三章後編
第131話 訓練、鍛錬、修練……まあ端的に言えばトレーニング
ハンター協会イスタンブール支部が所有している訓練施設。その地下にはハンターであれば自由に使える訓練場がある。
ユーリがフェンと戦ったあの場所である。
ハンターは基本的に対人戦闘の経験が豊富とは言えない。そもそもがモンスター退治が生業だ。
それでも例えばモグリ相手であったり、ハンター崩れ相手であったりと、対人戦闘が無いわけではない。
少ない対人戦闘の経験を補うために設置されたのが、この訓練施設であり、ランクの上下に関わらず多くのハンターがいざという時の為にその技術を磨く場所でもある。
そんな訓練施設であるが、最近のハンターは専ら東征の為に駆り出される事が多い為、あまり利用する人間が居なかったのだが……
「まだまだぁ!」
訓練施設のド真ん中からはフェンの威勢の良い声と、打つかり合う剣戟の音が響いている。ここ数日では一番の賑いだろう。
事実今もフェンとその連れしかこの場にいない事が、ダンジョン探索の特需具合を表している。
そんな特需の中、律儀に対人戦闘の訓練をしているのは……フェンと向かい合い、剣を持ったエレナだ。
風が起こるほどのフェンの連撃を躱し、時に剣で受け流すエレナの表情は何処か嬉しそうに見える。
「二人共元気だよねー」
「僕……もうヘトヘト……」
チームのメンバーであるアデルとラドルは、訓練場の端でそんな二人を眺めていた。
休みの日だと言うのに、訓練場で技を磨く
「はぁ、はぁ……クソ、全然当たらねー」
訓練場の中央で大の字になるフェンに、「いや、惜しい一撃もいくつかあったぞ?」とエレナが笑顔を返した。
「涼しい顔で言われてもな……」
そんなエレナを前に、フェンが面白く無さそうに頬を膨らませるが、その顔を見てエレナがまた笑う。
ユーリ達と武器の材料を取りに行ってから早一週間。急に変わったチームの雰囲気に驚いていたエレナだが、その雰囲気にもすぐに慣れた。慣れたと言うより、以前より三人と近く感じる雰囲気は、かなり居心地の良さを感じているのが事実だ。
以前までも悪くはなかったが、今はもっと……こうお互いを曝け出している感じがして安心できているのだ。
この感覚はそう……かつてクロエ達と――
「お、ちょうど先客がいるじゃねぇか」
エレナがかつての日々を思い返そうとした瞬間、賑やかで聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おや?
声を上げながら近づいてくるのは、ユーリとカノンだ。
「二人共……クロエはどうした?」
二人しか居ないユーリ達を前に、エレナが首を傾げた。
「ああ、あいつはジジイと話し込んでる」
肩を竦めたユーリに、「なので私達は暇を持て余してここに来ました!」と敬礼姿のカノンが続いた。
「人の訓練を見るだけでも、いい刺激になるからな」
ユーリがカノンを見ながら開いた口に、「なるほど」とエレナはユーリがカノンの訓練目的で、ここへ来た事を理解した。
「だがすまないな。今しがた休憩に入ったばかりだ」
肩を竦めたエレナが、上体を起こしたフェンへチラリと視線を飛ばせば、「みたいだな」とユーリが小さく溜息をついた。
かち合うユーリとフェンの視線……だが、フェンがその視線を逸した。それはユーリの圧に押し負けて……等といった雰囲気ではなく、心底気にしていない。そんな雰囲気だ。
フェンの分かりやすい変化に「へぇ」とユーリが面白そうに口角を上げ、「フェンはまだまだ伸びるぞ」とエレナも嬉しそうに笑う。
「ま、良かったんじゃねぇか?」
ニヤリと笑ってエレナの肩を叩いたユーリが、「邪魔したな」と踵を返して訓練場を後に――
「まあ待て」
その背中にエレナが声を掛けた。立ち止まったユーリが顔だけを振り向かせる。
「せっかく来たんだ。一つ、私の訓練に付き合ってくれ」
笑顔で既に剣を抜いたエレナに、「はあ?」とユーリが眉を寄せた。
「訓練なら、そこのトリオに頼めよ」
