第134話 タダより美味いものはない
日が沈み、多くのハンター達が今日一日の無事と稼ぎを喜んでいる頃――
「いやぁ。タダ酒は美味ぇな」
――ダイニングバー『ディーヴァ』のカウンターで、ユーリはごきげんにグラスを傾けていた。
ヒョウとの立ち会いの後、結局クロエに引き摺られるように依頼に駆り出されたユーリからしたら、この一杯は格別の味かもしれない。
ニコニコとグラスを呷るユーリの隣で、「あんまアホみたいに呑みなや?」ヒョウは苦笑いだ。ユーリが引き摺られ、帰ってきた頃には憔悴しきっていた姿を思い出しているのだろう。
「明日も仕事なんやろ?」
苦笑いの表情は暗に「明日も大変になるぞ」と言っているようだが、ユーリはその表情を横目で見て「ケッ」と面白く無さそうな声を漏らして続ける。
「今日のは殆どお前のせいだろ」
口を尖らせるユーリに、ヒョウが肩を竦めた。
「あの程度でヒーヒー言うとったら、道のりはまだまだやね」
意地の悪い笑顔を浮かべたヒョウに、「バカか。あと数ヶ月で戻してやるよ」とユーリが鼻を鳴らして「最近調子が良いからな」と一気にグラスの中身を呷った。
「親っさん、もう一杯――」
空になったグラスを掲げるユーリに、リリアの父が無言で頷いてグラスを受け取った。
ユーリ達の後ろ……つまりテーブル席の方で、一際大きな笑い声が上がる。どうやら今日も今日とて店は大繁盛のようだ、とユーリはちらりと後ろへ視線を向け、テーブルの間を忙しなく行き来するリリアを盗み見た。
楽しそうに常連の爺二人に笑顔を向けるリリアを見たユーリが、再びカウンターの内側へと意識を戻す……どうやらグラスが戻ってくるにはもう少しかかりそうだ。
「それで? どうだったよ?」
暫し手持ち無沙汰になったユーリが、カウンターに広げられた料理を齧りながら口を開いた。
「……せやね。とりあえずホムンクルスの彼は……今のユーリ君にはキツイかもな」
グラスを小さく傾けたヒョウの言葉に、「チッ」とユーリは自分の不甲斐なさに舌打ちを漏らして、また料理に齧り付いた。
「あのーアレだ。才能育成局……だっけ?」
「何やその怪しい奴らは……能力開発局や」
呆れたヒョウの声に、「そう、それだ」と手を叩いたユーリが、差し出されたグラスにペコリと頭を下げた。
「そこの局長がぶっ殺されたんだろ?」
声を落とすユーリに、ヒョウは驚きを隠せていない。なんせユーリだ。自分以外には興味のなど一欠もない男である。そんな男でも、一応大ぴらに出来ない話題、と言う事くらいは分かってるんだ……とヒョウは思わず目を丸くしてしまったのだ。
「何だよその顔」
「や、何もあれへん」
眉を寄せるユーリに、首を振ったヒョウ。
「そこの局長、何で殺されたかは分かんねぇんだろ?」
正面を向いたままグラスを傾けたユーリに、「せやな」とヒョウが小さく頷いた。
「ただ……あのオッサン、僕らの事知っとったわ」
「みたいだな」
小さく溜息をもらしたユーリが「今更だが殺されたのが痛ぇな」と呟いた。
「ホンマ……失態やわ」
片手で顔を覆うヒョウに、「仕方ねぇよ。お前で無理なら誰がやっても無理だ」とユーリがその肩を軽く叩いた。
ユーリはヒョウに事の顛末を聞いている。
幻覚を見せる能力を持ったホムンクルス。腕は今のユーリよりも少し強いと言う。そんな人間が不意打ちで乱入してきたら、流石のヒョウと言えど止められまい。何せ全く警戒していなかった幻術に嵌っていたのだから。
「リンコの次はシンか……」
自分が思わず呟いてしまったその言葉を、ユーリが飲み込むように、思い切りグラスを呷った。
また仲間の能力だと思われる事象……そうでなければいいのに、そうでないと信じたいのに、口からこぼれた言葉を飲み込もうと、どれだけグラスを傾けた所でそれは叶わない。
そんなユーリが見せた微妙な優しさに、ヒョウは変わらない友の姿に少しでも報いようと、話題を変えるため口を開いた。
「能力の出先も不明、ただまあ少しやけど進展はあったわ」
少しだけグラスを傾けるヒョウに「医師会保険組合だろ?」とユーリが視線を向けた。
「医療保険局な」
溜息をついたヒョウに、「そう、それ」とユーリが再び相槌を打つ。覚える気が無いのだろう、今も「ニュアンスは合ってたな」と頷くユーリの姿に、ヒョウは大きな溜息をもらした。
