第106話 あと一歩は大体遠い
※こんな時に更新するか迷いましたが、こんな時こそ物語でも読んで明日への活力を……と思い更新しております。被災された方々の無事と一日でも早い日常への復帰をお祈り申し上げます。
☆☆☆
薄暗い部屋に響いたヒョウの言葉に、クロヴィスが逆に眉を寄せて口を開いた。
「知ってるかだと? 当たり前だろう」
まさか能力の影響でなく、本当に知っているとは……。あまりの事態に、ヒョウが思わず「知ってるって、ユーリ君たちのことも?」と口走ってしまったのも仕方がないだろう。今まで似たような事があったとしても、それは殆どヒョウの能力のせいだった、などという事が多かったのだ。
故に、ユーリの事も知っているか。と確認してしまったのは、ヒョウにとってある種の条件反射に近いかもしれない。
「ユーリくん? ユーリ・ナルカミの事か? もちろん知っているとも。お前の事も、そしてお前らの事も――」
その顔には「何故知らないとでも?」と書いてあるようで、ヒョウは一瞬混乱していた頭を直ぐに切替えた。
なんせヒョウは目の前の男の顔など知らないが、相手は自分の事を知っているのだ。しかも、ヒョウだけではないと言う。つまりそれはヒョウやユーリの失われた記憶に、この男が関わっている事を示している。
どうしても分からなかった記憶の鍵が、思わぬところから転がってきた。
喜ぶべき事だがそれに気がつくと同時に、先程の自分が発した間抜けな発言を後悔していた。なんせそれは相手の事を知らない、という情報にほかならないからだ。事実今も「覚えていない……のか」とクロヴィスは目の前でブツブツ呟いているのだ。
その状況にヒョウがしまったと思うが、時既に遅しだ。相手に自分が知らないという情報を与えてしまった。これは相手がカードを切るに当たって、大きなアドバンテージになる。それをクロヴィスも十分理解しているようで――「知っているとも」とニヤリと口角を上げた。
「ユーリ・ナルカミ、ヒョウ・ミナモト、トーマ・オオタケ、リンコ・サトウ――」
仲間の名前を呼び出したクロヴィスに、ヒョウは苦虫を噛み潰したように舌打ちをこぼした。
クロヴィスの口から聞かされた仲間達の名前に、久々に耳にした彼らの名前に、この場に仲間がいたら……と思わずにはいられない。かつての仲間の中には相手を籠絡する事に長けた人間もいたし、何よりリンコのように心を読むという文字通りチートな人間もいたのだ。
……もちろんユーリのように「面倒くせぇし、腕の一本くらい千切ろうぜ」と言う脳筋もいた……ユーリともう一人。その二人に任せるのはもちろん駄目だが、マイナススタートのこの状況を覆すには、今は亡き彼らに頼りたいと思ってしまうのも無理はない。
「こいつは傑作だ。まさか記憶がないとは……もしかしてお前以外の奴らもそうなのか?」
クロヴィスに先手を取られてしまったが、どうやらボロを出したのは向こうも同じようだ。クロヴィスはヒョウとユーリ以外が死んだと言う事を知らないらしい。
これは手札になる…そう思ったヒョウだが、その上がりそうになった口角を抑え込んだ。
なんせ……先程ヒョウを見た時の驚きようは、まるで死人を見たかのようだったから。つまり、相手はヒョウ達が全員死んだと思っていた可能性が高い。
つまり、この質問の意図は指し手をミスしたフリをして、こちらの情報を引き出そうとしているのだ。
なんとも狡い真似を……そう思ったヒョウがトボけたように口を開いた。
「誰かさんが起こした事故のせいで覚えてへんねん」
肩を竦めるヒョウの発言に「ほう?」とクロヴィスが片眉を上げた。どうやらヒョウが質問の意図を理解して誤魔化した事に、感嘆の声をあげたようだ。
