第140話 飲まれたら負け。酒も勝負も

「………強くなっていないか?」


 ポツリと漏らしたエレナの視界には、不敵な笑みのユーリが映っている。先程殴りつけた動きもそうだが、今もユーリは軍人たちの軍用刀サーベルから繰り出される乱舞……を難なく躱し続けている。思わず呟いてしまった言葉であるが、それに返してくれる人間は誰もいない。なんせ、ここには昨日のユーリを知っているのはエレナだけしかいないのだ。


 それでも一拍遅れて……


「俺の知ってるボーイじゃないね〜」

「全く不快極まりない男ですわ」


 ……過去のユーリを知る二人から、賛同とも取れる声が小さく上がった。


 事実、軍人たち相手に立ち回るユーリの動きは、二人が知っているモノとは比べ物にならないくらいなのだ。


 今も振り下ろされる軍用刀サーベルを回転して躱しつつ、右の肘を叩き込んでいる。


 とは言え相手も軍人、戦いのエリートだ。


 ユーリの一撃を今のところまともに受けたのは、今のところ開始そうそう吹き飛ばされた男くらいだろうか。先程ユーリの右肘を受けた一人も、上手く威力を半減させるように攻撃に合わせて跳んでいた……ように見える。


 軍人たちを中々捉えきれないユーリの姿に……


「本気で叩き潰すつもりだな」


 エレナが呆れ混じりの声を漏らして、「まあ……ボーイだからな〜」とダンテの苦笑いが応えた。


 普段のユーリらしからぬ精彩を欠く攻撃……いや、正確には。うっかり相手を昏倒させない様に、細心の注意を払った攻撃に、エレナやダンテだけでなく反対隣のエミリアでさえ呆れた溜息をつく始末だ。


「本当に不快極まりないですわ」


 扇で口元を隠したエミリアが、その瞳を細めた。


?」


 エミリアの呟く先では、今もユーリが軍人たちの猛攻を躱してカウンターを放っている……が、その威力を上手く受け流され決定打にはなっていない。


 一見するとユーリの攻撃を上手く軽減させて見えるそれだが、それは。エミリアの言う「遊んでいる」は、ユーリが相手が能力を使う事待っているのでは……つまり今は手加減しているのでは、との思惑からの発言だ。


「まあ、そうだろうな」

「だね〜」


 それに頷く二人の視線の先では、軍人たちも漸くそれに気づいたのだろう、冷静に見えていた顔色がドンドン怒りに満ちたものへと変化し始めていた。


 冷静さを欠き、攻撃が雑になればなる程ユーリのカウンターが決まる……そしてそれがまた相手の感情を逆撫でする……。相手からしたら苛々のループに嵌ったと言った所だろう。


 攻撃が当たらない。なのに相手の攻撃は腹立たしいほど当たる……しかもと馬鹿にしたような威力で。


戦い方だよな〜」

「これがというモノなのだろう」


 呆れ顔で溜息をつく二人だが、同時に対人戦闘の奥深さをヒシヒシと感じている。相手を怒らせ、冷静な判断を奪う事……言ってしまえば簡単だが、やられる方はたまったものでは無いだろう。


「まあ、我々に出来るのは怪我人を運ぶことくらいか」

「あれ? 回復してやらないのかい〜」

「そんなもないだろう」


 肩を竦めたエレナの視線の先で、ようやく埒が明かない、と観念したのか軍人たちが一旦ユーリから距離を取った。


「どうした? 準備運動は終わりか?」


 ニヤリと笑って構えるユーリを前に、顔を赤くした軍人たちも同じ様にニヤリと笑った。


「本番はここからよ!」


 一人が叫んで床に手をついた瞬間、地面が大きく揺れ始めた。

 波打つように揺れる床に「お!」とユーリが珍しい物でも見た、とばかりに目を見開いて思い切り飛び上がった。


「かかったな!」


 別の一人が両手を前に出せば、四方八方から伸びる蔦がユーリへ襲いかかる。


 宙で身を捻って上手く蔦を躱すユーリだが、着地した先が再び揺れ、足を取られた所に蔦が襲いかかる。


 バックステップで蔦を躱すユーリ……だがその先でも床が揺れ、今度は周囲から魔法が飛来する。どうやら足場の悪い場所では相手も肉弾戦は無理なのだろう。


 揺れる足場でユーリが器用に魔法を躱す……そこへ再び伸びてきた蔦。いい加減鬱陶しいとユーリが揺れる床に合わせて飛ぼうとした瞬間、床が大きく凹んでユーリの跳躍のエネルギーを全て奪い去った。