嫌そうな顔を隠さないユーリに、「いいじゃないか。折角の機会だ」とエレナは笑顔を向けたまま。
「君がどの程度出来るか、私がどの程度成長したか……試したくはないか?」
したり顔を向けるエレナに、ユーリは「あのな……」と開いた口を直ぐに閉じた。正直面倒くさいという気持ちがない訳ではない。ただエレナは一度【八咫烏】と思しき人間と接触して戦っている。ならば、今現在自分がいる地点を探るには絶好の相手とも言えるだろう。
面倒くささと、興味とが暫くユーリの中でせめぎ合い……「少しだけだぞ」と興味に軍配が上がるまで時間は掛からなかった。
そんなユーリに「そうでなくては」と笑ったエレナが中央へと歩いていく。その嬉しそうな背中を見たユーリは、少しだけ返答を急ぎすぎたか、と若干の後悔を覚えたものの、今更かと諦めるように肩を竦めてあとに続くのであった。
「では、やろうか……ルールはどうする?」
「好きにしろ。能力でも、武器でも、何でもアリでいいぞ」
笑顔で剣を向けるエレナと面倒そうに鼻を鳴らすユーリを、遠巻きにカノン達四人が見ている。
「分かった……ならば――」
開始の合図もなしにエレナが一気に加速。
一瞬でユーリの前に現れたエレナの突き。
僅かに顔を逸らすユーリ。
エレナの切っ先がユーリの左耳を掠める。
それが引き戻され――るより前に、ユーリが左裏拳でエレナの剣の腹を払いつつ右の肘をエレナの顔面へ叩きつけた。
腰の旋回一つで繰り出す攻防一体の動作。
流れる剣先。
スウェイで肘を躱すエレナ。
その鼻先をユーリの肘が掠め――ても回転は止まらない。
出した右足を軸に、近距離での左上段後ろ回し蹴り。
エレナが防御のために上げた左腕と、ユーリの左踵が打つかった。
響く音と広がる衝撃。
床を滑るように距離を開いたエレナが、「驚いたな」と笑みを浮かべると、「そりゃこっちの台詞だ」とユーリも笑みを浮かべた。
突っ込んできた相手にタイミングを合わせたカウンターだったのに、躱され、二の矢ですら受け止められたのだ。
「お互い……」
「強くなってるのは
笑顔のエレナと獰猛な笑みのユーリ。二人の姿がほぼ同時に消え、訓練場のいたるところで衝突音と衝撃波が空気を揺らす。
数度の衝撃が収まり姿を表した二人だが、お互い目に見えるダメージはない。
獰猛な笑みのユーリが動く。
ステップインとともにユーリの右拳が僅かに動いた。
刻み突き。
体重移動と攻撃を同時に行うパンチは、当たれば体重が乗りやすく威力が出る。
だが、勝負を決めるには早急過ぎる手だ。
実際エレナにダメージはなく、ユーリの動きを見切っている。
故に、飛び込んでくるユーリの右拳を避けるように体を右に開き――
エレナが体を開いた瞬間、動きかけていたユーリの右拳が高速で引き戻された。
その反動で飛び出るのは、ユーリの左拳だ。
「クッ――」
エレナの顔が歪み、辛うじて剣を掲げてその拳を受け止めた。
剣の腹に突き刺さるユーリの左拳。
なんてことはない、無理な体勢で拳を切り替えただけだ。威力も然程乗らない、手打ちに近い一撃。
だが暫くまっすぐに打つかり合っていただけに、事ここに及んだフェイントに、エレナがまんまと引っかかった形だ。
素直過ぎる。
ユーリのエレナに対する評価だ。だからこんな小細工に引っかかる。
それでもエレナは受け止めた。
フェイントに引っ掛かりつつも、ユーリの一撃を受け止めた。
いや、ユーリからしたら、受け止められる事くらい想定内だ。
エレナの手と足を止める事が目的なのだ。
一瞬でいい。その一瞬で――
押し込むようなユーリの左拳。
僅かに反るエレナの身体。
その瞬間、エレナの身体がグラリと傾いた。
エレナの体重が乗った右足への足払い。
ユーリがステップインで滑り込ませた右足の狙いは、初めからこの為だ。
回避の途中で無理に防御に回ったエレナ。
無理やり拳を切り替えたユーリ。
どちらも崩れた体勢だったが、ユーリの足払いでその天秤は更に傾いた。
払われたエレナの右足。
払ったユーリの右足。
