第94話 タイミングを見計らっていた訳では無い

 少しずつ低くなってきた陽の光が橙色に輝き始めた。そんな橙の光を浴びて煌めくのは――


「剣を抜け! ユーリ・ナルカミ!」


 ――クロエがユーリに突きつけている剣だ。


「フルネームで呼ぶんじゃねぇよ」


 そんなクロエを前に、ユーリは腕を組んだまま動こうとしない。


「そもそも俺は、決闘の申込みに返事してねぇだろ」


 眉を寄せるユーリだが、クロエはその口角を上げて口を開いた。


「私の放った手袋を貴様が拾った瞬間、決闘は受諾されている」


 笑うクロエが更にダメ押しとばかりに


「因みにこれは、『上層における能力者同士の諍いについて』としっかりと法律に記載されている事項だからな」


 ユーリを前にニヤリと笑った。


 どうやら回避できない状況に、ユーリは「面倒クセーな」とボヤいて頭を掻く――そんなユーリの肩をダンテが掴んで声を落とした。


「ボーイ。コイツはまずいぜ……思ってた以上のだ」


 真剣な表情でクロエに視線を向けるダンテはいつもと違い真剣な口ぶりで、「何でイスタンブールなんかに居るんだか……」と苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「あのポンコツ娘を知ってんのか?」


 眉を寄せるユーリに「聞こえているぞ!」とクロエが目を釣り上げて声を張り上げた。


「知ってるも何も……スゲー有名人だぜ……クロエ・ヴァンタールといやぁヴァンタール家の天才、【火焔の剣姫】とも呼ばれてる凄腕だ」


 ダンテの言葉に反応するように、風に靡くクロエの髪の毛がチリチリと僅かに発火しているかのように赤みを帯びて輝き出した。


「そりゃまた御大層な二つ名だな」


 ユーリの隠せない面倒さが盛大な溜息となって溢れ出た。そんなユーリの溜息を前に、「周りが勝手に呼んでいるだけだ」と眉一つ動かさないクロエ。


「まあ、聞いたことねぇし、名前負けしないでくれよ」


 先程までの反応と違うそれに、ユーリが煽る意味も込めてニヤリと笑って見せるが、


「貴様こそ、大口を叩いたのだ。少しは保ってくれよ」


 クロエは相変わらずその美しい顔を朱に染める事はなく、ただただ口角を上げるだけだ。面白くないクロエの反応に、鼻を鳴らしたユーリが腰を落とした。避けられないのであれば、叩き潰すしかない。


「……待て。剣はどうした?」


 眉を寄せるクロエだが、「ンなもんあるか」とユーリが口を尖らせた。そもそも武器などその場その場で変わるユーリは剣など持っているはずもない。


「俺自身が剣みたいなもんだ」


 そう笑うユーリに、クロエの瞳が細められる――


「剣が無かったから負けたとか言い訳はするなよ」

「お前こそ、を触られたから負けたとか言うなよ」


 悪い顔のユーリだが、当のクロエは「私の胸を触れるとでも」とその表情を微塵も変えない。


 ポンコツ具合から一転したクロエに、ユーリの煽りは響かない。クロエは騎士という己に完全に入り込んでいるのだろう。やはりこれ以上の問答は不要、とユーリは決闘へと本腰を入れるべく頭を切替えた。


