第90話 仕事をする理由は究極お金

 カノンと二人支部長室を出たユーリは、既に人の少なくなった依頼ボードの前で腕を組んでいた。

 サイラスと手を組むことにはしたが、今のところやる事は依頼を熟して自力をつける――レベルアップくらいしかする事がないのだ。


 サイラスの作った転送システムだが、どこでもかしこでも飛ばせる訳では無い。ある程度の範囲が決まっており、それを超える場合は中継機が必要なのだ。


 今までエレナ達の頑張りにより、イスタンブールから半径二〇〇キロ圏内であれば、転送システムで派遣出来るようにはなっているが、そこから先へは文字通り開拓していくしかない。


 本来ならユーリの居たアンダーグラウンドにでも出張したい所だが、残念ながらユーリがそこを出る時に既にモンスターに襲われ壊滅している。

 他にもそういった場所があるらしいが、詳しい場所も知らなければ、今も存在しているかどうかも定かではない。


 東へ亜人を探しに行く……とは言っても、どこまで行けば良いのかわからない。途中拠点もない道を只管に進むのは、ハンターと言えど不可能に近い。であればこそ中継機の設置と、転送可能範囲の拡大が望まれるのだが、今のところは中継ポイントの洗い出し待ちだ。


 そうなってくると、やはり現場部隊としては自力をつける、くらいしかやる事がない……やる事がないのだが――


「あんま依頼が残ってねぇな」


 ボヤくユーリの言葉通り、人の少ない依頼ボードには殆ど依頼が残っていない。既に昼を過ぎてしまったので無理からぬ事であるが、それでもと経験を同時に確保したいと思うのは仕方がないだろう。


「ユーリさん、これ――」


 そんなユーリの斜め下で、カノンがコソコソとした声を上げた。その声に応えるようにユーリがしゃがみ込む。


「――今入ったばかりですが、からの依頼ですよ」


 カノンが小声で指差す先には、からの依頼――『逃げた猫を捕まえて欲しい』――何とも馬鹿げた依頼に、ユーリの額に青筋が一つ。


「猫だぁ? ンなもん別のやつに――」


 そこまで言ったユーリが固まった。依頼書の報酬金額を目で追い、今度は「いち、じゅう……」と声に出しながらもう一度その金額を目で追い直す。


「よし、やるか」


 有無も言わさず依頼書の番号をデバイスに入力していくユーリ。だが――依頼ボード上の依頼書には、『Ordered受注済み』ではなく、『Erroredエラーが発生』という赤文字が点滅し始めた。


「ンだこりゃ? エラーってなんでだよ?」


 首を傾げるユーリに、「上層なのでミスリル以上じゃないと駄目なのかもしれません」しょげるカノン。


「どうすんだよ。猫探すだけで……」


 再びしゃがみ込んだユーリが、声を落として「一〇〇万だぞ?」と数少ないハンターから依頼を隠すようにボードに近づいた。


「分かってますけど……あ、確かオリハルコン等級以上の推薦があれば、私達でも上層に行けた気が――」


 カノンがそこまで口走った瞬間、ユーリは既にデバイスに向かって「おいエレナ。暇だろ、ちょっと来い」とエレナを呼びつけていた。


 【戦姫】エレナ・クラウディア。その名はイスタンブールのハンター協会で知らぬものはいない。そんなエレナに「さっさと来い」とデバイス越しに命令する黒尽くめの男――それを見た他のハンター達が分かりやすくユーリから距離を取っているが、当の本人は「死活問題だ」と今もグズるエレナを呼びつけている。





