第88話 そりゃモンスターがいるんだもの

 治療が終わったものの「気が乗らない」と帰途についたフェンだけでなく、オペレーターや他のメンバーも支部員としての仕事、依頼や打ち合わせ等があるとの事で続くユーリとサイラスとの対談を欠席する事となった。


 結局残ったのはユーリとカノン、クレアにエレナというだけ……しかもサイラス自身も仕事があるので、支部長室での対談だ。


 あの日支部長室に呼ばれた時同様のメンバーが揃って、再び同じような話をするという偶然に、ユーリが「妙な巡り合わせだな」と苦笑いをこぼした。


 コーヒーを片手に執務机に向かうサイラスが「さて、何から話そうか……」と考え込みながらカップに口をつけた。


「君は【人文】を……いやそれを動かしている【人類統一会議】をどう思うかね?」


 サイラスの鋭い視線に、「どうもこうも、詳しく知らねぇよ」とユーリがソファにふんぞり返って鼻を鳴らした。


「知らない?」


 眉を寄せるサイラスに、「ああ、知らなくても生きていけるからな」とユーリは笑うが、隣のカノンも向かいに座るエレナも苦笑いだ。


 基本的に、この世界では【人文】が教育機関も運営しているため、全国民が幼い頃から【人文】について叩き込まれる。特に【人文】を構成する十二の機構と、それを束ねる【人類統一会議】に関しては、それこそ嫌というほどだ。


 軍、衛士隊、ハンター協会といった軍事力を始め――


 通信放映局、技術開発局、医療保健局、異形調査局、能力開発局、国土再生局、法務局、財務局、教務局の全部で十二の機関。


 それぞれのトップに議長を加えた十三の理事からなるのが、実質人類を支配している【人類統一会議】と呼ばれる意思決定機関だ。


 教務局主体による国民への教育により、これらの事実と【人文】が世界を安定させているという内容が広く教え込まれているのだが……



 首を傾げるユーリに、三人はおろかクレアですら目を見開き驚いている。そのくらい基本的な事項なのだが、ユーリは聞いたことがある程度の知識しかないという。


 そんなユーリに、サイラスが仕方がないという具合に溜息をついて口を開いた。


ではあまり聞かない内容だったかね?」


 眼鏡を光らせるサイラスに「何の事だよ」とユーリが眉を寄せた。


「君を何としても私の組織に引き入れたかった理由――」


 そう言いながらサイラスがクレアに目配せすると、クレアが小さく頷きたタブレットを操作し始めた。


「これを――」


 クレアがそう言うと、サイラスの背後のモニターに一つの動画が流れ始めた。


 そこに映し出されていたのは、高性能赤外線カメラが捉えた荒野の映像。草に埋もれた無数の廃墟や瓦礫。

 未だ手つかずの旧時代の遺産はまさに荒野の証だ。


「これは……の外……」


 見慣れたその景色にエレナがポツリと呟いた。


「そうだ。ここより東に一〇〇キロ程の位置だ」

「それがどーしたってんだよ」


 ユーリのため息はその場にいる全員の声を代表しているかのように、部屋に響き渡る。


「慌てるにはまだ早い。この映像を拡大すると――」


 サイラスの言葉に従いクレアがタブレットを操作すると、映像がズームされる。

 そこに映っているのは、荒野を一人歩く男性の姿――赤外線カメラのため、色の判別こそ難しいが、その顔はそこにいるだ。


「これは君だな? ユーリ君がここを訪れる半日程前、東門の哨戒ドローンが上空から捉えた映像だ」


「……」

 腕を組んだまま押し黙るユーリは、既に映像など見ていない。


「つまり――ユーリは?」

「そうだ。しかも最も危険な時間帯に…ね」


 再生される映像、不意に現れた二足歩行の豚を殴り飛ばすユーリは、凡そ月明かりだけを頼りに歩を進めているとは思えないほど軽快な足取りだ。


「さて、ストラスブールからここまで来たはずの君が、なぜこの時間帯にこの場所にいたのだ?」


「……」

 視線はサイラスに向けたまま。だがユーリは口を開こうとしない。


「君はモグリだ……モグリなのは確実だが――のモグリだ」


 サイラスの言葉に、部屋にいる全員が一斉にユーリを見た。


「君がモグリであるという事実は確定している。とは言え、元々隠せていなかったが……」


 ニヤリと笑うサイラスに「与太飛ばすなって」とユーリが鼻を鳴らしてソファの上で足を組んで更に続ける。


「完全完璧に正式ハンターやれてたろうが」


 眉を寄せるユーリに、全員が「いや。それは……」と言葉に詰まった。怪しさ満点の登場から、衛士と揉める自由っぷり、さらに誰もが知っているような常識も知らないときた。それで完全に演じられていたと思えるユーリを皆が若干心配そうな瞳で見つめている。


