第93話 何事も程々が一番(パート2)

 凛とした声に視線を向けると、そこには一人の女性が立っていた。

 ユーリ達を囲む軍人同様の軍服に身を包んだ女性。唯一彼らと違うのは、軍帽は被らず軍服の上、肩から黒いコートを羽織っていることだろうか。


 ハーフアップにされた長い髪の毛は黄みがかった橙色。今はきつく睨みつけられている瞳は、金糸雀カナリアを思わせるような鮮やかな黄色で、長い睫毛と形のいい眉がその瞳の美しさを引き立てている。

 高く通った鼻筋も、形の良い唇も、何もかもが今は怒りに彩られているのに、女性の美しさは微塵も損なわれてはいない。


「もう一度聞くぞ。貴様ら、こんな所で何をしている?」


 女性が再び口を開くと、固まっていた軍人達が慌てて敬礼を取った。


「は、我々は不用意に施設に近づこうとしていた民間人へ警告を行っておりました!」


 敬礼姿のまま直立不動で声を張り上げる軍人達を前に、ダンテが「っちゃ〜。が来ちゃったぜ〜」と面倒そうな表情を隠さず肩を落とした。


「そうか……」


 軍人たちの報告にそれだけ応えた女性が、次にユーリとダンテ、そしてカノンへと視線を向けた。


「貴様らはここで何をしている?」

「はあ? ポッとでのくせにエラソ――ムグ」

「猫探しだぜ〜。上層のからの依頼でな」


 ダンテが口を開いたユーリを抑え込んだまま、「依頼書、見るかい?」と女性に笑いかけた。何とかユーリの口の悪さを誤魔化さないと、そして一刻も早くここを離れないと、確実にユーリが爆弾を落とす。……それも超特大の。


「猫? 依頼? ……ああ、成程。か……」


 ユーリ達に興味を無くしたような女性が、「おい」と軍人の中の一人に声をかけた。


「この連中に代わって、猫とやらを捕まえてきてやれ」


「は!」


 声をかけられた一人がそのまま回れ右――ダンテに向けて「猫はどこだ?」と高圧的に話しかけてきた。


「あそこだぜ〜」


 そんな態度など気にしていない。とばかりにダンテが奥に見える壁の上を指差せば、「成程……猫だな」と軍人が呟いて、一気に駆け出し壁を蹴って上まで登りきった。


 呑気に日向ぼっこをしていた猫が、異変に気が付き慌てて駆け出そうとするも、軍人の方が一足早く、逃亡を図ろうとした猫は一瞬で彼の腕の中へ。


 それでも逃げようと暴れ続ける猫に、軍人が顔を顰めながらも壁を駆け下りてくる。


 暴れる猫の首根っこを引っ掴み、「ほら」とダンテに突き出してくる彼は、この猫が一〇〇万もすると知っているのだろうか。とは言え、これで無事に猫の捕獲も終わったとばかりに、ダンテは「助かったぜ〜」と笑顔を向けて猫を受け取った。


「これで用は済んだだろう? 早くここから立ち去るのだな」


 そう言いながら背中を見せる女性に、「へいへーい。退散しますよ〜」とダンテが笑顔を浮かべた瞬間


「おい、マント野郎。何しゃしゃり出てきて勝手に話を纏めてんだよ」


 ユーリが爆弾を落とした。


 一瞬で凍る現場の雰囲気。


 ダンテは油断していた。既に目的を達したから。先程までユーリが借りてきた猫のように大人しかったから。ここを離れるという事に意識を割きすぎて、大人しいユーリが異常だと言う事を失念していたのだ。いや、付き合いが短すぎて、ユーリという男の本質を捉えきれていなかった、と言えるかもしれない。


 兎に角どれだけ言い訳を並べても、ユーリが爆弾を落とした事には変わらない。


 だが、ここでダンテは異変を察知した。女性の前でこちらを見ていた軍人たちが、いやに大人しいのだ。いや、大人しいと言うより黙ったままというのが正しいか。


 よくよく見ると、軍人たちも驚き目を見開いてはいるが、ユーリと女性を交互に見比べるだけだ。

 ダンテの頭が高速で回転する。彼らが言葉を発しない理由――恐らくここで声を荒げれば、自分たちも上官を「マント野郎」と認識していると暴露する事になるので、敢えて言葉を控えているのだろう。


 つまり、まだ場の空気はマント野郎=女性と確定してはいない。


 そんな軍人たちの反応に、ダンテはまだ逃げ道があると――


「いや、悪いねえ〜。いつも俺がマントつけてるから――」

「おい、何とか言えのマント野郎」


 その逃げ道にユーリが再び爆弾を放り投げる――吹き飛んだ逃げ道に、ダンテは頬をヒクつかせた。


「……マント野郎? それはもしかして私に言っているのか?」


 ゆっくりと振り返った女性の顔は、笑顔だが先程よりも異様に圧を感じるのだ。二つの爆風が彼女の下まで届いた事だけは間違いない。彼女の放つ圧力に、先程まで暴れ倒していたですら大人しくなっているというのに――


