第87話 気が付かぬうちに抱えているもの――それが縁

 ついて来いと言うフェンに従い、ユーリが辿り着いたのはオペレートルームから少し離れたハンター協会近くのビルだった。ここはハンター協会が所有するビル――そんな公的施設の地下にユーリはいた。


「へぇー。こんな施設があるなら言ってくれよ」


「……何処の支部にもくらいあるだろ?」


 ユーリの眼の前でフェンが呆れた顔を見せた。


「……お前を試しただけだ」


 何故かドヤ顔のユーリだが、フェンは「何をだよ」と眉を寄せ、エレナは「隠す気があるのか」と呆れ顔を隠せないでいる。



 ここはフェンの言う通り、ハンター協会訓練施設。ビルの中には、VR装置を利用した戦闘訓練を始め、簡易的な魔法の試し打ちが出来る部屋、武器の試し斬りの出来る部屋など様々な設備が整っている。


 そんな訓練施設でも、とりわけこの地下訓練場は思い切り暴れても問題ない、とルーキーからベテランまで大人気の設備だ。


 ドーム状に作られた簡素な空間。最高硬度を誇るアダマンタイトで覆われ、さらに強化魔法を施されたそこは、並のハンターでは傷一つつけられない堅牢な訓練施設なのだ。


「それで? エレナはまだしも、他の連中がついて来る必要はあったのかよ?」


 面倒そうに欠伸を噛み殺すユーリの視線の先には、あのオペレートルームにいた全員が顔を揃えていた。……しかも支部長権限を使って、この訓練施設の一時的な貸し切りまでしている始末だ。


「テメーの吠え面を拝むためだろ」


 自身を睨みつけるフェンに、「キャンキャン吠えんなって」とユーリが小さく溜息をついて首を鳴らす。そのまま黙り込んだユーリにフェンが軽く腰を落として口を開いた。


「ルールはどうする?」

「ルールだぁ? ンなもん――」


 一瞬でユーリの姿が全員の視界から消えた――


「――


 フェンは背後で冷たく響いたその声に、咄嗟にゲートから短剣を抜きつつ距離を取った。意識して、と言うより長年の戦いで培われた勘が産んだ咄嗟の反応だろう。とは言え、それが間に合っていたかどうか……は微妙なラインだが。


