第122話 実在する宗教とは一切の関係がございません

 二人の後方で燃え上がる巨大スケルトンが、ガラガラと音を立てて崩れていく。完全に沈黙させた事を確認したクロエが、剣をゲートへと返し、エレナがユーリへ野太刀を手渡した。


「お疲れさん」


 野太刀を受け取りながら声をかけるユーリに、エレナが微笑み「助かったよ」と爽やかな笑顔を向けた。


「嫌味か? 今回は吹っ飛ばされただけで何もしてねぇぞ」


 苦笑いのユーリに、「あ、私もです!」とカノンが続く。


「いや。二人が受け止めてくれたからこそだよ」


 笑顔のエレナがクロエに「クロエもな」と振り返ると、クロエは「フン」と鼻を鳴らした。


「お前を見捨てるより、共闘したほうが生存率が高いと踏んだだけだ」


 そう言ってエレナから視線を逸らすクロエに、「そうか」とだけ答えたエレナだが、落ち込んだ素振りもなくカノンに「怪我はないか?」と笑いかけて話題を変えている。


 カノンとエレナが話す横で、手持ち無沙汰になったようなクロエがユーリへと視線を移した。


「ユーリ・ナルカミ、見ていたか?」


 ドヤ顔で腕を組むクロエに「いや、余所見してた」とユーリが舌を出し、クロエが「貴様というやつは」と笑顔を引きつらせた頃、燃え上がっていた巨大スケルトンから一つの髑髏が飛び出した。


 炎を突き破り、風を切って舞い上がったそれに、全員が再び腰を落として武器を構える。


 油断なく髑髏を見つめる四人の前で、フワフワと宙に浮く髑髏が淡く発光する――


『忌まわしき【滅びの子】らよ……』


 髑髏から発せられたのは、男と女の声が重なって聞こえる不気味な声だ。


『……神を信じぬ不信者よ。その身に【悪魔】を宿せし者らよ』


 言葉に合わせて髑髏が明滅する。


、貴様らは己の無力さを呪い、その罪に焼かれて死ぬことだろう』


 それだけ言うと、髑髏はサラサラと崩れ落ちて風に消えて行った。

 残ったのは、いつの間にか晴れた紫雲と、未だ燻る炎だけだ。


「……何だあれ?」


 首を傾げるユーリに、エレナは「というやつだろうな」と大きく溜息をついた。


「ここに追放された者達がいる……そう言ったな?」


 エレナの言葉にユーリ達が黙って頷いた。ゲンゾウのダマスカス鋼を盗み――正確には拾ってネコババしただけだが――ここに追放された者達。


「彼らは、だよ」


 エレナがダマスカス鋼を見つめながら、「時代が産んだ人々の闇だ」と呟いた。


「……【アナスタシス】の連中か」


 呟いたクロエの言葉に「ああ」とエレナが頷きカノンが「そう言えばそんな方々もいましたね」と手を叩く……が


「ンだそりゃ?」


 眉を寄せたユーリに全員が驚いた表情を見せた。


「最後の審判を知ってるのに、【アナスタシス】は知らないのか?」


 驚いたエレナの表情に、ユーリは「知らねぇ」と短く答えて首を振った。


「俺が住んでた所には居なかったからな」


 肩を竦めるユーリに、「そんな所があったのか」とクロエが驚きを隠せない。ユーリが東のアンダーグラウンドに居た、と知らないクロエからしたら驚きは無理もない。


「【アナスタシス】。彼らはこのモンスターの出現を、神が降臨する前の予兆だと考えていた集団だ」


 エレナの説明に寄ると、彼らは旧時代の宗教を統合し、新たな宗教を作り上げた集団だという。【アナスタシス】と名付けられたその宗教は、この荒廃しモンスターが現れるようになった世界を、神と悪魔の終末戦争が近いと考えていたのだとか。


 今このモンスターに攻められているのは、神が降臨する予兆でしかない。事実旧い宗教のある一節には、『まず堕落が来て、罪の人、滅びの子が明らかにされなければ、その日は来ない』という記述があったのだとか。


 それを踏襲した【アナスタシス】は、現在の状況が神が降臨する前触れだと信じていたのだ。


 モンスター――彼らは【悪魔】と呼んでいたが――の出現は、地上に蔓延る悪人を選定するための段階なのだとか。要はモンスターに惑わされたり、それに魅せられる者は悪人として裁かれる事になるのだ言う。


 モンスターに惑わされず、神に祈りを捧げ続けることで、神が現れてモンスターを駆逐してくれる。そして最後の審判が始まり、善人は汚れた肉体を捨て真の自由を得て神の国へと向かうのだと言う。


