第114話 物の価値は人による

 イスタンブール上層【国土解放軍】イスタンブール司令室――


「全く次から次へと問題ばかりだと、自分の無力さを思い知るな……」


 ロイド・アークライトが珍しく呟いた弱気な発言に、彼を補佐するメイド姿の女性――シェリーは初めて驚いたような表情を見せた。ただその表情は心配している……と言うより「何か変なものでも食べたのですか?」とでも言いたげな表情だが。


「シェリー……その顔はいささか失礼すぎないか?」


 小さく溜息をつくロイドだが、とうのシェリーはその顔のままゆっくり首を振って


「いえ。ロイド様と言えば、基本的にだと思っていましたので……」


 辛辣な発言をするシェリーへ、ロイドが「君というやつは」と背もたれに身体を預けて片手で顔を覆って天井を仰いだ。


「ダンジョンの探索に乗り出した瞬間、クロヴィス長官が殺されるわ、その会議に出れば、再三ダンジョン探索は不要だと突っ込まれるわ、終いには会議から帰ってきたら、? 流石の私でも無力さを痛感してしまうだろ」


 盛大な溜息のロイドが「私の権能でも予測不可能だ」ともう一度溜息をついた。


「自分の無力さを知る日が来た記念に、ケーキでもご用意しましょうか?」


 口を開いたシェリーの表情は、いつものように無表情に近いものに戻っていた。


「その記念はもちろん私を祝ってのことだよな?」


 天井から返ってきたロイドの視線に、「いえ。私が食べたいのが半ぶ……七割程でしょうか」と無表情のまま淡々と告げるシェリー。


 そんな彼女にロイドが苦笑いのまま蟀谷をヒク付かせた。


「ならば、にしようか」


 ロイドの提案に、今度はシェリーが少しだけ頬をヒク付かせた。


「いえ、イチゴたっぷりのショートケーキにしましょう」


 そう提案するシェリーにロイドは「主人の意見が尊重されるべきだろう」と机の上で指を組んでこれ見よがしにドヤ顔を浮かべた。何てことはない。シェリーがチョコレートを好きではない事を知っているロイドの嫌がらせだ。


 そんなロイドのドヤ顔に「チッ」と舌打ちを漏らすシェリー。主人に対して中々の態度だが、それをロイドが咎める事はない。それどころかそんなシェリーの様子を見てニヤニヤと笑い顔を浮かべるくらいだ。


「……かしこまりました。メイドを虐めて楽しむド変態な主人のために、チョコレートケーキを購入して参ります」


 そう言いながらカーテシーするシェリーを「全く口の減らないメイドだ」とロイドが肩を竦めて笑った。


 頬を膨らませて部屋を出ていこうとするシェリーの背中に、「ショートケーキも買ってくるといい」とロイドが笑顔を見せた。


 そんなロイドを振り返ったシェリーが「そのケーキで何を要求するんですか?」とジト目で自分の身体を抱きしめた。


「とんだ変態メイドだ」


 天井を仰いだロイドが苦笑いで続ける。


「君のお陰で気分が晴れたからな。その褒美だ」


 笑うロイドの前で、シェリーの頬が僅かに緩んだのを彼は見逃さない。無表情に見えて、メチャクチャ喜んでいる表情だ。


「ありがとうございます。それではチョコレートケーキと、ショートケーキを買ってまいります」


 そう言いながら分かりやすくルンルンと部屋を出るシェリーに、「ちゃっかりしたメイドだ」とロイドが苦笑いで溜息をつき、机の上のボタンを押した――立ち上がるホログラムに映ったのは、一人の軍人。


『何か御用でしょうか?』


 ロイドを前に、画面の向こうで軍人が敬礼。


「ヴァンタール少佐を呼んでくれ。至急な」


 それだけ言うとロイドはホログラムを一方的に閉じて、背もたれに身体を預けて椅子を反転させる――背後に設けられた大きな窓の向こうをボンヤリと眺めた。


 ロイドが見つめる先は、東に広がる荒野。高いイスタンブール上層からは、荒野の様子がよく見える。既に日が沈み始めたこの荒野のどこかで、今もハンターが戦っているのかもしれない。