「開始の合図は?」


 その言葉にクロエが一人の軍人へと視線を向け、男が頷いた。つまり、その男が出すのだろう。





 一歩前に出た男が手を挙げる――「始め!」――言葉と同時に音が手を振り降ろした。


 動いたのはほぼ同時。


 二人の姿が一瞬で消える。


 霞に構えたクロエの諸手突き。

 ユーリが体を右に開く――引いた左足、体重の乗せた右脚を軸にそのまま回転。

 クロエの左後頭部へユーリの左後ろ回し蹴り。

 クロエがダッキング――いや、完全に屈み込んだ。


 クロエの頭上をユーリの蹴りが通過する――

 と同時にクロエが右後へ回転。

 地を這う足払いがユーリの軸足を刈り取った。


 軸足を刈られたユーリが空宙で斜め宙返り。

 クルクルと回転して着地――するユーリへ迫るクロエの剣。


 振り下ろされたそれをユーリがバックステップ。

 剣が地面を穿つ――ギリギリで翻る。

 ユーリの顎先に迫る切っ先。

 それをバク転でユーリが躱す。


 そのまま数回バク転したユーリが間合いを切った。


 だが間合いが切れたのは一瞬だけだ。


 ユーリを逃さんと迫るクロエ。

 それを迎え撃つユーリだが、どちらも決定打になるようなものはない。

 何度と打つかっては間合いを切る二人。


 何度目かの間合いが切れたタイミングで、ついにユーリがクロエへ向けて一気に加速。


 一直線に迫るユーリへクロエがカウンター。

 放たれた突きがユーリの眉間へ――

 吸い込まれた瞬間ユーリの身体がブレた。


 駆ける右足で身体を無理やり左へ。

 サイドステップ気味の一歩がユーリの身体を左前方へと運ぶ。

 ユーリの頬を掠める切っ先。

 飛び退いた先は、ほぼクロエの真横。

 方向転換の着地は左足一本。


 サイドステップ気味の右足。

 そして着地の左足。

 たった二歩。その二歩だけで、ユーリは直進のエネルギーを全て横向きに変換。


 靴底が「ギュゥゥ」と唸りを上げて、ユーリの身体をクロエへ向けて解き放った。


 ユーリの飛び右横蹴り。

 それをクロエは引き戻した右腕で受け止めた。


 ――ドゴン


 と凡そ人が人を蹴ったとは思えない轟音が辺りに響く。


 踏ん張るクロエだが、耐えきれずに地面を滑るように流れていく。


 それを見たユーリが「チッ、重てぇ野郎だ」と舌打ちを漏らした。


「レディに対する口の聞き方も知らないのか」


 腕を振ってダメージを確認したクロエが、眉を寄せる。


「バカか。騎士だのどうだの言ってたやつが、レディ扱いしてもらえると思うな……」


 トントンと靴を押し込むように地面を蹴ったユーリが


「剣を持ったんなら、男だの女だの関係なくただの戦士だろ」


 と鼻を鳴らす姿に、クロエは驚いたように目を見開いている。そしてそんな彼女の様子に気が付かないのがユーリと言う男だ。


「ま、思ってたよかやるし……もうちょい本気出しても良さそうだ」


 笑顔を見せるユーリを黒い闘気が包み込む――その禍々しさに、呆けていた顔を引き締めたクロエ。


「面白い。ならば私ももう少し本気を出すとしよう」


 クロエを包む赤橙の闘気。それがチリチリと音を立てクロエの髪の毛を僅かに揺らめかせている。


「黒焦げになっても恨むなよ」


 剣を下げたままクロエが駆け出した。


 チリチリと音を立てる剣が地面との間に火花を舞い上げる。

 振り上げられた剣が唸りを上げれば、炎の刃がユーリを襲う。


 剣を紙一重で躱したのが悪かった。

 剣が吹き出した炎が大きく、体を開くユーリの真正面を焼くように襲いかかった。


 慌てて仰け反ったユーリだが、襲い来る炎がユーリの服と前髪の一部を焦がす。


 切り替えされた振り降ろし。

 体勢が悪いユーリは堪らずバックステップ。


 剣を躱しても、吐き出された炎がユーリを襲う。


 地面を転がるユーリ。

 それを穿たんと飛び上がったクロエが剣を突き立てた。


 再び転がりユーリが躱す。

 手をついて飛び上がったユーリに迫るクロエ。


 炎を纏った剣は、ギリギリでは躱せない。

 ある程度距離を開けねば、炎がその身を焼くのだ。

 普段より僅かに回避行動を大きくせねばならない。


 ほんの僅かの差。

 だが、ユーリ達クラスになれば、回避行動の大きさは、反撃への遅れに直結する。


 それがだと尚更だ。


 普段より強めのステップ。

 普段より深いダッキング。

 普段より大きく仰け反る身体。


 どれもこれも慣れないだ。


 そんなユーリの肌を、服を、髪を、容赦なく掠めていくクロエの剣。


 漸くユーリが感覚を掴んでカウンター――

 だが、いつもと違う間隔がクロエに拳を届かせない。


「どうした? 威勢が良かったのは始めだけだな!」


 笑うクロエが剣を振り続ける。


 それをユーリはただ黙って躱し続けている。


 傍目に見てジリ貧のユーリ。


 だが、クロエの笑顔が少しずつ曇っていく様子をダンテは見逃していなかった。どうやらユーリがクロエの剣戟に慣れてきているようだ。


 今はただ躱しているだけには見えない。……ユーリの行動は、来るべき瞬間を見極めているように見えてきている。


 事実先程から躱す精度が上がり、既にクロエの剣も炎も殆どユーリを捉えられなくなってきた。恐ろしい程の成長速度。戦いの中で進化するなどと言うが、今まさに目の前でそれを見せられているダンテは苦笑いしか浮かべられない。