 基本的に宗教に関しては自由を推奨している【人文】であったが、【アナスタシス】の連中は、


 そもそも今の世界の仕組みが、彼らにとっては【悪】だったのだろう。

 ハンターを始めとした能力者の存在。

 モンスターの力を宿し、モンスターを狩る能力者は、彼らからしたら【悪魔】に魅入られ、その身に【悪魔】を宿せし者である。


 そんな能力者を彼らは【滅びの子】と呼んで忌み嫌っていた。


「【悪魔】って……ナノマシンだろ?」


 苦笑いを浮かべるユーリに「それでも、だ」とエレナが肩を竦めて見せた。


 そんな【滅びの子】を忌み嫌いながらも、戦う術を求めた彼らは、神をその身に降ろすという方法を試すようになった。


「……端的に言えば拷問だな」


 呟くエレナの言葉に「思い出すだけでも反吐が出る」とクロエが吐き捨てた。


 エレナが言葉を選ぶように続ける説明によると、彼らは年端も行かない子供を攫っては、神を迎え入れる器にすると称して様々な拷問をしていたらしい。神と一体化するためと言う名目で、激しい拷問により対象の感情を、人格を消すのだと言う。


「長い歴史の中、狂信者どもの被害にあった人間は、一説には何万とも言われている」


 エレナがやるせない様に小さな溜息をついた。


「被害が公になるのが遅かったのに、【人文】の中にも信者がいた……という噂もあるほどだ」


 チラリとクロエを、【人文】側の人間を見るエレナだが、当のクロエは「上の馬鹿共ならありえるな」と歯に衣着せぬ勢いで自分の勢力をディスる始末だ。


 そうして彼らの蛮行が公となり、日陰に追いやられ、一度駆逐されたかに思われた彼らだが、十年程前にイスタンブールでその残党が見つかり即座に追放処分となったのだ。


「なるほどな……で? 結局そのが、なんでゲンさんが落としたメダルを?」


 首を傾げるユーリに応えたのは、「だからだろ」とクロエだ。本当に何も知らないんだな、というクロエに頷く形でエレナが更に説明を続ける。


 彼らは、神が起こしたと考えられる奇跡を崇拝する傾向があった。要は神を降ろす為の触媒と考えていたようだ。


 特にダマスカス鋼は、旧時代から存在していた物が、突然変異のように神話に語られるような金属に変貌したことから、触媒として非常に人気の金属であった。


 それらの金属を使い、彼らは攫ってきた器候補へ神化と言うなの拷問を加えていたのだ。


「救えねぇクソ野郎共だな……」


 エレナの説明を聞いてユーリは眉を寄せて、巨大スケルトンの居た場所を睨みつけた。そうだと知っていたら、エレナやクロエに任せずに、己の腕で頭蓋をかち割ってやれば良かった。その思いを大きな溜息で吐き出した。


