第133話 夕焼けは人をノスタルジックにさせる
夕焼けに染まっていく空……それを一人の女性が胡座をかいてボンヤリ眺めていた。
夕焼けの橙に照らされていても紅と分かるほど鮮やかな赤髪。燃え上がる太陽を彷彿とさせる真紅の瞳。真っ黒なローブを風にはためかせるエリーは、珍しく覇気のない瞳で小高い丘の上から赤く染まっていく空を眺めている。
「……隊長か?」
不意に口を開いたエリーの真後ろに、一人の男性が現れた。
真っ白な髪に夕焼けを映した中性的な顔立ちの男性。エリーと同じ様に黒いローブに身を包んではいるが、風にたなびくローブが時折男性のシルエットを形どる……手足が長くスラリとした体型は、顔の美しさも相まって時代が時代ならトップモデルでも務められただろう。
ただその瞳だけは、深い海の底を切り取ったように真っ黒で……その瞳を見ていると昏く深い所までどこまでも沈んでしまうような錯覚を覚えてしまう。
「……こんな所で何をしてる?」
男性の瞳の奥で優しげな光が僅かに揺らめいた。深淵の奥底で揺蕩う慈愛は、恐らく彼の仲間にしか向けられる事しかないのだろう。
そんな優しげな瞳をエリーはチラッと振り返って小さく溜息を漏らした。
「ちっと黄昏てただけだよ」
薄く笑ったエリーが、「最近退屈でよ」と、口を尖らせて頬杖をついた。
「すまないな。少々立て込んでてな」
そう言いながらエリーの隣に腰を下ろした男性が、「夕焼けか……久しぶりだな」と沈みゆく太陽に目を細めた。
「いいだろ、ここ。最近のお気に入りなんだよ」
エリーは笑いながら、後ろに手をつき青から紺に変わる頭上の空を見上げた。その隣で男性も、エリーと同じ様に頭上に迫ってくる夜を見上げて口を開いた。
「確かに良いな……心の洗濯だ」
そう笑った男性に、エリーは黙ったまま何も言わない。暫く黙ったまま空を見上げる二人だが、痺れを切らしたようにエリーが口を開いた。
「んで? 結局どうなったんだよ?」
顔は真上に、視線は男性に向けるエリーに、「一先ずは協力だ」と男性も視線だけをエリーに向けた。
「協力……協力…ね」
呟いたエリーが片膝を抱えて、再び赤く染まる空へと視線を戻した。
「嫌か?」
エリーを真っ直ぐ見据える男性に、「そりゃそうだろ」とエリーが鼻を鳴らした。
「あいつら……【人文】を裏切るつもりだろうが、結局オレらの仇みてーなもんだろ? そりゃ嫌に決まってる」
視線は真っ直ぐに、口を尖らせるエリーの顔を夕焼けが赤く染め上げる。そんなエリーを見ていた男性が小さく笑い、「そうだな」と呟いて赤く染まる空へと視線を戻した。
「だからこそ……奴らの企みを利用しようと思ってな」
獰猛に笑う男性の顔をチラリと見たエリーが、「奴らの企み…ね」と呟いた。
「オレには眉唾モンだけどな」
眉を寄せるエリーに、男性が肩を竦めて笑んで見せた。
「そう言うな。なんてったって――」
「ウチのー、読みやしー大丈夫やでー」
男性の声を遮るように姿を現したのは、二人と同じ様に黒いローブ姿のマモだ。
「……そりゃ、知ってるけどさ」
マモが現れたことに驚いた素振りもなく、エリーは膨らませた頬を頬杖で押しつぶした。
実際エリーはここ最近、男性やマモが色々調べていたのは知っている。
例えば
例えば前回イスタンブールの内乱未遂に関わった人物の洗い出し。
例えば【人類統一会議】の連中の目的、などなど。
様々な情報を可能な限り集め、それらをマモが持つ叡智とも言える頭脳を持って繋げ合わせた。その結果、エリー達【八咫烏】は【軍】が現在東征を続け、ダンジョンを探している理由に当たりをつけている。
それでもその理由は、エリーからしたら荒唐無稽な与太話でしかない。それでも……
「マモ
……マモの持つ特異な能力への信頼もある。
「俺が言っても駄目だったのに」
そんなエリーの態度にガックリと肩を落とした男性に、「そりゃ……」とエリーが言いにくそうに頬を掻いた。
「隊長が賢いのは知ってるけどよ……マモ
そう言ってマモを振り返ったエリーだが、当の本人は良く分からない、と言った具合に小首を傾げるだけだ。
「ところでエリーちゃん……こないなところでー、どないしたんー?」
小首を傾げたマモが、エリーの隣に腰を下ろして「綺麗やなー」と赤と青のコントラストに目を細めた。
「ちっと黄昏てただけだよ」
先程男性にも同じことを聞かれて同じことを返したな、とエリーが笑みを浮かべて、「たまには良いだろ?」と、再び後ろに手をつき少しずつ黒に染まってきた頭上の空を見上げる。
「せやなー。偶には……エエかもなー」
膝を抱えてマモが空を見上げれば、何故か男性も再び空を見上げた。
三人無言で空を見上げる事暫く……エリーは少しずつ黒が侵食していく空から、名残惜しそうに赤を残す空へと再び視線を戻した。
「……空の色は変わんねーのにな」
呟いたその言葉に、マモと男性がエリーに視線を向けた。夕陽に照らされて、きらめく瞳のせいだろうか……今にも泣きそうに見えるその顔は、どこか幼く、夕焼けの赤も相まって迷子の子供のように見えてしまう。
「遠くまでー来たんになー」
同じ様に夕陽を見つめるマモに、「そうだな」と男性も静かに頷いた。