「……ンだよ。その視線は」


 それに不満そうな声を漏らすユーリだが、全員が「いや」と首を振ってユーリから視線を逸した。


「自覚がないとは恐ろしいものだ」

「心配になりますね!」

「馬鹿だから心配するだけ無駄だ」

「腹芸が必要な任務はお願いできませんね」


 ユーリは自身を前に、四人でコソコソと囁き合う姿に「お前ら感じわりぃな」と眉を寄せながらカップに口をつけた。


「一先ず君がモグリかどうかは、どうでもいい」

「曲がりなりにも体制側がそんなんでいいのかよ」


 話題をぶった切るサイラスにユーリが溜息を返す始末だ。司法が「見逃す」と言うのを犯罪者が「駄目だろ」という良く分からない構図になっているのだが、


「今更だろう」


 とサイラスが言う通り今更なのだろう。


「君が東から来たという事実と、私が君を是非にと望む理由……それを話す前に――」


 そう言いながらサイラスが、机の中から一つのタブレット端末を取り出した。


「まずはこれを見たまえ」


 そう言ってユーリへと渡されたタブレット、その画面に映っていたのは、おびただしいレポートだ。


「んだこれ? 俺にをしろってぇのか?」

「それは私が十年程前に【人類統一会議】宛に送った『神の目』の必要性に関するレポートだ」


 サイラスがその眼鏡を外し、ゆっくりと磨き出す。


「んだそりゃ? 俺に自慢してぇの……? 十年前? 待てよ。じゃあなんであそこがのオペレーションルームなんだよ」


 眉を寄せるユーリに「気づいたかね?」とサイラスは呟きながら、眼鏡のレンズを明かりに透かしている――まるで汚れではなく、遠く何か別の物を見ているかのように。


「バカでも気づくだろ。あのシステムが十年前に公になってんなら、秘密どころかもっと普及してんだろ」


「……却下されたのだよ」


 サイラスのため息とともに、眼鏡は元の位置へと戻った。


「はあ? んなバカな。あんな画期的なシステムをか? 【人類統一会議】ってぇのはバカの集まりかよ」


 ユーリが盛大に眉を寄せた。あまりにもありえない回答にその声も大きくなる。とは言え、あのシステムを隠していた理由は分かったのだが……国の意向。何とも馬鹿ばかりだ、とユーリは呆れ果てていた。


「無能ではあるが……バカの集まりであれば今頃人類は絶滅しているだろうね」


 サイラスの言葉に「面倒クセーな」とユーリが口を尖らせてソファの背もたれから身体を起こした。


「無能だが馬鹿じゃねぇ……ってことは却下しなけりゃいけねぇ……いやがあったってことか」


 腕を組んだまま、考え込むようにユーリがその手を顎に添える。


「恐らく」


 短い答えとともに、支部長はタブレット端末の画面をオフにした。


 なんとも言えない沈黙を破ったのは


「……却下しないといけない理由と、許可したくない理由はどこが違うんでしょうか?」


 カノンのぼんやりとした声だった。


「却下しないといけねぇ理由なら、例えばお前らオペレーターへの負荷、技術的な問題、そう言った物理的に無理な理由も考えられるだろうけど――」


 ユーリはあえて話をふるようにサイラスへと視線を投げ、それに軽く頷くサイラスが、話を引き継ぐ――


「――許可したくない理由となると、何か不都合があるからだろうね。彼ら【人文再生機関】、もしくは【人類統一会議】において、になるからくらいしか説明が出来ない」


 支部長の説明に、「そういうことだ分かったか」とユーリがカノンを見た。


「でも今の情報だけで、なぜ許可したくない理由と断定できるんでしょうか?」


 ユーリを真似たように、カノンが腕を組みその手を顎に当てる。そんなカノンをジト目で睨んだユーリが口を開いた。


「……お前なぁ――十年も前に出された技術に今の今まで? 技術的な問題だけならそういった部分を『直せ』くらい言ってくるだろ」


 軽く頭を抱えるユーリの視線の先で、エレナが驚いたような表情でカノンを見ている。まるで「え? 分かってなかったの?」とでも言いたげな視線だが、当のカノンはそんな視線に気づくはずもなく――


