第143話 聞くと見るじゃ大違い
アン・ズーの巻き起こした風でユーリは飛ばされ、同時に三人に礫が降り注いだ。
叩きつけた爆風で礫を弾くカノン。
リリアが迫る礫に目を瞑り
クロエが前面に炎の壁を展開――
――その瞬間、リリアとクロエの目の前で礫が全て叩き落された。
落としたのは勿論、宙で体勢を整え駆けつけたユーリだ。
ちなみにクロエはユーリが駆けつけているのを知っていたが、万が一に備えて炎の壁を展開していた。今回は何とかそのお世話にはならずに済んだ形である。
万が一の場合は、クロエの展開していた炎の壁が礫を全て蒸発させていた事だろう。クロエをリリアの護衛につけている最大の理由が、この炎の使い勝手の良さである。
近距離から遠距離まで。加えて防御にも使える炎。点で守るユーリに比べ、面で守れるクロエの能力は、まさに護衛向きだろう。更に要人警護などの経験も豊富であるクロエは、三人の中で能力以上にリリアの護衛にはピッタリなのだ。
そんな護衛としての先輩、クロエがユーリの背中を睨みつけて声を上げた。
「ナルカミ! 危なかったぞ! 後ろを気にして戦え!」
ユーリの背中に厳しい檄がとぶ。万が一のための防御役だが、その万が一は出来るだけゼロが望ましいからである。
クロエとリリアに背を向ける格好のユーリが、
「
と振り返らずに手だけ挙げて応えた。事実ユーリの言う通り、単純に自分が大丈夫であれば良かった戦い方と、誰かを守る戦い方では何もかもが違う。そういった面でも、サイラスがこうして予行演習を提案してきたのは流石といった所だろう。
「さて……あまり派手に行くと手痛いカウンターを貰うな」
そう言いながらも笑うユーリが、足元に埋まっている岩を蹴り上げた。
「カノン、合わせろ!」
地面から飛び出した岩……凡そゴブリン程の大きさがあるそれを、ユーリの左足が蹴り飛ばした。
唸りを上げて跳ぶ岩を、アン・ズーがその巨体からは考えられないほどの速度で華麗に躱し――た先に
「どっせーい!」
カノンの斧がブチ上げた岩が突っ込んだ。
それすらも巨大な嘴で砕くアン・ズー。が、砕かれた岩の陰から現れたのは
「その翼、貰うぞ」
獰猛な笑みを浮かべたユーリだ。その左手が閃く――手刀一閃。アン・ズーの右翼を斬り裂いた。
バランスを崩して落下するアン・ズー。
その足を掴んだユーリがオマケとばかりに地面へ叩きつけた。
周囲に轟音が響き渡り、砂塵が舞い上がる。
「カノン、トドメだ」
その言葉より先に飛び上がっていたカノンが、アン・ズーに向けて斧を振り下ろした。
爆発が再び砂塵を舞い上げ、そして「おまっ――」ユーリも巻き込まれて転がっていく。
「やりました!」
「俺もやられたけどな!」
立ち上がり口を尖らせたユーリが、服についたホコリを払い落としてアン・ズーの様子を確認する。その絶命を確認したユーリが、クロエとリリアを振り返り「怪我は?」と声を掛けた。
「……護衛対象に怪我はなし……ただ――」
苦笑いのクロエの視線の先では、完全に呆けているリリアの姿。
「ただ少々刺激が強すぎたな」
肩を竦めるクロエの言う通り、いきなり空を覆うほどの巨鳥との戦いは、リリアにはショックが大きすぎたようだ。あんな化物と、ユーリやカノンは日夜戦っていると初めて認識したのだろう。
「大丈夫か?」
眉を寄せるユーリに、リリアは「私は……大丈夫」と小さく答えてユーリを見つめた。
「初めはビックリするよな」
苦笑いのユーリは傍目に怪我などしてはいない。それでもあんなに大きなモンスターと戦っているとは……知っていたが、聞くと見るでは大違いである。
こんな危険な場所だというのに、自分はリュックの中に水筒と甘いものまで……まるでピクニックにでも行くかのような格好だ。あまりの情けなさに、リリアは急に恥ずかしくなって、リュックの肩紐を強く握りしめながら下を向いてしまった。
