第112話 三十六計逃げるに如かず
ユーリとオーガ・ジェネラルが打つかり合った衝撃で、近くのガラスが吹き飛んだ。
至るところで衝撃波を発生させる一人と一体。
その光景を眺めるエレナの感想は……どちらが
勝てるだろうが、ユーリやジェネラルのように戦いを楽しめるかどうか、と言われれば恐らくノーだろう。
今も目の前で打つかり衝撃波でショウウィンドウを粉々にした二体の顔は、どちらも笑顔なのだ。それも飛び切り楽しそうな。
その笑顔に、あの女も大概だったな、とエレナが溜息をついた。
忘れもしないあの屈辱。今思えば燃え上がるような髪の毛と真紅の瞳は、
――その二つ名、オレにくれよ。
エレナの脳裏で反響したその声に、「貴様はさしずめ戦いの鬼……【戦鬼】といったところだ」とエレナが独り言を返した。
そんなエレナの視線の先で、ユーリとジェネラルが弾かれたように間合いを切る。
ユーリの背後には巨大な柱。
それにユーリが止められた瞬間、ジェネラルが接近。
肩に担いだ野太刀を袈裟に薙ぐ。
ユーリのダッキング。
斬られた毛先を残してユーリの足払い。
それをジェネラルが飛び上がって躱した――「甘ぇ」――笑うユーリの右後ろ回し蹴り。
宙に浮いたジェネラルの脇腹に迫る踵。
それを引き戻した右肘で迎え撃ったジェネラル。
再びの衝撃波だが、ユーリの回転が止まらない。
回転の勢いを殺さずユーリが左足一本で跳躍。
そのまま跳び左前回し蹴りをジェネラルの横っ面に叩き込んだ。
吹き飛んだジェネラルが、ハンガーラックを巻き込み試着室と思しき扉を破壊して転がった。
そんな試着室を破壊して出てきたジェネラルがユーリを一瞥してニヤリ――まるで効いていない、とでも言いたげな表情だが、それを向けられたユーリはと言うと
「お前、服ごと突っ込んだんだから、ちゃんとコーディネートしてから出てこいよ」
眉を寄せて軽口を叩いていた。
ユーリの言葉など分かるはずはない。だが、それを聞いたジェネラルの眉がピクリと動いた気がした。
そんなジェネラルに「何なら俺がコーディネートしてやろうか?」と続けて笑うユーリ。だがその背後で、斬られていた太い柱がゆっくりと滑り出した。
頭上からパラパラと落ちてくる小さな瓦礫に「マジかよ」と苦笑いを浮かべたユーリが、チラリと後ろを振り返る。
既に半分近く滑り落ちた柱に、「ワンテンポ遅えよ」と文句を垂れながら、近くに見えた別の柱の下まで駆け出した。
慌てて駆け出したユーリへジェネラルが一瞬で距離を詰める。
真横から叩き込まれた蹴りにユーリが吹き飛び跳ねた頃、漸くズレ落ちた柱が床に突き刺さり、天井の一部がガラガラと音を立てて崩れ去った。
エレナはその光景に最早苦笑いも出ない。
「……アレはジェネラルのせいだからノーカンだな」
そう呟いてはいるが、分かりやすい現実逃避だ。
エレナの現実逃避など何のその。解体屋の二体は暴れる場所を移している。今も豪快に壁の一部が空へと旅立った所だ。
「これはいよいよ
呟いたエレナがユーリを一人残して駆け出した。恐らく全員が異変に気がついているだろうが、それでも律儀に作戦を遂行させようとしている仲間たちを退避させる事にしたのだ。
こんな時こそサテライトシステムが恋しい……とは言え、屋根のない場所での使用はまだまだ難しい。低い位置を飛べば、うっかりオーガに見つかって壊されかねない。何だかんだで貴重な設備でもある。
こぼれそうになる溜息を飲み込み、エレナは足を速めた。
もうこの施設を残す……と言う事は不可能に近い。
であれば全員を避難させ、後はユーリの好きに暴れさせれば良い。どうせ放っておいてもユーリの事だ、「まあまあ強かったな」などと言ってピンピンした様子で戻ってくるだろう。