「……一体何の用だと言うんだ」


 口を尖らせながら現れたエレナに、他のハンター達がギョッとした表情で更に距離を取る。


「遅ぇ。ジジイん所に居たんだろうが。呼んだら直ぐ来いよ」


 支部長室にいたであろうエレナに眉を寄せるユーリだが、「次は私と立ち会うか?」とエレナの蟀谷がヒクヒク動いている。


「コイツを受けてぇんだ。推薦をくれ」


 そんなエレナを無視するユーリが、彼女に件の依頼を見せるように指さした。それを「なになに」と覗き込むように屈んだエレナが、ジト目でユーリを振り返る。


「……君は支部長の話を聞いていたのか?」


 言外に含まされるのは「レベルアップしとけと言われただろう?」と言う苦言だ。だがユーリからしたらそんな事よりも大事な事がある。


「死活問題っつったろ? 家賃やら何やら払って金がねぇんだよ」


 マフィアから掻っ払った調度品の売上金額は、その殆どが衛士達への慰謝料で消えてしまい、ユーリの手元には今殆どお金が残っていない。……と言うか、イスタンブールに来てからお金が有った事の方が少ないのだが。


「……君が羊レースで馬鹿な事をしたからだろう?」


 ジト目で睨みつけるエレナに「そ、それはまた別だろ」とユーリが口を尖らせた。


「駄目だ。悪いが許可は出来ない」


 首を振るエレナに「何でだよ!」とユーリが噛みついた。


「君が上で問題を起こせば、それは私の責任にもなるからな」


 エレナはそう言いながら身体を起こした。


「大丈夫大丈夫。絶対ぜってぇ問題なんて起こさないって」


 笑顔のユーリだが、それを見つめるエレナのジト目は止まらない。


「君の『問題を起こさない』発言ほど信用できないものはないぞ……」


 そう言い放ったエレナが声を落として「それこそ【人文】以上にな」とユーリの耳元で囁いてニヤリと笑った。


「こんにゃろ……喧嘩売ってんのか」


 額に青筋を浮かべるユーリを「ユーリさん、駄目です。許可を貰うまでは我慢です」とカノンがしがみついて抑え込む。


「そう言う所だ。悪いが他を当たってくれ――」


 ヒラヒラと後ろ手を振るエレナ――その背中に「あーあ。許可くれたら凄腕の鍛冶師を紹介しようと思ってたのになー」とユーリの態とらしい声が突き刺さった。


 ピタリと歩みを止めたエレナに「あーあ。スゲー凄腕なのに……残念だなー」と更にユーリの声が大きくなる。


 あの時エリーに砕かれたのは、エレナがメインで使用していた剣だ。もちろんエレナクラスになれば、予備の剣を持っているが、やはり予備は予備でメインには及ばない。

 あれが砕かれた以上、あれ以上の一振りが必要となるのだが、今のところエレナはその一振りに出会えていないのだ。


 メーカーがオーダーメイドで作ってくれる剣は、確かに優れた一品なのは間違いない。間違いはないが、結局メーカーの技術以上の物は生まれることがない。そうなってくると、そこに属さないイレギュラーに掛けるしかないのだが、残念ながらエレナにはその当てが無いのが現状だ。


 分かりやすく考え込むエレナに、ユーリの口撃は更に続く。


「カノンの斧を作ったジジイでよー。屑素材からもスゲー剣作るんだけどなー」


 エレナは背中に刺さるユーリのニヤニヤとした視線を感じているのだろう。何度かそれを振り払い一歩を踏み出そうとするが足が出ない。そのくらい今のエレナにとって鍛冶師への繋は欲しいのだ。


