第107話 境界線はいつも曖昧

 警報が鳴り響く住宅街。その屋根の上をヒョウは駆けている――リクと名乗った青年を追う形で。


 サーチライトを掻い潜り、屋根の上を滑るヒョウに放られるのは、リクがクロヴィスを突き殺した剣だ。


 スライディングのままのヒョウが、それをキャッチ。立ち上がると同時にリクの背中へと放り返した。


 返ってきた刃にリクが一瞬驚いたような表情を返すものの、それを腕で払う――周囲に響いたは、地面に落ちた刃の音と共に「あそこだ!」と敵をおびき寄せる羽目に。


みたいな事せんといてくれや」


 そんな事態にヒョウは呆れ顔で眉を寄せた。身のこなしは中々。反応もまあ……あの二人組に比べれば悪くはない。だが、逃走中にわざわざ大きな物音を立てた所はいただけない。


 どうやらリクも先程のは悪手だと理解したのか、はたまた逃げながらヒョウをどうにか出来ないと踏んだのか。兎に角今は、追いかけてくる警報と怒声を引き離すように、ただ前だけを向いてその足を更に速めていた。


 屋根の上を飛び、滑り、駆け、途中で方向転換して川を超えた。遠くなる警報を背に、巨大な森林公園を突っ切り、二人が辿り着いたのは――巨大なビル群の一角、その屋上だった。


 旧時代にラ・デファンスと呼ばれたパリ近郊の都市開発地区は、この時代でも様々なメーカーの本社ビルが鎬を削る、立派な開発地区だ。


 昼はオフィス街として賑やかな街だが、既に日が落ちた今はゴーストタウンの如く静かだ。遠くに聞こえる警報とサーチライトだけが、この暗く不気味な空間を現実世界に留めてくれている。


「鬼ごっこは終わりかいな?」


 風に前髪を靡かせるヒョウの目の前で、「思ったよりしつこいからな」と無表情のリクが振り返った。


「色々聞きたい事があるし、しゃーないやろ」


 肩を竦めたヒョウが、「僕かて追いかけるなら、綺麗なネーチャンがエエわ」とケラケラと笑った。


 そんなヒョウを見つめるリクは、対照的に無表情のままだ。冗談の通じなそうな雰囲気に、ヒョウは小さく溜息をついて少しだけ顔を引き締めた。


 事実聞きたいことはいくつかある。


 そもそも何故ヒョウの能力が効かないのか。

 何故クロヴィスを殺しに来たのか。

 幻覚を見せた能力はリクのものなのか。

 そして、もちろん――


「情報源奪われたんや……せめて【八咫烏】の情報くらい吐いてもらうで」


 首を鳴らし、いつになく表情を引き締めたヒョウを前に、リクは無言のまま腰を落とした。


 まるでユーリのようなその構えに、「結構サマになっとるやん」とヒョウが笑顔を浮かべた瞬間――屋上の一部が弾けてリクがその姿を消した。


 ヒョウの真後ろに現れたリク。

 真上から叩きつけるような拳がヒョウの脳天に吸い込まれ――たかに見えた瞬間、リクが顔面を仰け反らせて後ろに吹き飛んだ。


 リクの振り下ろしを僅かに開いた体で躱したヒョウのカウンター。

 下がってきたリクの頭に合わせて、左で裏拳を叩き込んでいた。


 右手で口元を覆うリク。


 その指の間から滴る血が、屋上を吹き抜ける風に流されていく。


 リクの目の前で、ヒョウは相変わらず背を向けたまま――ゆっくりと振り返るヒョウに、リクが半歩後退った。


「話す気になったか?」


 ヒョウはリクへ呆れ顔を向けるが、相手の目は相変わらず何の色も映していない。


 恐怖も

 怒りも

 憎しみも


 こと戦闘において、人々が宿すであろう色を映さない瞳は、長年戦いの中に身を置いてきたヒョウをしても不気味に見える。


 そんなリクを前に、ヒョウのゲートから飛び出した刀が鍔鳴りの音を響かせた。


 耳鳴りのような甲高い音が周囲に響き渡れば、景色にヒビが入りガラガラと崩れてくる――幻術を斬り裂いたヒョウの瞳には、崩れ去るそれの向こう側で、初めて驚いたように目を見開いているリクが映っていた。