 どうやら揺らせていたのは、この瞬間への布石だったようだ。


 勝ち誇った笑みを浮かべる男を見たユーリ……その両腕に蔦が巻きつき動きを奪った――瞬間、ユーリの背後……正確には影から一人の軍人が音もなく現れた。


「死ね」


 至近距離、背後から突き出される軍用刀サーベル

 跳躍しようと伸び切った足。

 固定された腕。

 ユーリの身体を貫く切っ先――


 その場の全員が確実に終わったと思った一撃は……身を捩ったユーリの脇腹を掠めただけだ。


「馬鹿なッ」


 影から出てきた男が驚くのも無理はない。タイミングは完璧だった……相手がユーリでなければ決まっていただろう。


「殺気がダダ漏れなんだ……よッ」


 笑いながら飛び上がったユーリが、そのまま後方に一回転。

 真後ろにいた男を踏みつけその意識を奪った。


 男が倒れ、軍用刀サーベルが床に跳ねる。

 それをユーリが蹴り上げれば――回転する軍用刀サーベルが右手の蔦を斬り裂いた。


「さっすがエリート。いい得物使ってんじゃねぇか」


 笑うユーリが回転するサーベルを掴み、左手の蔦も斬って足元の軍人をもう一度踏みつけた。


 枯れ木を折ったような音が響き、意識を取り戻した男が右肩を抑えてくぐもった悲鳴を漏らす。


「貴様! やめんか!」


 そんなユーリの足元が再び揺れ、再び蔦が周囲から伸びてくる……が、幾つかの蔦は斬り落とされ、そして残りの蔦はユーリを捉えきれず床や壁に張り付いただけだ。


 ユーリが蔦を躱す度、訓練場には蜘蛛の巣のように蔦が張り巡らされ――


「コイツはいいな……」


 ついにはにユーリが飛び回る始末だ。こうなってしまえば、足元が揺れるのは全く意味を成さない。


「とりあえず――」


 何度か蔦の間を飛び回っていたユーリが、一際勢いをつけて蔦を撓ませた――そこから射出されたユーリ。

 目にも止まらぬ勢いで飛び出した先にいるのは……足元を揺らしていた男だ。


 一瞬で間合いを詰めたユーリが、軍用刀サーベルを男の肩に突き立てた。


「ぐぁあああ」


 隣で転がる仲間の悲鳴に、蔦を出した男が慌てて両手を――突き出したそれをユーリの軍用刀サーベルが払い落とす。


 無くした腕に蔦男が悲鳴を上げる……それを「うるせぇ」とユーリの左上段回し蹴りが掻き消した。


 吹き飛んだ蔦男が壁に打つかり建物を揺らす。


 先程までとは打って変わって、一瞬でやられていく軍人たち。そしてそれを当たり前とでも言うように「次、早くしろよ」と軍用刀サーベルを肩に預けて笑うユーリの姿。


 その様子にクロエは笑顔を引き攣らせていた……コイツ、殺さないギリギリでやってやがる。ユーリの見せる獰猛な笑顔に、立会人としては止めたほうがいいのでは……とさえ感じ始めている。


 だが……まだ勝負は終わっていない。


「貴様ぁ!」


 バラバラにユーリを囲んでいた男たちが、一斉に魔法を放った。


「なんだ……残りはただの魔法かよ」


 それに肩を落としたユーリが飛来する魔法を躱して、叩き斬る。それでも止まない弾幕に、「面倒クセぇな」と眉を寄せたユーリが、踏みつけた影男の近くへ――その襟首を掴んで、


 上がる仲間の悲鳴に、一瞬だけ弾幕が止む――その瞬間にユーリが近くにいた男に接近。


 軍用刀サーベルの柄で思い切り蟀谷を叩き

 同時に盾にしていた男を放り捨てた。


 膝から崩れる軍人……その襟首を掴み新しい盾を手に入れたユーリが「ほら、撃ってこい」と笑顔を見せた。


「おのれ……卑劣な!」


 激昂した三人の軍人たちが一斉にユーリへと駆け出した。


「バカだな……」


 それを見て溜息をついたユーリが、意識を失った軍人から二本目の軍用刀サーベルを分捕った。


 目の前に迫る三人。


 バラバラに振り下ろされるそれを、左右に持った軍用刀サーベルが弾く。


 三対二……明らかに数的振りを物ともせずに弾き返したユーリに、軍人たち三人は一瞬だけ驚愕の表情を浮かべるが、再びその手の軍用刀サーベルを振り下ろした。


 再び弾かれる軍用刀サーベル

 それでも男たちは止まらない。


 形振りなど構っていられない。そんな具合に振り回される軍用刀サーベルを、ユーリは落ち着いて全て捌いていく。


 ユーリと三人の男たちの間には、先程からキラキラと何かが輝いているだけで、既に殆どの人間には何が起こっているか分からない。ただただ訓練場に響く金属音だけが、何かしらの攻防があるのだろう事を予想させるが……それすら間断なく連続で響くせいで、先程からまるで一つの音にしか聞こえないのだ。