「とりあえず今分かってんのは……」
ここから先は覚えといて欲しいです……そう思いながらヒョウは、今のところ分かっている事をまとめる様に説明し始めた。
能力開発局局長を殺したのはホムンクルス。
そのホムンクルスは、医療保険局の秘密の研究施設で作られている。
医療保険局局長が、能力開発局局長の暗殺を命じた可能性が高い。
医療保険局局長は、自身のクローンを表に立てて雲隠れ中。
最後に……医療保険局局長と【八咫烏】が手を結んでいる可能性が高い。
「てな訳で、暫くは医療保険局局長の隠れ家探しやな」
再びグラスに軽く口をつけたヒョウに、「何か俺だけ目的からズレてる気がするぜ」とユーリが再び空になったグラスを、リリアの父親へ渡して人差し指を立てた。
「いや、案外ズレとらんかもやで」
ヒョウがそう言いながらグラスを置いた。
「【軍】の動きやけど、正味かなり胡散臭い……」
呟いたヒョウに
「まあ、【人文】の幹部が一人殺されてんのに、未だダンジョンだとか与太話追ってるくらいだしな」
と肩を竦めたユーリが、ツマミのピーナッツを幾つか口に放り込んだ。
「せやねん。どうも連中【人文】を叩き潰したいような気がするんよな……」
腕を組んで唸るヒョウの方へ、ユーリは黙ってピーナッツが盛られたグラスを寄せる。
「それに【八咫烏】が静かなんも気になるわ」
グラスからピーナッツを一つ摘んだヒョウが、それを口に放り込み「前ん時は、あんなにイスタンブールを潰そう、と暗躍しとったくせにやで?」と眉を寄せた。
確かにヒョウの言う通り、ここ最近の【八咫烏】は静かだ。能力開発局局長の暗殺……をしているので、完全に活動を停止している訳ではないだろうが、それすら彼らの指示かどうかは微妙だ。
「【軍】と繋がってるのか?」
「分からへん。もしかしたら、何かを待ってる可能性もあるし……」
「何かって?」
「さあ? それこそ【軍】が東に行ったほうが、奴らとしては活動しやすいんは間違い無いやろ?」
ユーリが左手で、ヒョウが右手で、それぞれがピーナッツを摘んで口へ放り込んだ。
「とどのつまり、アレだな。俺がガンガン【軍】を後押ししたら――」
「【八咫烏】の連中が顔を見せる可能性は大やな」
二人が同時にグラスを呷った。
「しゃーねぇから、もう暫くはジジイ達に協力するか」
笑顔を見せるユーリに「何だかんだで、気に入ってんねやろ?」とヒョウが笑う。
「こんくらい、だけな」
とユーリが右手の親指と人差し指がくっつくくらいに近づけてヒョウに見せれば
「素直やないな」
とヒョウがそれを笑ってグラスを傾けた。
誂うようなヒョウの笑顔に、「ホントだかんな」とユーリが思い切りグラスを呷り、再びお替りを要求する横で、ヒョウは相変わらずグラスをチビチビと傾けて一杯目を飲んでいる。
「さっきから気になってたが……ホンっと、自分の金になった途端辛気臭くなる野郎だな」
そんなヒョウを見ながらユーリが苦笑いを浮かべ、「今は金なんかより信頼できる物があるだろ?」と溜息を漏らしてホットサンドに手を伸ばした。
「そらぁあるけどやな……」
肩を竦めたヒョウが、「今はお金貯めて、ちょっとやりたい事があるねん」と照れた様に頬を掻いた。今まで見たことのないヒョウの仕草に、ユーリが呆気に取られたように料理を掴んだまま固まっている。
「……マジかよ……」
ポツリと出たユーリの言葉に、「いや、まだ何も言うてへんやん」とヒョウが突っ込むが、ユーリからしたら驚いている理由は使い途云々の話ではない。
単純にヒョウが、自発的にお金を使おうと思っている……その事実に驚いているのだ。
無理もない。ヒョウ・ナルカミ……ユーリの友人にして幼馴染。元来その能力のせいで、人を信用しづらい彼は、分かりやすくお金という無機物へ執着するようになった。
端的に言えば、人よりお金の方が信用できる。という
――いいじゃねぇか。関西弁で金に執着する……キャラがたってるぜ。
かつてユーリがヒョウにかけた言葉である。
そんなヒョウが、お金を貯めてやりたいことがあるという。まさかこの銭ゲバが、集めた金の残高を見て笑う以外の使い途を思いつくとは……とユーリは驚きを隠せない。