「使うって分かっとる幻術にかかるほど、落ちとらんわ」


 ヒョウが笑顔を見せて、「どうや? 話す気なったか?」と鞘に収めたままの刀で肩を叩けば


「話すことなど――」


 再び姿を消したリクが、今度はヒョウの目の前に。


「――ない!」


 叫びながら突き出された右の貫手。

 それをヒョウが僅かに首を傾けるだけで回避。

 それと同時に腹に右拳を叩き込んだ。


 再び吹き飛ぶリクだが、ヒョウは怪訝そうな顔で自身の右拳を見つめている。


自分お前……剣弾いた腕もそうやったけど、エライ?」


 ヒョウの言葉に、リクがニヤリと口角を上げて再び突進。


 再び突き出されたリクの貫手。

 今度はそれをヒョウの右腕が掴み取った。


 ヒョウの額ギリギリの位置で掴まれたリクの右腕。

 プルプルと震えるその腕は――


「まさかやとは」


 ――ヒョウの苦笑いが示す通り、刃の様に変質していた。


 色こそ肌色だが、剣のように尖った腕が、今もヒョウの額を貫かんとプルプルと震え――その瞬間、ヒョウが慌てたように身体ごと頭を倒した。


 ヒョウの蟀谷こめかみを掠めたのは、伸びたリクの腕だ。


 倒れ込むように右手をついたヒョウ。

 体勢が崩れたヒョウ――に向けてリクが伸ばした腕を薙いだ。

 その瞬間リクの顎が跳ね上がった。


 右手で身体を支えたヒョウの左膝が、完全死角の真下からリクの顎を跳ね上げたのだ。


 仰け反った事で空を切るリクの横薙ぎ。

 左膝を叩き込んだヒョウは、側転の要領で鞘を握ったままの左手も地面に。

 倒立状態のヒョウが旋回すれば、仰け反っていたリクの顔面をヒョウの右足が強かに叩いて吹き飛ばした。


 ゴロゴロと屋上を転がったリクが、跳ね起きるとともに再び突進。


 高速で繰り出されたリクの横薙ぎを――「鬱陶しいし」――とヒョウの刀が斬り飛ばした。


 肩口から流れ出る血を抑えるリク。

 落ちてきた腕を掴むヒョウ。


「……身体の変質に、感じひん痛み。それに僕の能力が効かへん、と――」


 呟くヒョウがリクに腕を放り投げた。それを受け止めたリクは無言でヒョウを見ている。


「自分、どれだけ?」


 ヒョウの呆れ顔に、無表情のままで「イジる? 何のことだ」とリクが腕をゲートの中に放り込んだ。


「俺は生まれてからこうだ――」


 そう言いながらリクが再び腰を落とした。


 リクの放った「生まれてからずっと」という発言に、ヒョウは眉を寄せている。生まれつき痛みを感じない人がいると聞いたことはある。だが、生まれつき身体を硬質化させたり出来る人間など聞いたことがない。


 そんな事が出来れば、それは生まれついての能力者――


 そこまで思ったヒョウが乾いた笑い声を上げながら「まさか」と呟いた。


「まさか自分、人に造られた存在とか言わへんよな?」


 声が上ずってしまったヒョウに「」とリクは相変わらず淡々とした様子で答えた。


「俺の名前は実験体九−四三号。リクという名前も【八咫烏】の第九席の座も、が用意してくれた物だ」


 一際強い風が、リクの銀髪とヒョウの金髪をサラサラと風に揺らす。


 訪れた沈黙に、思い出したかのような警報が遥か遠くから響いてくる――固まったまま動かないヒョウが「」と呟いた言葉にリクが眉根を寄せた瞬間――今度はリクの左腕が吹き飛んだ。


 何の前兆もなく吹き飛んだ自身の左腕に、「え?」とリクが初めて困惑した声を漏らす。そしてその声とほぼ同時に、リクの視界がガクンと下がって地面へと落ちた。


 リクの視界に映っているのは、いつの間に斬られたのだろう、真っ直ぐに立つ己の両足だ。両足ですら斬られたことを気が付かぬように、未だ真っ直ぐ立ち続けるその剣技に、リクはここに来て初めて「すごいな」と感嘆の声と笑顔を見せた。


「すまんな。聞きたい事が増えたさかい……ちょっと大人ししてもらう形になったわ」


 地面に倒れ伏すリクへヒョウが一歩一歩近づく。


「答えられない……そう言ったら?」

「そん時は、


 リクが上げた顔の先には、月明かりを受ける獰猛なヒョウの顔があった。


「まず、自分以外に人造人間は居るんか?」

「ノーコメント。ちなみにと呼ばれてるがな」


 笑顔で応えるリクに、ヒョウは聞こえないように「チッ」と舌打ちをもらした。先程自分のことを「実験体」と称していた事から、他にも人造人間が居ることは間違いない。その分かりきった質問ですらノーコメントという事は、恐らく続く全ての質問にも答えてくれない可能性が高い。


