第128話 夜空に輝くアルタイル(後編)

 笑顔で手招きするブルーノを前に、フェンは顔を強張らせて拳を握りしめていた。


 溢れる苛立ちを隠せず、ムッとした表情のままの口を開こうとするも、何とかそれを抑え込みキツく唇を結んだ。何か言葉を探すフェンの表情に、ブルーノが薄く笑みを浮かべる。


「どうした? 退相手にビビってるのか?」


 笑ったブルーノが、更に続ける。


「それとも何だ? 速く歩けねえのか?」


 ブルーノが小馬鹿にしたような笑顔を見せた瞬間、我慢の限界がきたフェンが「背伸び背伸び、うるせー!」と床を蹴って一気にブルーノへ接近。その胸ぐらへ掴み――かかったその腕をブルーノが掴んでフェンを床へ引きずり倒した。


「グッ――」


 漏れるフェンの苦悶の声を消すように、ブルーノがその腕を捻りながら膝で背中を抑え込んだ。


「分かるか? お前はこの程度だ……お前は弱い」


 棒付きキャンディを咥えたまま呟くブルーノに「そんな事分かってますよ!」とフェンが組み伏せられながらも声を荒げた。


「いいや。分かってない。分かってないから


 そう言いながらキャンディの棒を上下させたブルーノが、更に続ける。


「だからユーリとか言う野郎に負けた後も…………何つったか自分で覚えてるか?」


 ニヤリと笑うブルーノからフェンが視線を逸した。


「何て言ったか覚えてねえなら教えてやろうか? 『使』…だ」


 その言葉にフェンが「クッ」と声にならない悔しさを漏らした。


「強がり大いに結構。別に強がる事は悪くねえよ。一人で頑張ろうと藻掻くもの悪くはねえ。だがな、その後お前……?」


 冷たいブルーノの瞳に、フェンは目を逸したまま黙り込んだ。


「何もしてねえよな。訓練も、相談も、何もしてねえ。俺らにどころかエレナにでさえだ」


 溜息交じりのブルーノの声に、「相談なんて出来るわけ無いでしょ」とフェンが声を荒げた。


「何でだ?」

「そんなの…………」

「『そんなの』……何だ? まさかこの期に及んで『』だとか言うつもりか」


 肩を竦めたブルーノが、フェンだけでなくアデルやラルドにも視線を向けるが、三人とも黙り込んだまま反論する素振りがない。その様子にどうやら「迷惑だから」という思い込が染み付いているようだ、とブルーノが眉を寄せて溜息をついた。


「自分は遠慮する頼らないくせに、相手には遠慮するな頼って欲しい、なんて通じると思ってんのか?」


 呆れ顔のブルーノを、フェンが怒りを込めた視線で見上げる。


「エ、エレナさんは俺達より忙しいから仕方ないだろ。あの程度の事俺だけで――」


 声を張り上げるフェンに「すらしてねえのに、吠えるな」と吐き捨ててその腕を捻り上げフェンを黙らせた。自分だけでも……と言う割に、その後何かアクションを起こしていないフェンの発言はブルーノからしたら子供の戯言だろう。


「エレナが忙しい? エレナに迷惑? 俺だけで? 嘘こけ。お前が何もしなかったを教えてやろうか?」


 ブルーノの言葉から逃れるようにフェンが暴れるが、しっかりと抑え込まれた身体は言うことをきかない。


だろ……それどころか、本気で思ってたんだろ?」


 続く言葉を警戒するように、フェンが大きく暴れるがそれをブルーノが許さない。


「……能力さえ使えば、って」


 ブルーノの溜息にフェンが「そんなこと――」と声を上げて床を強く押すが、上から押さえつけるブルーノはビクともしない。


「お前がエレナにも誰にも相談しなかったはそれだろ。まだ負けてない。次やったら負けない……クソの役にも立たねえプライドのせいだ。それをエレナに迷惑だ何だと、


 その言葉が紡がれた途端、フェンが諦めたように力なく四肢を投げ出した。


「誰も言わねえから言ってやるよ。お前のそれは。若さゆえの未熟じゃねえ。駄々を捏ねるガキのだ」


 ブルーノがフェンを抑えていた腕も膝も緩めるが、フェンは立ち上がろうとしない。いや、立ち上がれない。そんなフェンを一瞥したブルーノが「おい、ダンテ」とダンテへ視線を向けた。