「お前以外誰がマントつけてんだよ。目ぇ腐ってんの――ムグ」

「どららっっしゃーーいい」


 奇声とともにユーリの口を抑えたダンテは、次の爆弾は阻止できたと思いたい。美人の前でこんなにも情けない声と姿を晒しておきながら、目的が達成できていないとなれば――


「誰の目が腐ってると?」


 ――無理だった。


「お前だお前。耳も腐ってんのか?」


 完全にアウトな状況なのに、ニヤニヤと笑うユーリに「もう嫌。何なのこの子」とダンテが何故か女性のような言葉で猫を抱きしめながらしゃがみ込んだ。


「……ダンテさん。これがユーリさんです」


 そんなダンテの肩を叩くのはカノンだ。


「カノンは何でそんなに落ち着いてんだよ〜」


 顔を上げたダンテに突き刺さるのは、カノンのキョトンとした顔と残酷な言葉だった。


「え? だってユーリさんですからね。まあ軍と揉めるだろうな、とは思ってましたので」


 最初から分かっていた。そう言いたげなカノンに、「なら上なんかに来るなよ〜」とダンテの嘆きは止まらない。長い毛の合間から見える猫の瞳にすら、同情が浮かんでいるように見えるから不思議である。


 そんな盛り上がる二人を他所に、こちらの二人は静かに視線を交わらせている。


「テメェんところのバカが、いきなり撃ってきやがったんだ。せめて詫び入れんのが筋だろ」


 笑うユーリが軍人たちを顎でシャクれば、女性が軍人たちへと視線を投げた。その視線が発言の許可と理解した一人が口を開く。


「こ、こやつらが許可なく猛スピードでここへ近づいていました故――」


 男の言葉に小さく溜息をついた女性が「だ、そうだが?」とユーリに向けて眉を寄せた。


「貴様のような土竜モグラは知らないだろうが、都会うえではそう言った慣習があってな」


 勝ち誇ったように笑う女性に「おお、そうらしいな。さっき聞いたぜ……」一旦同意を見せておきながら、その笑顔を悪いものに変えてみせた。


わりぃが、テメェらのローカルルールなんて、俺みたいなシティー派は知らねぇんだよ……」


 ユーリの煽りに、「やま、山猿?!」と女性の顔面温度が一気に急上昇した。


「本当の都会ではよ……『警告なく撃ってくる野郎は殺してオッケー』ってルールが主流でよ――」


 女性を前にフザけた表情をしていたユーリの顔が、一気に剣呑な雰囲気に――


「とは言え、お互い知らない者同士……じゃねぇか」


 そんなユーリの表情に、女性も心を落ち着かせるように小さく息を吐いて口を開いた。


「貴様のルールに…だと? フザケているのか?」


「フザケてねぇよ。大真面目だ」


 そう言ったユーリが首を鳴らす――


「テメェらは。なら俺も?」


 ――ユーリの見せる獰猛な笑みは、軍人達に「こ、こいつ――」と思わず上官との会話に割り込ませてしまう程の迫力だ。


「馬鹿馬鹿しい。そんな慣習など聞いたこともない――」


 獰猛な笑みのユーリを前に、女性は視線を逸らさずに吐き捨てた。


「それじゃ筋が通らねぇだろ。俺はお前らの慣習を知らなくて危うく殺されかけた。にも関わらず、お前らは俺の慣習を知らないから、と逃げるのは……筋が通らねぇよな?」


 挑発するように笑うユーリに、女性が「クッ」と初めて悔しそうな声を漏らした。


 その様子を黙って見守っていたダンテは、内心驚いている。ユーリが言っている『慣習』は、ユーリのハッタリのようなものだ。そもそも出典元が『ユーリ・ナルカミ憲法第一条』とか言う馬鹿げた憲法である。法律に記載されている時点で慣習ではないのに※、記載されている法律すら出鱈目だ。

(※慣習法は不文律である事が一般的)


 でも女性はそれを知らない。そしてユーリがもっともらしく自信ありげに話すから余計にタチが悪い。


 あれだけ堂々と話されては、「え? そんなのあるの?」と若干心がそちらに振れる――。いや普通はない。どう考えても無理がある。


 そう……ダンテが驚いているのは、ユーリのにもだが、それ以上にこの女性士官があまりにも純粋だからだ。


 いかに、慣習と言えど、『殺そうとする奴は殺してオッケー』なんて慣習が出来るわけがない。、日常的に人が人を殺し、殺されそうになる方も反撃して殺し返す世界だ。そんな街や地域があってたまるか。