 だがこの位置からは、いつもと変わらない静かな荒野が映るだけだ。


「……サイラス・グレイ……


 ポツリと呟くロイドの声に誰かが返すことはない。


「とは言え、ある程度の恐怖は植え付けられただろう」


 呟いたロイドが立ち上がって大きな窓に手を掛けた。


……が伝播する事を今は祈ろうか」


 ロイドが呟いた瞬間、司令室の扉がノックされる――


『クロエ・ヴァンタール少佐、呼び出しにより参りました』


 ――その声にロイドが「入りたまえ」と返事をする。


 司令室へと入ってきたクロエは、ユーリと戦ったあの日と同じ様に凛とした佇まいで綺麗な敬礼を取っている。


「楽にしたまえ」


 そう言いながらロイドが椅子へ腰掛けた。


「ヴァンタール少佐。貴官にを頼みたい」


 机を前に薄く笑うロイドに「重要任務でありますか?」とクロエが少しだけ眉を寄せた。


「ああ、重要任務だ――」


 表情を引き締めたロイドがホログラムを起動すると、そこにはユーリの顔写真とハンター協会に登録されている情報が表示された。


「――ハンター協会イスタンブール支部へのを頼みたい」



 ☆☆☆




「やはり支部長の差し金でしたか」


 ブリーフィングルームで、コーヒーを片手にエレナは困ったような笑顔を浮かべた。


「すまないね。敵を欺くにはまずは味方から……と言うからね」


 そう言いながらサイラスがコーヒーに口を付けて笑えば、ユーリが「信用がねぇって遠回しに言ってるだけだからな」とエレナを指さしてケラケラと笑う。


「逆だよ。信用があるから話さないのだよ」


 それに溜息をつくサイラスがエレナを真っ直ぐに見据えた。


「君に話さなければ、君は必死でユーリくんを制御しようと頑張るだろう? それが、その真剣さが必要なのだよ……敵を信用させるためには」


 そう言いながらもう一度カップに口を付けたサイラス。その言葉にドヤ顔でユーリを見るエレナと、「チッ」と面白く無さそうに舌打ちを漏らしたユーリ。


 実際サイラスはエレナを信用していた。エレナなら途中まではユーリを必死に止めるだろう、と。


 それを分かった上でユーリには「ぶっ壊して構わない」と言って送り出していた。


 そうなればもうユーリの独壇場である。あとは先程サイラスが言った通り、暴れるユーリをエレナが抑えようと頑張れば頑張るほど、今回の崩落は不運な事故という印象を周りに持たせやすい。


 ユーリを止める演技よりも、心の底からの行動を……と思いエレナには真相を伝えなかったサイラスだ。彼女であれば、確実に止めに入る。

 そして止めているうちに、止まらないユーリと、サイラスがユーリの投入に関与している事に疑問を抱くだろう。


 ユーリを投入すれば事くらい、サイラスが分からない訳がない。ならば、サイラスに何か意図がるやもしれん、とユーリに全てを任せるという判断を下すだろう……そこまで予想してサイラスはエレナに真相を伝えていなかった。


 そしてその予想はまさに的中し、彼の言う通りエレナを信用していたからこそ、いやお互いが信頼していたからこそ、特大の爆弾ユーリを上手く使いこなせたというわけだ。



「【軍】が何を考えているか分からないが……奴ら、あの施設の攻略に時間を掛けたかったのだけは明白だからね」


 そう言いながらカップを置いたサイラスが、クレアに視線を向けると、頷いたクレアがホログラムを起動した――机の上に現れるのは、つい数時間前にユーリがぶっ潰したショッピングモールの全景だ。


 巨大な方舟のような大きな建物。地下二階、地上四階で各フロアは幾つもあったテナントとその間を通る通路で、疑似ダンジョンに見えなくもない。


 勿論ダンジョンとは違い、通路よりも小部屋テナントの方が目立つが……


 とは言えサイラスもハンター達から「ダンジョンってこんな感じかも」と不安の声が出ているのも知っている。地下へと潜るダンジョンは、崩れやすい旧時代の施設のように、崩落の危険もあるかもしれない。見通しの悪い場所からモンスターの大群が来るかもしれない。全体的に暗く、視界が悪いかもしれない。


 様々な事がダンジョンという噂に直結するようで、どうも気持ち悪かったのだ。


 まるでダンジョン……その様子や発言に、サイラスの脳裏には犯罪者に『ダンジョン刑』なるものを課していた事が過った。


 ダンジョンの噂。

 ダンジョンという未知への恐怖。


 それらを結びつけるような【軍】のやり方に、どこか言いようのない不安を覚えたサイラスが、ユーリをショッピングモールに叩き込んで、噂と恐怖ごとそれを破壊するという力技に打って出たのだ。