命がけで戦う三人。そんな三人に守られるだけの自分が、一番状況を分かっておらず浮かれていたのだ。情けなさに俯きたくなるのも無理はない。
下を向くリリアに、肩紐を握りしめて震えるその手に、仕方がないとユーリが頭を掻きながら口を開いた。
「お前が気にしてる事も分かるんだが……」
口を開いたものの、ユーリは自分の思いを上手く紡げない状況に「何っつったら良いかな」と困り顔で視線を彷徨わせる。色々言葉は浮かぶが、どれもこれも適当に思えないそれにユーリは頭を振って、口を開いた。
「とりあえず、飯にしようぜ。そろそろ昼だろ?」
ユーリのその言葉に「おお! 良いですね!」とカノンが両手を上げて賛同を示した。実際に経験してしまえばいい、どんな場所でも楽しめるという事を。そう思ったユーリの発言だが、未だ自身の行動を恥じているリリアにはあまり効果がなさそうだ。
「……飯って……」
この状況で? と言いたげなリリアの顔にユーリは笑顔を返す。
「飯だ。腹が減ってはなんとやら……だからな」
笑顔のユーリが
それを受け取るリリアの手は震えているが、ユーリはそれに触れはしない。
「今日は甘いモンもあるんだろ?」
ただいつも通りに振る舞うだけだ。
困惑するリリアを他所に、「キターーーー!」「それはいいな」と喜ぶカノンとクロエに、リリアは堪らず顔を上げて三人を見渡した。
ユーリ達三人を不安そうな顔で見比べるリリアに、ユーリが小さく溜息をついた。
「気にすんな……っても無理だろうが、これが俺達の日常だ」
リリアにはその言葉が、まるで自分を気遣っているように聞こえてしまい、再び俯いて弁当を持っていない手で、再びリュックの肩紐を握りしめてしまった。
ユーリとしては、リリアが外を楽しむつもりだった事は悪いと思っていない。むしろ良いことだとすら思っている。だが、それを上手く言葉には出来ない。下手な言葉では、今のリリアにはただ気遣っているだけにしか聞こえないだろう。
言葉を探すユーリは、とりあえず繋いで欲しくてカノンとクロエに視線を向ける。不意に向けられたユーリの視線に、状況がいまいち飲み込めていないカノンは小首を傾げ、クロエは仕方がないと小さく溜息をついた。
「オーベル嬢、そのリュックだが――」
その言葉にリリアが肩を跳ねさせて「……ごめんなさい」と小さく呟いた。責めるつもりではなかったクロエだが、更に俯いてしまったリリアを見てユーリへと視線を戻した。まるで「ゴメン、無理」とでも言いたげな視線に、ユーリは眉を寄せる。
とは言え確かに家を出た時から少しは予想していた事だ、とユーリは仕方がないと大きく溜息をついた。
「リリア、別に俺もクロエもカノンもそのリュックに……お前の気持ちに呆れても、怒ってもねぇよ」
ユーリの言葉にリリアが「でも……」と少しだけ顔を上げた。
「良いんだよ。ピクニック気分で」
笑うユーリの言葉に、見透かされていた事にリリアが「違……くは無いけど」と赤くなる。
「さっきも言ったろ? これが俺達の日常だって」
ユーリが再度紡いだ言葉にリリアは息を飲んで暫く固まる……その瞳に映るのは「こんなに危ないのに」とでも言いたげな不安。だがそれをリリアは口にしない。これがユーリの選んだ道で、自分が何か出来る訳ではないのだ。その事実にリリアが再び俯いた。
「危険なのも、命がけなのも、いつも通りで変わらねぇ……でもな」
言葉を切ったユーリに「でも?」と顔を上げたリリアが呟いた。
「だからって、それだけが日常じゃねぇ」
ユーリの言葉に「でしょう!」とカノンが大きく頷く。
「飯は食うし、冗談は言うし、なんなら遊ぶこともあるぞ」
肩を竦めたユーリに「この前は鬼ごっこしましたからね」とカノンが合いの手を入れ、「アレは馬鹿の所業だったがな」とクロエが大きく溜息をついた。
「そんな事してたの?」
