第129話 蛇が広げし炎の翼(前編)

「調査任務?」


 ブリーフィングルームにリンファの声が響いた。リンファの疑問に「はい」と頷くクレアはいつも通りの笑顔を貼り付けたままだ。


「先日皆さんが落としていただいたショッピングモール跡地。旧時代にイズミトと呼ばれた地域ですが、そこが丁度転送装置の限界値付近になります」


 ホログラムに映る地図をポインターで指すクレアが「つまりここより先は我々も未知のエリアです」と続けると、その言葉通りイスタンブールから現在の拠点ギリギリを半径にした黄色の円が現れた。


 クレアの言葉を借りると、これが転送可能な範囲なのだろう。つまり此処から東はサイラス達ですら全く見たことがないという事になる。


「ただイズミトの拠点に中継機を設置できたことにより、イズミトから半径一〇〇キロ程は我々の転送可能圏内になりました」


 そう言ってクレアがタブレットを操作すると、円の東端を中心とした黄色の円がもう一つ現れた。


 とは言えその大きさと、サイラス達の目的地である旧国境線までの遠さを比べると、中々ハードな道のりなのは間違いない。


「で? 調査って事は、この先ギリギリのラインで拠点が築けそうかどうかを見てきたら良いのか?」


 考え込むように視線を下げたまま口を開いたリンファに、「」とクレアが笑顔のまま頷いた。


「概ね?」


 それに眉を寄せたリンファの横で、「厄介なモンスターが居ないか……が一番かしら?」とエミリアが扇を開いて口元を隠した。


 その言葉にクレアが「はい」と笑顔のまま頷いて、再びポインターで地図を指した。


「今回、軍は大体一〇〇キロを一区切りとして拠点を設けていく計画です。現在次の拠点候補はイズミトより更に東、デュズジェと呼ばれる小さな都市周辺を予定しております」


 地図上を動くポインターは丁度転送範囲ギリギリの位置だ。


「正確にはこの小さな都市跡手前にある大きな公園を拠点にする予定ですが、今のところ調査はドローンによる航空映像しかありません」


 そう言ってポインターを消したクレアがリンファたちを見た。


「オーケーだ。要は拠点のつもりで辿り着いた場所に、馬鹿みたいに強いモンスターが居て……拠点づくりに四苦八苦。って事になるのを防ぎたい訳だな」


 頷くリンファに「理解が速くて助かります」とクレアも頷いた。


「も、もし……もし強いモンスターが居た場合ってどうするんですか?」


 怖ず怖ずと手を上げるルカに、「そうであるな」とゲオルグも頷いた。


「【軍】に『危ないから討伐まで待て』といった所で、証拠を出すわけにはいかないのである」


 カイゼルヒゲを撫でるゲオルグに、クレアが「ああ、それでしたら――」と笑顔のまま紡いだ言葉をリンファが引き継いだ。


「ナルカミとクラウディア辺りを


 肩を竦めたリンファが、「最悪アタシ達全員かもな」と続ける言葉にクレアが笑顔のまま頷いた。


 さっさと拠点を作って更に東へと足を伸ばしたいサイラス達にとって、先日のショピングモールのような足踏みは正直御免被りたい事態だ。


 そこで先手を打って、これから進む先に障害がないか。障害がある場合は、どの程度の労力で取り除けそうか。必要な戦力はどの程度か。そういった部分を見極めておきたいのだろう。


 情報さえあれば、目的地が近くなり、【軍】が方針を発表する前に障害を叩き潰してしまえば良い。もしくは可能であれば、辿り着く前に転送で人を送り込んで叩き潰しても良い。


 そんな思惑での今回の調査なのだろう。


 そこまで至ったリンファだが、そうであれば疑問が一つ浮かんでくる。


「調査は良いんだが……それならクラウディア達のチームの方が良かったんじゃねーか?」


 眉を寄せるリンファの言葉に含まれる「最悪あいつらなら討伐出来るかもだろ?」という思いを、クレアは笑顔で首を振って否定した。


「エミリアさん率いる焦土の鳳凰フェニックスでも可能だと信じていますよ。リンファさんもゲオルグさんも加入して、戦力的には十分です」


 笑顔のクレアに、焦土の鳳凰フェニックスのオペレーターであるイーリンという少女が大きく頷いた。


「……リンファは十分強い。それに


 短く柔らかい金髪がピョコピョコと跳ね、いつも眠たげな瞳の少女は猫のようだ……初めてイーリンを見た時のリンファの感想だ。


 今も眠たげで瞳半開きのイーリンだが、「……ユーリとカノン。あの二人は駄目……馬鹿だから」とリンファを真っ直ぐ見ている。


「そ、そうか。まあ『やれ』って言われたらやるしかねーんだけど……」


 照れたリンファが顔を赤らめて視線を逸し、その横ではエミリアが口元を隠したままツンとした表情で前を見ている。……未だリンファを認めていない。そういった素振りではあるが、イーリン達の言葉を否定する程認めていないわけではない。そんな状態だろう。


