第115話 人は色々抱えて大人になっていくもの
ユーリとエレナがブリーフィングルームを去ってから暫く――サイラスとクレアは黙ったままコーヒーカップを傾けていた。
二人の間に流れる沈黙――サイラスは考え込むように、そしてクレアは彼の言葉を待つように……
サイラスのコーヒーカップが、ソーサーの上で「カチャリ」と小さな音を立てた。
「クレア君」
いつもより小さな声だが、意を決したと言わんばかりの意気込みが感じられるそれに、クレアは黙ったままカップをソーサーへと戻した。
「【情報屋】に連絡を取ろうか……」
「準備は出来ております」
分かっていたとばかりに、クレアが脇においていたタブレットを引き寄せて画面を点灯させた。
そこに記されていたのは、ごく短い文面――
『ホムンクルスについて、話せることがある。都合の良い時に貴殿のご友人を連れてハンター協会イスタンブール支部長室を尋ねられたし』
その文面を読んだサイラスが「流石だな」とクレアに微笑みかけた。サイラスが見せた優しげな笑顔に、「恐縮です」とクレアが恥ずかしげに顔を赤らめる。
「いや、実際大したものだ。【情報屋】へ連絡を取る段取りもそうだが、ユーリ君を呼んで欲しい事までお見通しだからね」
笑顔のサイラスが残り少なくなったコーヒーを飲み干した。仕事の出来る副官の存在は、この混沌とした状況にあってサイラスにとって大きなアドバテージだ。だが、そんな副官は至って普通だとそれを謙遜する。
「あの場でお話にならなかったので……恐らくお二人同時にお話になりたいのかと……理由までは分かりませんが」
困り顔のクレアが「私が出来るのは、顔色を伺っての先回りが関の山ですので」と自嘲するように溜息をついた。
彼女の自己評価にサイラスが口を出すつもりはないが、サイラス自身が持つ彼女への評価くらいは伝えてもいいだろう、とサイラスが笑顔で首を振る。
「いや、君のその力にはいつも助けられているさ」
「そのように育てられましたから」
カップに手を伸ばして小さく笑ったクレアだが、誇らしげと言うよりはあまり口には出したくない……そんな雰囲気だ。少しだけ重くなった空気を飲み込むように、クレアが残り少なくなったカップを傾けた。
いつもとは少し雰囲気の違う副官だが、サイラスはそれを超えて一歩を踏み出す。
「そうだな……君は私が育てた。私が……な」
前を向いて強く言い放ったサイラスの言葉に、クレアは一瞬だけ瞠目するも、その頬を赤らめて「はい」と心底嬉しそうに微笑んだ。
サイラスの踏み込んだ一歩は、どうやらクレアに届いたようだ。二人にしか分からない絆の太さを再確認出来たのだろう、クレアが暫く嬉しそうにはにかんでいた。
喜びを噛み締めたクレアが小さく咳払い。
「それでは、私の師匠たる閣下にお聞きしたいことが」
先程までの雰囲気はどこへやら、いつものように貼り付けたような笑顔のクレアに、「閣下も師匠も恥ずかしいのだが……」とサイラスが呟きながらも続きを促した。
「何故、あの場でユーリさんに話さなかったのでしょう?」
首を傾げるクレアだが、尤もな疑問である。どうせ話すのなら、ユーリ経由で【情報屋】もといヒョウに伝えても良かった話だ。それをわざわざ二人同時に呼び出して日を改めてまで、と言うのはサイラスらしくないな、というクレアの感想だ。
「【情報屋】からのメールに書いてあっただろう? 『自分が詳細を突き止めるまで絶対に動くな』、と」
サイラスの言葉に「書いてありましたね」とクレアが頷く。
「理由は分からないが、ユーリ君にとって『ホムンクルス』という存在は、彼の友人をしてもキツく制止せざるを得ない程の重要な情報なのだろう……それこそ、情報源すら全て破壊してしまいかねない程……」
サイラスの言葉にクレアが黙り込んだ。確かにそれだけ重要な情報だ。基本的に己の目的を優先したいユーリが、ヒョウの下へ駆けつけない訳がない。
情報を集めるのに頭数は基本だ。それを熟知しているヒョウがユーリに「頼むから今は大人しくしとけ」と言い含めるという事は、ユーリが乗り出すと情報収集どころではなくなる……要は全てが無に帰す可能性が高い、とサイラスは読んでいるのだ。