……なんせ先程まで拮抗していたに見えた戦いが、少しずつユーリの優勢へと傾いてきているのだから。
そう考えたエレナが、目の前に現れたオーガの生き残りを叩き斬ってその足を速めた。
☆☆☆
エレナが駆け出した頃、四階中央付近――
「ダンテ! 結構やばいぞ?」
ダンテを振り返ったのはウェーブがかった茶髪の男性だ。年の頃はダンテと変わらない彼は、フェンに似た軽装とこれまた同じ二本の短剣を逆手に持っている。
「分かってるよ〜」
そんな男性に振り返らずに手だけ上げるダンテだが、飄々とした口ぶりとは別に顔は真剣そのものだ。
「ボーイは相変わらず無茶するぜ〜」
呟いたダンテが、目の前にオーガの顔面に魔弾を叩き込んだ。この振動と破壊音……恐らくユーリが暴れている事は間違いない。普通であれば全員を退避させたい所だが、この中央エスカレーター付近はこの作戦の要と言っても良い場所だ。
かなりのオーガを神の御下へ返した彼らだが、今もまだ階下からは引っ切り無しにオーガが上がってきているのだ。異様な音と振動に誘われるように、三階だけでなく二階からもオーガが上がってきていると考えられる。それが示すのは、一階部分の陽動を機能させない程のユーリの暴れっぷりだ。
ユーリとエレナ。ダンテは二人の強さをよく知っているが、このオーガ祭りの状況で、二人を置いて逃げるわけにはいかない。
そう考えたダンテが別のオーガを撃ち殺した瞬間、視界の端から何かが飛び込んできた。
オーガよりも疾く、美しいそれが、ダンテの目の前で巨大なエスカレーターを叩き斬った。
通り過ぎた影はエレナだ。剣の一振りでエスカレーターの一基を斬った彼女は、太い柱に着地――オーガを乗せて崩れ落ちるエスカレーターが階下で大きな音を立てた瞬間、エレナの姿がまた消える。
柱の表面が弾け、建物全体が軋む。
再びダンテ達の前を交差したエレナが、別の一基も叩き斬ってしまった。
そうしてエレナが太い柱の間を行き来する事数回――メインエスカレーターの全てが斬り落とされ、階下へで轟音と埃を盛大に舞い上げた。
最後のエスカレーターを叩き斬ったエレナが、ダンテ達の前へ着地――
「お、おい、
「全員退避するぞ! この施設は崩れる!」
ダンテの言葉を遮ってエレナが声を張り上げた。
「ダンテ、手伝ってくれ」
エレナの言葉と視線に、何を、と聞かずに「ガッテン」とサムズアップするダンテ。そんなダンテに頷いたエレナは他のメンバーへと向き直った。
「皆は一階へ降下の後、陽動部隊への退避勧告を」
エレナの言葉に残ったメンバーが強く頷いた。
「ダンテ、我々は
先程「ガッテン」と勢いよく言ったダンテの顔が「この状況で
「よし、ジャンケンで決めよう…」
真剣な顔のエレナに、ダンテも頷く。既に仲間たちは降下していくと言うのに、何を呑気な……と言われそうだが二人からしたら結構重要な問題なのだ。
「「最初はグー――」」
真剣な表情の二人だが、響き渡る轟音とパラパラ落ちてくる瓦礫の中でのジャンケンは中々にシュールだ。
「「ジャンケン……ポン」」
結果はエレナがチョキ、ダンテがパー……。
「私は
パーのまま固まったダンテを尻目に、エレナが駆け出した。その背中に「せ、せめて三回勝負〜」と情けないダンテの声が突き刺さるが、エレナはそれを無視して一気に加速――その疾さはダンテが今まで見た中でも一、二を争う程だった。
☆☆☆
「むぅ……揺れが激しくなってきたであるな」
振ってきた巨大が瓦礫を、鬱陶しいというように払うゲオルグ。巨大な瓦礫が勢いよく吹き飛び壁に大穴を開けた。
「隊長……アンタも結構壊してるからな……自重してくれよ」