どちらも浮いていたそれだが、先に地面を捉えたのはユーリの足だ。
崩れた体勢を直す浅い踏み込みとともに、右腰を捻る。
繰り出される右のフック。
顔面に迫るそれに、エレナが浮いてしまった右足を無理やり床に叩きつけた。
無理矢理のバックステップで、エレナが身体を浮かせて体勢を整える。
が、右拳の方が僅かに速い。
顎先に迫るそれに、エレナが無理やり顎を引くスウェイ。
――チッ
と音を立ててエレナの顎先をユーリの拳が掠めた。
だが掠めただけだ。
更に追い込むために、ユーリが右足を軸に――回転しようとするユーリ目掛けて、エレナが剣を横に薙いだ。
苦し紛れの攻撃だが、完全にユーリの首元を狙った一撃に、ユーリはたまらずバックステップで距離を取る。
あの状態から体勢を整え、なおかつ反撃に移るエレナの強さにユーリが「チッ」と舌打ちを漏らして眉を寄せた。
だがその悔しげな表情は一瞬。再び獰猛な笑みを浮かべたユーリが「面白くなってきたじゃねぇか」と口を開いたその時――
「あ、おったおった……」
呑気な声が訓練場に響き渡った。緊張感のない声に、全員がそちらを振り向けば――
「いやあ、ユーリ君。全然通信に出えへんねやもん」
と口を尖らせたヒョウの姿があった。
そんなヒョウを前に、先程までの獰猛な顔を引っ込めたユーリが困惑したような表情を浮かべた。珍しい、とでも言いたげな表情でユーリが口を開く。
「……ヒョウ。帰ってきたのか」
「ついさっきな」
そう言いながら近づいてくるヒョウに、「貴様か……」とエレナは眉を寄せている。
「何やオモロそうな事してるやん。続けてくれてエエよ」
笑顔のヒョウが二人に「邪魔してゴメンな」とヒラヒラ手を振るが、ユーリは「いや、もう終わりだ」と大きく息を吐いてエレナを振り返った。
「……私は未だ出来るぞ?」
不満げなエレナだが、ユーリは首を振る。
「馬鹿か。訓練しててヘトヘトで、しかも装備が万全じゃねえお前を押しきれねぇんだ……察しろ」
肩を竦めるユーリに、エレナは不満そうな顔を向けるが、これ以上はユーリ自身がやる気が無いと言うのであれば仕方がない、と剣を
「あれ? もう終いなん?」
そんな二人に残念そうな顔を向けるのはヒョウだ。こんな事なら声を掛けなければ良かった。と言いたげな表情だが、既に二人が鉾を収めた以上、外野がとやかく言うのは無粋というものだろう。
一瞬肩を落としたヒョウだが、思い出したように「パン」と手を叩いた。
「そうや。ほんならユーリ君、僕の相手してーな」
笑顔を見せるヒョウに、「はぁあ?」と先程エレナに返した以上に盛大な疑問符をユーリが吐き出した。
「いやぁ、僕ちょっと腕落ちてもうててん。せやから偶には訓練せなアカンやん?」
ヘラヘラと笑うヒョウに、「お前がサボってるからだろ」とユーリが溜息を返す。
「しゃーないやん。昔から訓練とか嫌いやし」
「うっせ。この天才肌が」
笑うヒョウにユーリが口を尖らせる。
「それに僕も気になるし……ユーリ君がどの程度戻ったか」
獰猛な笑みを見せるヒョウに、エレナはそのギャップに目を見開き、ユーリは考え込むように腕を組んだ。
「……いいぜ。久々に訓練と洒落込もうじゃねぇか」
ヒョウ同様獰猛な笑みを見せたユーリが、「んじゃ、行くか」と歩きだそうとする背中に「待て」とエレナが声を掛けた。
ユーリとヒョウが顔を見合わせ、エレナを振り返る。
「その立ち会い……ここで見せてもらうことは可能だろうか?」
エレナの真剣な表情に、もう一度二人が顔を見合わせる。
「どうなんだ?」
「んー。多分大丈夫やない? 気ぃつけるさかい」
首を傾げるユーリに肩を竦めるヒョウ。
「んじゃ、ここでやるか」
「どこでもエエよ」
笑いながら訓練場の中央へと戻ってきた二人に、エレナが「見極めさせて貰うぞ」と真剣な表情で口にした言葉は、既に視線を交わし合う二人には届いていない――
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