第92話 探していたのはトラブルじゃなくて猫です

 依頼者の中年女性から話を聞いたユーリ達は、中央駅セントラル・ステーションから街へと繰り出していた。


 ガラス越しに見ていた景色だが、外に出てみればやはり、自然に降り注ぐ太陽光の下にある都市というのは感慨深いものがある。


 爽やかな風が吹き抜け、街路樹を揺らす――陽の光を浴びたそれがサワサワと揺れる度、葉の間から地面に届く陽光がキラキラと輝く。


 これこそ失われた平和の象徴であり、ハンターを始めとした能力者達が取り戻すべき人類の――


「チッ、直射日光はあちぃな」


 ――人類の――


「お肌が焼けちゃいます!」


 ……人類の悲願をこの二人が理解しているはずもなく。呆れ顔のダンテの横で、「もう夏だな」「まだ初夏ですよ!」と二人して太陽を忌々しげに睨んでいる。


「……お前ら、もっとこう感慨深い感想とかないかね……」


 呆れが言葉となってこぼれたダンテを、ユーリとカノンが振り返って眉を寄せた。まるで「何いってんのお前」とでも言いたげな表情に、ダンテは降参したように両手を挙げて「何でも無えよ〜」と大きく溜息をついた。


 ユーリやカノンに、そのような感動を求めた事が間違いだ。なんせ、太陽だろうが風だろうが「荒野で慣れてるだろ」と言う二人である。その自然の恵みを街が受けている、等という感動に浸れる訳がないのだ。


「こりゃあチームを組む連中は苦労するぜ〜」


 ダンテはボヤきながら、ゲオルグとリンファを思い出していた。焦土の鳳凰フェニックスに行く可能性もあるので、まだそちらの方がマシだろうな、とダンテは新しく仲間に入った二人に心の中で手を合わせた。


「ところで作戦はどうしましょう?」


 ビル風がカノンのアホ毛をピコピコと揺らす。


「そりゃ、分担したほうが手っ取り早いだろ」


 ピコピコ揺れるアホ毛を目で追いかけるユーリ。


 確かにユーリの言う通り、失せ物探しなら手分けした方が早い。しかも相手が動物ときたら尚の事だろう。整備された上層とは言え、その範囲は広大なのだ。全員で一つずつ探していくのは、あまり現実的とは言えない。


 だが――


「駄〜目だ! お前らは目を離すと問題を起こすからな〜。こっからはお兄さんの言う事を聞いてもらうぜ〜」


 ――この二人を上層に解き放つリスクの方が大きすぎる。明らかに、猫ではなくトラブルを引き寄せる姿しか想像出来ない。


 至極最もなダンテの意見だが……


「バカか。ガキの使いじゃねぇんだぞ?」

「そうです! これでも二十歳ですよ!」


 とユーリとカノンは不満気に眉を寄せている。


「……ガキの使いの方が全然マシなんだよ〜」


 ダンテはそんな二人にガックリと肩を落としてみせた。言われたことしか出来ない、しない、子供のお使いの方が今の状況ならば大歓迎である。なんせ目の前の二人は大人のお使いのくせに、言われたことすら出来ない、しない、子供のお使い以下なのだ。しかも必要ない悪戯だけは、言われなくてもすると言うオマケつき。


「兎に角、ここは年長者の意見を聞けよ〜。上層は軍が管轄する立入禁止区画も多いからな〜」


 ダンテの言うことは至極最もで、上層は基本的に軍の管轄である。ここで問題を起こせば、それこそ軍が出張ってくる可能性があるので、それだけは避けたいのだ。


「へーへー。わーったよ」


 口を尖らせたユーリが、「エリートのに絡まれんのも面倒だしな」と続けながら頭の後ろで手を組んだ。


「それじゃ、行くぞ〜。先ずは一番怪しい住宅区からだ――」


 ダンテの号令でユーリとカノンも歩き出す。依頼者の居住地があるという住宅区へ向けて――


「これ、最初から依頼者の家で打ち合わせた方が早かったのでは?」

「あのオバハンに言え」

「頼むから上で『オバハン』とか言うんじゃねえよ〜」


 ――不穏な気配を纏いながら三人が歩きだした。




 ☆☆☆




 ビルが立ち並ぶ中心街から路面電車トラムに揺られる事三十分程――ユーリ達の目の前には、豪邸……とまではいかないが、庭付き一戸建てが立ち並ぶ閑静な住宅街が広がっていた。


 広い道路に面した家々は、旧時代と比べても大きい部類に入り、ガレージにはこの時代でも有数の高級車が鈍色に輝くエンブレムを並べている。


「この辺は、大商会の取締役、軍の幹部、後は知事なんかの邸宅がある区画だな〜」


 静かな住宅街に吸い込まれたダンテの声。


「悪人の巣窟って訳だな」

「キメツケ! 金持ち=悪という、潔いキメツケ!」


 反対にユーリとカノンの不穏な発言は、矢鱈と大きく響いている気がする。


 高級住宅街を前に通常運転の二人に「シー! 頼むからシー!」とダンテは必死だ。たった三〇万ポッチの報酬では、この問題児二人のなどコスパが悪すぎる。そう考えたのだろうダンテが、「口を動かさないで、さっさと探そうぜ〜」と二人の意識を猫探しへと差し向けた。早く終わらせて、二人と離れたいのだ。