「ユーリは何つってた? コイツに勝った後……一緒にに行ったんだろ?」


 キャンディの棒を上下させるブルーノに、小さく溜息をついたダンテが「だってよ」と普段より真面目なトーンで返した。


「まあままか……なるほどな。そう思われてんだと?」


 その言葉をそのままフェンに返すブルーノだが、地面に伏したままのフェンは立ち上がらない。


「見てた俺からすりゃ、あれは。手も足も出ねえ、ぐうの音も出ねえ完敗。その相手がお前を『まあまあ』と評してくれてんだと」


 キャンディを手に、屈み込んだブルーノが「この意味が分かるか?」とフェンを覗き込んだ。


「そんなの……勝者の――」

「勝者の余裕とか思ってんなら、お前本物の馬鹿だぞ」


 ブルーノの冷たい言葉から逃れるようにフェンが視線を逸した。


「お前の実力は……。確かにそう評価してもいいかもしれねえな。技術では完全に劣ってたお前が、タメを張れてた部分が二つだけはあったからな……疾さとガッツの二つだけは」


 ブルーノはそう言いながら立ち上がって、再びキャンディを口に放り込んだ。


「その点をちゃんと評価してんだよ。分かるか? この差が。お前とアイツの差だ。。相手と自分の実力を色眼鏡で見ない。この差がお前とアイツの


 降ってくるブルーノの言葉に、フェンが悔しさで全身を震わせる。


「自分の実力も把握できてね。相手を認められねえ。そのクセ自分の事は認めて欲しい……だからいつまで経っても


 吐き捨てる様なブルーノをリザが「言い過ぎです」と言いたげな瞳で睨みつけるが、ブルーノはそれに鬱陶しそうな顔で手を振るだけだ。


 暫し流れる沈黙を破るのは、震えるフェンの声。


「……俺だって…俺だって……自分なりに頑張って――」


 溢れる感情にフェンがその顔を床へと押し付けた。


「そうだな。お前なりに頑張ってるのかもな……が、俺に言わせりゃそれが、そして


 まるで紫煙を吐き出すように「フー」と長く息を吐き出したブルーノが続ける。


「お前は……いやお前は確かに天才だ。あと二、三年もすりゃ俺程度じゃ片手であしらわれるだろうよ」


 ブルーノの言葉をフェンは床に突っ伏したまま聞く。


「が、天才ってだけで今は未だ若い。まだまだ未熟だ。俺らに言わせりゃ


 もう一度ブルーノが長く息を吐き出した。


「お前……何でロランが昨日あんな事言ったか分かるか?」


 そんな言葉に黙って首を振るフェンに、溜息をついたブルーノが「これだから酒の席での熱い話はよ……」と眉を寄せて苦笑いを浮かべた。


「お前らは天才だなんだと持て囃されて、しかもあの【戦姫】が認めたチームメンバーだ」


 キャンディの棒を上下させるブルーノが続ける。


「そんなお前らに未熟でいていい。もっと甘えて良い……そうロランが言ったのは、見抜いてるからだよ。お前らが


 言い切るブルーノに、「そ、そんな事――」とアデルが食い下がった。


「そんな事ないです! アタシ達はエレナさんを信頼してますよ」


 口を尖らせるアデルの言葉をブルーノが鼻で笑った。


「弱みを見せないようにのが信頼か?」 


 ブルーノの言葉に、「それは……」と言葉を詰まらせたアデルは、漸く彼らが言っていた子供でいい、甘えて良いという言葉の本質が理解できた。


 フェンを弱いと言い切る理由もまた、ブルーノのいう「背伸び」のせいなのだろう。エレナに追いつこうと、エレナのチームメンバーとして恥じぬようにあろうと、その思いが強すぎる故、いつしか自分の現状値を認められなくなった。


 そんな姿を見せればエレナに幻滅されるのではないか。ありもしない強迫観念から、エレナに弱みを見せられない。それがブルーノの言う背伸びなのだろう。


「エレナは強い。だが所詮まだまだ二十四の小娘だ。その小娘が、チームメンバーに弱みを見せられない理由はなんだ? 背伸びしたお前らが、? そこにあいつが入る隙があると思うか?」


 張り上げるわけでもないその声だが、静かなオペレートルームにはよく響く。


「エレナに追いつこうと、認めてもらおうと、背伸びしたまんま……だから自分の現状も客観視出来ねえ。なまじ才能があるせいでお前らは自分の実力を勘違いする。だから弱みを見せられねえ。この程度何とか出来る筈だって。だからお前らは信頼関係が築けねえ」


 完全にお通夜状態のフェンとアデルだが、ブルーノの口撃は止まらない。


「お前ら三人のチームにエレナが後からやってきたんだろ? 分かるか? お前らのそのが、外にどう映ってるか?」


 ブルーノの言葉にアデルとラルドがお互いの顔を見合わせる。


。元の三人で……お前らだけで抱え込むほど、


 再び棒を握ってキャンディを取り出すブルーノ。小さくなったそれを、噛み砕いて棒だけを咥え直す。


「肩を並べようと頑張る? 自分達よりに居る相手に背伸びで並べてどうする? エレナはに進むぞ。その時お前らはどうするんだ? ?」


 キャンディの棒を持ったブルーノの言葉に、三人は階段の上にいるエレナに追いつこうと、その場でジャンプする自分達を想像している。


「その結果がどうなるかくらい分かるだろ?」


 ブルーノがキャンディの棒を指で弾く……それがクルクルと回って部屋の隅のゴミ箱へ――それが上げた「カラカラ」という小さな乾いた音と、


――」


 小さく紡がれたブルーノ言葉に、三人の想像の中で階段がガラガラと音を立てて崩れていく……。それに飲まれていく三人。そしてそれを悲しそうな瞳で一瞥して更に上へと歩いていくエレナ。