「なるほど!」


 ポンと鳴らされた手の音が虚しく響いた。


「……ハァ。お前曲がりなりにもジジイ側だろ? なんで理解できてねぇんだよ」


 ユーリの盛大な溜息を前に、カノンがドヤ顔で指を振る――


「チッチッチ」

「指を振るなクソうぜぇ」

「私はあえて分からないフリをして、ユーリさんが分かっているか試しただけです」


 ドヤ顔のカノン、額に青筋が浮かぶユーリがサイラスとエレナに視線を飛ばす――


「……」

「……」


 その視線から逃げるように顔を逸らす二人。


「おい、エレナ。次そいつが口を開いたら耳引っ張れよ」

「ぎぃぃぃえぇぇぇ……久々に訪れる耳の危機……」


 耳を抑えて縮こまるカノンと、盛大なため息をつくエレナ。


 ユーリはそんなカノンへとチラリと視線を向け、「話の腰を折るんじゃねぇよ」と盛大にボヤいた。そんなユーリのボヤキに、その場の全員の視線が彼へと集まる。


「ンだよ?」

「ユーリさんにだけは言われたくないです」


 ジト目のカノンに流石のユーリも「お、おう悪いな」とたじろいでしまう。


「仲が良いのは何よりだが、話を戻してもよいだろうか?」


 もはや諦めた。そういった雰囲気のサイラスが口を開き、それに同意するようにユーリが視線を向けるだけで答えた。


「このイスタンブールが最前線と言われて早二十年。つまり人類は二十年前から一切その生存圏を回復していない」


 サイラスの嘆きに「私と同い年ですね!」とトンチンカンな発言をしてしまうカノン。

 そんなカノンの発言に、ユーリは視線をエレナへと向け「やれ」といった具合に顎をしゃくる。

 そしてエレナはユーリの視線を、そっぽを向く事で逸した。


 短く舌打ちだけしたユーリだが

「イスタンブールより東に行かれちゃ……いや、イスタンブール以外で言やぁ北と南の前線があるな……」

 再びサイラスとの会話へと集中を戻した。


「因みに現在の生存圏だ――」


 サイラスの言葉に従い、背後のモニターに生存圏が青枠で囲われていく。


 北はポーランドの途中からルーマニアを縦断してイスタンブールへ。

 南はスペインとポルトガルの一部、そしてイタリアギリシャを経てイスタンブールへ。


 丁度ここイスタンブールが突出した形になっている。


「あまり北に行けば、寒冷地が。ジブラルタル海峡を縦断してアフリカへ渡ってもサハラ砂漠が待ち受けている」


 サイラスの言葉に「つまり、今のところ東進が一番確実なわけか」と呟いた。


 ユーリの言う通り、モンスターの脅威に加え、気候や土地といった自然の脅威も合わされば、戦いはかなり厳しいものになるだろう。故に今のところ東進して、インド方面を目指すのが一番賢い方法だ。


 勿論途中のイラクやアフガニスタンにも砂漠はあるが、サハラを考えればまだマシだろう。


「ここから先に広げるしか無いのに、一向に広がらない」

「オペレートシステムを使用すれば、ハンター、軍の生存率も作戦成功率も飛躍的に高まるだろう」

「それを拒否するって事は……」

「恐らく彼らはこれ以上のだ」

「……」


 その言葉にユーリは考え込むように目をつむり腕を組み直した。


 しばしユーリが考えを纏めるように黙ったまま目を瞑る――


「ちなみに、民衆には生存圏を広げない理由をどう説明してるんだ?」


「説明はない。ないのだが、敢えて言うのであれば……」


 言葉をためるサイラスに、ユーリが真剣な表情を向けた。


「ここより東にはモンスターが湧き出る穴があるのだとか……」


 呆れ顔で肩を竦めるサイラスに、「ンだそりゃ。子供だましも良いところじゃねぇか」とユーリが背もたれに思い切り身体を預けて眉を寄せた。


というらしい。数年周期で噂になっては消えてを繰り返しているな」


 そう言ったサイラスが、「穴からモンスターが出るなら、苦労はしないのだがね」と続けた。


 サイラスの言う通り、そんな穴があるなら埋めてしまえばいい。モンスターが出てこなくなれば、生存圏の回復も、復興も何もかもが望み通りだ。


「兎に角、そんな子供だましの噂が出るくらいには、ここより東に近づけたくないらしい」


 生存圏を広げたくない。

 モンスターが発生する穴。

 ……人を近づけたくない。


 サイラスが放ったその言葉にユーリとしてはがある。

 心当たりがあるが、それは確証の得られた情報ではない。噂程度の頼りない情報だ。


 正直ユーリとしてもそれを信じてはいない。眉唾過ぎてダンジョンと五十歩百歩のバカバカしい噂なのだ。


「……リ君。ユーリ君」

「あ、悪いな。少し理由を考え込んでてな……んで何の話だ?」


 サイラスの呼びかけで思考の海から引きずり出されたユーリは、今会話がどうなっているのかを一応確認しておく。


「君は東の荒野から来たのだろう? 東には何があるのだね?」


 サイラスの言葉にユーリは大きく息を吸い込んだ。


の集落……があるらしい」


 ユーリの出した言葉に、全員の「え?」と言う疑問符と呆けた顔が重なっていた。

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