「今のが実戦なら死んでた訳だが? それでも未だやるか?」


 溜息をついたユーリの言葉は、間に合ってなかったと手厳しい物だ。


 そんなユーリが放つ闘気がビリビリと訓練場の空気を震わせる。その様子に「あ、あの時みてーだ」と生唾を飲み込むリンファ。


「黒い……闘気」


 エレナがポツリと呟くとほぼ同時、ユーリを薄っすら黒い靄が包み始める。僅かに視認出来る程だが、今まで黒い闘気など見たことがない。


 明らかに禍々しいそれに、見学している他のメンバーも動揺を隠せていないようだ。


 そんな闘気を真正面に受けるフェンだが、その瞳に宿る光は衰えていない。

 そんなフェンの瞳を見たユーリが「へぇ」と口の端を上げた。


「後でグダグダ言われんのもダルいからよ。来るんなら全力で来いよ」


 手招きをするユーリを前に、フェンが気持ちを落ち着けるように長めに息を吐き出した。


「戦いに『たら、れば』を出すような野郎が生意気言ってんじゃねーよ。あの不意打ちで仕留められなかった事を後悔させてやる」


 短剣を両手にフェンが疾走。

 一瞬で零になるユーリとの間合い。

 右逆手の刃がユーリの頸動脈へ。


 それをユーリがスウェイ。

 首元を通り過ぎる刃――

 振り抜かれた腕、その影から左順手の刺突が現れた。


 不意打ちに似た一撃だが、左足を軸に体を開いたユーリには当たらない。


 それでも、とフェンが思い切り右手を引き戻してユーリへ逆手の突きを――


 振り戻されるフェンの右手首をユーリの右手が捉えた。

「クッ――」

 漏れるフェンの焦りだがユーリには届かない。

 ユーリは更に右脚を引きつつ、左掌底をフェンの右肘へ――


 その瞬間フェンが前方に飛びつつ身体を反転、右肘を曲げて関節を庇った。


「〜〜♪」


 即座の判断に口笛を吹いたユーリだが、反転したフェンに合わせるように自身も回転。


 腕一本を掴んだままのユーリが回転の勢いでフェンを放り投げた。


 宙へ放り出されたフェンだが、空宙で回転して綺麗に着地。

 着地をタメに、再度ユーリへ飛びかかる。


 左右同時に襲いかかるフェンが逆手に持つ刃。

 『X』を描く刃の軌跡はエリーに止められたあの技だ。

 それをユーリはそれを半歩下がってやり過ごした。


 が、フェンの攻撃はそれで終わらない。

 振り抜いた左右両方の腕。その両方が一瞬で順手持ちに。

 さらなる踏み込みと同時に再び襲う『X』の軌道。

 をユーリが抑え込んだ。


 交差する腕を抑え込んだユーリが、「連続は見飽きるだろ」とそのまま左前回し蹴り。

 咄嗟に飛んだフェンに、「ニャンコみてぇな奴だな」とユーリが笑う。


 再びユーリに迫るフェン。

 先程と違い、右の刃がユラユラと揺れてユーリの視線を惑わせ

 左の刺突が一気にその腹に。

 腹に迫る一撃を僅かに体を開くことで脇に逸らすユーリ。

 その右腕がフェンの左手を抱え込んだ。

 かと思えば、そのまま左のストレート。

 顔面に迫るユーリの拳をフェンが首を捻って躱した。


「ボッ」


 とフェンの耳元で風を切った拳が、フェンのバンダナの裾を舞い上げ――ていない。

 その裾を掴んだユーリの左手が、それを思い切り引っ張った。


 左手を固められ、バンダナの裾を引っ張られたフェン。

 なされるがまま、右側頭部をユーリに差し出すように――

 そこに叩き込まれるユーリの頭突き。


「グッ――」


 苦悶の声と共にフェンが仰け反り血が舞った。


 右瞼を切ったのだろう。出血で右目を瞑ったフェンが「チッ」と舌打ちを漏らして短剣を構え直した。


「……悪くはねぇが……まだまだだな」


 そんなフェンを前に腕を組んだユーリが鼻を鳴らす。


「疾さはまあまあ。反応もいい。が、如何せん対人戦の


 笑うユーリに「うるせー」とフェンが声を荒らげて再び襲いかかる。


 右順手の刺突――首を捻って躱す。

 空振った右が即座に横薙ぎへ――ユーリのダッキング。

 がら空きの土手っ腹に、ユーリの打ち上げ気味のボディーブロー。

 それを迎え撃つのはフェンが左逆手に持った刃。


 右の横薙ぎが躱されたと同時に、回転しつつゼロ距離に構えた左逆手をユーリの拳目掛けて振り抜いたのだ。


 拳に迫る刃にユーリが攻撃を途中で停止。

 拳ギリギリを通過した刃。

 が通り過ぎると同時、回転したフェンの右肘が戻ってきた。


 未だダッキングで屈んだままのユーリ。

 その側頭部に迫るフェンの右肘。

 距離を取れば肘から先が伸びてくる。

 そんな攻撃をユーリは右手で受け止めた。


 一瞬止まってしまったフェンの回転。

 止められてしまった回転。

 しかも背中を向けて――


「マズ――」


 その言葉は届かない。


 ガッチリと腰の前で組まれたユーリの両手。

 その意味にフェンが気がついた時には、既に浮遊感に襲われていた。


 ――ジャーマンスープレックス


 その一撃がフェンを後頭部から地面に叩きつけた。


 地面に走った衝撃が、建物を揺らして天井からパラパラとホコリを落とす――


 完全に決まった一撃に、フェンの身体から力が抜け床に崩れ落ちた。


 ユーリはそんなフェンを一瞥して背を向け――


「ま、待ちやがれ……まだだ。まだ勝負はついてねぇぞ」


 ――その背中に突き刺さるのは、フェンの強がりだ。


 ゆっくりと立ち上がるフェンだが、後頭部への衝撃が残っているらしく、足下が覚束ない。まるで生まれたての子鹿。そんな様子にユーリが呆れたように溜息をついた。


「頑張るのはいいが、これ以上は死ぬぞ?」


 ユーリのその言葉に「上等だ! 死んだほうが負けなんだろ?!」とフェンが声を荒げる。自身が上げる怒声が頭に響くのだろう、苦痛に顔を歪めながら。


 今も未だユーリに、「かかってこい」と叫ぶフェンを前に


「……そうかよ」


 とだけ呟いたユーリが、歩きながら間合いを詰めていく。


 拳の届く範囲――そこまで間合いを詰めたユーリをフェンが睨みつけた。


「お、俺はまだ……負けてねー」

「そうだな」

「はやく――」


 口を開いたフェンに、ユーリの左拳が叩き込まれた。


 受け身も取れず吹き飛ぶフェンを尻目に「フン」と鼻を鳴らしたユーリが背を――


「ま、まだだ……」


 再び立ち上がるフェンに、振り返ったユーリが面倒そうな表情を浮かべた。


「俺は……まだ――」


 再び吹き飛ぶフェンが床を転がる。それでもピクリと動いて立ち上がろうとするフェンに、ユーリがエレナを振り返った。


 無表情のままだが、組んだ腕に指が食い込み爪が白く変色している。どうやら我慢しているのだろう。フェンとユーリの勝負に立ち入らないように。必死に見届けているのだろう。


