第91話 価値観はすり合わせといた方がいい。

『エレベーターホールへようこそ――』


 ユーリ達三人を迎え入れたのは、鼻詰まりのような声だった。イスタンブールに初めて来た時だけでなく、日々の門の出入りでも聞く声は、恐らく同一AIなのだろう。


 そんな鼻詰まり声が示す通り、ユーリ達は、街の中心部に聳え立つ巨大なエレベーターホールの中にいる。


 イスタンブールの下層、その中央にある巨大な施設は、上層と下層を繋ぐエレベーターでもあり、街のシンボルのような塔を形成している土台でもある。


 ユーリが初めてこの街に来た時に、壁の向こうから唯一見えていた巨大な塔。その土台が今ユーリ達のいるエレベーターホールである。


 この塔の最上階には本来ならイスタンブールの知事室があり、塔の各階が、様々な行政の施設を担っている。もちろん行政府へ上がるには相応の身分と上からの許可が必要だが。


『上層へ御用でしょうか?』


 続く声にダンテが「ああ。俺とこの二人を上層まで頼むぜ〜」と応えた。単に上層へと向かうだけなら、ある程度の身分があれば問題はない。


 ダンテの返答に『市民カードかハンターライセンスを提示してください』とAIが応え、全員が胸からハンターライセンスを出してみせた。


 それに緑の光線が照射される中、ユーリはと言うと――


「相変わらず腹立つ声してんな」


 と鼻を鳴らしてモニターから目を逸していた。


『オリハルコンランク……ダンテ・ハワード様ですね。後ろのお二人は、ミスリル以下ですが、よろしいでしょうか?』


 AIが聞いているのは、二人が何か問題を起こせば、ダンテの責任も問われるぞ。と言う事だ。責任と言うが、実際のところは罰金と一定期間上層への立入禁止、そして許可発行権の一定期間凍結くらいのものだ。


 それでも時折上層へと行くエレナには大問題であり、確実に問題を起こすだろうユーリに許可など出来るはずがなかった。


 その点上層に行く機会など殆ど無いダンテは、責任の所在などさしたる問題ではない。


「オーケーだぜ〜」


 それだけ応えると、AIが『かしこまりました』と陽気な声を発して奥にあるエレベーターの扉が開いた。


 エレベーターに乗り込んだ三人を直ぐに浮遊感が包み込む――





「フェンは強かったかい?」


 浮遊感が収まる頃、ポツリと呟いたダンテの声に、「……まあまあだな」とユーリが前を見たまま応えた。


「驚きです。ユーリさんなら『全然だ』とか言うと思ってました」


 目を丸くして会話に割り込んできたカノンに、ユーリは「ンな所で強がる必要なんてねぇだろ」と鼻を鳴らした。


 実際ユーリが感じているのはその通りだ。今のユーリからしたら、フェンはまあまあ強かった。と言う評価に嘘はない。これからの努力次第でもっと伸びるだろうし、それはユーリ自身にも言える事だ。


 お互い未だ成長の道半ば。そんな立場に居る自分が、妙な所でマウントを取る必要など微塵もない。とは言え――


「まあ、向こうが望むなら……またボコボコにしてやってもいいがな」


 ――負けてやるつもりは毛頭ない。そんなユーリの笑顔にダンテは「熱いね〜」と口笛を鳴らし、カノンは「流石ユーリさんです」と苦笑いを浮かべていた。


 他愛ない会話が一段落した頃、三人を包み込んだのは重力の束縛だ――スピードを緩めたエレベーター三人の意識を下に引っ張りながら、上層へと辿り着いた。


『ようこそ、イスタンブール上層へ』


 AIの電子音が響くと、眼の前の扉が開く――扉から入り込んでくるのは、下層ではあまり馴染みのない陽光だ。


 一瞬で明るくなったエレベーター内で、三人同時に目を細めながらエレベーターの外へと踏み出した。


 エレベーターの外は、下層とは似て非なる風景だった。


 下層の暗いエレベーターホールとは真逆の、ガラス張りで明るいホール。今も外から降り注ぐ陽光が、これでもかと言うくらいに広いホールと、その中にいる人々やロボットを明るく照らし出していた。


 太陽の光など、荒野で浴びなれている二人だが、この安全な施設の中で浴びるのはまた趣が違うようだ。二人ともガラスの向こうに見える青空を暫く眺め、はたと思い出したように視線を周囲へと巡らせた。


 どうやらここはエレベーターホールだけでなく、バスの待合も兼ねているようだ。ガラス戸の前に止まったバスから人々が降りては、誰かが乗っていく――

 バスが訪れるまでの間や、バスから降りた人々の何人かは、中のベンチやソファに腰掛けて優雅に談笑しているので、乗り換え待ちなのだろうか。


 ……いや、中には飲み物片手に話している御婦人がいる事から、ある種憩いの場のような所なのかもしれない。兎に角人の出入りは思った以上にあるが、下層のように雑多な喧騒ではなく、優雅な賑やかさだ。