相変わらずゲオルグを隊長と呼ぶリンファだが、それの訂正を諦めたのだろうゲオルグは、「うむ。気をつけるのである」とバツが悪そうに頭を掻いた。
そんなゲオルグに憧れの視線を送るのはルカだ。先程から落ちてくる瓦礫もだが、出てくるオーガを拳一つで叩き潰すゲオルグに、ルカは「凄いです!」と瞳を輝かせて称賛を送り続けている。
そんなルカとゲオルグを気に食わないと言った瞳で見るエミリアだが、扇で口元を隠してジト目を向けるだけで何も言わない。
そんなエミリアを見ながら、小さく溜息をつくのはリンファだ。ゲオルグとルカは開始早々いい関係を築けている。なんだかんだで面倒見の良いゲオルグだ。結局誰と組んでも問題はないのだろう……が、エミリアと名乗る少女とリンファの関係は今のところチームと言うには程遠いくらいギクシャクしたものだ。
二人共ある程度の戦闘経験があるから戦えてはいるが、連携やコミュニケーションという点では課題ばかりが目につく。
リンファとしてはユーリやカノンとのチームの方が精神的にはやりやすい気がするが、恐らく彼らと組むことは無いだろうという予想もある。なんせ、あの二人はどちらも近接攻撃タイプだ。しかも考えなしの。
今もこうして施設全体が揺れているのは、ユーリのせいだろう、と簡単に予想がつく。そんな連中と同じチームになれば、確実にリンファ一人だけ暇を持て余す未来が簡単に予想できる。
あいつら二人は馬鹿だから、敵を見つけた途端間違いなく一直線に突っ込むだろう。そうすればリンファが出来る事は殆ど無い。あるとすれば討ち漏らしたモンスターをチマチマ狙撃するくらいだろうか。
であれば、
「ゆっくり打ち解けるしかないかな」
呟いたリンファの目の前から高速で人影が現れた。
跳ねるように距離を取って
影とリンファの間に身体を滑り込ませるゲオルグとルカ。
そしてリンファの真横で、後方を警戒するように蛇腹剣を構えるエミリア。
何だかんだこの短い間の数回の戦闘で、既に全員が役割を理解し始めている。
そんな四人だが、人影の正体を知って大きく安堵の息を漏らした。
「クラウディア? 何でこんなところに?」
「もうこの施設は保たない。全員私と脱出だ」
エレナの言葉に皆が「やっぱり……」という雰囲気を醸し出した。先程からの揺れと崩れ方は尋常じゃなかったから。
「脱出はいいんだが……ナルカミは?」
今も暴れる発生源を思いやるリンファの優しさに、エレナは遠い目をして「放って置いても大丈夫だろう」と呟くだけだ。
そんなエレナの様子に全員が「あー」と妙な声を漏らして納得してしまった。何となく分かってしまったのだ。
エレナが頑張ってユーリを抑えようとしていたのに無理だったのだと。
そして今この振動はやはりノリノリのユーリの仕業なのだと。
であれば逃げるのは早いほうが良いだろう。下手をしたら巻き込まれかねない。そう思ったリンファが一応リーダーであるエミリアを振り返った。
「
扇を広げて口元を隠したエミリアの言葉に、全員が「了解」とだけ応えて「こっちだ」と既に背を向けたエレナの後に続いて駆け出した。
☆☆☆
「ヒャッハー! 楽しくなってきたではないか!」
振動に震える空間に、負けじと響く場違いな声。
「全て斬り刻んで魚の餌にしてくれるわ!」
高笑いでナイフのような爪をカチャカチャと擦り合わせているのは――
「ノエル……今日も絶好調だね」
――
いつもの眼帯はどこへやら、高らかに笑うノエルの隠されていた右目が怪しく光り輝き、その眼光が新たな獲物を察知した。
遠くから高速で近づく人影、それを見て口の端を釣り上げたノエルが爪を広げて腰を落とした――ミシミシと鳴る床、「ちょー待って、俺だって〜」遠くから聞こえる情けない声。
それを無視してノエルが一気に加速。