 ひとしきり照れたリンファが「分かったよ」と頷いた事で、全員がその腰を上げて隣のオペレートルームへ。


「それでは皆さん、ご武運を――」


 笑顔で送り出すクレアの言葉を背に、四人は光に包まれた。





 光が収まった四人の目に映ったのは、イスタンブールの廃墟群とはまた違う風景だった。


 ボロボロになった滑り台やブランコ。

 巨大な遊具はアスレチックなのだろうか。


 滑り台やブランコ、アスレチックは辛うじてリンファ達でも分かる。そういった物が下層にしろ上層にしろ、一応はあるのだ。


 だが滑り台やブランコの更に向こうに見える、巨大な建造物は良く分からない。


「なんだあの?」


 眉を寄せるリンファの視線の先にあるのは、巨大な観覧車だ。ゴンドラに乗って、一周する間に景色を楽しむ。そういった遊具であるが、この時代に景色を楽しむなどという認識が無いため、リンファたちには分からない。


「もしかしたら監視するための施設かも」


 呟くルカに、「だったらあんないらねーだろ」とリンファが眉を寄せながら返した。


「あの設備が何であれ良くありませんこと?」


 エミリアが「パン」と音を立てて開いた扇の音に、残りの三人が肩を竦めて頷いた。


 既にエミリアが放り投げたのだろうサテライトも準備完了とばかりに、そのレンズ部分を青白く光らせている。エミリアの言う通り今は周辺の調査に集中した方が良さそうだ、と三人はイヤホンのスイッチをオンにした。


「イーリン、生体反応はどうかしら?」


 見上げるエミリアに応えるように、サテライトがクルクルと回転し


『……うーん。微弱な魔力反応はアリ。ただ周囲にそれらしい影はない……かな?』


 と何とも曖昧な答えが返ってきた。


「……敵影なし……であれば、とりあえず周囲を捜索いたしましょうか」


 そう言って扇を畳んだエミリアが「全員」と上げた声に従って、三人が隊形を組み直した。


「……うーむ。この隊形は慣れないのである」

「エミー、やっぱり僕かゲオルグさんが……」


 不満タラタラの男子チームには理由がある。焦土の鳳凰フェニックスの捜索隊形は基本的に先頭がエミリアだ。能力で一日五回までは復活出来るエミリアを先頭にする事で、不意打ちに遭っても大丈夫なように……とエミリアが考案した隊形である。


 エミリアの能力の有用性は分かっているつもりだが、それと少女を盾にする罪悪感とが共存するゲオルグやルカからしたら、不満の一つもこぼしたくなるだろう。


 とはいえ、そんな男のプライドに頷くようなエミリアではない。


「駄目ですわ。ここはまだ視界が開けていますが、地中など不意打ちの可能性はありますもの」


 冷めた瞳で首を振るエミリアは譲らず「あなた達は不意打ちに対応できまして?」と、キツめの言葉を浴びせる始末だ。


 ここ最近よく見るやりとりだが、それを眺めるリンファは苦笑いだ。


 何とも不器用な娘だ、と。


 最近このエミリアの悪態が、ようやくのだと理解し始めたのだ。


 とは言えそのエミリアの優しさがゲオルグにも届いているか、と言われると微妙だ。なんせあのゲオルグである。ユーリやカノンとは別のベクトルで脳筋だ。


 今も「いや、しかし……吾輩の肉体ならば」とブツブツと呟くゲオルグに、リンファは小さく溜息をついた。


「隊長。は信頼してるが、仮にアンタが怪我したら、アタシがアンタをおぶって逃げなきゃだ」


 そう言いながらゲオルグの分厚い胸板をリンファが叩いた。


「分かるだろ? ここはパーシヴァルに譲ってくれ」


 笑顔のリンファに、全員がギョっとした顔を見せる。それもそのはず、今までこういったやり取りにリンファが入ってきた事は無かったからだ。


 いつも遠巻きに眺めるだけで、ゲオルグ達のやり取りが終わったら「終わったか?」と一言入れるだけだった。そんなリンファが会話に入り込んでくれば、全員が今のように鳩が豆鉄砲食らったような顔になるのも無理はない。


 無理はない。無理はないが……


「何だよその顔」


 ……頬を膨らませて顔を赤らめたリンファが、それを受け入れられるかは別の話だ。いや、実際リンファ自身もビックリされる覚悟はしていたが、いざこうも露骨に顔に出されると、恥ずかしくなってしまったのである。