ただ同時にカマを掛けた事にも気づかれたらしく、「事故とは何のことかな」と白々しく肩を竦められてしまった。
もちろんヒョウは、あの事故にクロヴィスが関わっているかなど知らない。ただあそこに近づく以上、何かしらの事情を知っているだろう。とは思っていたが、まさか場所だけではなくヒョウ達の事を知っているのだ。
素知らぬ振りをしているが、十中八九クロなのは間違いない。
近づくなと警告をしに来たつもりが、核心に迫るとは。なるべく多くを吐かせたい。
さて、どうしたものかと悩むヒョウの目の前で、クロヴィスは「それで? 今更何の用だ」と眉を寄せてヒョウを睨んでいる。
「何の用…何の用な……」
今はなるべく情報が欲しい。どれだけ情報を聞き出せるか分からないが、出来るところまではやってみるか、とヒョウが口を開いた。
「あんさんが派遣した二人組おったやろ?」
口を開いたヒョウは、ついさっき迄の険しい表情は何処へやら。いつものようにヘラヘラと余裕そうな笑みでクロヴィスとの間を一歩詰めた。
まずは様子見のジャブだ。相手があそこに人を派遣した事を知っている。……つまりお前があそこの事故に関わっていると知っているぞ。という脅しにも似たカードを切った。
「……知らんな」
そんなヒョウから一歩離れるクロヴィス。
「嘘ついたらアカンやん」
笑顔のヒョウが
その様子に流石の腹芸だ、とヒョウは感心したように「へぇ」と笑うが、わずかに滲む殺気が部屋の空気を張り詰めさせた。
「嘘つきは閻魔様に舌抜かれるんやで?」
笑うヒョウが手に持っていた二つの首を地面に転がした。コロコロと転がり、クロヴィスの足下で止まったそれに、流石のクロヴィスも小さく息を漏らした。
「あんさんが差し向けた二人……こないなりたいなら…話は別やけど?」
ヒョウから発せられる殺気に、クロヴィスの頬を汗が伝う。冷や汗を浮かべるクロヴィスが大きく深呼吸――その口角を僅かに上げた。
「私を殺すか? お前の知りたい情報を持っているこの私を?」
クロヴィスは勝ち誇ったような表情で、それでも少しずつ距離を取るように執務机の向こう側へ回り込んだ。
「僕が知りたい情報? まだあんさんには何も言うてへんのにか?」
呆れたように肩を竦めるヒョウ。事実ヒョウの言う通り、彼はまだクロヴィスに何も言っていない。ただ「お前の派遣した二人組」と「こうなりたくないだろ」という二つだけだ。
だがそんなヒョウの反応など気にしない、と言った具合にクロヴィスが冷や汗を浮かべたまま笑みを浮かべた。
「何も言わずとも分かるとも……お前は私の持っている全ての情報を欲していると」
口を開いたクロヴィスに、ヒョウは気づかれないように舌打ちを漏らした。……確かに今思い返してみると、後半部分は言外に「お前の知っている事を嘘なく話せ」と含ませ過ぎていた。
能力を理由にコミュニケーションスキルの向上を疎かにしていたツケか。それとも仲間に任せっきりにしていたツケか。どちらか分からないが、兎も角こうも大事な部分で顔を出すとは
焦るあまり要らぬ事まで口走った形だ。
いや、慣れない尋問と、脅しを同時にやろうとした事が失敗だったのだが、後悔先立たずという奴だ。
勿論それに気がつくあたり、クロヴィスと言う男が海千山千の政治屋であることは言うまでもない。
とは言え相手の額に浮かぶ冷や汗から、クロヴィスも綱渡りな状況である事は間違いない。なんせ、ヒョウの気分次第でその首が飛ぶ事だけは確実なのだ。自分が派遣した凄腕の首二つが、ヒョウとクロヴィスの間に横たわる、決して超えられない実力差というものを物語っているからだ。
お互いが様子見のこの状況、そして
――もう面倒クセーし、腕の一本でも切り落とそうぜ?