 諦めたように溜息をついたエレナが、ユーリを振り返った。


「お? 許可する気になったか?」


 勝ち誇ったようなユーリに、エレナは首を振った。


「私は許可出来ない。……出来ないが、お前が鍛冶師との渡りをつけてくれるなら、私は許可してくれそうなを紹介してやろう」


 最大限の譲歩、と言った具合のエレナを前に、ユーリは「しゃーねぇな」と溜息をついてエレナにゲンゾウの鍛冶屋の場所と紹介状を送信した。


 それを受け取ったエレナが「【鍛冶屋一ツ目ワンアイド・ブラックスミス】……あの時の鍛冶屋か」とその内容を確認している。


「こっちは義理を果たしたぞ。お前も早く紹介しろ」


 眉を寄せるユーリに「少し待て」とエレナが自身のデバイスを操作して、ユーリへ連絡先を送信した。


 その宛先に記されていた名前は――ダンテだ。


「おお、そう言えばダンテさんもオリハルコンでしたね」


 思い出したように手を叩くカノンだが、ユーリはそもそもダンテがオリハルコンだと知らなかったので「へぇ」と言う感想意外出てこない。


 とは言え、許可してくれるなら誰でもいいのだ、とデバイスから通信を――コール音が何回も鳴り響く。中々出ないダンテにユーリの苛々が足下に現れる。


 トントントン


 床を叩くユーリの靴音が早くなって来た頃――


「おいおいおい〜ボーイかよ。何の用だよ〜」


 ――ようやく気怠げなダンテがデバイスの向こうに現れた。


「キザ男、テメェに用がある。ハンター協会まで来い」


 苛々が頂点に達していたユーリのぶっきら棒なお願いに、画面の向こうでダンテが眉を寄せた。


「ボーイ。悪いがお兄さんは忙しいんだよ〜。お誘いならまた今度にしてくれ〜」


 それだけ言うとダンテは通信を切ってしまった。


「……」

「……」

「……」


 黙り込む三人。その沈黙を破ったのは――


「あいつ殺していいだろ」

「ダメでしょう! 今のはユーリさんも悪いですよ」


 歩きだそうとするユーリを必死で抑えるカノン。とは言え、ダンテに断られた以上、ユーリ達はどん詰まりに違いない。


「分かった。殺すのは許可貰ってからにするから、取り敢えず二、三発殴らせてくれ」

「と、とりあえず私に任せてください」


 入口に向かうユーリを、カノンが必死で抑え込みながらエレナに視線を投げた。そんな視線に気がついたエレナが首を傾げながら自身を指差す。


「は、はい。エレナさん、申し訳ないですが今一度ダンテさんにここに来るようお願いしてみてください」


 カノンの頼みに「無駄じゃないか?」とエレナは眉を寄せた。先程のはユーリの言い方も悪いが、ダンテは「忙しくて無理」と言っていたのだ。であれば、誰が連絡しても結果は変わるまい。