 見上げた覚悟だとは思うが、同時に面倒だなとも思う。


(誰かが「参った」してくれりゃ早いんだが……)


 今もゾンビのように立ち上がるフェンは、恐らく殺してしまわねば何度も立ち上がるだろう。なんせ、ユーリは先程から意識を奪おうと試みているのだが、上手くそれがハマらないのだ。


 ユーリが思った以上に動けないということもあるが、それ以上にフェンの防御が上手いのだろう。ユーリの攻撃に合わせ、顔や身体を反って威力を半減させている。それも恐らく無意識に。


 気絶させる程度の力では上手くハマらない。とは言えこれ以上の力を込めれば、今のフェンでは確実に死んでしまう。


 手加減して殴り続けるか……いや、回数が増せばフェンの体力が保たない。結局は死んでしまう。


 殺してしまってもいいのだが……その後が面倒になる事だけは間違いない。エレナやカノン、その他のメンバーもユーリを仇と認定して敵対することになるだろう。


(面倒クセーな。だからのは嫌だったんだよ)


 初対面の連中なら、躊躇いなく全員殺すことが出来た。だが今はどうだ。エレナにカノン。ゲオルグにリンファ。さらに言えばクレアやサイラスでさえ、ある程度の情という物が湧いている。


 ユーリ自身、ヒョウ以外に絆など要らないと思っていた。だが気がつけばいつの間にか周りに人が増え、それを切るには簡単ではない絆が生まれているのだ。生きる以上、一人ではいられない。たとえ自分がそれを望まなくとも。


 一度結んだ縁は簡単に切れない事など、とうの昔に知っていた筈なのに。


 仕方がない。そう思ったユーリがフェンを見据えて大きく息を吐いた。


 ユーリの全身を覆う黒い闘気。それが膨れ上がりユーリの姿が一瞬でフェンの前に――


 床を揺らすユーリの踏み込み。

 繰り出された左のストレート。

 それがフェンの眼の前でピタリと止まった。


 遅れて来た風がフェンの前髪とバンダナを巻き上げる。


 小さく溜息をついたユーリが、軽くフェンの頭を小突いて「お前の勝ちだ」と笑って背を向けた。


 その言葉と行動に、一番驚いているのはフェンだろう。


「は? どういう…事だよ」


 と掠れる声をユーリの背中に投げかけるが、ユーリは「根負けだ。根負け」と言って後ろ手をヒラヒラ振るだけだ。


「悪かったなエレナ。治してやってくれ」


 苦笑いを浮かべたユーリに、「ウチの切り込み隊長はどうだった?」とエレナが笑顔を返した。


「悪くはねぇが……良くもねぇ。まあガッツがあるのだけは認めてやる」


 ユーリは未だに「未だ終わってねー」と叫ぶフェンをチラリと振り返って笑った。


「君の方もまだまだ成長の余地がありそうだが?」

「うっせ。そりゃお前もだろ」


 エレナの視線に肩を竦めるだけでユーリは彼女を通り過ぎて、へと足を向けた。


「アレだけ啖呵を切って、負けたのだが……?」


 腕を組んだまま笑うサイラスに「花を持たせただけだろ」とユーリが鼻を鳴らした。


「負けた君はどうするのかね?」

「とりあえず話を聞くだけだ」


 ユーリが腕を組んで口を尖らせるが、サイラスは「負けたのに態度が大きすぎるきがするが?」と盛大に眉を寄せた。


「バカか。そもそもアンタらの目的とか何とか、何も聞いてねぇんだよ」


 睨みつけるユーリに「確かに」と今まで話していなかった事を思い出したサイラスが、恥じるように苦笑いを浮かべた。最初に革命だと言って以来、どうやってそれを成すかなど詳しい話をする機会がなかったのだ。


「それでは、?」


 初めて出会った時のように、眼光を光らせるサイラスに



 ユーリが肩を竦めて笑って見せれば



 サイラスもそれだけ返して小さく笑った。

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