「そうだな。さっさと猫見つけてオバハンに届けてやるか」


 動き出そうとしたユーリとカノンだが、その背中にダンテが待ったをかけた。


「……お前らは絶対に何も触るんじゃねえぞ〜。何か見つけた、何かおかしい、そういう場合は絶対俺を呼べ。いいな〜」


 恐ろしいほど真剣な表情だ。羊レースの時ですら、ここまで真剣なダンテを見なかった。そんなダンテを前にしたユーリは――


「うるせぇ。お前を待ってたら、逃げられるだろうが。ガキ扱いすんな」


 ――勿論大人しく「はい」などと言う人間ではない。そしてそんなユーリを野放しに出来る程、ダンテにとってここはではない

 仕方なしに「ちょーっと、待てって――」ダンテが肩をつかんだ瞬間、ユーリがそれを振り払った。


「わーってるって。この辺のモンに触ったり傷つけたりしたらダメなことくらい」


 ユーリが呆れ顔で「だからガキ扱いすんなって」と続けた。


 事実ユーリも、ここの家々に住んでいる金持ち連中と絡みたいわけではない。何か問題を起こせば、慰謝料だの罰金だの裁判だのが出てくる連中だ。金が欲しくてわざわざ上層まで来たのに、そこで借金を増やす程ユーリとて愚かではない。


「つー訳で、カノン。お前もあまりベタベタ触んなよ」

「ユーリさんじゃないので無問題です!」

「どの口が言ってんだ爆弾娘が」


 敬礼するカノンにユーリが口を尖らせ、「誰が爆弾娘ですか!」とカノンが頬を膨らませた。


「もういいから早く探そうぜ〜」


 ダンテがデバイスを操作して、ユーリとカノンの二人に探し猫の画像を送信した。


「ターゲットは知っての通りエリザベスちゃん――」


 ダンテの説明を聞きながら、デバイスの画像を二人が確認する。


「――長めの白い毛と、サファイアブルーの瞳、そして赤い首輪が目印だ」


 画像は、中年女性の腕の中で、居心地の悪そうに暴れている白い毛玉だ。


「……目も首輪も見えなくね?」

「……でしょう」


 取り敢えず画像から分かる事は、白い毛玉という事だけだ。それでもこれだけ特徴的な毛玉なら目立つかもしれない。


「それじゃあ……捜査開始〜。お前ら最大限の注意を払えよ〜」


 ダンテの号令でユーリ達が動き出した。


 車の下、屋根の上、植木の隙間に側溝の中――凡そ猫が隠れそう場所を見て回る三人だが、残念ながらそれらしい影も形もない。




「うーん。居ませんね……」


 カノンが車の下を覗き込んでいた顔を上げながら呟いた。


「思ったよりも手強いね〜」


 ダンテが植木の合間から顔を出した。


「おい、まさかとは思うが――」


 屋根の上から声を上げたのはユーリだ。そんなユーリが「じゃねぇよな」と指差す先に、ダンテとカノンが視線を向けた。


 そこは住宅街のから遠くに見える黒く高い壁の上――どう見ても立ち入りが禁止されているであろう区画を示す壁の上。一般人ノーマルならば判別出来ない距離に、ダンテとカノンの二人はそれぞれの視力を強化して壁の上に目を凝らした。


「まさかっぽいな〜」

「毛玉が寝てます!」


 真っ黒な壁の上には、場違いな程真っ白な毛玉がノンビリと寝転がっているのを二人共確認できたのだろう。


「よし、さっさと捕まえようぜ」


 二人の同意を背に屋根を駆け出すユーリを、「こら、待てって!」とダンテが慌てて追いかけた。捕まえる事自体は依頼なので確定だが、あの壁の先は軍の施設だ。近づくだけでも危険なのに、その壁の上にいる猫を捕まえるなど、リスクしか無い。加えて捕まえに行くのがユーリだ。


 ……問題が起こる未来しか予想できない。


「カノン、お前はここで――」


 待ってろ。その言葉をダンテは飲み込んだ。なぜならカノンも既にユーリを追いかけ走り出していたのだ。


「ユーリさん! 抜け駆けはダメですよ!」


 叫ぶカノンに「バカか。早いもの勝ちだ」と振り返って笑うユーリが更に加速――


疾くねえか〜)


 そんなユーリを見ていたダンテの感想だ。ユーリがは見ていたので知っている。奪還祭前の屋上、フェンとの立ち会い。どちらもダンテは見ていた。だが、実際目の前で駆けるユーリを本気で追っているのに、差が縮まらない事に驚いていた。


