第89話 収まる所に収まりました
ユーリの出した言葉に、ぞの場の全員が固まっている……。サイラスやエレナ、カノンだけではない、今まで笑顔を貼り付け無言を貫いていたクレアでさえ、その驚きを表情に隠せないでいた。
「亜人……だと?」
「ああ。噂だけどな」
ようやく絞り出されたサイラスの言葉に、ユーリが頷いた。とは言えユーリの言う通り噂だ。情報の信憑性はかなり低い。だがバカバカしい事でも、火のない所に煙は立たない。恐らく何かしら似た物があるのかもしれない、とは考えているが。
「俺が住んでたところ。ああ、東にあるアンダーグラウンドで囁かれてる噂だ。東には亜人とか言う人間みたいな奴らがいるらしい」
ユーリが知っているのはその程度だ。因みにヒョウですらそれ以上の情報を持っていない。とは言えモンスターが突如として現れたのだ。人に似た何かが生まれていてもおかしくはない、と思っている部分もある。
「人型のモンスターが集落を作っている……のか?」
考え込むサイラスに「さあな」とユーリが肩を竦めながら続ける。
「モンスターかどうかは知らねぇけどよ……ゴブリン、オーガも集落は作るだろ?」
その言葉にサイラスが更に考え込むように視線を下げた。
ユーリの言う通り、ゴブリンなどの人型モンスターも集落を作るものがいる。だがそれらを『亜人』と呼ぶことはない。彼らは人の形をしてはいるが、人を見ると襲いかかってくる。つまりモンスターであることに間違いはないのだ。
わざわざ『亜人』と、そう呼ぶのなら、モンスターとは違い、無闇矢鱈と襲ってこないのだろう。つまり人と同じようにコミニュケーションが取れる可能性があるとユーリは考えている。
「上の人達は、その亜人を隠したいのでしょうか?」
カノンが発した疑問で、サイラスが思考の海から引き戻されたのだろう。押し上げられたサイラスの眼鏡が怪しく輝いた。
「一概には言えないが……【人文】が進みたくない方向に居る存在……会ってみる価値はあるな」
そう笑うサイラスに「だから噂だぞ?」とユーリが溜息交じりで釘を刺した。実際ユーリも見たことがあるわけではないし、ヒョウも知らない事なのだ。噂ばかり追いかけて目的を見失って貰っても困る……そう考えたユーリだが、大事なことを思い出したと手を叩いた。
「ところでアンタらの革命の話はどうしたよ。ただ自分のレポートを拒否られたから、ってだけじゃねぇんだろ?」
革命の目的やら何やらを、全くもって聞いていなかったのだ。ここに呼ばれた理由でもあるはずなのに、いつの間にか話が脱線してしまっていた事に気付いたユーリが、「それがメインだろ」と既に
「そうだな……『革命』とは言ったが、別に我々は【人文】相手に切った張ったの戦いを挑むつもりはないのだよ」
同じようにコーヒーを飲み干したサイラスが更に続ける。
「我々の革命は、人々の意識へと働きけるのも――」
遠くを見るようなサイラスに、ユーリは良く分からないと言った具合に盛大に眉を寄せた。
「【人文】という組織への、盲目的信頼を揺るがす事が目的なのだ」
そう言いながら執務机の上でサイラスが指を組んだ。
「そこまで目の敵にする理由は?」
ユーリの言葉にサイラスが「フッ」と笑って眼鏡の奥の瞳を細めた。
「……これはね……復讐なのだよ。今まで生存圏の奪還を目的に、何百、何千、何万人の能力者が犠牲になってきたと思う?」
サイラスの瞳に薄っすらと憤怒の炎が宿った。
「我々はそれを主上としているし、その道半ばで倒れることを厭わない。だがその目的がいびつに歪められているとしたら――我々は彼らを許すわけにはいかない」
机の上で組まれたサイラスの指に力が入る――それを見たユーリは、「成程」と小さく呟いた。