 そう考えるエレナだが、その視線の先でカノンは「いいので、お願いします。私が保ちません」と必死な顔でユーリに引きずられている。


「……そこまで言うなら」


 そう言いながらエレナがデバイスを操作し、コール音が響く事一か――


「よぉ、お姫様プリンセス。何だい」


 ワンコールの途中で出たダンテに、エレナは思わず「早っ」と口走り、ユーリは入口へ向かうのも忘れて振り返った。


「い、いや。ちょっと用が有ってな。来れたらで良いんだが、ハンター協会まで――」

「直ぐに行こう」


 それだけ言って通信を切ったダンテ。


「……」

「……」

「……」


 再び流れる沈黙。それを破ったのは――開く扉にぶつかりそうになりながら、「待たせたね〜」協会に転がり込んできたダンテだった。


「もう来た」

「……殴っていいか?」

「ダメでしょう」


 そんなユーリたちなど眼中にないように、ダンテはエレナに向けて大股で歩きだし――


「よぉ、キザ男。ちぃと面貸してくれや」


 ――歩きだしたダンテの肩をユーリがガッツリと組んだ。


「おいおいボーイ。俺が魅力的だからって、迫られても困るぜ〜」


 適当にあしらおうとするダンテだが、「その面、二回くらい殴りゃもっと魅力的になるぜ」と思いの外ユーリのホールドが固く抜け出せない。


 ハンター協会のど真ん中で大男が二人肩を組む。


 方やそれを引き剥がそうとするダンテ。

 方やそれを許さないようガッチリ固めるユーリ。


 何とも言えない状況に、周囲がザワつき出したことでエレナが大きく溜息をついて口を開いた。


「ダンテ。まずは話を聞いてくれ」


 エレナのその言葉で「聞く聞く〜」とダンテがユーリのホールドされたまま笑顔で手を振った。

 エレナがデバイスに転写した依頼書をダンテの前に提示しながら


「この依頼書……ユーリ達は上層に行きたいそうだ。君も金欠だと言っていたからな……どうだ? ?」


 ダンテに笑みを浮かべるが、眼の前のダンテは「うーん」と考え込むように瞳を閉じた。


 まあ、言わなくても分かる。ユーリ達と行動する事を悩んでいるのだろう。黙ったままのダンテに、ユーリが固く閉じていたホールドを緩めた。ダンテに対して思う所はあるが、今この瞬間くらいは少しでも好印象を与えようという姑息な手段である。


 しばし悩んでいたダンテだが


「六、四でならいいぜ〜」


 とユーリに笑顔を見せた。一〇〇万の報酬のうち六割りを渡せと言ってきているのだ。


「お前が四で、ってことだな?」


 額に青筋を浮かべたユーリが念押しするが「逆、逆〜」とダンテがニヤリと笑う。


「俺が六、君等が四だろ〜」


 その言葉に「よし、やっぱぶっ殺そう」と指を鳴らすユーリと「ダメでしょう」と再びしがみつくカノン。


「ま、折角仲間になったっぽいし、込で五、五でどうだい〜?」


 ユーリとカノンの前で両手でパーを見せるダンテ。それでも取り分としてはカノンと折半すれば二十五万だ。元々の取り分からしたら半分にしかならない。だが――


「ユーリさん、二十五でも破格でしょう」


 自身を抑え込むカノンの言う通り、アイアンで受けられる任務からしたら破格の内容である。しかも猫を探すだけで。

 依頼者がミスして受注可能欄を空白にしたお陰で、カノン達でも許可さえ貰えれば受けられる。つまり転がってきた幸運だ。

 元々の取り分からは減るが、それでも未だ魅力的な数字にユーリもついに折れた。


「オーケー。五、五でいい。キザ男の方が負が込んでたし、


 とは言え、素直にお願いしますとは言わないのがユーリだ。


「おいおいおい。ボーイの方が負けてただろ〜?」


 それに切り返すダンテに空かさず、「強がんなって。俺たちみたいなするくらいには貧乏なんだろ?」声を大きくしたユーリがニヤリと笑う。


 ユーリが煽っているのはダンテとて理解している。理解しているが、周囲の視線が気になるのも事実だ。なんせ、ダンテの心のオアシス、少なくない女子がこの光景を見ている。女性が大好きなダンテにとって、ケチな男というレッテルを貼られる事だけは避けたい。故に――


「ボーイがそこまで貧乏ならしかたないな〜」


 ――分かりやすく強がる事になった。頬をヒクつかせながらも、努めて笑顔で余裕を振りまくダンテ。ユーリからしたら何とも理解しがたい生態だが、ある意味やりやすいので助かる。


「んじゃ、三、七な」


 吹っ掛けるユーリに「なっ」とダンテが声を漏らしそうになるが、「さっすがオリハルコン、金持ちだな」とユーリに続けられては否定しにくいのだろう。


「い、いいとも〜」


 震えるダンテの声に、ユーリはニヤリと悪い顔を浮かべるが、その視界の端でカノンがフルフルと首を振っているのが見えた。

 どうやらユーリが更に吹っ掛けようとしている事に、勘付いたようだ。


「……ま、この辺が妥当か」


 そう呟くユーリにカノンがウンウンと頷く。

 正直もう少し吹っかけてもいいのだが、あまりやりすぎは良くない。手取り三十五でも上等だろう。そう思ったユーリが、眼の前で頬をヒクつかせているダンテに「よろしく頼むぜ」と手を差し出した。


「……早速行くとするかい?」


 大きく諦めの溜息をついたダンテの言葉に、「さっさと終わらせようぜ」と頷いて歩き出すユーリとカノン。


 おかしなトリオが上層へむかう――エレナは一抹の不安を感じながら、そんな三人の背中を見送っていた。

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