つまりそこまで読んでいて、ユーリだけに伝えなかった理由は……
「要は【情報屋】さんはユーリさんのストッパー役ということでしょうか?」
顔を上げたクレアに「左様」とサイラスが頷いた。
サイラスはあの場でユーリだけに情報を渡せば……いや情報の渡し方を失敗すれば、この秘密基地がショッピングモールの二の舞いになると踏んだのだ。
ユーリがホムンクルスと言う存在に、どのような感情を抱いているか分からない。それが仮に憎悪などであれば、下手すれば一発アウトだ。
「今のユーリ君なら私でも抑えられるだろうが……エレナ君が少々気になることを言っていたからね」
小さく溜息をついたサイラスにクレアも「そう言えば」とポンと手を叩いた。
「……戦いの中で成長した……でしたね」
クレアの言葉にサイラスが黙って頷く。
「ユーリ・ナルカミ……不思議な男だ」
サイラスが呟いた声が静かなブリーフィングルームに消えていった。
☆☆☆
サイラスとクレアがユーリを噂しながら眉を寄せている頃――
「ユーリ、君は一体何者だ?」
――ユーリはエレナに絡まれていた。
ブリーフィングルームを出た二人は、特に用はないのだが途中までは一緒の方向という事で、二人で並んで歩いていた。
今日の作戦のこと。
紹介した鍛冶屋のこと。
お互いのチームのこと。
リリアのこと。
話題が色々と移り変わり、そして訪れた暫しの沈黙をエレナが先程の質問でぶち破ったのだ。
「君は……一体何者だ?」
質問を繰り返したエレナの髪の毛を生温い夜風が舞い上げる。
「何者も何も……ユーリ・ナルカミですけど?」
エレナの妙な雰囲気にユーリが首をかしげた。
「そんな事は分かっている。私が聞きたいのは――」
「ユーリ・ナルカミだ。それ以上でも、それ以下でもねぇよ」
話をぶった切って歩きだすユーリの背中を「待て」とエレナが声を大きくしながら追いかける。
「そんな事は分かっている。だが、何と言うか……」
隣でモゴモゴと言葉を探すエレナに「お前、話したい事くらい纏めてから話せよ」とユーリが溜息をついた。
「纏められる訳ないだろう。私だって混乱しているんだ」
そう言って頬を膨らませるエレナだが、ユーリは「意味が分からん」とジト目でそれを見ている。
「……君の強さは異常だ。死に急ぐような苛烈な戦い方、そして今日の戦いを見て改めて実感した。君は戦いの中で成長しているな」
エレナの真剣な表情に「そりゃ主人公補正ってやつだ」とユーリがケラケラと笑う。
「茶化さないでくれ。そんな物はこの世にはないし、それにもしあるなら……君だけは絶対にその補正はかからない」
どこまでも真剣な表情のエレナだが、お前が主人公な訳ないだろう、とでも言いたげな発言に「お前ガチで喧嘩売ってんだろ」とユーリが口を尖らせた。
「別に戦いの中で成長する事くらい珍しくねぇだろ」
面倒そうに吐き捨てたユーリが再び歩きだした。
戦いの中で成長する……ユーリの言う通り別に珍しくはない。
命がけの戦いの中では、時に自分が思いもよらない速度で成長する事はある。恐らく生物が持つ生存本能なのだろう。例えば動体視力が異常なスピードで成長したり、嗅覚や触覚が敏感になったり、火事場の馬鹿力が出たり等はいい例だ。……が
「君のはその範疇を大きく超えているではないか」
エレナが追いかけながらユーリの肩を掴んだ。
そう、ユーリの言う通り戦いの中で成長するという事自体は、ままある。あるのだが、それはエレナが言うように己の肉体限界の中で、という制約がつく。
分かりやすく言うと、戦いの中で成長したというより、潜在能力が目覚めた、と言う方が正しいのかもしれない。先程例に上げた動体視力や、感覚の発達、一時的なパワーアップは元々本人が持っていたポテンシャルが命の危機に瀕して急激に引き起こされたものだ。
だが、如何に命の危機と言えど、肉体の限界を超えて力が上昇し続けることはない。
だがユーリは違う。力も速さも最初はジェネラルとほぼ同等……いやもしかしたらジェネラルの方が少し上だったかもしれない。初めこそ技能でカバーしていたユーリだが、打ち合う毎に、少しずつ、少しずつではあるが力が増し、疾く駆け、ジェネラルを圧倒していった。