サイラスの考案した『神の目』システム。それを拒否して尚且つ中々広がらない、いや広げようとしない生存圏から、サイラスは【人文】が何かを隠していると睨んでいるのだろう。
コストのかかる能力者達を使い潰してまで隠したいこと……その理由をサイラスが東に求めたのだろうが、ユーリの出した答えが果たして【人文】のお偉方の目的かどうかは定かではない。
だが、状況証拠としては十分な気もしている。
東へ及び腰な【人文】。
東にあると噂される亜人の集落。
その二つから見えてくるのは、【人文】が東に行かせたくなくて、ハンターを始めとした能力者達を使い潰している事だ。
ハンターの生存率が上がれば、うっかり東の秘密に触れる可能性も出てくる。
軍の作戦成功率が上がれば、うっかり東に生存圏が伸びる可能性が出てくる。
故にサイラスは東に活路を求めていたのだろう。そこに東からユーリが現れた……成程、あれほどしつこく誘ってきた理由が今ハッキリと分かった。
【人文】がひた隠す東の荒野の先――そこへ辿り着くのがサイラス達の目的なのだ。
奴らが何故東を隠すのか、本当に噂どおり亜人の集落があるせいなのか。それは分からない。分からないが、彼らが東を隠すのならばと
「っつー事は、
ユーリは、つい最近起こったばかりの騒動を思い出しながらサイラスを見た。
「……それは恐らく違うだろう」
首を振るサイラスに、「へぇ」とユーリが感心した声を漏らした。
「確かに知事への尋問内容を、軍がこちらに渡さない以上、背後に【人文】がいたことは間違いないだろう」
サイラスの言葉にエレナとクレアが頷き、ユーリは「真っ黒じゃねぇか」と苦笑いを浮かべた。
「間違いはないが……本気でここを潰すなら、出来た頃に潰すべきだ。そもそも奪還作戦など組まねば良かった」
溜息をついたサイラスに「状況が変わったとか?」とユーリが思いつく理由を上げてみた。
「可能性はなくはないが……それならば、我々の耳にも『噂』程度が入っていてもおかしくはない。それに――」
「本気で動いたにしちゃ、ショボすぎる……か」
ユーリの言葉に「左様」とサイラスが頷いた。
イスタンブールの巨大スラム地区で計画されていた武装蜂起であるが、これを【人文】が全面的にバックアップしていたら、もっと技術も人も投入されていた事だろう。
あの程度で済み、更に別の勢力の介入を許したという事は、元々本気で潰す気は無かったか、若しくは本気を出せない状況にあったか……。
「【人文】も一枚岩ではない……って事か」
「恐らくは」
納得しあう二人だが、対面のカノンはポカンと呆けた表情で二人を見比べている。今の会話の流れが分かっていないようなカノンが、
「何故、一枚岩ではないと分かるのでしょうか?」
と素朴な疑問を投げかけた。
その疑問にユーリとサイラス、エレナとクレアがそれぞれ目配せをして――
「奴らが本気じゃなかった……くらいは理解できてんな?」
ユーリの言葉に「そこまで馬鹿ではありません!」とカノンが口を尖らせた。
「仮に奴らが遊び半分でここを潰すとして……そこに何のメリットがある?」
ユーリの言葉に、「東に行かせたくないのでしょう?」とカノンが首を傾げた。
「あのな……東に行かせたくないのなら、奴ら本気でここを潰しにくるだろ」
ユーリの溜息混じりの声に、「おお、そうですね」とカノンが手を叩いた。
「本気で来てねぇ……なら状況は変わらず
「ここからだと、彼らの秘密までは遠い……というわけですよね?」
カノンの言葉に「そうだ」とユーリだけでなく、クレアやエレナも頷いた。
「そこに来て、あの騒動の裏に【人文】が居たって事は――」
「【人文】の誰かにとっては、イスタンブールが邪魔だったと……?」
「多分な」