――いや、顔がムカつくし殺しちまおう。
……とヒョウの知る二人の脳筋が囁いているのだ。因みに二人目がユーリだ。特にあの事故以来、何かあるとすぐ「殺したほうが早い」と言う幼なじみだが、それが実際に二人を救って来た事も事実だ。
誰にも媚びへつらわず、この世界で、仲間に恥じぬように胸を張って生きていく。
そう心に決めて生きる二人だが、最初は記憶も寄る辺も全くなかった。相手の方が様々な面でアドバンテージを持っている状況で、ユーリの思い切りの良さは何度も二人を救ってきた。
確かに脳内ユーリの言う通り面倒くさい。相手の方が上手なうえ、こちらの手札が少なすぎる。
溜息の出るようなこの状況…ユーリならどうするだろうか。
自分達の知りたい情報が今目の前にある。だが、その主導権を握られた状態で――
「面倒やな。話すまで斬り刻んだほうが早いわ」
――思わず口をついて出たヒョウの言葉に、クロヴィスが分かりやすく狼狽えた。脳内ユーリと、冷静なヒョウの折衷案だが、面倒さが勝ったヒョウのユーリ寄りの発言だ。
因みにユーリ寄りの発言だが、脳内では今もユーリが「いやいや。殺っちまった方が早えよ」と口を尖らせている。そんなユーリに引っ張られそうな心をヒョウは頑張って押さえつけた。
「……脅したって無駄だ」
クロヴィスが息をのむが、ヒョウはその言葉を無視して
「いんや。脅しやないわ。面倒やしな……ただ――」
スラリと抜かれた刀が窓から差し込む月光を浴びて怪しく輝く。
「――あんま我慢すると、話す前に死んでまうから早めに話してや」
切っ先を突きつけたヒョウがニヤリと笑った――その瞬間、屋敷中のいや、街中の警報がけたたましく鳴り響いた。
その警報にクロヴィスが一瞬だけ眉を寄せたが、何かを思いついたように――
「こ、ここだ! ここに不審者――ッグ」
声を張り上げたクロヴィスが喉を抑えて蹲り、それを成し遂げたヒョウが刀を仕舞いながら眉を寄せた。
「……僕以外にも侵入者……」
ヒョウが呟いた通り、警報を鳴らしたのはクロヴィスでない事だけは確かだ。鳴り響いた瞬間の驚いたような表情から、クロヴィス自身が鳴らした物ではない。そして今も街中から響いてくる警報は、間違いなく何処かの馬鹿が無理やりこの街区に侵入した証拠だろう。
「どこの誰か分からんけど、面倒な事――」
ヒョウが呆れた溜息を漏らした時、目の端でクロヴィスの身体が動いたような……その首に視線を向けた瞬間、弾かれたようにクロヴィスが襲いかかってきた。
驚きつつもその顔面を殴り飛ばしたヒョウが、「スマンけど男に抱きつかれても嬉しないで?」と苦笑いで刀を再び抜いた。
ヒョウに殴り飛ばされたクロヴィスの本体は壁にめり込んだ……が、まるで出来の悪いホラーのように壁の中からながら立ち上がってきた――確実に折れたはずの背骨のせいで、グニャグニャと曲がった身体が「ゴキンゴキン」と不気味な音を立てながら真っ直ぐに。
そんなクロヴィスの腕をヒョウが斬り飛ばす――折れたくらいで戻るとしても、流石に斬り落とせば……そう思うヒョウの目の前で、至る所から血を滴らせるクロヴィスが、床に落ちていた己の腕を拾い上げて無理やり肩に押し当てた。
気持ちの悪い音と共にくっついていくクロヴィスの腕に、ヒョウが「出来の悪いホラーやん」と乾いた笑い声を上げた。
その声に反応するようにクロヴィスが唸り声を上げて飛びかかる。
「こないな情報は聞いてへんで」
そう言いながらもヒョウが刀を翻せば、一瞬でクロヴィスの死体が細切れに――なったそれが再び結合し始めて、クロヴィスを形成していく。
ヒョウが何度斬り刻んでも、クロヴィスはその度に立ち上がり、そしてヒョウに向けて襲いかかってくる。始めは大したことのなかったそれが、今やヒョウでも目を剥くほどの疾さと強さで襲いかかってくるのだ。
「しつこいやっちゃな!」
流石のヒョウでも笑えない。そんな状態で何度目になるかクロヴィスを斬り刻んだ瞬間、ヒョウは違和感に気がついた。
これだけ暴れているのに誰もこの部屋に近づかない。それどころか先程から警報が――それに気がついた瞬間、ヒョウは刀の鎬に己の瞳を映し出し、瞳に力を込めて自身を強く睨みつけた。
刀の向こうでクロヴィスがまた立ち上がり、ヒョウを殴らんとその腕を振り上げ――る風景に僅かにヒビが入った。それでもなおヒョウは鎬に映った己の瞳に全神経を集中させる――風景が歪み、全てにヒビが入りついにはガラスが割れるような音とともに砕けて粉々になった。
「くそ、やっぱ幻術かいな。油断しとった……」
呟いたヒョウの耳には鳴り響く警報が、そして目の前には倒れ伏すクロヴィスと――
「んで、あんさんは誰や?」
――その頭に剣を突き立てる、見たことがない青年が一人立っていた。
「俺か? 俺はリク。【八咫烏】第九席のリクだ」
覇気のない瞳と抑揚のない声。その青年を前にした
「何で八咫烏やのに、九人目がおるねん」
ヒョウの呆れたようなツッコミは、今も鳴り響く警報に掻き消されていった。
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