもそも詳しい内容も知らないのだ、話せるわけもない。


 暫く景色を眺めていたクロエだが、自分が黙ってしまったことで三人が困惑した雰囲気になっている事に気がついたようで、「とにかく……」とバツが悪そうに口を開いた。


「私は新兵の頃…というか騎士学校時代から、車両での遠征は普通だったからな」


 と殊更明るく振る舞うクロエだが、カノンはそんな微妙な彼女の変化には気づいていないようだ。カノンの鈍感さはクロエにはありがたいだろう。今も「なるほど、クロエさんはエリートでしたね」とウンウン頷くカノンに、「その呼ばれ方は好きではないがな」と心からの笑顔を返している。


 クロエとのやり取りで納得したのだろうカノンだが、もう一つの発言には納得していない……


「じゃあユーリさんは、車に乗って何処に行ってたんですか?」


 不意に向けられたカノンの視線に、「そりゃ色々だ。まあ殆ど戦場だがな」とユーリは過ぎし日を懐かしみながら流れる風景を見つめた。


 あの頃は灰色に見えていた景色だが、もしかしたらこのくらい綺麗に色づいていたのかもしれない。仲間以外は全てが灰色だった日々。思い返しても風景は灰色で色は思い出せない。


 唯一思い出せるのは……


「……リさん、ユーリさん?」


 思考を遮断するカノンの声に「あ、ああ。どうした?」とユーリが視線を向ける。


「ユーリさんは、騎士学校とかを出た訳じゃないですよね?」


 首をかしげるカノンに、「それは私も気になっていたな」とクロエが便乗してきた。


「ハンターなら、車に乗って遠征することくらいあるんじゃないの?」


 そんな二人に困惑した表情を向けるリリアだが、「そうそう無いけどな」とまさかのロランが参戦する。


「そうだな……俺達もハンター歴は長いが、片手より少し多いくらい……だったか?」


 首を傾げるルッツに「だな」とロランが頷いた。


「ダンテみてーに、趣味でオートレースに出てるなら別だがよ。しかも行き先はほぼ戦場だろ?」


 首を傾げたロランが更に続ける。


「商隊の護衛依頼……とかなら乗る機会もあるだろうが……基本ハンターは街を動く事の方が少ねーからな」


 その言葉に、荷台の上の視線が一気にユーリへと集まった。エリートでもない、普通のハンターが、数え切れない程車両に乗る経験が何故あるのか……その疑問がありありと浮かぶ視線に、ユーリはいつものように嘲笑めいた顔を浮かべてみせた。


「テメェ等が知らねぇだけで、だからな」


 悪い顔で「ケケケケ」と笑うユーリに「嘘をつくな」とクロエが眉を吊り上げ、カノンは「ユーリさんがエリートなら私もエリートでは?」と何故か顎を擦って勝ち誇った顔をしている。


「誤魔化し方が下手だな」


 呆れ顔のロランにユーリが「ケッ」と口を尖らせた。


「俺が魅力的すぎて、気になるのは分かるけどよ」


 眉を寄せるユーリに「誰が気になるか!」とクロエがプンスコ怒り出す。


「一個だけ、としておせーて教えてやるよ」


 手すりに肘をかけてふんぞり返るユーリに、全員の視線が集まった。


「車の旅……ドライブっつーのはな。人のなんかよりも、好きな音楽を流しながら楽しむもんだ」


 ニヤリと笑うユーリの顔に、「音楽ぅ?」と全員がハモって首を傾げた。


「そ、音楽だ。カノンも良く聞いてんだろ?」


 そう言いながらユーリがイヤホンを叩けば、「確かに聞いてますが」とカノンが頷く。ユーリと初めて会ったあの日、あのオペレーターとして接した時だけでなく、基本的に任務の時にはイヤホンでBGMを流して戦うのがカノンのスタイルである。


 ちなみにユーリもお世話になる時が、ままあったりする。


「そんな感じで好きな音楽を流して、景色を楽しむのがドライブだ」


 そう言ってもう一度景色を眺めるユーリだが、あの頃は音楽なんて本当にただのBGMで、景色なんて楽しんだ事はない。ただただBGMに合わせて馬鹿話に花を咲かせていただけだ。