 そしてそれ以上に――チラリと振り返った先、少し遠くなったカノンだが、思いの外ついてこれている状況に一番驚いている。


 カノンがゲオルグと協力して戦っていた時、その時も強くなったと思っていたが、こうして肩を並べて駆けてみて、その成長速度の速さに正直舌を巻いている。


 勿論まだまだダンテに追いつけず、そして離されていっている以上、その差は歴然としているが、それでもダンテが想像していた以上の成長は「いや〜若いっていいねえ〜」と柄にもなく年寄のような発言を引き出させてしまう程だ。


 とは言え感慨にふけっている場合ではない。そろそろユーリを止めねば、と


「ボーイ! 一旦止まれ〜!」


 声を張り上げるも、ユーリには届かない。いや、届いているが聞く気がない。


「まずいねえ……」


 呟いたダンテの身体を薄靄のような闘気が包みこんだ――その瞬間ダンテが更に加速してユーリとの距離を一気に詰めていく。


 、壁が近くまで迫って漸くユーリの隣に並んだダンテが、「やるじゃねぇか」と声を上げたユーリの肩を掴んだ。


「ボーイ、これ以上は――」 


 ダンテが声を上げた瞬間、進行方向から飛来する二つの魔弾――それを躱したユーリとダンテ。


 方や眉を寄せ、方や天を仰ぐという対照的な二人がその場で立ち止まった。


「おい、キザ男。俺たちの事狙ってなかったか?」

「そりゃ狙われるでしょ……許可なく軍の施設に近づいたんだから――」


 ――しかも超高速で。ガックリと肩を落とすダンテからしたら、最悪だと言いたい状況だろう。


 本来軍の施設は半径一〇〇メートル程に渡って、基本的に立入禁止だ。故に周囲に建物もなく、この周辺には軍の人間と許可された人間、車両しか近寄れないのだ。


 そんな場所に、許可されていない人間が、しかも高速で突っ込んでくる――の影響もあるだろうが、危険人物とみなされても文句は言えない。


 とは言えそれはこの世界での一般常識であって、ユーリと言う男からしたら、相手はにしか映らない。


 故に――


「テメェら喧嘩売ってんのか」


 ――壁の方から現れた軍人達を睨みつける始末だ。


 ユーリのように全身黒尽くめだが、旧時代の軍服のようにダブルボタンの制服姿は規律と荘厳さを感じさせる装いだ。

 浅めに被られた軍帽と、軍服が金縁で彩られているのも、また荘厳さに一役買っているかもしれない。


 そしてユーリもダンテも。そんな人類の希望とも言える集団に、銃を向けられているのだが……


「銃を向けたままって事は――」

「ぼ、ボーイ、ストーップ!」


 ユーリを抑えるダンテだが、ユーリは「うるせぇ。退いとけ」とダンテを押し退けて更に一歩前に出た。


 そんなユーリに向けて銃口が集中した――


「ここは軍の所有地だ。許可のない立ち入りは禁止されている」


 ――銃を構えながら声を張り上げる一人に、「ちょっとしたミスなんだって〜」とダンテが笑顔を向けながらユーリを押し……押し……押しやれない。


「立入禁止なら、もっと手前から柵作ってそう書いとけバカが」


 腕を組んでふんぞり返るユーリを前に、軍人たちが分かりやすく殺気立つ。それもそうだろう。彼らはこの世界の軍事力の頂点。基本的に誰もが彼らに逆らうことは無いのだ。


「『軍用地における慣習』も知らぬ馬鹿が」


 馬鹿にしたように笑う軍人だが、


「法律じゃねぇ如きで偉そうにするなバカ」


 ユーリには全く響かない。それどころか、「田舎者のローカルルール慣習なんぞの俺に通用するか」と逆に煽り返す始末である。


 完全に敵対的言動と取れるユーリの言葉に、ダンテが「まずい」と天を仰いだ。


「減らず口を……慣習と言えど破れば罰せられる事もあるのだぞ?!」


 声を張り上げる軍人だが、その言葉でユーリは「へぇ」と嬉しそうに口角を上げた。


「じゃあ……お前らも気をつけろよ」


 そう言ってユーリが軍人達を指差して笑った。


「ユーリ・ナルカミ憲法第一条。『いきなり撃ってくるバカは殺しても罪になりません』」


 そう言いながらユーリが「俺達の間で守られてるでよ」と笑いながら指を鳴らして軍人へと一歩――


「マジでストーップ! ボーイ、これ以上はマジでヤバいぜ〜」


 そのユーリをダンテが羽交い締めにした。


「放せキザ男! こいつらが『殺っちまっていい』っつったんだろうが!」


 暴れるユーリを「そりゃ無理があるだろ〜」と抑え込むダンテ。そして漸く追いついて「ぜ、全然……状況が…飲み込めません!」と肩で息をするカノン。


 施設前に訪れた完全なカオスに、呆けた軍人たちの意識を――


「貴様ら! こんな所で何をしている!」


 ――一瞬で引き戻す、凛とした透き通るような声を持った女性が現れた。

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