第123話 コソコソ話はだだっ広い所で

 エレナの手伝いを終え、それぞれが帰途につく中……ユーリは一度帰途についていた踵を返して、ハンター協会の屋上へと来ていた。近くに高い建物がないせいか、屋上には時折強い風が吹き抜けている。


 そんな強い風に前髪を揺らしながら、ユーリは待ち人の下へ――


「わざわざ理由はなんだよ……しかもこんな所に」


 目の前に居るのはサイラスとクレア、そして……どこか見覚えのある老人だ。


「すまないね。本当は君の友人も一緒に……と思ったのだが」


 肩を竦めたサイラスのネクタイを、屋上を吹き抜ける風が揺らす。ヒョウも呼ぶつもりだったと言うが、ユーリからしたら二人同時に呼ばれる事など全く見当もつかず「ヒョウもか?」と眉を寄せて続ける。


何かやらかしたのか?」


 ユーリのボヤきに、何処からか「やらかすんはユーリ君やん」と言う空耳でも聞こえてきそうだ。とは言えここにその本人は居ない。これ幸いと「あいつはキレるとからな」とヒョウへの口撃を続けるユーリだ。


「いや、彼は素晴らしい【情報屋】だよ」


 とサイラスのフォローが入った所で、「見てみ?」とヒョウのドヤ顔がユーリの目の前に現れた。それをかき消すように腕をブンブン振るユーリに、サイラスが怪訝な表情を返しながら続ける。


「今君の…いや我々の周りには監視の目があるだろう?」


 眼鏡を押し上げるサイラスの言う通り、確かに色々と面倒な相手がウロチョロしているのは事実だ。


「あのポンコツ騎士か……まあ分かりやすいスパイだよな」


 苦笑いするユーリが、お前のところのカノンと一緒で。という言葉を飲み込んだ。一応カノンの名誉を守っているつもりだが、「否定は出来んな」と笑うサイラスの表情は、まるでユーリの真意に気がついているようだ。


「なるほど。他に遮る場所がないこの場所ならば、を聞かれる恐れもないって訳か」


 小さく溜息をついたユーリに「ご名答」と頷いた。


「んで? あのポンコツ騎士に聞かれたくねぇって話の内容と、そっちの爺さんはどんな関係が?」


 ユーリが顎でしゃくる先には、優しそうな白髪の老人だ。


 年の頃はサイラスと変わらないだろうか。鍛え上げられた肉体を持つサイラスと違い、ニコニコと笑う老人は至って普通の好々爺といった雰囲気だ。


 なでつけられた白髪にベージュのジャケットにスラックス。ノーネクタイの出で立ちはラフな格好なのだろうが、男性が持つ落ち着いた雰囲気のお陰か、不思議とキッチリした格好に見える。


「紹介しよう」


 そんな男性を前に出すように促したサイラスが続ける。


「クラウス・。私の友人だ」


 サイラスの言葉で、クラウス・バーンズと呼ばれた老人がペコリと頭を下げた。その仕草と「バーンズ」という名字に、漸くユーリは見覚えがあった事に合点がいった。


「カノンの祖父さんかよ……」


 前にイスタンブール奪還前夜祭で、『出張ディーヴァ』近くの休憩所で見かけた事があったのだ。


 カノンの祖父ということで、ユーリがクラウスをまじまじと見つめるが、特段似ているような場所はない。どうやらカノンは。落ち着いた雰囲気のクラウスと、落ち着きのないカノンの性格からもそれが良く分かる。


 一人納得するユーリの前で、クラウスが微笑んだ。


「いつもカノンが世話になってるね」


 優しく笑うノアに、ユーリは「いや、まあこっちこそ……」と歯切れの悪い言葉を返した。なんせいつもいつも孫娘を誂って笑っているのだ。勿論やり返される事も多いが、それでも孫の味方であるクラウスからしたら、ユーリの行動は褒められた物ではないだろう。


 ユーリ個人としては「この野郎、うちの孫を誂いやがって」くらい言われた方が、まだマシである。


「君とバディを組むようになってから、カノンが毎日楽しそうでね。その御礼だけは言いたくて」


 そう言って再び微笑むクラウスに、「まあ俺も楽しませてもらってるから……」とユーリらしからぬ歯切れの悪さが続く。


 こうも年配の人間に下手に出られると、いかにユーリとて偉そうな態度は取れない。それどころか、こういった手合に慣れていないユーリからしたら、むず痒くてどうしようもない、というのが本音だろう。


