第108話 仲間に脳筋がいると大変
「……くそ、信号が途絶えた……九−四三号が殺られるとは」
真っ白な空間で苛立たしげに机を叩くのは、白衣に身を包んだ老年の男性だ。年の頃は分からないが、曲がった腰と禿げ上がった頭は威厳や貫禄というよりも、不健康さを醸し出している。
「まあいい。あの男は殺した。それに変わりはまた作れば良い――」
そんな男性が振り返った先には、人がスッポリと入れる程巨大な試験管のようなものがいくつも並んでいる。どれもこれも、緑色の液体で満たされた試験管の中には、大小さまざまな人間らしき者の影が――
それを見上げる老人が、恍惚とした表情を浮かべた瞬間――パシュン――と扉が開く音が部屋に響いた。
「おいジジイ。リク知らねーか?」
ノックもなしに部屋に入ってきたのは――頭を掻きながら周囲を見渡すエリーだ。そんな彼女を見た老人の顔が急激に紅潮していく。
「き、ききき貴様! 研究室に入る前にはノックしろと何度も――グゥェ」
叫ぶ老人の両頬を掴み上げたエリーが、「誰に向かって指図してんだ」とその目を細めた。エリーから発せられる気配に老人の顔が見る間に青白くなっていく。
「いいか。隊長がどうしてもって言うから、オレはお前を殺さねーでいてやってんだ。別に腕の一本くらいもぎ取ってもいいんだぜ?」
そう笑いながらエリーが老人の顎を掴んだまま、反対の手で腕を掴み上げた。少しずつ込められていく力に、「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ」と老人が間抜けな悲鳴を部屋に響かせた。
その悲鳴に混じって響くのは、骨が砕ける音と肉の潰れる音。
ドサリと落とされた老人が「ほ、本当に潰す奴があるか……」と鼻水混じりの涙声をこぼせば、エリーがそれに「フン」と鼻を鳴らした。
「もぎ取ってはねーだろ」
とエリーが言いながら、拉げた腕のせいで投げ出された老人の掌を踏みつけた。再び響く骨の潰れる音を、「ぎゃああああ」と老人の悲鳴が掻き消した。
「腕が……手も……」
涙と鼻水を浮かべる老人を前に、屈み込んだエリーが
「そんくらい治せるだろ? 医療保険局の局長サマならよ」
獰猛な顔を近づければ、老人は「ヒッ」と声を漏らして後退った。
「そんでジジイ。リクは何処に行ったんだよ?」
眉を寄せるエリーに「リク? 九−四三号の事か」と老人が呟いた。瞬間その顎をエリーが再び掴み上げた。
「こらジジイ。次リクのこと九−四三号とかいうクソみてーな名前で呼んだら、この顎砕くぞ」
ミシミシとなる骨の音に老人は足をバタつかせて「わかった」と懇願する。
漸く開放された老人だが、当のリクは極秘任務と言う名の個人的な目的へ派遣した結果、それに殉じて死亡してしまっている。それを正直にエリーに言えばどうなるか……恐らくその瞬間老人の生は終わりを告げる事だけは間違いない。
いや、安らかな死など訪れないかもしれない。ありとあらゆる苦痛を与えられ……そう考えた老人が額に大粒の汗を浮かべた。
エリーは言っていた。「隊長がどうしてもというから」と。だが老人は知っている。このエリーと呼ばれる女は、その時が来たらあの隊長ですら言うことを聞かせられない女だという事を。
そしてそれを、「仕方がないな」と苦笑いで見守る隊長とマモと言う女の顔が、ありありと浮かんでいる。
隊長に上手く取り入り、持てる技術力を武器に、老人は今のところ彼の庇護下にある。だが、知っている。あの隊長と言う男は、老人が死んだら別の技術者に仕事を任せるだけだ。
こいつらはそういう集団だ。自分達以外の存在は、虫やゴミと同等としか思っていない、イカレた集団なのだ。
そのイカレ集団の中でも特にタチが悪いのが、今も「だからリクはどこだよ」と腕を組んでいるエリーという女だろう。
「リ、リクは今、……ち、調整中だ」
絞り出したその場しのぎに、「調整中ぅ?」とエリーが盛大に眉を寄せた。
「あ、ああ。少々問題があってな……」
目をそらす老人に、エリーが「問題ね……」と覗き込むように顔を近づけた。
「わ、分かったら出ていってくれ……ホムンクルスは……命を生み出すというのは繊細な仕事なんだ」
目を逸したまま早口で捲し立てる老人を、エリーが睨みつけながら溜息をついた。
「言われなくても出ていくぜ。こんな胸糞悪い場所」
立ち上がったエリーが老人に背を向ければ、老人が小さく安堵の溜息を漏らした。
開いた扉の脇に手をかけたエリーが「あ、そうだ」と思い出したように老人を振り返った。
「リクの調整とか言うのが終わったら、オレん所来いって言っとけよ」
振り返ったエリーの獰猛な笑顔に、「あ、ああ」と老人が引きつった笑みを返した。その顔を見たエリーが「フン」と鼻を鳴らして扉から出ていった。
扉の閉まる音を残して静寂に包まれた部屋――その中央で老人は無事な右手親指の爪を噛んでいた。
「……クソ、クソ……あの脳筋女め……」
ブツブツと呟く怨嗟の声は、時折巨大な試験管から漏れる「ポコポコ」という空気の音に掻き消されてあまり聞こえない。
「そもそもあの裏切り者が、私の最高傑作を持ち逃げしなければ、あんなイカレ集団の手を借りる必要も無かったというのに……」
ブツブツと呟く老人が「クソ、クソ」と怨嗟の声を繰り返し爪をかみ続けている。
「と、兎に角今は九−四三号の代わりを造らねば……」
老人がブツブツと呟きながら懐から出した