 ユーリの目の前で、左端の男の呼吸が乱れ始めた。


 僅かに遅れた刃に「体力不足だ」とユーリが左に体を開き、そのまま回転。

 目標を喪失した男たちがつんのめる――

 回転したユーリは男たちの真横に

 右手の軍用刀サーベル、その柄で左端男の後頭部を強かに殴りつけた。


 吹き飛び転がる男を尻目に、ユーリは残りの二人へ肉薄。

 慌てて体勢を整える二人だが……


「あ、あああああ」


 すでにユーリの軍用刀サーベルが、男の太腿を貫いていた。


 太腿に軍用刀サーベルを残し、空いたユーリの左手が男の顔面を掴んで地面へ叩きつける。


 揺れる建物に、悲鳴を上げる事の無くなった男。


 それを置き去りにユーリが跳ぶ。

 勢いをつけたユーリの右膝が、残った男の顔面を粉砕して吹き飛ばした。


 男の放りだした軍用刀サーベルが「カラカラカラ」と乾いた音を立てて床を滑っていく――


「で? テメェは見てるだけか?」


 振り返ったユーリの視線の先には、最後に残った一人……中隊長が軍用刀サーベルを握りしめ顔を赤くして立っていた。


「……舐めるな小僧!」


 激昂しているのだろう、たった一人になった中隊長だが、ユーリめがけて駆け出した。

 たった一人で、無謀な――とでも言いたくなる行動だが、その姿が一瞬で二人に、そして三人、四人と増えていく。


「お、分身の術か」


 それを見て笑ったユーリが軍用刀サーベルを構えた。


 突っ込んできた男が軍用刀サーベルを振り下ろした。

 右に体を開いて躱す。

 それと同時に剣を横に――薙ごうとした瞬間、横から別の男が刃を突き出した。


 ユーリはとっさに右足を引いて体を戻して仰け反る様に躱した。

 そこに迫る反対側からの刺突。

 より大きく仰け反ったユーリの目の前を刃が通過する。

 ほぼブリッジのようなユーリ。

 その視界に映ったのは、後方へ回っていたのだろう、最後の一人が振り上げた軍用刀サーベルだ。


 仰け反ったユーリへ叩きつける様に振り下ろされる軍用刀サーベル

 迫る刃にユーリは思い切り体を捻って回転。

 ユーリの脇を逸れる刃。

 クルクルと回転して着地したユーリが、バックステップで距離を取る。


 数度のバックステップ。それを勢いに変えたユーリが一気に距離を詰める。


 待ち構える四人を前に、駆けるユーリが軍用刀サーベル


 このタイミングで武器を手放すとは思っていなかったのか、一瞬だけ面食らった中隊長Aがそれを弾いた……否、弾いてしまった。


 跳んでくる軍用刀サーベルという脅威に、全員が一瞬だけ意識をそちらに向け、そして真正面に立つ中隊長Aがそれを弾く。


 視界から、意識から一瞬だけユーリを逸したのが間違いだ。


 駆けていたユーリがスライディング。

 中隊長Aの股ぐらを潜り抜け――ると同時にその両足へダブルラリアット。


 足を刈り取られた中隊長Aが転倒。

 と同時にユーリが絡め取った両足を掴んで、立ち上がりざまのジャイアントスイング。


 生体兵器中隊長Aが、中隊長Bを吹き飛ばした。


 残った中隊長CとDが、慌ててユーリから距離をとろうとする――そこへユーリは振り回していた中隊長Aを放り投げた。


 跳んで避けるべきか。受け止めるべきか。

 その一瞬の躊躇が命取りだった。


 結局受け止めてしまった二人。

 既に目の前には飛び上がったユーリの姿。


 Cの顔面に減り込むユーリの左膝。

 着地と同時にユーリが屈んだまま後方に回転。


 左踵の足払いが残ったDの足を刈り――倒れ込みそうなDの側頭部へ跳ね上がるよう立ち上がったユーリの右爪先が突き刺さった。


 勢いよく飛んだDが天井へ打つかり建物を揺らす。


 パラパラと落ちてきたホコリが消える頃、吹き飛んでいた中隊長達がそれぞれ消えていく――


「……なんだ。消えねぇって事はコイツが本体か」


 転がり「う、ううう」と呻き声を上げるAを前に、ユーリが足を持ち上げてその顎を踏み抜いた。


 ……あ、「まいった」言わせないつもりだ……とその場にいた誰もが、獰猛な笑みを浮かべるユーリの行動にドン引きしている。


 それは立会人であるクロエしかり……あの時以上に強くなっているユーリに驚愕するあまり、ユーリが歩いてくるのを呆然と見るだけしか出来ないでいた。


「……い、おい! どうすんだ立会人。このままぶっ殺していいのか?」


 中隊長の足を掴んで引きずるユーリの言葉に、漸くクロエは我に返った。


「い、いや。勝負アリだ。これ以上は許さん」


 努めて平静に「予定通り」とでも言うような声を出したが、思っていた以上のユーリの成長に、そして残虐さにクロエは背筋に走る物を感じていた。


「んじゃ、医者呼んで最後の詰めをジジイに聞きに行くぞ」


 中隊長を放り投げたユーリが、「にはちょうど良かったな」と笑ってその場を後にした――



 ……この日以降、「下層の歌姫にちょっかいを出すな」と言う不文律が出来た事をユーリは知らない。 

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