勿論ヒョウとて、必要なものにはお金を払うが、極力節約する人間……まあ有り体に言えばケチなのだ。
「……リ君、ユーリ君? 聞いとる?」
呆けていたのだろうユーリの顔の前で、怪訝な表情をしたヒョウが手を振っていた。
「あ、ああ。ちぃとビックリしてな」
無意識から戻ってきたユーリが、これまたいつの間にか来ていたグラスを軽く傾けた。
「……んで? 何に使うんだ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべるユーリに「内緒や」とヒョウも同じ様な笑みを返した。
「ンだよ……」
頬を膨らませてグラスに口をつけようとしたユーリがピタリと止まり「……アレだな。女だろ」と悪い顔でヒョウに向き直った。
ユーリの悪い笑顔を見たヒョウが小さく溜息……
「んな訳あるかいな。何処にそないな女の子がおるねん」
……ジト目のヒョウの顔には「能力で皆が知り合いなのに」と書いてあるようだ。
「エレナがいるだろ?」
笑ってグラスを呷るユーリに、「ものごっつ嫌われとるやん」と肩を竦めたヒョウが、同じ様にグラスを呷った。
「そうかぁ?」
ニヤけ顔のユーリに
「そうや」
苦笑いのヒョウ。
「何の話してるの?」
そんな二人の間から顔を覗かせたのは、給仕姿のリリアだ。
「なんでもねぇよ。男同士の……あのー…アレだ。大事な話だ」
そう言って「シッシッ」と手を振るユーリに、「何よ」とリリアは頬を膨らませた。
「リリアちゃん…(やったよな)? 許したってーな。君の可愛い所をユーリ君が熱く語っとっただけやねん」
悪い顔で舌を出したヒョウに「「な――」」とユーリとリリアの疑問符が重なって、二人の顔が見る間に赤くなっていく。
「てめ、適当なこと――」
「本人 前に聞かせるわけにいかんし、許してなー」
ユーリの言葉を遮って、顔の前で両手を合わせるヒョウに、「し、知らない」と顔を赤くしたリリアがその場を去っていった。
残ったのは顔を顰めて不快感を露わにしたユーリと、してやったりと笑顔を浮かべるヒョウだ。
「てめぇ……ホンっと昔から変わらねぇな」
赤い顔で口を尖らせるユーリに、「ユーリ君こそ」とヒョウが笑顔を見せた。
「昔っから戦い一辺倒で、色恋沙汰は意外に初心な所……全然成長してへんやん」
ケラケラと笑うヒョウに、「お前だって似たようなもんだろ」とユーリがブスッとした表情でグラスを呷った。
「僕はほら。その気になったら女の子から寄ってくるさかい」
「能力で従わせるとか……どこのエ◯漫画だよ」
突っ込むユーリの言葉に「酷いやん」と言いながらもヒョウが膝を叩いて笑う。センシティブな能力の話だが、あけすけなくそれをぶっ込んでくるユーリに、ヒョウは優しさと信頼を見ている。
一頻り笑ったヒョウが、ちらりとテーブル席を振り返った。
「それにしても、お客さん多なったな」
とカウンターに肘を乗せて「ユーリ君がマフィア ボコした時とは大違いや」と満席の店内を見回した。
「まあ、料理は上手いし値段は良心的……それに――」
同じ様にカウンターに肘をついて振り返ったユーリの視線の先で、客たちから大拍手を背にリリアが舞台へと上がっている。
「あの歌声 凄かったもんな……」
思い出すように呟いたヒョウに「目が覚める程痺れるだろ?」とユーリがニヤリと笑った。
「確かに目ェは覚める思いやったな。……あんなもん毎晩聞いとったら……」
ヒョウの言葉を遮るように、店のドアが静かに開いた。
古い木製の扉、その上に取り付けられたドアベルが、上品な音を店内に響かせた。
特段珍しいことではない。リリアの歌の人気さは、そのタイミングが近づくと、店の外から中まで立ち見客が出るほどだ。故にこのタイミングでドアベルが鳴る事など、誰も気にしない……入ってきた客が複数の軍人だと分かったユーリとヒョウ以外は。
静かに店内に入ってきた軍人たちは、何かを囁き合い、これまた静かに壁際へ大人しく収まった。
行儀のいい軍人たちに、「エリートは違うな」とユーリが呟いた頃、リリアの歌声が店内を包みこんだ――
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