「とりあえずその連中が、ゲンさんのメダルをネコババした理由は分かったけどよ……」


 エレナに視線を戻し眉を寄せるユーリは、何故彼らがこんな所に来たのかが分かっていない。


「彼らは追放されたと言っただろう?」


 エレナの言葉にユーリが頷く。


「もう十年以上前だ……一人の少女を衛士隊が保護したんだ……その少女の告発により、【アナスタシス】の残党が、イスタンブール南地区にある旧地下神殿にいると分かった」


 大きな溜息のエレナに、「そういう事か」とユーリが納得して頷いた。恐らくその告発から一気に事が動いて、連中を一網打尽にしたのだろう。


「君の想像通り……【アナスタシス】の連中を一網打尽にしたわけだが」


 言葉を切ったエレナが、「想像以上に人数が多くてな」とまた溜息をついた。


「本来なら極刑だが、その人数を極刑となると、場所がない。そこで、このというわけだ」


 苦笑いのエレナに、「トンチの効いた追放だな」ともう一度スケルトンがいた虚空を睨みつけた。

 旧時代の墓地に送りつける事で、「自分で自分の墓を用意しろ」とでも言いたかったのだろう。


「成程……なるほど……」


 呟きながらユーリが地面に転がる灰へと近づいた。足下に散らばるのは、先程まで巨大なスケルトンを形成していた白骨が炭化して出来た灰の山だ。


「子供は……居なかったのか?」


 ユーリの言葉に「居たよ」とエレナが頷いた。捕まった者達の中には、子供たちも数人だが居た。


 拷問で心が完全に壊されてしまった子供たち。


 当時のイスタンブール行政府は、そんな被害者である子どもたちでさえ、一緒くたにして追放しようとしていた。


「……そいつらも……?」

「心配するな。子供たちは助かっている。


 エレナの言葉に「……そうか」とだけユーリが答えて、灰の山を前に腰を落とした。


 ユーリの周囲をユラユラと靄が覆う――上昇気流のように舞い上がる風がユーリの前髪を浮かして揺らす。


 暫く揺らめいていた靄が、一瞬で真っ黒に――空気が一変し、圧力を持って全員へと伸し掛かる。


「こ、これは――」


 慌てるクロエがユーリを視界にとらえるが、ユーリが纏う黒が視界を覆い、ユーリを上手く視認できない。まるで夜が降ってきたと思わせる程に重く、昏く、冷たい気配。


 それを纏ったユーリが左の拳を握りしめた。


 右手右足前

 握った左拳を腰へ当て――


 その拳を灰の山へ向けて突き出す。

 当たる直前でピタリと止まる拳。


 ――ドン


 遅れて来る衝撃音と共にユーリの後方から突風が吹き荒れて、灰を、丘の上に残った怨嗟の塊を、全て消し飛ばしていく――と同時に西日がユーリの後方から黒を消し飛ばしていく


 風に目を細めながら、その光景をエレナとクロエが見つめていた――ユーリの纏っていた夜と共に吹き飛ぶ灰の山を。まるで暗闇を斬り裂いたようなユーリの一撃を。


 残ったのは、綺麗になった丘の上に降り注ぐ西日だけ。


「俺の前に現れてたら、全員その場で殺してたぜ……」


 俯いたまま、太陽を背に受けるユーリに、「そうだな」とエレナが頷いた。


「……おい色々聞きたいが、そろそろ行かないと、アンデッド共が動き出すぞ」


 既に茜に染まった空を指すクロエに、全員が頷いて丘を飛び降りる。来る時は時間がかかった丘も、上から飛び降りれば一瞬だ。


 飛び降り、振り返ってみれば、西日を受ける丘は来た時とは一変し、殆ど原型を留めていない。


「……安らかな眠りを妨げてしまったな」


 元々眠っていた死者たちを巻き込む形になった。それに申し訳無さそうなエレナだが、ユーリがその肩を叩いて「いい方法がある」と笑ってみせた。


「おいポンコツ騎士」

「誰がポンコツだ!」


 眉を吊り上げるクロエだが、カノンもエレナも「反応しなければいいのに」と苦笑いが止まらない。


「この墓地、思い切り


 ユーリの笑顔に「いいのか?」とクロエが眉を寄せながら一瞬だけエレナを見た。


「良いんだよ。に付してやるんだ……俺の故郷じゃ、燃やして灰にするんだよ。……それでも魂は新たな身体を得て戻ってくるから」


 丘を見上げるユーリの、何処か切なそうな顔にクロエが一瞬だけ見惚れたように固まり、慌てて首を振って「良く分からんが、このままよりは良いか」と思い切り炎の渦で雑木林を包みこんだ。


「……ま、もう暫くあの世で眠ってな」


 ユーリはそう呟き墓地へ背を向け歩きだした。


「悪魔に魅入られし、いや悪魔を宿せし【滅びの子】か……」


 一瞬だけ振り返ったユーリの視線の先では、茜の空に黒煙がいつまでも立ち上っていた。




 ☆☆☆



「ロイド様……何をご覧になっているのです?」


 軍司令室で、紅茶を淹れるシェリーが小首を傾げた。彼女が気にしている通り、総司令官ロイド・アークライトは先程からずっと東の荒野を睨んだままなのだ。


の方角……黒煙が……上がっていてね」


 呟いたロイドの言う通り、シェリーが視力を強化して窓の外を見ると、遥か東に僅かに黒煙が見える。


「別にいいじゃないですか? いつも言う?」


 気にしないと言った素振りのシェリーに、ロイドも「そうだな。」と」呟いて椅子を反転させた。


「老人達は辿り着けなかった。そもそもが間違いだ」


 薄く笑ったロイドがシェリーの淹れた紅茶を口に含んだ。


「シェリー、進捗はどうだい?」

「滞りなく。サイラス・グレイはかなり優秀と見えます」


 シェリーの報告に、「あれは傑物だからな」とロイドが笑顔を見せた。


「あの世で見ていろ。馬鹿な老人共……神を降臨させるのに必要なのは……祈りじゃない――だ。それこそが神をこの世へ顕現させうるのだ」


 ロイドの笑い声が、薄暗くなった司令室にいつまでも響いていた。

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