 ……どこの世紀末だと言いたくなる。いや、確かに今はある意味で世紀末なのだろうが。


 兎に角そんな場所があれば、それは最早戦場である。しかも今の時代ではなく、旧時代に国同士が争っていた戦場。


 とは言え、目の前で今も歯噛みしている女性は、ユーリの自信満々穴だらけ理論にハマってしまっているようで


「だが……しかし……」

「ほれほれ。どーすんだよ? のくせに、筋も通せねぇのか?」


 と逡巡する姿を悪い顔したユーリに詰められているのだ。


「……流石ユーリさん。嫌がらせの時だけは頭が回ります」


 ポツリと呟くカノンに「お前、それ褒めてんのか?」と勢いよく振り返ったユーリ。


 肩をビクリと震わせたカノンが、「し、しかも地獄耳」と声を震わせダンテの後ろに隠れた。


 相変わらず歯噛みする女性に、ユーリの勝ち誇った顔。それを見かねたのか、顔を見合わせた軍人の一人が徐ろに手を上げた。


「……は、発言の許可をよろしいでしょうか!」


 それをチラリと見た女性が「……許可しよう」と頷いた。


「そ、その男の言っている事はハッタリであります。確か男の言う慣習は『ユーリ・ナルカミ憲法』と言う訳の分からない憲法が出典で――」

「やはりか! おかしいと思っていたのだ!」


 報告の途中で女性が勝ち誇ったような声を張り上げた。


「何が慣習だ! ただのハッタリではないか! いや、私は最初から気付いていたぞ」


 早口で捲し立てる女性だが、その目の前のユーリは呆れ顔だ。


「なぁーにが『気付いてた』だよ。『クッ』だとか『だがしかし』だとか言ってたポンコツのクセに」


 溜息をついたユーリの前で、女性が顔面が一気に紅潮した――


「だ、だだだ誰がポンコツだ!」


 呂律の回らない真っ赤な女性は、現れた当初の凛とした佇まいからは真逆で年相応の可愛らしさが見える。


「お前だ、お前。このポンコツマント野郎」


 そんな女性を前にユーリのニヤニヤは止まらない。笑顔を見せるユーリも女性同様、軍人達と揉め始めた当初と比べると、怒りは鳴りを潜めて真逆の笑顔が増えている。


「ききき貴様! まだポンコツだなどと――」


 更に顔を紅くした女性に「ケケケケ」とユーリが悪い笑い声を上げてみせた。


 いち早く女性のメッキに気がついていたユーリは、彼女をからかう方向にシフトチェンジしたのが楽しかったのだ。


「完全に楽しんでます……」

「これはこれで問題だけどな〜」


 そんなユーリに呆れ顔を向けるしか出来ないカノンとダンテ。


「ま、バレちまったモンは仕方がねぇな」


 一頻り笑ったユーリだが、再びその雰囲気を剣呑なものに――


「ホントはムカついてたから、お前ら殺しても良かったけどよ――」


 ――その雰囲気に身構える女性や軍人を前に、ユーリはその気配を霧散させた。


「――まあまあ楽しめたから許してやるよ」


 変わり身の激しいユーリを前に、女性が一瞬呆け――そんな彼女に「じゃあな」と後ろ手を振ったユーリが踵を返した。


「待て!」


 そんなユーリの背中に、女性の声が突き刺さった。


「……私を愚弄してこのまま帰れると思っているのか!」


 少し震える声にユーリが面倒そうに振り返った瞬間――ユーリに向けてが投げつけられた。黒い手袋は、恐らく軍服と同様の素材なのだろう。それがユーリの胸に当たって「ポトリ」と間抜けな音を立てて地面に落ちた。


 その行動にユーリとカノン以外の全員が驚き、言葉を失う中、


「え? ンだこれ? 手袋一つ渡されても困るじゃねぇか――」


 ユーリが徐ろにその手袋を拾って、ヒラヒラと振った。そんなユーリに頭を抱えるダンテと、口角を上げる女性。そして驚きザワつく軍人たち。


 とは言え、そんな周りの事など我感せずなのがユーリだ。今も手袋をヒラヒラ振りながら


「どうせならもう一つもくれよ……売り飛ばすから」


 女性に反対側の手で「クレクレ」と手招きする始末だ。

 そんなユーリに再び女性の顔面が一気に紅潮し


「馬鹿かー! 貴様は馬鹿なのかー! ! に決まってるだろうがー!」


 その赤さを吐き出すように、女性が声を張り上げた。


「決闘ぉ?」


 眉を寄せるユーリに、女性が大きく息を吐いて再び気持ちを落ち着かせる。


「そうだ……私、【国土解放軍】少佐、クロエ・ヴァンタールは貴様……貴様――」


 どうやら決闘には相手の名前がいるようで、ユーリの名前が分からないクロエという女性の言葉がモゴモゴと小さくなっていく。

 今も「ユーリ・ナルカミで合っているよな……いやしかし。別人の名前という可能性も……」と呟く女性に、その場の空気が再び弛緩し始めた。


 場に流れる「どうすんの?」という雰囲気と「もう良いだろ」と言うユーリの溜息を


「この方のお名前は、ユーリ・ナルカミさんです!」


 ぶち破るのがカノンという女性だ。


「おまっ、バカノン! 何で――」


 折角面倒な決闘とやらを回避できるかと思っていた所に、まさかのフレンドリーファイアだ。焦ったユーリがカノンを振り返ってしまうのも無理からぬことだろう。


 だが、相手に名前が知れ渡ったという事は……


「――貴様、ユーリ・ナルカミに決闘を申し込む!」


 こうして決闘の申込みが成立する訳で。


「えー。面倒クセー」


 大きな溜息をついたユーリの手から、黒い手袋がスルリと抜け落ちた。

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