第146話 話しに同席させられるのには理由がある(前編)
困惑した表情のクロエを振り返らないまま、ユーリが口を開く。
「どうもこうもねぇよ。このジジイは、お前を使って【軍】の情報を引き出そうとしてんだよ……それか――」
「それか?」
ユーリの言葉を繰り返すクロエに、いつものようなキレは感じない。恐らく相当混乱しているのだろう。そんなクロエに事実を告げるか少しだけ迷ったユーリであるが、意を決してサイラスを睨みつけたまま口を開いた。
「――お前を潰すつもりだ……精神的にな」
鼻を鳴らすユーリに、サイラスも同様に鼻を鳴らしてユーリを睨みつけた。
「首輪のない狂犬は、誰彼構わず噛みついて叶わんな」
言葉とは裏腹にニヤリと笑うサイラスに、「こちとら元々一匹狼なんでな」とユーリも笑みを返した。
そんな二人のやり取りを前に、唯一理解が及んでいないクロエだけが、「ナルカミ、一体何が――」とユーリの後ろで困惑したままだ。
「ジジイはお前の隊長愛を利用してんだよ」
サイラスから目を離さないユーリがクロエに説明する。
この施設はサイラスとその友人――クロエ達の元隊長――の理想が詰まった場所だ。
そんな場所をクロエが密告できるとは思わない。それは隊長の遺志を潰す事になるから。加えてクロエ自身も生存率を上げる事に対しては賛成派である。
だがクロエは命令に忠実な軍人だ。
上から出された命令を守ってきたのがクロエ・ヴァンタールという女性である。
そんな彼女がこんな話を知れば、必然的に隊長への思いと命令の間で彷徨う事となる。
隊長への思いが勝れば――つまりサイラスの行動を見逃せば――それ以降のクロエはサイラスの同志として活動する事が多くなるだろう。そうなれば、クロエは意図せず二重スパイのようになってしまう。
仮に、隊長への思いが勝らずとも……迷子になったクロエは使い物にはならない。
人一倍責任感と、亡き隊長への敬愛が強いクロエだ。これから先ずっと思い悩む事になるだろう。
上に報告したとしても、サイラスは上手く躱すだろうが、クロエは隊長の思いを踏みにじったという事実を抱えて行きていかねばならない。
報告を躊躇う迷いも。
報告してしまった後悔も。
どちらもそのまま特殊能力や剣に影響する。精神がボロボロの能力者が行き着く先は、往々にして死体安置所かモンスターの腹の中……である。
「……グレイ卿……なぜ――?」
弱々しいクロエの声に、サイラスは「なぜ?」と鼻を鳴らして眼鏡を押し上げた。
「決まっているだろう。私は【人文】を憎んでいる。卿はその手先ではないか」
溜息をついたサイラスを前にユーリの眉毛がピクリと動いた。
「ちょっと待て、こいつは【軍】の人間であって、【人文】の人間じゃねぇだろ」
眉を寄せるユーリの言葉に、クロエは困惑した表情を、サイラスとクレアは「余計な事を」と言いたげな表情を一瞬だけ浮かべた。
「同じだよ。現に彼らは東征を黙認しているではないか」
小さく溜息をついたサイラスにユーリが「そりゃそうだがよ」と眉を寄せた。事実ユーリも違和感を持っていた点だ。東に行かせたくない【人文】が、いくら微妙な位置とは言え、【軍】の東征に何の文句もつけないという点に。
それはつまり、【人文】にも【軍】の東征によって、何かしらの恩恵があると言う事だ。
サイラスが言う通り、【軍】が犠牲者を増やそうとしているならば、それは【人文】にとっても重要な手段と言って差し支えないだろう。……目的が同じかどうかは分からないが、手段を共有できるからこそ、【軍】が【人文】に勘付かれずに離反出来ているとも言える。
違和感を持っていただけに、納得してしまったユーリに畳み掛けるようにサイラスが続ける。
「思いかえしてみれば、様々な事で犠牲を増やされてきた……このイスタンブール奪還でもそうだ」
顔を強張らせたサイラスに、ユーリもクロエも言葉を返せない。なんせ、その作戦がどの程度大変だったかなど知らないのだ。
「とにかく、卿達は犠牲者を徒に増やしている」
無理やり話を切ったサイラスに、ユーリは盛大に眉を寄せた。……らしくない、と。
ユーリの言う通り、クロエは【軍】の人間であり、サイラスも【軍】が【人文】と…正確には【人類統一会議】とは微妙な距離を取っている事は理解しているはずだ。確かに手段は一緒だろうが、目的は絶対に違う。
にもかかわらず、それを一緒くたにして話している……つまり自分達が掴んでいる部分を隠している。
【人文】の目的が『東へ行かせたくない』……亜人の集落に近づけたくないという予想。
確かに現時点ではあくまでも予想であるし、何より手段として犠牲者を増やしたいなら、亜人の集落に近づかせたくない…だけではない何かが隠れているだろう。
推測の域を出ない上に、こちらの切り札とも言える事柄だ。普通に考えれば隠すべきカードだと言える……が、今この状況で、クロエを揺さぶるつもりならば、【人文】と【軍】の方針違いくらいは突っ込んでもいい情報だ。
自分の所属する組織が、もしかしたら裏切り行為をしているかもしれない……。それならばより揺さぶりをかけやすい。
それをしないのは、何ともサイラスらしくない。そう考えたユーリが、サイラスを睨みつける。……のだが、当のサイラスはそんな視線などどこ吹く風で今もクロエに「【軍】は犠牲者を増やしてどうしたいのだね」と聞くだけだ。