 そんなガラス張りの空間の向こうに広がるのは、下層と同じようにロータリーになった巨大な道路と、その脇に立ち並ぶビルの数々だ。


 等間隔に並ぶ街灯と、下層では見ることのない街路樹。歩道と中央分離帯に植えられたそれらが、今も太陽の光を受けて青々とその葉を輝かせている。


 下層がゴミゴミした雰囲気なのに対し、同じようにビルと道路で形成されているはずの上層は、理路整然と整備された都市だと言うことが嫌でもわかる。


 美しい観葉植物。

 青空と降り注ぐ陽光。

 曇一つ無い綺麗なガラス戸。

 ま景観を意識して立てられたビル。


 よりも、下層との違いを感じさせるのは市民の姿だろう。


 汚れ一つない綺麗な服を纏い、誰も彼もがノンビリとして余裕があるよう微笑む様子は、景色以上に下層との隔たりを感じさせる。


 人混みが凄すぎて歩くだけでも大変という訳でもない。

 角を曲がったら小汚い爺が現れる訳でもない。

 急に奇声を発するオヤジが出没する様子もない。


 たった数分エレベーターに乗るだけで、こんなに世界が変わるのか……そんな思いを胸に、ユーリとカノンは暫くその光景にただただ呆けていた。


中央駅セントラル・ステーションへようこそ。ご要件をお聞きします』


 そんな二人に近づいてきたのは、案内ロボットだろう。胸の前にモニターを浮かべたロボットがホログラムに浮かべた顔を笑顔に変えた。


「いや、いらねぇ」


 そう言ってロボットへと手を振ったユーリに、ダンテが口を開いた。


「初めての上層は感動したかい〜?」


 そのの軽薄な声に、「金持ちばっかで気に食わなそうだな」とユーリは苦笑いと溜息を漏らした。


「そんな金持ちだからこそ、猫なんてを抱えてるんだけどな〜」


 笑うダンテが「そろそろ依頼人が来るはずだが」とデバイスに視線を落とした。


 実際にダンテの言う通り、こんな時代にペットを飼うなど、大金持ちくらいなもので、その御蔭で『猫探し』という依頼で破格の報酬が貰えるのだ。


 待ち合わせはこの中央駅セントラル・ステーションなのだが、今のところ依頼人らしき人物が見当たらない。流石に最初はビックリした光景だが、視界に入る範囲というものは限られてくる以上、見飽きてしまう。


 見飽きてしまった二人はと言うと――


「カノン、見てみろ――

「合体ってじゃないですか」


 ――分かりやすく暇つぶしに走っていた。


 そんな二人の様子に、依頼人と必死に連絡を取るダンテはまだ気がついていない。


 ユーリが目をつけたのは、先程声をかけてきた案内ロボットと、掃除ロボットの二体だ。

 人々の邪魔にならないよう設計された円盤型の掃除ロボット。

 訪問者を見かけたら近寄ってくる案内ロボット。


 掃除ロボットは言わずもがな、フロアのゴミを見つけてはそれを綺麗にし、なるべく人の通行を妨げないように振る舞っている。


 案内ロボットは案内以外にも様々なサービスを提供している様で、今も奥に見えるカウンターからドリンク等を運んでいる。


 どちらもこの空間には必要不可欠な働き者たちは、広く段差のない空間を素早く移動できるよう足回りが車輪タイプなのだ。


 故にカノンの言う通り乗せただけでも――


「まあ見てろって。こういう奴は段差を降りられないからよ――」


 ユーリが言うように、お掃除ロボットの上でクルクルと様々な方向に進もうとしては止まって動けない案内ロボット。恐らく足下のセンサーが段差を感知して進めずに降りられなくなっているのだろう。


 その様子にカノンが「ほえー」と間抜けな声を上げ


「な? これで合体したのと一緒だろ?」


 ユーリは楽しげに笑った。とは言え、ただこれでは降りられなくなっただけだ。故に「でも、降りられなくなっただけですよね?」という感想しか出てこない。


「分かってねぇな。はこれから――」


 ユーリが悪い笑顔を浮かべる先で、ロボット掃除機に連れられて案内ロボットが館内を徘徊しだした。


 本来人々に様々なサービスを提供する案内ロボット。それを知っている住民が、ユーリの合体させたロボットに近づき――


「ちょっと――」

中央えセントラル・ステ――』


 それに案内ロボットが答えようとするも、ロボット掃除機がそこから遠ざかっていく――驚いた市民が、怪訝な表情を浮かべながらロボットを追いかけるが、ロボット掃除機がどんどん遠ざかっていく。