「いや、リー・リンファ隊員が歩み寄るとは……」


 呟くゲオルグに、「別に良いだろ。チームなんだし」と口を尖らせたリンファと、黙ったまま扇で口元を隠したエミリア。口元が見えないので、表情こそ読み取れないが、やはり未だリンファを認めていないという雰囲気は僅かにだが感じる。


「隊形に文句がないのであれば、行きますわよ」


 ツンとした表情のまま進み出すエミリアに、ルカが少しだけ申し訳無さそうな表情で続いた。


 出発前にオペレーターであるイーリンから持ち上げられて一歩踏み出したが、リンファとエミリアの距離は中々縮まらないようだ。


 その事実にリンファは仕方がないと小さく溜息をついた。今のところゲオルグに比べれば、チームへの貢献自体そこまで高くないのだ。エミリアからしたら、守る人間が増えればそれだけリスクが増える。


 であれば、あまりチームへ貢献出来ない人間は、抱え込まないのが双方にとって利口な選択肢なのだろう。


「中々、上手くいかないであるな」


 心配そうな表情で腕を組むゲオルグに、「ま、ぼちぼちやってくよ」と肩を竦めて見せたリンファが、小走りで前を行く二人の背中を追いかけた。


、失敗したかな……」


 弱々しく呟く声を後ろのゲオルグに拾われないように。





 エミリアを先頭に四人が巨大な施設跡を進む。どうやら公園の真横に、小さめな遊園地があったようで、様々な遊具がそのままに錆びて朽ちた姿は、晴天の下にあってもどこか


「良く分からない物ばかりですわ」


 そんな遊具を横目にみたエミリアが呟いた瞬間、リンファは肌に粟立つ感覚を覚えた。ゾワりと何かが肌を撫でるような、そんな嫌な感覚。


『魔力感知!』


 それを後押しするように、イーリンの警告が鳴り響いた。


「どこであるか?」


 後方で周囲をキョロキョロとするゲオルグに、「もしかして――」ルカがそう言った瞬間、全員の視線が地面へと向けられた。


「イーリン、魔力反応は何処から――?」


 エミリアの言葉を掻き消すように、『エミー、前!』悲鳴にも似たイーリンの声が、全員の鼓膜に突き刺さる。


 その声に慌てて全員がその場から飛び退いて、臨戦態勢を――取るが、


「何も…居ませんわよ?」


 小首を傾げるエミリアの眼の前に、リンファが見たのは、赤や緑に黄色のマダラ模様の――


『エミー!』

「パーシヴァル、避けろ!」


 イーリンの声とリンファの声がほぼ同時に全員の鼓膜を叩いた瞬間――エミリアの胸に巨大な穴が空き、血飛沫が舞った。


「エミー!」


 叫んだルカがエミリアに手を伸ばそうと――するその襟首を「待て、何がいるか分からねー!」とリンファが掴んで引き戻した。


「隊長! パーシヴァルが――」


 リンファの声が合図だったように、エミリアの身体が炎に包まれ激しい炎を撒き散らす――その炎に煽られるように、が数体姿を現し、燃え上がった。


 燃え上がる炎で周囲の遊具が溶けて、カメレオンを燃やし尽くす。その炎が収まって来た瞬間、「今だ!」リンファの合図でゲオルグたエミリアを引っ掴んで全員で一目散に駆け出した。




「イーリン、追いかけてきてるか?」


 駆けながら後ろを振り返るリンファに、『……多分、大丈夫』とイーリンの自信なさげな声が返ってきた。


「多分って」


 眉を寄せるリンファだが、イヤホンの向こうでイーリンも相当テンパっているようだ。


『……なんで? 最初はサーモグラフィに反応がなかったのに……』


 呟くイーリンの『サーモグラフィ』という言葉に、リンファは先程見た赤や緑のマダラ模様を思い出していた。


 あの見え方は……それに妙な肌感覚……


 新しい感覚に戸惑いながらも、リンファがその思考を一旦切り替える。


「とりあえず一時退却だ。その後改めて方針を練るぞ」


 リンファの声に、ゲオルグとルカが頷いた。


 ゲオルグに俵のように担がれたエミリアへ「いいよな?」と確認を取ったリンファに、エミリアも無言のまま頷いた。


 それを確認したリンファが、ゲートから二つ拳大の球を取り出して後ろへ放り投げた。


 ――カン

 ――カン


 と二つの球が地面に乾いた音を響かせ、後方の広い範囲に煙幕と紫の靄が同時に広がった。効果があるかは分からないが、一応の目眩ましと、リンファ特製の毒爆弾ポイズンボムだ。


 見えない追撃を振り切るように三人が全速力で駆ける。


 リンファの頭に合ったのは……転職先の失敗……などという後悔ではなく、どうやってこの状況を切り抜けるかという事だけだった。

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