「まずは九−四四号の記憶を消去して……あとは、バックアップをとっていた九−四三号の記憶を――」
そう言いながら老人が机のコンソールを触るが、「っ痛」と左手に走った痛みに顔を歪めた。どうやら軽く動かせるくらいには回復したようだが。咄嗟に速く動かすにはまだ無理があるようだ。
仕方がないと首を振った老人がコンソールについたボタンをおした――コール音が響くこと数回
『はい――』
モニターの向こうに現れたのは、眼鏡を掛けた白衣姿の男性だ。
「私だ。ジョゼフだ……例の地下研究室に人を派遣してもらいたい」
それだけ言うと、ジョゼフは通信を切った。
痛むのだろう左腕を擦りながら、ジョゼフが立ち上がり、試験管の前に――
「今に見ていろ……私の研究を無駄だと言った連中も、そしてイカレた連中も……このホムンクルス軍団で、私は……私は――」
――曲線を描く試験管に映ったジョゼフの笑顔は、人のそれとは思えないほど醜く歪んでいた。
☆☆☆
「ユーリさーん! 早くしないと置いていきますよ?」
抜けるような青空の下、笑顔のカノンがユーリを振り返って手を振っている。
「……
そう言いながら浮かんでいたホログラムをユーリは閉じた。
少し足を速めて、前を行くカノンに追いついたユーリに、「何の連絡だったんですか?」とカノンが小首を傾げるが「何でもねぇよ」とユーリはそのアホ毛を弾いた。
「もしかして……リリアさんからの――」
とニマニマ笑顔を浮かべるカノンだが、その言葉に「バカか」と言うだけで、ユーリはそれ以上の反応を見せない。
そんないつもと違うユーリの様子に「ユーリさん?」とカノンが再び小首を傾げるが、ユーリはそれすら気付いていない。なんせ、今ユーリは気が気でないのだ。
先程まで見ていたのは、ヒョウからの連絡だった。
そこに書かれていたのは
能力開発局局長の事。
リクと名乗るホムンクルスの事。
そして……リクが扱った幻術の事。
複雑化していく事態に、正直こんな所で呑気に【軍】の使いっぱしりをしている場合ではないのでは……と思えて仕方がないのだ。
とは言え、あのヒョウが調べても今のところこれ以上の情報は難しそうだという。一応ホムンクルス方面で調べてくれるそうだが、ユーリに出来る事はない。なんせユーリは、こと情報収集という面においては、役立たずのポンコツであると言う事の自覚があるのだ。
基本的に尋問の途中で面倒になって殺してしまう。
潜入任務が殲滅任務に変わってしまう。
重要な証拠ごと街を吹き飛ばしてしまう。
確かにそれで良かった事だって何度もある。だが、やはり今は何より情報が欲しい。
であれば、今のところ出来るのは、大人しくハンター稼業に精を出し、自力を取り戻すという事だけだ。
それは分かっている。分かってはいるのだが……気になってしまうのも無理はない。
ボンヤリと空を見上げたユーリ――だが急に走った痛みに腹を抱えて背を曲げた。
横を見れば、「油断禁物ですよ」と拳を見せてニヤリと笑うカノンの姿。
どうやらカノンが、無防備なユーリの腹に拳を叩き込んだようだ。
「てンめぇ……急になにしやがんだ」
カノンの笑顔にユーリが盛大に眉を寄せるが、その隣でカノンは「チッチッチッ」とドヤ顔で指を振った。
「良かったですね。今の攻撃が私の冗談で」
呆れた笑顔を見せるカノンが、「切替えられました?」と続けた。その言葉に「チッ」と舌打ちをもらしたユーリがバツが悪そうに頭を掻いた。
「お陰様で」
頬をふくらませるユーリだが、カノンの言いたいことは痛いほど分かっている。実際荒野において上の空というのは褒められた物ではない。勿論ユーリならモンスターの接近を見落とすという事はないだろうが、それでもカノンの攻撃は避けられなかったのも事実だ。
「乙女が隣にいる状態で、他の女性のことを考えるのはダメダメですよ」
ニヤニヤと笑うカノンに、「どこに乙女がいるんだよ」とユーリが馬鹿にするような笑顔を浮かべた。
「ムッカー! ここにいるじゃないですか! 可憐な乙女が」
口を尖らせるカノンがグルグルと腕を回すが、その頭をユーリが押さえつけた。
「はいはい。乙女乙女」
笑うユーリに「何かテキトーじゃありません?」と更にカノンが口を尖らせた。
上の空は褒められた物ではないが、二人の騒ぎようもまた褒められた物ではない――その証拠に……
「お前が騒ぐから、団体さんが来たじゃねぇか」
「ユーリさんにも一因がありますけど?」
頭を押さえつけるユーリと、押さえつけられるカノンの目の前には、何処から現れたのか、無数の植物型モンスター。
「目的地に行く前に絡まれるとか……」
ボヤいたユーリが近くにあった瓦礫を掴んで放り投げた。
「ソッコーで叩くぞ。遅れたらエレナにどやされる」
「了解であります!」
何の打ち合わせもなく二人してモンスターの群れへと突っ込んだ。
抜けるような青空の下、時折響く爆発音に混じって、「てめ、危ねぇだろ!」とか「バカ、コッチ来んな――ああああ」とか言うユーリの声が響いていた。
※話が結構複雑化してるので、近況ノートに今の所分かってる内容を纏めた物を貼り付け予定です。(公開後に近況ノートもアップします)
スライドシートで上手く作れなかったので、手書きで申し訳ないですが……。ちょっと話を纏めたい、という方はご一瞥ください。
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