「やだやだ……若いっていいねえ〜」


 ダンテの呟きがキッカケだったように、クロエが焦ったように雑な横薙ぎを――


 それを躱したユーリ。

 跳ね起きのように両手で地面を捉え――「しまっ――」――漏れるクロエの後悔を置き去りに、ユーリの両足がクロエの顔面に向けて繰り出された。


 下から跳ね上げるようなドロップキック。

 それに思い切りクロエが仰け反る。

 クロエの顎先とユーリの靴底が「チッ」と音を立てて交差した。


 ギリギリ躱したクロエ。

 その顎先を掠めただけのユーリの両足。


 完全に隙だらけ死に体に見えるユーリに、クロエが口角を上げた瞬間――

 その両側頭部をユーリの両膝が挟み込んだ。


 クロエの頭を挟み込んだユーリが、一瞬だけ身体を起こして笑う。

「ま――」

「待たねぇ」

 再び仰け反るように身体を倒すユーリ。

 クロエの股ぐらを潜るように身体を逸らせば――


 膝に引っ張られたクロエの頭が地面へと向かう。


 ――フランケンシュタイナー


 ユーリの変則的な投技でクロエの額が地面へ――

 打ち付けられるそれを、両手で抑え込んだクロエ。

 そのまま前転の要領で、ユーリの拘束から抜け出して大きく距離を取った。


 立ち上がったクロエが、少しだけ赤くなった額を擦る。


「中々やるじゃねぇか」


 笑うユーリに


「な、なんて足癖の悪い男だ!」


 クロエが剣を構えて口を尖らせた。


「うるせぇな。こちとら危うくなる所だったんだぞ」


 同じ様に口を尖らせるユーリが、ボロボロになったパーカーを脱いで


「手癖のわりぃバカにはお仕置きだ」


 両手でピンと引っ張りながら「ほれ、かかってこい」と笑った。


 武器でも何でも無い、焦げて穴があいたパーカーを構えるユーリに、流石のクロエも冷静さを欠いたのか「舐めるな!」と叫びながら突進。


 地面を揺らすほどの踏み込み。

 それが齎すクロエ渾身の突き――


 それを躱したユーリが、両手のパーカーをクロエの右腕にくるりと巻き付け


「はい、終了――」


 と悪い笑顔を見せた。


 最初の冷静さは何処へやら、ユーリに剣を躱され続け、大技でカウンターを貰い、更にバカにしたような発言。

 色々重なってしまったクロエが、「放せ」とユーリに向けて蹴りを放とうと、右脚を振り上げ――

 上げられたクロエの右膝をユーリの右靴底が捉えた。


 不発に終わったクロエの蹴り。

 それだけでなく、ユーリは右足を引き戻してクロエの腹へ突き刺さした。


「グッ――」


 漏れる苦悶の声だがユーリは止まらない。

 一度地面についた右足が再び唸る。

 今度は右前回し蹴りがクロエの横っ腹を捉えた。


「クソ――」


 今度は左足を上げようとするクロエ――

 その腿を抑え込むのは、またもやユーリの右足。

 爪先で内腿を思い切り蹴り、痛みで止まったクロエの太腿に右踵落とし。


 ここは完全にユーリの間合い。


 蹴り足を蹴りで止めるなど、ユーリからしたら朝飯前の技術だ。


 左太腿に走る痛みに、クロエが顔を歪めた瞬間、ユーリの右足がクロエの右足を踏み抜いた。


 痛みに顔を歪めたクロエだが、ユーリをきつく睨みつけて左拳を――


「悪手だ」


 ――笑ったユーリがそれを躱しつつ、パーカーの裾で左腕も巻き取った。


 完全に両手を塞がれたクロエ。

 主導権を握ったユーリが、両腕を捻るように肩に担いでクロエを放り投げた。


 辛うじて足から落ちたクロエ。

 その顔面に映ったのは――真っ黒な靴底だ。


 放り投げた後も、両手の拘束を解いていなかったユーリの踏みつけ。


 それがクロエの顔面を――


 ――ズシン


 と地面が揺らした音が僅かに埃を巻き上げた。


 埃が収まった中、現れたのは――


「まだやるか?」


 片眉を上げて挑発するようなユーリと、耳元スレスレを踏み抜かれて「ハッ、ハッ」と過呼吸気味のクロエの姿だ。


「おい、立会人。しねぇなら殺しちまうぞ?」


 ユーリの言葉に、軍人たちがザワつき始める――


「ま、まだだ! 私は騎士だ! このような辱めを受けるくらいなら――」


 そんな空気を破ったのは、未だ両手を拘束されたままのクロエ。拘束され、投げられても尚、放さなかった剣に、再び炎が――宿りそうになったそれを持つ手をユーリの拳が思い切り叩いた。


 手の甲、調度骨の部分を叩かれたクロエが痛みのあまり剣を手放した。


「そんなに死にてんぇんなら――」


 再び足を持ち上げたユーリ。その姿にクロエが口をきつく結んでユーリを睨みつけた。


「お前みてぇな奴は嫌いじゃねぇけどな」


 笑うユーリがその足を振りおろ――


「待ちたまえ――」


 ――不意に響いた声にユーリの足がピタリと止まった。


 眉を寄せるユーリの視線の先に立っていたのは――


「ジジイ? 何でアンタがここに?」


 ――片手で頭を抱えるサイラスであった。

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