「先のショッピングモールでも一步間違えば……卿達のせいで死人が出ていたのだぞ」
サイラスの言葉に「そんなことは……」とクロエが反論するが
「無いとは言わせない」
とサイラスが眼鏡の奥で瞳を光らせた。
「こちらが何度嘆願しても、【軍】は『必要な犠牲』という言葉で跳ね除けているのだ。犠牲に要不要があるのだろうか?」
淡々と吐き捨てるサイラスの言葉からは感情は読み取れない。そんな抑揚のない言葉にクロエは黙る事しか出来ないでいる。
「私はね……これ以上の犠牲は増やしたくない。勿論……ゼロになるだなんて甘い考えを言っているわけではない」
そう言いながら首を振ったサイラスが「それでも」と言葉を続ける。
「なるべく誰も死なずにいて欲しい……そのためには今後、このシステムを活用する必要がある……だが、それには君や【軍】が邪魔なのだよ」
射抜くようなサイラスの視線にクロエが若干怯み、ユーリが身体を動かしてサイラスの視線を遮った。
「だから卿にはスパイとして情報を持ってきて貰おう。そうでなければ消えて貰おう……と思っていたのだがね」
サイラスの眼鏡には、クロエを庇うように立ちふさがるユーリが映っている。クロエは勿論強い。だが、人間からこうも明確に敵意を……しかも搦手を使った攻撃を受けたことなどないのだろう。今は完全に萎縮してしまっているようだ。
確かに今のクロエを見る限り、サイラスの目的はある程度達成できているように見える。だが、だからこそユーリは解せない。
……サイラスにしてはやり方が手緩い。
先程も感じた事だが詰め方も甘いし、何よりこの男が相手を追い込むならば、それ相応の準備をしてくる。例えばショッピングモールで被害を受けたチームの現状を、さも苦しそうに語ってみせて、精神攻撃してくることくらい屁とも思わない男である。
それが今はどうだ。終始クロエの情に軽く訴えるだけで、まるで本気で追い詰める気などないように見えるのだ。勿論、責められなれていないクロエには十分過ぎる効果を発揮しているのだが、それでもサイラスにしては手緩いのは間違いない。
そもそもユーリがいる場面で、ユーリの性格を知っていて尚、クロエを追い詰めようなど………………。
と思った瞬間、ユーリは思考を巻き戻した。
……何故自分はここにいるのか、と。
思い至ったユーリの瞳に映るのは、サイラスの眼鏡に反射した自分の姿だ。クロエを庇うような格好。
クロエを庇う為?
確かにユーリの性格ならば、このような小狡いやり方を嫌い、クロエの側に立つのは間違いない。
間違いないが、それが分かっていて、なぜこの場に呼んだのか……ただ庇わせ、自身と仲違いさせたいわけではないだろう。
……もっと、何か――
そう思ったユーリの呆ける瞳が、サイラスの後ろに見切れる見慣れない扉を映し出した。それを認識した瞬間、ユーリは理解した。
ここに呼ばれた意味も、初めに違和感を持った事にも。それと同時に苦笑いがこぼれる。
……嵌められた、と。
ユーリの苦笑いに、サイラスが「気づいたのか?」とでも言いたげに大げさに驚いた表情を浮かべるが、白々しいそれにユーリは盛大に眉を寄せた。
サイラスは敢えてユーリを呼び、ユーリがいる前でクロエを追い込んだ。ユーリならばクロエを庇うと見越して。……完全にサイラスの思惑通りに動いていた事に気がついたユーリは、同時に彼の真の目的にも辿り着いた。
サイラスはクロエに隠れずに、堂々とこのシステムを使いたい。今後更に危険が増していく事が予想されているので、使わざるを得ない。
そのためにはクロエにこれを打ち明けねばならないが、そうすると上に報告される恐れがある。
上に報告して、サイラス達だけに影響があるとは思えない。向こうにとって都合が悪いシステムを凍結するのだ。クロエなどの前線で戦う軍人にこのシステムが知れてしまえば、【人文】にも【軍】上層部にも百害あって一利なしである。
そうなれば、クロエは報告とともに闇へと葬られる可能性が高い。
かといって、クロエの情に訴える形になれば、彼女の精神が保たない。
今のままでは、クロエには破滅の道しかない。
ならば……彼女に殻を破らせて第三の道を取らせればいい。その道を選んだからといって、万に一つも己を責めぬよう、敢えてサイラスが先に攻撃する形で。
そしてその道を選ぶ為に必要なサポートと、クロエに降りかかる火の粉を払える人間を同席させた。
クロエが受ける精神攻撃を軽くし、そしてこれから起きるだろう危険に対処できる人物。
それがユーリと言うわけだろう。
そして第三の道を選ぶにあたって、どうしてもこの場所でなければならなかったのだ……。あの見たことのない扉。答えは最初から合ったというのに……。
正直嵌められたのは釈然としないし、これからクロエにかけようと思っていた言葉すら、彼の思惑の内だろう。とは言え、それを止める事はできないし、やらねばならない事なのは間違いない。
道を進むため、乗りかかった船だ、とクロエを振り返った。
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