「あの頃は――」
良かったよな……そう言いかけたエリーが口を噤む。こんな感傷的な気分になるのは、夕陽のせいなのだろう。
「あの頃はー楽しかったわー」
口を噤んだエリーの隣で、マモが満面の笑顔で口を開いた。
「そうだな……当時はクソ喰らえだったが、思い返してみると悪くはないな」
と、男性でさえ微笑みを浮かべて、エリーを見ている。
「……なにジジババくさい事言ってんだよ……二人共オレの一個上だろ? もう少し若くあれよ」
そんな二人から、恥ずかしそうに顔を逸したエリーが早口で捲し立てた。
男性の言う通り、当時はクソだと思っていた……戦いに明け暮れた日々は今とそう変わらない気もする。……それでもあの頃は夕陽が空を染めれば、明るい部屋でテーブルを囲んだものだ。
昏い夜が来るだなんて、知らなかった。……いや見ていなかった。何も……。
「後悔……してるんー?」
不意に向けられたマモの視線に、エリーの肩がピクリと動いた。
「……何を、だよ?」
呆れた様な声を返すエリーに、「そりゃー、アレやんー」とマモが淋しげな声音でもう一度膝を抱えた。
「復讐始めたことー。それに……あの子らに手ぇかけたことー」
呟いたマモの声に、男性の顔も一瞬だけ強張った。
三人の間に流れる沈黙に耐えかねたように、風が矢鱈と大きな音を立てて通り過ぎる――
「後悔なんて……してるわけねーだろ」
そんな風の音に掻き消されそうな程小さな声で、エリーが呟いた。
「アイツらを殺したのも……復讐を決めたのも……全部オレ自身だ。オレが決めて、オレが選んだ道だ……後悔なんてしてねーよ」
言い切るエリーの力強い瞳に、「さよかー」とマモが優しく頷いて、男性も小さく息を吐き出した。
「今更変な事言うなよ」
苦笑いを浮かべたエリーに、
「変な事ー言うたんはー、エリーちゃんが先やでー」
とマモが頬に手を当て「かなんわー」と困った様な笑顔を浮かべている。
「夕陽のせいだな。偶にはノスタルジックな気分になっても良いだろ……それが出来るのは、俺達が俺達である事の証左だ」
男性の言葉に、そうだなと二人が頷いた。三人にしか分からない。三人だけの絆……それを噛みしめるように、三人ほぼ同時に小さく笑い声を上げ、それを風が攫っていく……
そんなエリー達の前で、今、静かに、太陽がその姿を隠した……空が黒に染まっていく――
「……夜が来たな」
「ウチらのー時間やなー」
「さあ、世界に悪夢を届けるために……先ずは腹ごしらえだな」
膝を打って立つ男性の言葉に、「そういや今日の飯当番って……?」とエリーが眉を寄せる。
「ウチやでー」
元気よく手を挙げるマモだが、エリーの顔が見る間に引き攣っていく。
「……ちょっと腹が痛くなってきた……」
「お腹空きすぎてんねやなー。早う食べよかー」
「違っ、そうじゃ――」
嫌がるエリーをマモが引きずって行く……それを見た男性が微笑んでもう一度太陽が沈んだ先を振り返った。
暫く姿を隠した太陽を睨みつけるようにしていた男性が小さな声で呟いた。
「後悔はあるさ……俺があの時もっとしっかりしていたら……」
風に消えそうな小さな声。思わずこぼれた声に、「今更だな」と男性が小さく溜息をついて太陽に背を向け歩きだした。
行く先に広がるのは無限の闇……それでも男性の足取りに迷いはない。
☆☆☆
エリー達が夕陽を見ていた頃、イスタンブール上層の軍司令室は既に闇に包まれていた。
「……まさか向こうから接触してくるとは思いませんでしたね」
シェリーが溜息混じりに部屋の明かりを点ける――急に明るくなった室内で、ロイドが「流石に驚いたな」と僅かに目を細めた。
「【八咫烏】ですか……しかもロイド様の目的に勘づいているのですよね?」
小首を傾げるシェリーに、「ああ。わざわざ教えてくれたからね」とロイドが頷いて続ける。
「脅しのつもりだろう……が、今回の話で奴らが
そう言いながらロイドが少しだけ俯く……今だ細められた瞳を見るに、どうやら未だ視界が明るさに慣れていないようだ。
「そのお陰で奴らの正体にも予想がついた……俄かには信じられない集団だよ……これを他の人間に話したら、『与太話だろ』と笑われてしまうな」
ロイドが大きな溜息をつきながら、「まさか彼らがそうとは……」と両手で顔を覆って、明るさになれない目を優しく揉んでいる。
「私はそれ以上に、ロイド様が同盟を結んだ事に驚いているのですが?」
ジト目でお茶を用意するシェリーが、「ロイド様が他の人間の手を借りるなんて」と呟いた。
「利害が一致したし、何より利用して捨てたとしても全く良心は痛むまい?」
ロイドが笑顔を見せて紅茶に口をつける。
「それは向こうも同じでしょう」
そんなロイドにジト目を向けながら、シェリーはちゃっかり自分の紅茶も用意している。
「分かっているとも。せいぜい足をすくわれる事のないように気をつけるさ」
言葉とは裏腹に、余裕そうな表情でロイドがティーカップを傾けた。
明るい魔導灯に、カップから立ち上る湯気が揺らめく。その向こうには、窓の外に昏い夜が広がっていた――
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