 とは言え焦る姿を見せる訳にはいかない。仕方がないという具合に溜息をついて「ほな質問を変えるわ」と話を仕切り直すことにした。


「何でクロヴィスのオッサンを殺した?」

「そういう任務だからだ」


 そう応えるリクの瞳に嘘は見えない。任務……つまりそれ以外は知らないとでも言いたげなリクの表情にヒョウは溜息をついた。


「その任務は勿論【八咫烏】の任務やな?」


 クロヴィスを殺すことが、【八咫烏】にとって何らかの利益をもたらす……ならば、その線から洗っていこうというヒョウの思惑だが、意外にも目の前のリクは言葉に困っているのか、一瞬だけ視線を泳がせていた。


「……ノーコメントだ」


 その間がヒョウに微妙な違和感を植え付けた。どうもクロヴィス殺しと【八咫烏】は微妙にズレている気がしている。


 とは言え、そこに確信はない。確信はないが、もしかしたら突っつけば出てくるかもしれない。と、始めにした質問の形を変えてみる事にした。


「自分ホムンクルスを造っとるんは、【八咫烏】の連中か?」

「ノーコメント……と言いたい所だが、実際は微妙なラインだ」


 まさかの反応に、ヒョウは「微妙なライン」と若干身体を前のめりにした。


「それ以上は答えられない」


 そんなヒョウにリクが笑顔を見せた。それは既に死を覚悟している者の顔であり、仲間を守るという決意に満ちた笑顔だ。


 これ以上その事については話すつもりはない。そんなリクを前にヒョウは「まあ、」ともう一度溜息をついた。


「強がりか?」


 そんなヒョウに眉を寄せるリクに、ヒョウ自身少しだけ好感が湧いている。死に臨んで初めて彼に人間らしさが現れているからだろう。


「アホ。なんで男の前で強がらなアカンねん。強がるんなら綺麗なネーチャンの前だけや」


 そう言って「シッシッ」と手を振るヒョウに、リクは更に眉を寄せた。


「任務についての微妙な沈黙と、自分がさっき言うた『微妙なライン』……つまり【八咫烏】には協力者がいて、自分らを造ったんはその協力者って所や」


 腰を下ろして話し始めたヒョウが「ちなみに任務も協力者経由やな」と笑えば、リクは驚いた様に目を見開いた。


「ほんで、自分がそれを僕に話したって事は、自分は協力者より【八咫烏】の連中に義理を果たしたい……そんなところやろ」


 言い切ったヒョウだが、リクが協力者からの任務において、【八咫烏】を名乗った部分にも、彼の【八咫烏】ひいては師匠への憧憬を感じていた。あの名乗りは彼なりに【八咫烏】という組織に所属している、自分は彼らの仲間だ、という自己防衛のようなものなのだろう。


 そう思えば人間味の無かったリクが人間らしく見えてくるから不思議なもので、「ちなみに『自分ホムンクルス』を否定せんかった時点で、にも答えてんで」と感情を突きたくてケラケラと笑い声を上げてしまった。


「狡い男だ」


 不意打ちのように引き出された失言に、リクが顔を顰めて口を尖らせた。


「アホ。処世術の一つや」


 そう言いながらリクの頭を叩いたヒョウが「クロヴィスのオッサンよかやり易かったで」ともう一度笑った。その笑い声にリクが更に頬を膨らませて顔を逸した。


 吹き抜ける風が二人の前髪を再び揺らす――


「さて……これ以上は自分の身体が保たんやろ」


 膝を叩いてヒョウが立ち上がり、鞘から刀を抜いた。月明かりに照らされる刀身を眺めるリクが「綺麗だ……」とポツリと呟いた。


「最後に一個だけ……その幻術の力――?」


 先程までのヒョウとは一転して、周囲が凍りつくほどの殺気にリクの瞳に初めて光が宿った――「師匠……」呟いた彼の瞳は、目の前のヒョウではなく誰か別の人物を見ているようだ。


「その師匠やら言う奴が持ってきたんか?」


 ヒョウの凍りつきそうな気配に、リクは強く首を振った。


「知らない。ただ……


 真っ直ぐなリクの瞳に「そうか」とだけ答えたヒョウが刀を振り上げた。


「最後にもう一度だけ、名前を聞いとこか」


 煌めく刃の光を顔に受けたリクが「フフッ」と笑って口を開いた。


「俺は……俺の名前はリク。【のリクだ」


 その言葉を聞き届けたヒョウの刀が閃いた。切り落とされたリクの首が床に転がり、残った身体は一瞬で風に消える程細切れに――


 吹き抜ける風が、濃厚な血の臭いを掻き消していく中、屋上の上にはいつのまにか誰も居なくなっていた。


 呑気な警報が、遠くでいつまでも鳴り響いていた。

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