 言われ慣れてない真っ直ぐな謝意に、耐えられないとばかりにユーリはクラウスから視線を逸してサイラスを見た。


「それで? わざわざこんな場所を用意してまで、カノンの爺さんに礼を言わせたかった訳じゃねぇだろ?」


 その言葉にサイラスが頷いて、「まずはこれを見たまえ」とデバイスを操作する――程なくしてユーリのデバイスがメッセージを着信した。


 そこに書いてあったのは――


『ユーリ君、今から聞くことで絶対に怒ったらアカンで』


 ――どうやらヒョウからのメッセージらしく、それを見たユーリの頭上に「ハテナ」が浮かぶ。



 ユーリの出した言葉は、「怒るな」という事にも、何故ヒョウがサイラス経由で連絡を寄越したのかという事にも……つまり両方について「意味が分からん」なのだ。


「だろうね。とは言え、と、聞いているからね。このまま話させてもらうよ」


 サイラスはそう言って、デバイスを閉じた。ヒョウからはユーリを呼び出す前に、ある程度情報を入れてしまうと、向かっている間にボルテージが上がる可能性がある、と聞いていた。何ともはた迷惑な男だが、それがユーリなので仕方がない。


 加えてユーリを呼び出す前にヒョウが「怒るな」連絡を入れれば、間違いなくユーリから折り返しがある。そうすればヒョウは情報をのらりくらりと躱す羽目になり、その態度でもユーリの怒りを誘発する恐れがある、とわざわざサイラス経由で「怒るな」と一言伝えたくらいだ。


 そんなこんなで、サイラスからヒョウのメッセージを届け、それを理解する前に今から話すべき事を伝える……という、ユーリの、話を進めようという作戦に打って出たのだ。有り体に言えば、深く理解する前に一気に情報を出して、ユーリが怒る前に撤退しろ作戦である。


 そのくらいこれから語られる情報は、


 まさに時限爆弾。一本でも線を切り間違えれば、即座にドカン。とは言え、話さずともいずれ真実に辿り着けば、その時にドカン。


 何とも面倒な男を前に、サイラスが大きく息を吸い込んだ――


「君は、についてどの程度知っている?」


 ――吐き出したサイラスの言葉に、ユーリの眉がピクリと動いた。


「人造人間……まあ…バカが作り出した生命体……って事くらいか」


 ぶっきら棒に吐き捨てるユーリに、サイラス大きく深呼吸をした。


「そうだな。だが実際は少しだけ違う」


 瞳を閉じて口をキツく結ぶサイラスは、何か言葉を探しているようだ。


 暫く続く沈黙を、サイラスが吐き出した息が破った。


「……実際は、モンスターと戦わせるためのだ」


 その言葉にユーリは「は?」と分かりやすいくらい大きな疑問符をこぼして表情を引きつらせた。


「生体兵器って……能力者がいるじゃねぇか……」


 珍しく掠れるユーリの声に、サイラスが首を振る。


「【アナスタシス】を知っているかね?」


 唐突に切替えられた話題だが、つい先程聞いたばかりのそれに「ああ」と短く頷くユーリ。


「それに一体何の関係が――」

「ホムンクルスは、元々【アナスタシス】が作り出したのだよ。【悪魔モンスター】を身に宿さずとも戦えるように……と」


 その言葉にユーリは天を仰いで「とことんクソ野郎じゃねぇか」と込み上げてくる怒りを大きな息と共にを吐きだした。


「とはいえ、結局はモンスターの力を借りねば強くなれず、ホムンクルス研究は【アナスタシス】の手を離れたのだが……」


 サイラスの言う通り、人体を生成したとしても、それは結局人間の域を出ない。結局はレベルアップする為に、生体ナノマシンの力や、モンスターの力を借りる必要がある。


 モンスターの力を借りるという事、それ即ち――


「人型生体兵器としてのホムンクルスは、人間の遺伝子にモンスターの遺伝子を組み込んだ融合体だ」


 その言葉にユーリの眉がピクリと動いた。試験管で育てた赤ん坊の身体の一部へモンスターの遺伝子を組み込む。遺伝子組換えの人間バージョンがホムンクルスだと言う。


「……胸糞のわりぃ話だな……」


 呟いたユーリの目が細められる。その目に宿るのは間違いなく憤怒の炎だ。


「それで? その馬鹿な研究を続けてる奴が居るって事だろ?」


 ユーリの言葉にサイラスが「左様」と頷いた。ヒョウから連絡があったホムンクルスという存在。作り出された生命体という事だけは知っていたが、それがそもそも「戦うためだけ」に作られていたなど……