呆れ顔のリリアに「いいだろ。どんな場所でも楽しんだモン勝ちだ」とユーリが笑う。
ユーリの言っている事は分かる。ユーリの言う通り、どんな場所でも楽しんで良いとリリアも思う。それは誰にも縛られることのない権利だ。でも、どれだけ大丈夫だと言われても、あの恐怖を知ってしまっては、やはり心配してしまうのがリリアである。
こんな危険な事しないで、一緒にお店をやろうよ。
そう言えたらどれだけ良かっただろう。
青空は偶に見える農業区のやつでいいから。
そう言えたらどれだけ良かっただろう。
だが、それは出来ない。なぜならこれがユーリの選んだ道なのだ。
そんなユーリに自分は何が出来るだろうか。ピクニック気分で呑気についていく事しか出来ないというのに……。
何とも無力でちっぽけな存在だ……そう自分を責めてしまいたい気持ちに駆られている。楽しんで良い……それは分かる。でも危険を目の当たりして、いつものようにユーリと笑える自信が無いのだ。
いや、こんな情けない感情ではユーリに更に迷惑を掛けてしまう……だからここは楽しまないと……そう思うが上手く笑えない自分にリリアは俯いたままだ。
それでも迷惑を、心配をかけまいと「分かった。楽しむ」と答えただけ、リリアは頑張った方かもしれない。だが、そんなリリアにユーリは眉を寄せて溜息をついた。
「まあ大丈夫って言っても、心配するわな」
その言葉に「そんな事……ないわよ」とリリアが思わず顔を上げた。
「良いんだよ。心配なら心配しても、嫌なら嫌って言っても……そりゃお前の自由だ」
そう言ってリリアの頭に手を乗せるユーリに、「でも……」とリリアは不安げな瞳を逸した。
「心配大いに結構。でもよ、前に言った事……覚えてるか?」
ユーリの言葉に「前に?」とリリアが視線を戻して首を傾げた。
「お前と初めて会った日、夜明け前の店先で――」
ユーリのその言葉に、リリアは当時の言葉を思い出している。
――なら……心配なんかより明るく楽しく歌でも唄ってろ。お前の歌と飯の匂いに誘われて、たまに顔出してやるからよ。
その言葉を思い出したリリアは、込み上げてくる感情に下唇を噛んだ。……ああ、あの言葉はそういう意味だったのか、と初めてその重さに気がついた。リリアはこみ上げる感情が溢れない様に、唇を更に噛み締めて前を向き直した。
どんな危険な場所でも、どんな危険なモンスター相手でも、リリアが歌を唄えばユーリはちゃんと戻ってくると約束してくれていたのだ。
出来ることがあるではないか。……前からユーリは言っていてくれてたではないか。
であればこそ……
「……今度の陣中見舞い……」
呟いたリリアの唐突な言葉に「うん?」とユーリが小首を傾げた。
「心を込めて歌うわ……それが私の日常だから」
……自分にできる事、ハンターや能力者を元気づけるために、そしてユーリが住む日常から、リリアの住む日常へと帰ってこれるように――自分が出来る事を誠心誠意やり遂げよう。
そう心に誓ったリリアが、ぎこちないながらも笑みを浮かべた。
「そうしてくれ」
笑うユーリに頷くリリア。それを見たユーリが「飯、食おうぜ」とリリアへもう一度声を掛けた。
「うん」
頷くリリアが震える拳を握りしめる。
モンスターの恐ろしさと、それを前に戦うユーリ達の覚悟、そしてそれを知って初めて自分に出来ることを噛み締めながら食べた昼食の味を、リリアは生涯忘れる事はないだろう。
「カノンちゃん……そのお肉って……」
「はい! マンガ肉ですッ!」
「バーンズ、肉だけでは栄養が偏るぞ」
「じゃあ俺のトマトをやろう」
「ユーリ、好き嫌いなく食べなさい」
……青空の下、皆で広げて食べる弁当の美味しさも……忘れる事はないだろう。
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