そう言ってユーリは、ソファの背もたれに身体を預けて天井を仰いだ。何とも面倒極まりない相手だと思う。悪いやつら同士結託して、一致団結してくれたら話が単純でいいのに。そう思えてならないのだ。
「理由はなんなのでしょうか?」
「俺が知るか。どうせ、『発展しすぎてムカつく』とか何とか言う、訳の分かんねぇ理由だろ」
面倒すぎて、適当に理由を並び立てたユーリだが案外的を射ている事を本人は知らない。
「それはさすがに……」
とは言え、何も知らないカノンからしたら、あまりにも酷い理由に納得など出来るはずもなく……ユーリに「もっと真面目にしろ」とでも言いたげな視線を送っている。
「いや、案外あり得るかもしれん」
そう言って呆れた顔を浮かべたのはサイラスだ。
「奴ら、己の地位と権力の為に動く無能の集まりだからな」
大きな溜息をつく彼は、恐らく【人文】と少なくない交流があったのだろう。
「とは言え……それは表向きの理由だろうがね」
そんな物が表向きでいいのか。そう言いたくなるユーリだが、真剣なサイラスを見る限り、そう言ったイカれた集団らしい事を理解した。
……成程。無能だが馬鹿ではない。その意味をユーリは理解した。サイラスが彼らに言う無能は、能力が無いのではない。己の能力を誰かのために使う気が無いのだ。上に立ち、その力を人々のために使わないのなら、それは正しく無能なのだろう。
己の権力と地位を守る事を主上とする集団。澱み、腐りきったぬるま湯につかる彼らは、彼ら同士でも常に腹の探り合いをしているのかもしれない。
そんな奴らの思考などユーリには到底理解が出来ない。理解が出来ないからこそ面倒だと思う。そして、そんな奴らだからこそ、サイラスは『革命』などと称して、人々の意識を変えようと様々な事を模索しているのだろう。
「東に行かせたくない……その理由も下らねぇのかもな」
ポツリと呟いたユーリに「恐らく」サイラスも呟いた。
ユーリとサイラス、二人して【人文】の目的は、彼らの地位を守る為の何かではないかと当たりをつけている。仮に亜人の集落が理由だとしたら、それが彼らの地位や権利にどう関わってくるかは分からないが。
室内にしばし流れる沈黙。それを破るように「色々と話が脱線したが……」と口を開くサイラスが机の上で組んでいた指を解いた。
「我々は彼らの隠し事を暴き、世間にそれを知らしめたいだけなのだ」
サイラスはそう言って立ち上り、ユーリの方へと歩きながら言葉を紡ぐ――
「彼らに対する裁きは世間が下してくれるだろう」
――ユーリの前まで来て、ソファにふんぞり返るユーリへ視線を向けた。
「もう一度言うが、我々の革命はいわば人々の意識に対する革命なのだ」
「そりゃ御大層なこった」
サイラスの光る眼鏡にユーリの苦笑いが映っている。
「興味はないかね?」
眼鏡の奥で光るサイラスの瞳。
「本音を言えば、興味ねぇよ。今の世の中でも飯は食える……が」
ユーリはその瞳を真っ直ぐ見つめ返して大きく深呼吸をした。
「今回の騒動……あれにカラスが絡んでるなら、【人文】の奴らとカラスにも因縁があるんだろ」
ユーリはそう吐き捨てて、背もたれの身体を預けた反動でソファから立ち上がった。
「だからよ……癪だけど協力してやるよ」
ニヤリと笑うユーリに「協力させてやろうではないか」とサイラスもニヤリと笑って手を差し出した。
出された手に一瞬だけ眉を寄せたユーリだが、「足引っ張んなよ」と笑ってサイラスの手を強く握りしめた。
「君こそな」
そう言って強く握り返された手に、ユーリは「へぇ」と再び感心した声を上げながらも、その手を暫く強く握り続けるのであった。
ユーリ・ナルカミ。今までの人生の中で、初めて己の意思で誰かの下についた瞬間であった。
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