 考えの纏まらないユーリに追い打ちをかけるようにサイラスが口を開いた。


「そのホムンクルスが……?」


 抑揚をつけないサイラスの言葉に、ユーリが盛大に眉を寄せた。


「まさか?」

「そのまさかだ」


 頷いたサイラスが「クレア君」と隣のクレアへ視線を向けた。その視線に頷いたクレアがサイラス達の前へ一歩進み出し


「改めまして……クレア・ボールドウィンと申します。以後お見知りおきを」


 綺麗に礼をするクレアを前に、ユーリの顔から表情が消えた。


「ジジイ……テメェ――」


 ビリビリと空気が震えるがユーリの怒りを表している。ホムンクルス……生体兵器を傍に置くこと、つまりサイラスはホムンクルスを作る連中と繋がりがあるのだ、と。


「…………」


 タガが外れたようなユーリの雰囲気だが、それを前にしてもクレアはサイラスの前を動かない。


「……退け、スマイル仮面。ジジイをぶっ飛ばさなきゃ気がすまねぇ」


 睨みつけるユーリを前に、クレアは「それは無理な相談です」と笑顔で首を振った。


として主人を守るか?」


 腰を落とすユーリに、「おかしなな事を――」とクレアが微笑んだ。


「ユーリさんは、私が戦えると……私程度が貴方や閣下の間に潜り込めると?」


 小首を傾げるクレアだが、「さあな。」と構えたまま動かない。


「退け」

「戦えるとお思いなら、私ごと殴ればよろしいかと」


 それでも真っ直ぐにユーリを見つめ返すクレア。笑顔に見えるそれだが、頬を伝う汗にユーリはクレアの覚悟を見た。つまり彼女は戦えない。戦えないにもかかわらず、身を挺してサイラスを庇おうとしているらしい。


 それによくよく見れば、サイラスはクレアの後ろで既にゲートを起動している。つまりユーリがクレアに向けて踏み切った瞬間、クレアを助けるつもりがあるという事だ。


 生体兵器を守る人間……何とも歪に見える関係だが、漸くクレアが身を挺してサイラスを庇おうとしていた理由にユーリは気がついた。彼女にその覚悟を出させたのは、サイラスへの信頼なのだ。……決して自分を見捨てないという。


 その覚悟を見たユーリは、勝手に自分の知っているとサイラスを結びつけてしまった事を恥じ、小さく舌打ちを漏らして構えを解いた。


「……取り乱して悪かったな」


 ぶっきら棒に吐き捨てたユーリに、「構いません」とクレアが首を振って続ける。


「我々の存在意義に腹を立てて下さったのは、


 微笑んだクレアがお辞儀をして一歩下がった。どうやらユーリの予想通り、サイラスはユーリの知っていた身勝手な連中とは違うようだ。


 再び相対するサイラスを睨みつけてしまったユーリだが、クレアの言葉を信じるように大きく息を吐き出した……残っていた疑惑と怒りを全て吐き出すように。


「……さてそろそろに入ろう。ホムンクルス……生体兵器だが、その存在を私は許せなかった」


 そう言って眼鏡を押し上げたサイラスが続ける。


「そこで私は協力者と共に、ホムンクルスを作っている研究所を破壊し、そこでのホムンクルスを保護した」


 そう言ったサイラスがクレアに視線を向けて、そうして斜め後ろにいるクラウスをチラリと見た。


「ちょっと待て……二人って――」


 慌てるユーリの顔がサイラスの眼鏡に反射する。


「ああ。そうだ……


 サイラスの告げた言葉が、風の無くなった屋上に小さく響いて消えていった。

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