床が弾けて凹む。
ダンテの前に一瞬で現れたノエル。
「死ね」
およそ仲間に向けて言う言葉ではないそれを、躊躇いなく吐き捨ててノエルが両方の爪を思い切り薙いだ。
そんな両腕をガッチリ掴むダンテ。
止まった横薙ぎ。
だがノエルが手首を返せば、ナイフのような巨大な爪が――ダンテの両頬を掠めて空振った。
「あ、危ね〜、マジで殺す気じゃんかよ〜」
焦った様子のダンテに「チッ、事故を装ったというのに」と盛大な溜息を漏らしたノエル。
「装えてねーからな! 思い切り俺の目を見て『死ね』って言ってたからな」
声を張り上げるダンテだが、ノエルは「煩い。ワシらに寄るな触るな」そう言いながらノエルが鼻を鳴らして巨大な爪を付けたまま器用に腕を組んだ。
「だから
とダンテが嘆くが、それに応えてくれる人はいない。
戦闘時の
恐ろしいほどの人格変貌ぶりであるが、猫のような身のこなしと高い戦闘技術は、エレナでも舌を巻く実力者でもある。……すぐに誰彼構わず殺そうとしなければ、非常に優秀なのだろうが……それは無理なのだろう。
なんせ適合しているナノマシンが、【ジャック・ザ・リッパー】という殺人鬼の名前を貰ったモンスターなのだ。普段は眼帯で右目を覆うことで、その能力を押さえているらしいが、いざ戦闘になって眼帯を取るとこの惨状である。
「貴様。何故こんなところにいる? 貴様は中央の担当だろう?」
巨大な爪でダンテを指差すノエル。「それともワシに殺されに来たのか?」笑顔で爪をすり合わせる彼女に「違うって」、とダンテが引き攣った笑い顔を浮かべた。
「全員撤退命令だよ〜」
ダンテのその言葉にノエルが盛大に眉を寄せた。
「撤退だと? こんなに楽しくなってきているのにか?」
声を荒げるノエルだが、他のメンバーはこの異常事態に撤退の予想をしていたようで、ノエルの後ろでそれぞれが
そんな様子など何のその。ダンテに爪を向けて「ワシの楽しみを邪魔しにきたんだな」とノエルが顔を顰めた瞬間、
「はいはーい。ノエルも帰るよ」
その手をエメラルドグリーンをポニーテールにした女性が掴んだ。
「ちょっと待て。ワシはまだ――」
狼狽えるノエルに、「はいはい後で聞くからね」と女性がノエルの手から爪付きグローブを問答無用で取っ払い、別の女性が「帰らないと私達巻き込まれるからね」とノエルの右目を隠して残る一人に手招きをしている。
右目を隠され大人しくなったノエルに被せられる眼帯――急に大人しくなったノエルが「ご、ごごごごごごごごゴメンなさーーい」とダンテへジャンピング土下座。
漸くいつもの様子に戻ったノエルに「気にしなくて良いぜ〜」とダンテが座り込んで手を振った。
「あ。でも何だったらデートでも――」
ダンテがそう口走った瞬間、最初にノエルの右目を隠したアイスブルーでロングヘアの女性が「チラ」と眼帯をズラせば――
「その股の間にぶら下がってるもの……細切れにしてもいいならなぁ!」
ノエルが口の端を耳まで釣り上げて笑い声を上げた。
「じょ、冗談冗談。と、とりあえず先導するし、さっさと逃げようぜ〜」
ダンテが腰が退けたようにノエルたちから距離を取る。その様子に女性が眼帯の位置を戻してニヤリとした顔をダンテへ向けた。
「んじゃ、ノエル。撤退の合図いこうか」
「え、えええええ?」
驚いたノエルだが、女性たちは皆ノエルの言葉を待っているように優しげな笑顔を彼女に向けている。
「……じゃ、じゃあ……
ノエルの合図に「にっげろー」とポニーテールが笑顔と声を張り上げて、「ほらいくよ!」とノエルの手を取り、女性四人たちが姦しくその場を後にした。
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