 その結果は先述した通り、上手く誤魔化せた……はずだったのだが――


「ユーリが軍人たちと揉めたので、そこを突っつかれるかと思っていましたが」


 ジト目でユーリを見るエレナの言う通り、エレナやサイラスが頑張って使いこなしたユーリではあるが、結局は最後に軍人たちを煽っている。


「確かに【軍】からそこは聞かれたな」


 溜息をつくサイラスが、「適当に『すみません』とでも言えば良かったものを」とユーリへ視線を向けるが、当の本人は、「あいつらをぶん殴らなかっただけ偉いだろ」と鼻を鳴らして視線を逸した。


 ユーリはそう言うが、実際あの後【軍】から仔細を説明せよ、と通達が来ている……。だがもちろんサイラスとて、馬鹿ではない。ユーリを投入するリスクくらい把握している。そこまで見越した上で、「」を投入しているのだ。


 ユーリが軍人に語った言葉そのまま『アイアン程度が暴れて崩れる施設など、危険で使用できない。資材を利用した再建設を推奨する』と準備していたテンプレートとユーリの情報を送り返すだけの簡単な仕事である。


 実際軍人たちも、ユーリが首から下げたアイアンのタグを見ているし、【軍】へユーリの情報も渡している。そこまでしたら、【軍】も何も言えない。脆弱な施設を拠点になどすれば、モンスターの襲撃で全員が生き埋めなどの可能性もあるのだ。


 それを分かった上で、頑なに「拠点にする」とは言い張れない。筋が通らない事くらい、彼らでも分かる。


 加えて――


が良かったのもあるな」


 サイラスが漏らした小さな溜息に「運…ですか?」とエレナが眉を寄せた。


「ああ。何やら重要な会議があったらしく、アークライト長官が不在だったのだよ。いくら長官とは言え、一度【『仕方がない』とした判断にケチはつけられまい。」


 笑うサイラスが、「自身の計画以上に重要な会議が何か気になるところだがね」と大げさに肩を竦めてみせた。


 会議の内容は勿論クロヴィス能力開発局局長が殺害された件とダンジョン探索への疑義だが、特に前者は箝口令が敷かれているため、今のところその事を知っている者はいない。ただを除いては――


「あれだろ? 能力なんちゃらの局長がぶっ殺されたから、


 鼻を鳴らしたユーリが「下らねぇよな」と続けるが、その視線の先ではサイラスもエレナも、そしてクレアも目を見開いて固まったままだ。


「何だお前ら? 鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」


 眉を寄せるユーリに「……今……なんと?」とサイラスが掠れるような声を絞り出した。


「鳩が豆鉄砲食らったみたいな――?」

「いや、その前だ」


 首を振ったエレナから、思ったより大きな声が届く――「ンなデケェ声だすなよ」とユーリが眉を寄せるが、エレナは「いいから」とユーリへ掴みかからん勢いだ。


 そんなエレナに何なんだ、と頬をふくらませるユーリが、顔を顰めて口を開いた。


「あれだ。あの、能力なんちゃら局――」

「能力開発局」

「そう、それ」


 エレナに正解とばかりに指をさすユーリだが、指を差されたエレナは真剣なまま表情を崩さない。そんなエレナに肩を竦めたユーリが小さく息を吐いて続ける。


「その能力開発局の局長が、昨日の夜にぶっ殺されてんだよ」


 ユーリの言葉に全員がもう一度固まった。


 暫く流れる沈黙に、爺が一人殺されただけだろ、とユーリが皆を見回すが全員フリーズしたまま動かない。


 漸く動き出したのは、サイラスだ――


「君はなぜそれを――?」


 絞り出した彼の言葉にユーリが「ああ、ヒョウに教えてもらってな」とデバイスを起動した。


「俺のツレ――あ、【情報屋】が今西側で色々調べてんだけどよ……ちと能力なんちゃら局の局長に用があって会いに行ってたんだよ」


 そう言いながらデバイスのメールをスクロールするユーリ。


「んで、そこで局長と話してる時に、乱入者があって、局長が殺されたらしいぞ」


 そう言ったユーリが「あ、あったあった」とデバイスに表示されたメールを拡大してみせた。立ち上がっていたホログラムが大きくなり、そこにはヒョウから送られてきた情報が書かれている。


 それはまさにヒョウが局長宅でホムンクルスを名乗る侵入者が局長を殺した、という内容の詳細だ。


 そのメールはその情報しか書かれていないし、ユーリからしたら大した情報ではないので皆に見せたわけだが……


 それを見る全員が固まったまま動かない。恐らくこの情報一つで、下層にビルが立てられるくらいの価値はある。そんな情報が今目の前に……そしてそれよりもその内容だ。


「……まさかホムンクルスか……」


 まるでホムンクルスを知っているかのようなサイラスの発言。だが小さく呟いたそれは誰にも聞こえていなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る