 それでも……あの時の音楽というのは、唯一仲間たち以外で色付いていたのだけは間違いない。


 満足そうに笑うユーリの顔を、「じゃあ……」とリリアが覗き込んだ。


「ユーリは昔、どんな音楽を聞いてたの?」


 不意に飛び込んできたリリアのどアップに、「俺か?」と恥ずかしさを隠すようにユーリが眉を寄せた。


「そうだな……」


 しばし考え込んだユーリが、おもむろに口を開いた――本来は激しい曲だが、ユーリのアカペラがそれをしっとりと紡ぐ。誰も知らないメロディ。誰も聞いたことがない言葉。ワンコーラスしか歌わなかったそれだが、その場の全員が驚いたようにユーリを見つめていた。


「ナルカミ……お前、歌上手いんだな」


 ポツリと呟いたクロエの言葉に、「普通だ普通。ヒョウの野郎はもっと上手いけどな」と照れを隠すユーリが外方を向く。


「初めて聞く曲と歌詞ですね」


「そりゃそうだろ。今は無き国で生まれた歌だからな」


 肩を竦めたユーリが「俺の故郷、祖先の代に極東の島国で生まれた歌だ」と懐かしさを隠せない表情を見せた。


「ちなみにタイトルとか歌詞の意味って分かるの?」


 興味津々のリリアに視線を戻したユーリだが、「さあな……」と笑って再びそれを流れる風景に――


「……忘れちまったよ」


 ――トボけた笑顔を見せるユーリに「もう」とリリアが頬を膨らませた。その顔は忘れてないやつだ、と全員が顔を見合わせるが、ユーリはそれを気にした素振りもなくリリアに向き直って口を開いた。


「っつー訳で、前座は終わったぜ歌姫様?」


 悪い顔で笑うユーリが、「アップテンポなの頼むわ」とリリアの肩を叩いた。


「すぐそうやって……」


 と話しを逸らされたことにリリアが口を尖らせるが、「俺の下手な歌じゃ場がもたねぇからよ」とユーリに微笑まれると、どうしようもない。


 仕方がないとばかりに、リリアが風に乗せて楽しげな歌を――


「ナルカミ……すまん。お前とは比べ物にならん」

「月とスッポンです」

「そりゃそう――っ!」


 口を尖らせるユーリが何かに気がついた瞬間、全員の耳に『流れ弾十一時方向』ブルーノの声が飛び込んでくる。


 不意に響いた場違いな警告に、リリアが肩を跳ねさるよりも先に、ユーリがその頭を抱えて瞬時に荷台の上で身を伏せ、ほぼ同時にルッツが魔導銃マジックライフルで飛んできた岩の槍を撃ち落とした。


「――クリア。ブルーノ、他には?」


 イヤホンを抑えるルッツと周囲を警戒するロラン。後方と丘陵側はカノンとクロエが警戒し、ユーリがリリアを「大丈夫か」と抱き起こした。


「ええ。ちょっとビックリしたくらい」


 そう言って微笑むリリアが「ちゃんと予行の成果が出てるわ」と怖がりすぎない自分の胸をトンと叩いた。


『周囲に敵影なし……恐らく十一時方向で戦ってくれてる連中のモンスターからの流れ弾だろう』


 ほぼ進行方向に近い場所から飛んできた流れ弾に、『想定内だ』とブルーノが言う頃には、ユーリ達の視界にも既に倒されたモンスターとそれを囲むハンター達が見えてきた。


 彼らを通り過ぎる際に「ありがとうございまーす!」とリリアが声をかけた。ハンター達がそれに手を挙げて応える一幕を残して、トラックはもう間もなく第一の駐屯地へ辿り着く。


 かつてユーリが叩き壊したショッピングモール跡へ。


 空は快晴。潮風とそれに揺れる木々の音。荷台から響く楽しげな声。


 オペレーション・ディーヴァ、予定通り進行中――




 ※途中ユーリが口ずさんだ歌ですが、THE BACK HORNの『コバルトブルー』という曲です。これは(勝手ながらですが)過去のユーリやヒョウ、そして彼らの仲間たちのテーマソングとさせて頂いている曲でもあります。興味のある方は、ぜひお聞き下さい。

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