「俺から言わせりゃ、お前ら今のうちにチームを解散した方がエレナの為になるぜ? エレナと、ユーリと、カノン。オペレーターはリザで丁度いいじゃねえか」


 ニヤリと笑うブルーノに、「い、嫌です! 僕はエレナさんと一緒に頑張りたい」とラルドが初めて声を上げた。


「ア、アタシだって!」

「……俺も……」


 俯いていたアデルが顔を上げ、床に突っ伏したままのフェンも肘をついて身体を起こした。


「その言葉はエレナにかけてやれ」


 鼻を鳴らすブルーノに、三人が力強く頷く。


「自分達の現状が分かったか? ロランがお前らに「来い」と言った意味が分かったか?」


 新しいキャンディを開けるブルーノに、三人が再び頷く。


「……んじゃ、今日やることは……見るべき所は分かるな?」


 キャンディを口へ放り込み小さく笑って三人を見回すブルーノに、三人がもう一度強く、大きく、頷いた。


 今日学ぶべきは、チームの横の繋がり方。信頼関係のあるチームの雰囲気、弱さのさらけ出し方、その受け止め方。……多分今日だけで全ては学べない。それでもキッカケはつかめる。


 漸く三人の瞳に光が灯ったのを見たブルーノが「世話がやけるどもだ」と笑ってダンテ達の下へと歩いていく。


「ロラン、もう一度聞かせてやれ。お前の弟子だろ」


 ロランの肩を叩きながら、フェンを顎でしゃくるブルーノに、「泣かすなよ」とロランがジト目を返した。


「う、うるせえ。誰かが嫌われ役にならねえと駄目だろうが」


 そう言いながら外方そっぽを向くブルーノに、「はいはい」とロランが手を振りながらフェンの下へと歩いていく。


「なあフェン」


 そう言って屈んだロランが未だ地面に突っ伏すフェンに笑いかけた。


「俺はお前らがになれる可能性は十分にある。そう思ってるぜ」


 その言葉を黙って聞くフェン。そしてそれを真剣な顔で見るラルドとアデル。


「だからよ……ちっと俺達の戦いを見てみろ。お前らに足りないものがきっと見つかると思うから」


 その言葉にフェンが袖で顔を拭って無言で頷いた。


「よし、行くか! ブルーノの説教のせいで時間も押してるしな」


 笑顔を見せるロランに、「押してんのは、お前らが遅刻するからだ」とブルーノが眉を寄せて自分の席についた。


 それを合図に「じゃあ行こうぜ〜」とダンテの緩い掛け声の下、全員が声を上げながら転送装置へと消えていった。






「……先輩……何かすみません。そして、ありがとうございました」


 ブルーノの隣に座るリザが、パーテーションを躱すように背を反らして声をかける。


「気にすんな……


 そう言って笑うブルーノにリザが「フフフ」と笑う。


「先輩って、わし座の一等星アルタイルみたいですね」


 その言葉に盛大に顔を顰めたブルーノが、「馬鹿にしてんのか?」とボヤく。


「馬鹿にしてませんよ」


 笑うリザにブルーノが盛大な溜息を返した。


「残念ながら、うちは全員がわし座の一等星アルタイルで、同時にだ」


 仮想キーボードを叩きながら、「今回はたまたまだっただけだ」と肩を竦めた。


「そういう事にしときます」


 笑うリザに、「ホントだからな」とブルーノが口を尖らせた。


「私達のチームも先輩たちみたいになれるよう頑張ります」


 両拳を握りしめるリザを横目に見たブルーノの口の端で、キャンディの棒が僅かに上がった。


「はくちょう座にも一等星デネブがあるからな。お前の頑張りを見ててやるよ」


「はい。見てて下さい!」


 頷いたリザの言葉が合図なように、二人の画面でほぼ同時に『サテライトリンク完了』の文字が点灯した。


「「システムオールグリーン……バイタル・コンディション……通常値ノーマル・ステート――」」


 二人の声がオペレートルームに戦いの到来を告げる。


「お前ら、今日も気合い入れていけよ」


 ブルーノの掛け声に各々が声を上げて任務が始まる。夜空を迷っていた白鳥の雛を連れて――









「……あの二人イチャついてた」

「そうね〜。アルタイルとデネブだって〜。いいわ〜」


 オペレートルームの隅で、残る二人が盛り上がってたのはまた別の話。

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