 人々を見かける度


中央えセントラル・ステ――』

中央えセントラル・ステ――』


 と声をかけながら高速で人々を躱していく。


「見ろ、連中のあのアホみたいな顔――」


 口を押さえて笑いを堪えるユーリと、「ユーリさん、私も合体させてみました」と二号を作り出すカノン。


「よし、二号も解き放とうぜ」


 悪い顔で笑うユーリに「二号行きます!」とカノンが応えてそれを解き放った。賑やかだが、上品だった中央駅セントラル・ステーションに、のような声が混じりだし、それが二つに増えたことで俄かに騒がしくなってきた。


 ダンテが異変に気がついた時にはもう遅い。「お前ら何か知ってるか?」と後ろを振り返れば、問題児二人が三号と四号を作り出し、ちょうど瞬間だったのだ。


「お、お前ら何――」

「何って、暇だからよ」

「合体させてみました」


 悪びれる様子のない二人だが、ちょうどバスが到着した事で騒ぎはより大きく――バスから降車してきた人間の合間を四台が高速で駆け抜けていく――


中央えセントラル・ステ――』

中央えセントラル・ステ――』

中央えセントラル・ステ――』

中央えセントラル・ステ――』


 困惑する乗客たち。

 それを見て笑うユーリとカノン。

 人々を躱して進み続ける合体ロボット――


 上品だった空間は、今やプチパニックのカオス状態だ。


 あまりの事態にシステムが異常を検知したのだろう、全てのロボットが強制的にシャットダウンされ、騒がしかった空間が一気に静かになった。


「ンだよ。つまんねぇな」


 ボヤいたユーリが丁度近くにいた一号を。……いや一号かどうかは定かではないが。


 ようやく動きを止めたロボット達が余程不気味だったのだろう、住民が大挙して奥のカウンターに詰めている姿を眺めながら


「他のも解体しますか?」

「だな」


 カノンの溜息にユーリも溜息で返した。ガランとした空間に立ちすくむロボットたちを元に戻した二人は、一仕事終えたかのようにパンパンと手を払ってダンテのもとに戻ってきた。


 そんな二人を前に、固まっていたダンテが復帰――


「お、お前ら何してんだよ〜! いきなり問題起こすなって!」


 ダンテの顔が分かりやすく引きつっているが、小首を傾げるユーリとカノンにその思いは伝わっていない。


「問題なんて起こしてねぇだろ?」

「そうですね。フザケてはいましたけど」


 二人の発言にダンテは「マジかよ……」と片手で顔を覆って天を仰いだ。


 え? 何この二人……馬鹿なの?


 ダンテの思いは言葉にならない。これはちゃんと価値観と言うか、『問題』という意識の共有をせねばならない、とダンテは意を決して口を開いた。


「……因みに聞くけど、お前らの言う『問題』って?」


 天井を仰いだままのダンテの声に、カノンとユーリが二人して顔を見合わせて――


「そりゃ――」

「建物を壊したり」

「誰かぶっ飛ばしたり」

「でしょうか?」


 二人で交互に出された発言に、ダンテは「それはもうって言うんだぜ〜」と天を仰いだまま叫んだ。


 そんなダンテの叫びがホールに木霊して消えた頃――


あーたあなた達がアタークシのエリザベスちゃんを、探してくれる方々ザマスかー?」


 ――ようやく現れた依頼人の声に「おい、オーk――ムグ」と不穏な事を口走ろうとしたユーリの口をダンテが高速で抑え込んだ。


 太ましい身体を無理やり服に詰め込んだ中年女性。歩くのも疲れるのか、体重移動だけで動く立ち乗り二輪車セグ◯ェイに乗る姿は、中々のインパクトだ。


とは言え、そんな相手でも依頼人かつ上層の人間だ。間違っても「オーク」等と言ってはならない。そんな事など口走ろうものなら、とんでもない大問題に発展しかねないのだ。


そんなこんなでユーリを抑え込んだダンテが、「お前は黙ってろ」とユーリに囁いて、依頼人へと笑顔を向けた。


「お、お待ちしてたぜ〜。マダーム。貴女の大切なエリザベスちゃんは、我々にお任せを〜」


 ユーリを抑え込んだまま笑顔を浮かべるダンテと、「頑張ります!」と敬礼姿のカノン。


 それでも心配そうにユーリ達を見る依頼人の前で、ダンテの拘束から逃れたユーリが口を開いた。


「直ぐに見つけてくるからよ。大船に乗った気で待ってろよ、オバハ――ムグ」


 再びユーリの口を押さえたダンテの「ど、泥舟だ」と言う小さな呟きは誰にも届くことは無かった。

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