「勘が戻ってきただけだ」
眉を寄せて吐き捨てるユーリにエレナが「そうだとしても」と言葉を飲み込んだ。
確かにユーリは常々、力を無くして取り戻してる途中だと言っていた。その言葉を鵜呑みにするならば、『戦いの最中で勘を取り戻す』と言う事も納得出来そうな気がする。
「あのな、俺だって良く分かんねぇよ。どうして戦ってる途中に力が戻ってくんのかなんて。勘が戻ってきたとしか言いようがねぇだろ」
ユーリの呆れ顔に、エレナが一瞬天を仰いで、「そこが最大の問題なんだ」とポツリと呟いた。
脈絡のないエレナの発言に、ユーリは「はぁ?」と盛大に眉根を寄せた。別に戦ってる最中に、昔の力くらい取り戻してもいいではないか。そう言いたげなユーリの顔に、エレナが真っ直ぐ向き合った。
「勘が戻る……つまり君は元々かなり強かった訳だ」
「そりゃな。無敵のユーリ君と言えば俺のことだぜ?」
戯けるユーリにエレナは首を振った。
「聞いたことがないんだ……一度も。君の名前も、そしてヒョウ・ミナモトという名前も」
エレナの視線からユーリは思わず顔を逸らした。
「そ、そりゃ俺は東のアングラで活動してたから――」
「君は生存圏内で事故に遭って、その前後で力を失ったと言っていたではないか」
エレナの聡い切り返しに、ユーリは「チッ」と舌打ちを漏らして黙り込んだ。
「君や、あの【情報屋】の腕が立つと言うなら、私や支部長を凌駕するというのなら……私がその名を聞いたことがないなど考えられないのだ」
エレナの言葉にユーリは黙ったままだ。
「以前、【情報屋】に君の情報を買いたいと申し出たことがある」
エレナの突然のカミングアウトに、「え、えっちぃ」とユーリが思わず仰け反る。そんなユーリの頭をエレナは思わず叩いてしまった。
「おま、頭叩くんじゃねぇよ! バカになんだろ!」
「もう十分馬鹿だから安心し……」
そこまで言ったエレナが大きく首を振って、表情を引き締めた。危うくユーリのペースに乗せられ、場の空気を一変させるところだった、とユーリを強く睨みつけた。
そんなエレナの視線に、自分の企みが失敗したことを知ったユーリが再度「チッ」と舌打ちを漏らして頬を膨らませる。
「君の事を聞いた回答は……『教えられない。我々の情報に値段はつけられない』そう返ってきた」
エレナの言葉に「あのバカ……適当にはぐらかしとけよ」とユーリが小さく溜息をつく。ユーリの溜息は尤もで、「教えられない」という言葉は、暗に自分達に秘密がある、とそう言っているのと同じなのだ。
考え込むユーリを前にエレナはそれ以上は何も言わない。まるでユーリからの言葉を待っているかのようなエレナにユーリはもう一度小さく溜息をついた。
「俺が信用できないか?」
「そうではない……そうではないが……」
口ごもるエレナに、今の質問は流石に卑怯だったな、とユーリは自嘲気味た笑顔を浮かべた。そんな質問をしてエレナが「はい、信用できません」など言うはずがないことくらい分かっていた。
分かっていたが、今はまだ話せない。それも事実だ。
「いいかエレナ。一つだけ約束してやる。いつか時がきたら――」
「エレナ? エレナ・クラウディア……」
ユーリの言葉を遮ったのは、真後ろを横切ろうとしていた人物の驚いたような声だった。突拍子もない闖入者に、エレナが目を見開き固まり、ユーリが眉を寄せて振り返ろうとした瞬間――
「何故貴様がここにいる? エレナ・クラウディア!」
――怒声とも取れる程の声が後ろから響いた。あまりの大声に、周囲の人々が振り返る中、「急にデケェ声出すな」とユーリが今度こそ振り返った先に居たのは……少し前に上層で揉めた女性佐官、クロエ・ヴァンタールだ。
「答えろ…何故貴様がここに?」
尚も顔を赤く、エレナに詰め寄ろうとするクロエに
「そりゃこっちの台詞だ。ポンコツ女騎士」
とユーリが盛大に眉を寄せた。
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